影武者の天下盗り

井上シオ

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最終章:偽りの果てに咲く

第97話:名を継ぐ者

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 それは、まるで春の雷のようだった。
 

 織田信長の名を継ぐ者――織田信継。
 まだ十五の少年は、父である“影信長”こと十兵衛の隣に立たされていた。
 

 「……こわいか?」
 十兵衛が問う。
 

 信継は小さく首を横に振った。
 震える肩。だが瞳は真っすぐに前を見据えていた。
 

 「父上。民の声を、聞きたいです」
 「よい心がけだ。……だが、民の声は、時に剣より鋭い」
 

 十兵衛は、少年の肩に手を置いた。
 それは、信長の面影とは遠い、ひとりの“人”としての温もりだった。
 

 やがて御前の間に、重臣たちが集まった。
 秀吉、勝家、家康、長秀、信行――そして、隅の椅子には濃姫もいた。
 

 「これより、信継をして織田の後継とす」
 十兵衛の声が響く。
 

 秀吉が一歩進み出て、膝をつく。
 「拙者、羽柴藤吉郎。信継様に忠誠を誓いまする」
 

 続いて勝家も、家康も――次々と膝を折り、信継に忠誠を示した。
 

 少年はその姿を、目を逸らさずに受け止めた。
 

 「皆の衆……私が“信長の名”を継ぐこと、恐れ多く思います。
  だが、父上の歩んだ道を、民のために紡ぎたいと思う。
  この命、皆のために尽くしまする」
 

 声はまだ幼いが、そこには確かな意思があった。
 重臣たちの表情が変わる。
 

 ――ああ、この少年は、間違いなく“育てられてきた”のだ、と。
 

 御前を終えたあと、信継は庭に出ていた。
 桜の落ちた石畳を踏みしめる。
 

 「……父上は、なぜそこまでして“信長”であろうとしたのですか?」
 

 背後に現れた十兵衛は、空を見上げた。
 

 「わしはな……生まれてからずっと、誰かの顔色を見て生きてきた。
  名前も、価値も、すべては“他人が決める”ものだった。
  だが、“信長”として命令した日――はじめて、自分の声に兵が動いた。
  ……あれが、はじめて“生きた”実感だったんじゃ」
 

 信継は言葉を失う。
 父は、名を借りて、自分を見つけていたのだ。
 

 「父上……私は、どう在ればいいのですか?」
 「お前は、お前の信長になれ。名を守るために生きるのではない。
  名を“越える”ために、進め」
 

 十兵衛は、初めて笑った。
 影ではない、ただの父の顔で。
 

 その夜。
 信継は父が遺した数多の文を、ひとつずつ、読み始めた。

 戦略、民政、信長論。
 ――そして一枚の書状には、こう記されていた。
 

 「影の願いは、名を超える者を残すこと」
 

 そう記された筆跡に、震えるように指を重ねる。
 

 「……継ぎます。あなたの願いを。
  私は、“あなたの名を超える”」
 

 月が、まるで彼を照らすように、庭を白く染めていた。
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