君の隣の理由

名瀬 千華

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真っ白な想いに散らばる憂慮

【 高校2年 秋Ⅲ 】

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【 紘樹side 】



玄関を開けるとリビングからテレビの音が聞こえる。
ひょこっと顔を出すとコーヒーを飲みながら
スマホを見ていた母さんと目が合う。

「ただいま」
「ひろー!おかえり!
どうだった?文化祭!」
「楽しかったよ」
「それはよかった!」

冷蔵庫に直行してさっき敬とコンビニで買った物を詰めていく。
ついでに飲み物を一つとって
ストローを刺しながら母さんの方に向く。

「今日敬も晩飯こっちで食っていい?」
「え!!いいわよ!!いいわよ!!
何食べるかな?」
「何で興奮気味なんだよ(笑)」
「ご飯はね!たくさんの人と食べた方が
美味しいのよ!!
で!何食べる!?」
「なんでもいいよ、あいつ何でも食うし」
「えーー!困るやつー!
どうしよっか~」
「じゃあ~、お好み焼き」
「はぁ?あんたが食べたいだけでしょ」
「何で俺が食べたいものはダメなんだよ...」

コーヒーを飲みほした母さんもこっちに来て
シンクでコップを洗う。
どうしよっかな~とまた嬉しそうにしている。
濡れた手を拭いて急足で玄関に向かった。
その一連の行動をぼーっと見ていた。

「じゃあ、買い物行ってくる!
敬くん何食べたいか聞いて連絡してっ!!」
「お好み焼き」
「ちゃんと連絡してよっ!!」
「はい...」

鞄を持ってバタバタと出ていく母さん。
テレビの音だけが残ったリビング。
なぜ、息子の食べたいものは全く
聞き入れてもらえないのか...
絶対何でもいいって言うって!!
絶対俺に聞いてきて、それでいいとか言うって!!

とりあえず着替えるために2階に行く。
扉を開いて何となく部屋の違和感に気づいた。
...まさか母さん...部屋掃除した?
急いでゴミ箱に走って中を確認すると
チリひとつない綺麗な状態。
ベッドも整えられててクローゼットも閉められている。
...まじか...いや、別にいいんだけど...
閉められたクローゼットを開けて
制服のネクタイを緩めながら少し考える。
あのゴミ箱に俺が今日寝坊した理由が詰まってた...
捨ててくれたのはありがたい、
ただ母さんが余計なことを言わなければいい...
ただそれだけだ、うん。

「...オナって寝坊とか流石に敬にも
言えねぇ...」

部屋着に着替えながらはぁと
とんでもなくでかいため息をつく。
別にめちゃくちゃ溜まってたとか
そういうのじゃないけど...
ただまぁ...抜いたのには違いないし
ちょっと言いづらいよな...
制服をハンガーにかけて
綺麗にされた自分の部屋を出た。



「おっじゃまっしまーーす」

しばらくしてソファーでテレビを見ていると
敬が家に入って来た。
リビングに入ってくるなり
俺の真横にピッタリとくっついて座る。

「ちけーな、距離感バグったのかよ」
「まーなさんは?」
「買い物行った、晩飯何食べたい?」
「紘樹」
「っアホ」

俺の頬にゆっくり当てられる敬の右手。
誘導されるまま敬の方を向くと
小さなリップ音を響かせて重なる唇。
じわっとドキドキする、心臓が弾む。
じーっと見てくる敬の瞳に飲まれそうになる。
後頭部に回って来た敬の手に
軽く押されて再び重なり合う。

「...っん、...ん」
「...っ、紘樹は?」
「んっ?」
「何食べたい?」
「お好み焼き」
「そこは俺っていえよ...」

はぁと小さくため息をついて
ソファーにドスっと背中を預ける敬。
なんだよ、みんなお好み焼き食べたくないんか...

「えー、じゃあ何食べたい?」
「いやお好み焼きでいいよ」
「ほらー!敬ならそういうって思ったんだってー。
なーのにあの人本当にさー」

ぶつぶつ文句言いながら俺は母さんに
電話をかける。
しらばらく続く呼び出し音の後電話が繋がった。

「もしもし、母さん?」
『食べたいもの聞いたッ!?』
「お好み焼きでいいって」
『そりゃあんたが食べたいものでしょ!?
敬くんはッ!?』
「だから敬もお好み焼きでいいって」
『敬くん!?そこにいる!?』
「いるよ」

通話をスピーカーにして
スマホを敬の前に出す。
ソファーにもたれかかったまま敬は画面を見つめた。

「俺何でもいいよ、紘樹がお好み焼き食べたいならそれでいいし」
『本当にっ!?せっかく来てくれたのにーっ!』
「全然構わんよ、ありがとう」
『いーえー!ちょっと銀行も寄って帰るから待っててねーっ!』
「はーい」

通話が終了して画面が真っ黒になったスマホを
ポイっとテーブルの上に置く。
全く聞いてもいないテレビに目を向けた瞬間
視界が勢いよく傾いて
気づいた時には押し倒され覆い被さった敬が
俺を見下ろしていた。

「んなっ!?」
「続き、しよ?」
「は!?なにっ、続きってなんだよっ」

じわじわ顔が熱くなる、
そんな俺をよそに敬の顔が近づく。
再び重なり合う唇は何度も何度も
くっついては離れを繰り返す。

「くーーち、開けて」
「っ」

べーっと舌を出してアピールしてくる敬から
恥ずかしくなって目を逸らす。
...くっそぉ...なんでこいついっつもこんな余裕なんだよ...
そして俺はいつになったら慣れるんだよっ。
敬の視線を感じながらも逸らしたままの視線が
戻せず悶々としていると
不意に服の下に手が入って体が跳ねる。

「っちょ!んッ!?」
「っ...んっ...」
「っふ...んッ...ふ...はっ...」

腹に敬の手が触れたまま
絡まり合う舌が俺の口を耳を犯していく。
...やばい、最近敬バンドとか文化祭の準備で忙しくて
あんまりこういうのしてなかったからっ
なんかちょっと...やばいっ...
ふと離れる敬の口から
細い糸が少しだけ引いて消えた。
服に入っていた敬の手がゆっくり上へと
上がってきたことに焦ってその腕を掴む。

「ちっちょっ!!母さん帰ってくるってッ」
「...銀行行くっつってたじゃん」
「いやっだけどそんな時間かかんねーだろッ」
「こんなエッロい顔されて
我慢しろっての?」
「してねぇわ!!ばっおいッ!!」

本気の力では敵わない。
こんなところでこんなことしてんのも
見られたらやべぇだろうにッ
必死に抵抗する俺にまたキスをする敬。
だめだ...流されるっ...
ぎゅっと目を瞑った時、
覆い被さる敬の後ろの方から着信音。
ピタッと敬の動きが止まり、
俺もパッと目を開く。

「...チッ」
「出ろよ!電話!!」
「やだ、毎回毎回邪魔されてもうそろそろウザい」
「いやいやいやいや!
大事な用事だったらどうすんだよ!」
「はぁ...」

ダラダラと上半身を起こして敬は
スマホの画面を確認する。
さっきよりもでかいため息をついて
ソファーに座り直して電話に出た。
...ちゃんと出た、誰だろ
俺もゆっくり起き上がって隣にちょこんと座った。

「お疲れ様です」

飲み掛けのジュースのストローを咥えて
視線だけテレビに向ける。
敬語か、なら目黒先輩かな...

「はい、今?大丈夫じゃないですけど」

あからさまに不機嫌に対応する敬。
割と子供だよな、こういうとき...
ぼーっとテレビを見ていると
敬が耳に当てていたスマホを
テーブルに置いてスピーカーにした。

「え」
「目黒先輩」
「え、あぁ、だとは思ったけど」
『七瀬ー?わりーな、邪魔したー?』
「あぁいや別にっ」
「めっちゃ邪魔しましたよ」
「おっおい!」
『わりぃな(笑)
明日さー、リハがあって
8時には体育館来て欲しいんだけど来れそうかー?』

8時か...
7時半には家出そうだな...
一緒に行くなら7時前には起きなきゃ...
んー。まぁ...起きれる自信はないけど...

「紘樹起きれないそうです」
「言ってねぇだろ!何にも!」
『なら城田だけ来るかー?』
「えー...」
「えーじゃねーよ、行けよ」
「はぁ?紘樹1人で学校行くんか?」
「行けるわ、学校ぐらい1人でッ」
『愛美も俺と一緒に行くらしいから
学校来たら愛美の相手してくれや、七瀬』
「あ、そうなんすか?
じゃあ頑張って起きますー」
『それでいいか?城田』
「ういっす」
『じゃ、よろしく頼むわー』
「ういー」
『ちょっ!!目黒ッ!!城田!?
城田ッ!?え!!まっ!!』

容赦なく通話を終了させた敬。
スマホをそのままにダラーっと
ソファーに伸びる。

「お前(笑)最後の絶対京極先輩だろ(笑)
切ってやんなや(笑)」
「知らん、興味ない」

完全に冷めたのか不貞腐れながら
ぼーっとテレビを見始めた敬に
笑いが込み上げる。
スッと立ち上がって冷蔵庫に入れておいた
さっき買ったみたらし団子を取り出す。

「いじけてる敬くんに
俺のみたらしひとつやんよ(笑)」
「まじー?あーんして」
「やんねーよ、食いに来い」
「サービス悪いー」

うめーと言いながら食べる敬に
少し笑顔が戻った。
それからしばらくして母さんも帰って来て
久しぶりに人の多い晩飯になった。



腹一杯にお好み焼きを食べて
時間はもう20時を過ぎていた。
ソファーに2人だらっと座って
お互いスマホをいじっていると
不意に立ち上がってグーっと背伸びをする敬。

「戻るわ、家」
「お、おう...」

...てっきり泊まっていくものだと勝手に
思ってしまっていた。
いや確かに家来た時手ぶらだったし
そもそも飯食いに来てって誘っただけだし
そうだよな...明日も早いし帰るよな...
あぁちょっとなんだろ...苦しいかも。
玄関に向かう敬の後ろをついていく。
泊まってけよって言えばいいんだけど...
言えねぇんだな、これが...

そんな俺をよそにさっさと靴を履いて
玄関に手をかける敬から
全く目が逸らせずにいた。
あぁ、なんか、言わなきゃ...

「明日っ、頑張って起きるわ...
何時に家でんの?」
「んー、7時半ぐらいかなぁ」
「わかった、アラーム10個ぐらい設定しとく(笑)」
「せんでいい、俺が起こしてやる」
「え?いや、大丈夫だって(笑)」
「今日寝坊したやつが何言ってんだか(笑)」
「そっ、いやそれはもう忘れてくれよっ!
じゃ、おやすみ」
「はぁ?」
「...え?」
「いやいや戻ってくるけど(笑)」
「え」
「帰るとは言ってない。
荷物とってくるついでに風呂は入ってくるけど」
「え、泊まるってこと?」
「当たり前だろ(笑)
え、ダメなの?」
「いやいやっいや!全然、いや...帰るのかと思って」
「んなわけ(笑)」

はっはは!と笑う敬につられて俺も笑う。
なんこれ、めちゃくちゃ嬉しい...
ずーっと一緒に過ごしてるのに
なんでこんなにまだまだ一緒にいたいと
思うんだろうか...
自分でも本当に不思議でたまらない。

じゃ、と言って外に出ていく敬を見送って
俺もリビングに戻る。
洗い物が終わった母さんが
ゴソゴソと何か準備している姿が目に入った。

「明日もはえーの?」
「うーん、ごめんねぇ、最近忙しくって!
朝も6時には家出るし、明日も帰り遅いと思うから
適当に済ませといてくれる?」
「おう、大丈夫」

最近忙しい母さんは
休みの日以外ほとんど職場にいる。
だから朝飯も晩飯も割と1人で過ごしてる俺を
あまり良くは思ってないみたいで。
まぁ慣れてしまえば俺も別に何も思わないけど
ここ数週間それが続いているのを
母さんは気にしていたらしい。

「ずっと敬くんがいてくれたらいいのにね(笑)
迷惑じゃないならもうこの家に
住んでくれてもいいぐらいよ!!」
「まじ?たぶんそれ言ったらまじで住むよ、あいつ」
「本当ッ!?
じゃあ今度言ってみようかしら(笑)
そしたらひろが1人でご飯食べることも
なくなるじゃない」
「俺もう高校生だぞ?そんなん気にしないって(笑)」
「バカねぇ、1人で食べるご飯なんて何にも美味しくないのよ。
母さん兄弟多かったからご飯はたくさんの人と
食べるのが当たり前だったでしょー?
でも最近朝も夜も
お昼だって忙しいからみんなで交代でご飯だし
全然楽しくないのよ」
「...」
「私は忙しいからそれでも仕方ないけど、
ひろも同じ思いしながら食べてたらって思うと
結構辛いものなのよ」

明日の準備ができたのか鞄を棚に置いて
こっちを見てニコッと笑う母さんは
本当にどこか寂しそうで。
そんな母さんをじーっと見ながら話に耳を傾ける。

「だから敬くんがいいなら
毎食ひろと食べてほしいぐらい!
その食費なんて安いものだし!
あんたも寂しくないでしょ!!」
「...まぁ」

そりゃ敬がここに住むことになったら
そんな飯一緒に食えるとかいう
レベルの話ではないぐらい俺得なことだけど...
迷惑じゃないなら...だよな...

「敬、今日泊まってくらしいから」
「え!?そうなの!?
帰ったのかと思ってたわ!」
「風呂入って荷物持ってくるって」
「良かったじゃなーい!!」
「その時、まぁ...俺からその話してみるわ」
「そうして!!いい返事待ってるって
言っておいてっ!!」
「おう」
「じゃあ、ごめんけど母さん先お風呂入っていい?
眠たくて眠たくて~」
「いいよ、おつかれ」

ヒラヒラ~と手を振りながら母さんはリビングを出た。
思ってもない提案が母さんからでて
改めて考えるとめっちゃ上がる話...
無意識に小さくガッツポーズをしてしまっていた。



もう気づけば22時を回っていた。
睡魔が一気に押し寄せてきて、
横でうつ伏せになってスマホを触っている敬を
ぼーっと見る。
画面の光に照らされる敬の横顔が好きだ...
いつまでも見てられる。

「寝る?」
「めっちゃ眠い」

スマホを充電器に挿して敬は横になって
俺の方を向いた。
フワッと香る敬の匂い...
この家に住む話しなきゃいけねぇけど
もう今日はいいか...
目が半分閉じかける。
そんな俺の頬を敬の掌が包む。
デカくてあったかくて...

「なぁ紘樹」
「んー...」
「今日何で寝坊した?」
「んもー、いいだろ...」
「気になる」
「大したことじゃないー...」
「じゃあなんで隠すんだよ」
「別にー...隠しては...」

どんどん意識が遠のく。
心地いい、寝るその瞬間まで敬の声。
とんでもない安心感に包まれて
余計深い深い眠りが押し寄せる。

「なぁー、紘樹ー」
「んー...抜いたー」
「は?」
「そんだけぇ...」
「ちょ、え?えっ!?紘樹っ、え、何つった!?」
「うっさいなー...もぉー...寝る」
「はっ!?えっ!?おいッ紘樹!?」

なんかギャーギャー騒いでるようにも聞こえるが
俺の睡魔が完全に勝った瞬間
その声はプツッと聞こえなくなって
夢の中へと落ちていった。



………………………………………………………………



「だーからー!溜まってたわけじゃねぇって!
まっじでしつこいッ!!」
「溜まってねぇのに何で1人でやってんだよって
聞いてんだろッ!?」
「ストレス発散だっつーの!!」
「ストレスってなんだよッ!?」
「お前ときょ...ッ、なっなんでもねぇわ!!
生きてりゃストレスぐらいあんだろ!」
「何言いかけた、お前今何言いかけたんだよ!!
まさかとは思うが俺と京極先輩とか
考えてんじゃないだろうなッ!?」
「っせぇな!!お前に関係ねぇだろ!」
「大アリだッ!はぁ!?なにっ、お前
京極先輩に嫉妬してんの!?
あんなの相手にすんなよっ、まじでッ」
「してねぇわ!!なんかムカつくだけだっつーのッ」
「それが相手してるっつんだよ!!」

ほとんど記憶がない俺と
しっかりと白状したのを聞き逃さなかった敬との
バトルが朝から勃発していた。
お互いブチギレて言い合いながら
朝の支度をして睨み合いながら玄関の鍵を閉める。

くっそ...母さんが何にも言わなかったから
完全に油断した...
1人で抜いたぐらいでこんなに噛み付いてくるのも
絶対どうかしてるわ、こいつまじでッ

無言の喧嘩とたまに目が合えば
垂れ流しの文句を続けて
あっという間に学校に着いた。

「正直そんな嫌ってねぇんだろっ結局!
興味ないとかいいながら相手してんのは
お前じゃねーか!!」
「無視しても急所蹴っても
まとわりついてきてんのはどう見たって
あっちだろうが!?俺じゃねーよッ」
「よく言うわッ!!
つーか急所蹴った理由だって俺知らねーしッ!!」
「そっそれはッ」
「だからって言わなくていいからなッ!!
お前らの問題なら俺は知らんっ!
2人で仲良くやってろバカッ!!」
「てっめ!?何だよその言い方ッ!!」

下駄箱に響き渡る俺らの声に
先に登校していた数人の生徒が足を止めて
コソコソと話し始めている。
完全に頭に血が上りきっている俺らに
そんな周りは全く視界に入らない。

「ちょっとッ!!またケンカしてんの!?」
「「うっせぇ!!」」
「うっせぇのはアンタらでしょうがッ!!
こんなところで大声あげてクッソ迷惑っ!
そもそも文化祭でまでケンカって何?
毎回毎回どんだけ言い合えば気が済むのよ!?
なげぇのよ!!アンタらのケンカまじでなげぇの!
溜め込んで一気に言うんだろうけど
日頃から溜め込む前に話し合えよッ!
つか家でやれっ!なぁ!?わかった!?」
「「...うっす...」」

愛美の怒りに圧倒される俺らの顔を見合わせながら
最後にガチの舌打ちをかまされ
完全に黙る俺たち。
少しずつ生徒が増え始めて
行き場がなくなった視線を下に落とす。
...京極先輩に嫉妬...?
いやまぁそうかもしれねぇけど...
だってあの人敬が好きなんだろ、
そんなん知ってたら誰だっていい気はしねぇだろ...
あぁムカつく...しょうもねーことでブチギレやがって...

「けいくん、碧はもう体育館行ったよ?」
「あぁ...わかった」

不服そうに愛美に返事をした敬と
バチっと目が合う。

「...いってくる」
「おう...」

軽く俺の頭をポンと叩いて
体育館の方へ歩いていく敬の背中。
...あぁいうのがまじで...ずりーんだって...
ケンカの元凶人物の所に行くのがわかってんのに
止めるとこができないって。
リハ...いつ終わるんだろ...
ぼーっと見ていたら不意に敬が振り返って
早足で戻ってくる。
めちゃくちゃ驚いて心臓がギュッと痛くなる。

「紘樹っ」
「っん?」
「これ教室置いといて」
「あぁ...」

渡される敬の鞄。
...持っていけばいいだろ、ずっと斜めにかかってる
だけなんだから...
そう思いながら受け取って
敬はまたすぐに向きを変えて歩き出した。

「行きたくないんだろうね、けいくん(笑)」
「...知らん。教室いこーぜ」
「んもー!ひろくんも素直じゃないんだから!」

敬の鞄も自分の肩から斜めに背負って
愛美と歩き出す。

「で、今回は何の言い合いしてたの?」
「んー...ちょっと言えないこと」
「あっそ(笑)」
「あぁーーーーーっ!!!見つけました!!
七瀬ぱぁーーーーいッ!!」
「うっげ...」

頭を抱える俺。
苦笑いの愛美。
満面のキラッキラスマイルで走ってくる赤羽。
文化祭2日目は波乱の幕開けとなった。




2つの鞄を背負ったまま
ぼーっと腕時計を見る。
敬がリハに行ってから1時間半。
うちのクラスのカフェが始まるまであと30分。
教室の外の廊下で壁にもたれて座っていた。

間宮と優介は衣装に着替えに行って
愛美と水谷さんも着替えと裏方の手伝いに行っている。
1日目に役割が終わった組は
2日目はほとんどすることがなく
とりあえず外で敬の帰りを待っていようと
思っていたわけなんだが...

「見てください!七瀬先輩っ!
これっ!!」
「あー」
「見てないですよねッ!?
これっ!!」
「うっさいな、なんだよ」
「だーから私のスマホ画面見てくださいッ!
これっ!七瀬先輩と城田先輩がつけてる
時計の新作ですよねッ!?」
「あ...本当だ、え、ちょ、見せて」
「はいっ!!」

赤羽のスマホを奪い取って詳細を読む。
まじか、一昨日か。新作出たんだ...
うわ悩むなこれ、めっちゃいいじゃん。
まだ買って1年も経ってないけど
買い換えるって言ったら敬も変えるかな...
いやぁでもどうせ変えるなら別のブランドかな...
悩みながら赤羽にスマホを返す。

「どうですっ!?もし良かったら
私プレゼントしますよッ!?」
「なんでだよ、いらねーよ」
「誕生日プレゼントってことで!」
「絶対いらない」
「えーーー、付けてくれなくてもいいんでっ!」
「金の無駄だろ、他のことに使えよ」
「そんなことないですよ!!
好きな人に買うプレゼントですよっ!?
金の無駄とかないですから!」

耳の真横でキーキー高い声で喋られて
頭がおかしくなりそうだ。
クラスの着替えが終わったのか
ゾロゾロと接客組が出てくる。
気づけば中庭にも中央廊下にも
一般の人や他校の人がチラホラ入ってきていた。
スッと立ち上がって間宮のところにでもいこうかと
足を一歩進めた時。

「紘樹っ」
「あっ、敬っ!おせーよ!」
「あぁ、何で赤羽さんいんだよ」
「文化祭ですよっ!?七瀬先輩とい放題ですよ!?
いるに決まってるじゃないですか!」
「...うっざ」
「おい、敬っ。
わりぃな、こいつ今日超絶機嫌悪くてさ」
「そーだぞーッ!
女の子には優しくしなきゃいけねーな!」
「いって!あーもううっぜ!離せッ」
「そんな嫌がんなよーっ!(笑)」
「...うっぜ」
「なんだよ...七瀬も機嫌わりーじゃねーか...」

お互いがお互いの隣にいる人間に
ピリピリイラつくまさに修羅場感。
何でいちいち肩組まねーと気が済まないんだよ、
この先輩は...

「紘樹っ!紘樹っ!!」
「ん?んっ!?優介っ!?」
「どう?似合う~?」

振り返るとメイド服を着てツインテールの
ウィッグまで被された優介が
クルッと回って笑っている。
あまりの破壊力にそこにいた全員の口が
開いたまましばらく時が止まった。
こっ...これは...まじで...

「...可愛い」

俺の口から漏れ出た声に
周りの人間が一斉に俺を見てまた優介を見る。
照れながらニコッと笑う優介が
これがまた可愛いのなんの...
まじで男でこのクオリティってなに...
出会った時から限りなく女子寄りの顔だったけど
女装なんてしたらそこらの女子より
ずば抜けた可愛さで異彩を放っている。
あまりの衝撃に生唾を飲む。

「おいこら人の男見て生唾飲んでんじゃねぇぞ」
「まっ!」
「なんか今年の2年って顔面偏差値高すぎじゃね?」

着替え終わった間宮が鬼の形相で
優介の後ろに立った。
こっちはこっちでこれまた規格外の王子が出てきた。
敬の肩に腕を回したまま
京極先輩はもう呆れている。
ついでに周りにはもうすでに人が結構集まっていて
歓声が飛び交っている。
...イケメンはちげーな、やっぱ間宮ってすげぇ

「まじでこの腕どけてください」
「あぁ(笑)わりぃわりぃ(笑)」
「紘樹」
「ん?」
「ちょっと来て」
「...おう」

手招きする敬の横に行くと
そのまま歩き出すから着いていく。

「えーーーっ!城田先輩ずるいですーぅ!
私も七瀬先輩と回りたいのに!」
「うざいって言ってごめんな、
けど紘樹は渡せない」
「そんなぁぁーーっ!」

地団駄を踏んで悔しがる赤羽と
つまらなさそうにその場から去っていく
京極先輩の背中を見ながら
俺も敬が進む方へついて行った。



「あのっ!七瀬くんですよね!?」
「え?うん、そうだけど...」
「めっちゃカッコいいッ!
やばい!」
「生で初めて見たっ、やばいやばい!」
「あのあのっ!もし良かったら
連絡教えてくれませんかッ!?」
「ちょっとこっちこっちー!七瀬先輩いるよ!」
「私の連絡先これなんですけどっ!
連絡もらえませんかっ!?」
「私も~!受け取ってくださいっ!」

一階に降りるとすごい人の数に
完全に圧倒され、
全然知らない人たちから声をかけられ
至る所から小さな紙を渡され
スマホの画面を見せられ
もう全く前に進めない。
これだから一般公開の文化祭は疲れる。
...いっつも思うけどこの人たちって
文化祭に何しに来てんだろ、彼氏探しに来てんのかな
俺は一枚も受け取ることなくとりあえず
小さな一歩を踏み出しながら
この群れから必死に抜けようとしていた。

「城田先輩ですよねっ!?」
「え?」
「私ずっと先輩に憧れててっ!
来年この高校受けようと思うんですっ」
「...」
「あの!私もそうなんです!」
「私もですっ!」
「良かったらこれ...連絡してくれたら
めっちゃうれしいです!!」
「文化祭、少し一緒に回りませんかっ!?」

...なんだよ、あの女ども...
人の彼氏に色目使ってんじゃねぇ...

「どいて」

歩く場所もないほどに群がる人たちに
冷たく一言言い放つと
あんなにギャーギャー騒いでいた女子たちが
少しだけ黙った。
その隙に離れてしまった敬のもとに駆け寄って
強引に腕を引いて早足にその場から逃げる。
驚きながらも俺に引かれる敬は
トイレ入れと叫んで、そのまま俺らはとりあえず
男子トイレに逃げ込んだ。

「えーっ、トイレ入っちゃったよ」
「待つ?」
「トイレ待つのは...(笑)」
「とりあえず回ろ?」
「また会えるかな~!」

ドアの外で聞こえる追っかけてきた人たちの声に
耳を傾けていたら、しばらくして静かになった。
ホッと胸を撫で下ろして手洗い場に
軽く寄りかかった。

「敬がナンパされるとは...」
「まぁ俺もモテ期だから」
「来んなそんなの」
「紘樹が言うなよ(笑)」
「モテ期なんかきたことねぇわ」
「おま...まぁそうだな」

苦笑いしながら敬は俺の目の前に立って
そっと手を握ってくる。
少しだけあったかい、でかい手...
俺じゃない誰かに触っているこの手を見るのが
嫌になるのはおかしいことなんかな...
自由を奪いたいわけじゃない、
束縛もしたくない。それなのに...
こんなに誰かといる敬をよく思えないのは
何でなんだろうか。

「なぁ紘樹」
「っん?」
「文化祭終わったら家行っていい?」
「え?あぁ、いいけど」
「1回さ」
「うん」
「腹割って話そう」
「...」
「俺が思ってることを全部話す、
だから紘樹が考えてること全部教えて」
「敬...」
「いい?」
「わかった、長い夜になるぞ」
「構わん」

ニコッと笑う敬はそのまま
触れるだけの優しいキスをして
俺の手を離した。

「ま、とりあえず回ろ!
人多いけど!」
「おっけ!」

ガラッと勢いよくトイレのドアを開けた
敬に俺も急いでついて行った。



「敬たちのバンドって何時から?」
「出るのは2時半だけど
体育館でやるパフォーマンスは2時から始まるよ」
「あ、まじで?
じゃ2時には体育館行かなきゃいけねぇのか」
「そゆこと」

とりあえず全部のエリアを回って歩き疲れた俺らは
中庭のベンチに座って
模擬店で買った焼き鳥を頬張る。
なんか知らんがおまけで3本も多くくれたし、
敬は真里ちゃんの模擬店でみたらし団子買って
おまけをもらっていた。

「おいー!七瀬ーっ!!」
「おー、青柳じゃん、どしたー?」
「どしたじゃねーよー!水谷のメイド服見た!?」
「いや全然興味ないわ(笑)」
「おいーーーーっ!めっちゃ!まじもうめっちゃ可愛くてさぁ!!」
「それはそれは良かったな(笑)」

走ってこっちにきた青柳の後ろから
笑いながら佐野もついてくる。
そういやぁ、うちのクラスに顔出してないな...
時計を見ると12時を回っている。
順当に営業してるならもう終わるなぁ...

「じゃあ、見に行ってみるか」
「いやもう終わってるぞ(笑)
30分前に完売!」
「あ、まじで?(笑)」
「間宮と若菜がすごかった!
つーか若菜もすっごい似合っててめちゃくちゃ
ナンパされてたよ(笑)」
「あぁ~、確かにあれは可愛かったな」

思い出すだけでニヤついてしまう。
終わってるってことはもうあの優介は
見れないのかー...
それはちょっと残念かも。
写真ぐらい撮っとけば良かったな...
あとすごい勝手な予想だけど間宮の機嫌悪そう。

それから愛美たちや
とんでもなく機嫌の悪い間宮たちと合流して
騒ぎ倒していた俺たち。
大人数で固まっていたからか
今年はあまり知らない人らに絡まれなかった気がする。
それが気楽で楽しくてあっという間に時間は過ぎた。

「城田いるー?」
「あ、目黒先輩」
「わりぃ、体育館もう来れる?」
「あーはい、行きまーす」

よいしょっと言いながら立ち上がった敬は
俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でて
また後で、と笑う。
...うぅーー、かっけぇー...心臓がしんどいー...
小さく何度もコクコクと頷いて
目黒先輩と先に体育館に向かう敬をしばらく見ていた。

「そんな寂しそうな顔すんなよ~!
紘樹可愛い~!」
「なっ!?しっ、してねぇわ!!」
「朝あんなに大ゲンカしてたのにねぇ~」
「何またケンカしてたんか、お前ら」
「も~本当うるさいのなんの!」
「あぁーー!もううっさいな!!」
「紘樹がキレたキレた(笑)」
「まじで短気(笑)」

後ろから俺に抱きついてゲラゲラ笑う優介と
煽る愛美と間宮にキレながら
そのままゾロゾロと自分達も体育館へ向かった。
もうすでにたくさんの人が体育館内で
場所取りをしていた。
俺たちも急いで真ん中の方を陣取った。

「わりぃ、ちょいトイレ~」
「ついて行こうか?」
「大丈夫、すぐ戻るわ」

間宮の一言に軽く笑って足早に体育館を出た。
外にも人はいるけど、ほとんどが体育館に
集合しているからか少なく感じる。
1番近いトイレで用事を済ませて外に出た時、
前の壁にもたれて立っている1人の男子と目があった。

「...おめーが七瀬か」
「は?」
「ちょっと面貸せや」
「いや誰だよ」

全く知らん。誰だこいつ。
知らん制服、どこの高校だよ。
...くっそ、めんどくさそうなやつに絡まれたな...
めちゃくちゃキレてるし...
先を歩いて校舎の裏側へ出ていく名前も知らない生徒に
とりあえずついていく。

校舎から少し離れて特別に設置されている
喫煙所の近くまで来た時
突然足を止められ、それに俺が気づいた時には
左頬からものすごい衝撃が走った。
振り落とされた視線の先でアスファルトに落ちる
数滴の真っ赤な血。
...え、なに...まじか、がちで殴られた
脳みそが状況を理解した瞬間一気に襲いかかる激痛。
渾身の一撃をもろに喰らって
口の中まで切れたらしい。
相手に視線を向ける暇もなく
胸ぐらを両手で掴まれ
怒りに満ち満ちた男の顔が目の前にくる。

「あの日ッ」
「...」
「花火大会のあの日ッ
お前っ、春架に何しやがったッ!?」

...春架
あの日の記憶が蘇る。
俺に会えて嬉しそうだった春架。
ガチギレして泣いた俺。
最後まで俺の味方をした敬。
何をした...俺は春架に...何を...
息が荒い男子生徒とバチっと目が合う。
まっすぐ相手を見たまま真剣に口を開いた。

「...俺は、酷いことを言ったと思う。
でもどうしても譲れないものがあったから」
「はぁ!?カッコつけてんじゃねぇッ!!
何が譲れねぇもんだよッ
あいつがあの日どんな思いでっ、どんな顔して
帰ったと思ってんだよッ!?なぁ!?」
「...申し訳ないとは思ってる。
けど2度と会うことはないだろうし、
言いたいことは全部伝えたから
後はもう...はるの中で終わらせてもらうしかない」
「おめー...ッ
春架はなッ!ずっとお前が好きだったんだよッ
なのに...ッ、俺んとこに戻ってきた春架は
ずっと泣いててっ!!
もう終わっちゃったってッ、本当に終わったってっ...
何があったんだよッ!!何したんだよッ!!」
「...何もしてない、
何も...してやれなかった」
「...ッ!!」

男子生徒の目つきがさらに吊り上がり
胸ぐらを掴んでいた片手を
大きふり上げたとき、俺は目を瞑った。
...そうか...春架も泣いたか...
グッと体に力が入る。
しかし、振り上げられた拳が降りて来ることはなく
しばらく時間が流れていることに気づいた。
ゆっくりと目を開けると
相手が振り上げた手首をがっしりと掴んでいる
男の人が俺の横に立っていた。
その人とバチっと目が合う。
...誰だ...背が高い、きれいな鼻筋と
吸い込まれそうなきれいな瞳。

「離せよッ!っいってぇよ!!」
「わりーな、男の喧嘩に首突っ込んで。
俺は補導と保護をメインに仕事してんだ。
こっちの男、すでに一発喰らってるみたいだけど
どっちだ?先に手を出したのは」
「はぁ!?ほ、補導!?」
「場合によってはこのまま警察に行って
俺の事務所に寄ってもらうが
どうする?ついて来るか?」
「なっ!?行かねーよッ離せよッ!」
「どっちだ、先に手を出したのは」
「...っ俺」
「そいつは」

まだ俺の胸ぐらを掴んでいる相手の手を
握って口を開く。
2人の視線が俺に集中した。

「俺を殴る理由がある、
この一発は俺が受ける必要があったと思う。
だから、見逃してやってほしい」
「暴力をふるっていい理由は存在しない」
「それでもっ、...こいつの大事な人を
俺は泣かせた。一発殴るのに十分すぎる理由なんだ」
「君は彼の暴力を許すのか?」
「あぁ、許す。
けど、もしおっさんが握ってるその手を離して
二発目がくるならどこにでも連れてってくれ」
「おまっ!!」
「おっ...おっさん...。
...ま、まぁわかった。
本来なら強制連行だけどな。
...じゃあ離すよ」

パッと離された手はものすごい速さで
おっさんから離れて
男子生徒は俺からも離れていく。

「君、佐渡(さど)高校だね?
名前は?」
「いっ言うわけねぇだろッ」

おっさんの目つきと雰囲気が
ガラッと変わったのがわかった。
声のトーンも大きく変わる。

「名前は?」
「っ...槌田、直...」

すごい圧だ...
いや...殺気というんだろうか...
一帯の空気が凍っている、まるで時間の流れが
ぴたりと止まったように...
怖い、死ぬ、殺される、そんな漠然とした
不安と恐怖が槌田と言った男子生徒を戦慄させた。
あまりの緊張感にその恐怖が俺にも伝わる。
顔を引き攣らせながら後退りして
ゆっくり離れていく槌田。

「なぁっ」
「なんだよっ...」
「気が向いたらでいいから...
春架に伝えてほしいことがある」
「はっ?」
「...帰る場所があってよかった、
好きでいてくれてありがとうって」
「いっ...言うわけねぇだろッ
お前の話なんてしねぇよっ!」
「...あぁ、それでもいい。
お前にも迷惑かけて悪かった、ごめん」
「なんで...なんで俺におめーが謝るんだよッ
うっぜ!!2度と俺らの前に現れんなッ」

捨て台詞を吐いて走って逃げていく
槌田の背中を俺とおっさんは見ていた。
不意に目の前にハンカチを出されて
おっさんを見るとニコッと笑う。
さっきの顔が嘘みたいに
すごくすごく優しい顔をしている。
いや普通にすげぇかっこいい...

「血、拭きなよ。
せっかくのいい顔が台無しだ」
「あぁ...あざっす」

『ちょっと!?潤ッ!?
おいこら、いつまで待たしてんの!?』

シャツの胸ポケットに入ったスマホから
女の人の怒鳴り声が聞こえる。
慌ててスマホを取るおっさん。

「ごめんね!俺電話中だったの忘れてた(笑)
そのハンカチ、捨ててもいいし
返してくれるなら...そうだなぁ~、
碧にでも渡しといて!!」
「えっ!?碧って目黒先輩ですか!?」
「そうっ!!目黒碧ーっ!
じゃあね!七瀬くん!」
「えっ」

なんで...俺の名前知ってんだ...?
スマホを耳に当てて急いで喫煙所に
入っていくおっさん。
ハッと我に返り時計を見ると
もう2時半が来ようとしていた。

「やっべ!!」

口元にハンカチを当てたまま
俺も急いで体育館に向かった。


………………………………………………………………



「あー!ひろくん!おっそい!!」
「わりぃわりぃ!敬の出番間に合った!?」
「もうすぐだよ!」

ステージを見ると目黒先輩たちが
自分の楽器の準備をしていた。
あっぶねー...
あのおっさん来てくれなかったら
見逃すところだった...
殴られてバンドも聞けなかったなんて
あいつに言ったらさらにボコらそう...

優介は羽界さんの横で何やら楽しそうに
話している。
その後ろに立っている間宮の横に立った。

「...七瀬?」
「ぅぉっ!?」
「お前どうした、それ」
「えっ、あぁいや...大丈夫(笑)」
「...」

スッと俺の目と鼻の先に現れた
間宮の顔に驚く。
キスされんのかと思った、びびったっ...
ちっけー...
ステージだけがライトアップされて
俺たちがいるところは暗く
近づかないと俺の傷なんて見えないはずなのに
どこで気づいたんだ...
めちゃくちゃ覗き込んで口元を見て来る
間宮になんか恥ずかしくなって
離れるように言いながら肩を押した。

「...誰にやられた?」
「言えない」
「...殴り返したか?」
「いや、一発もらっただけ。
その後止めてくれた人がいたから
帰ってこれた」
「そうか...」

前を向いてステージを見ながら
眉間に皺を寄せた間宮は一言つぶやいた。

「やり返すなら俺がやる」

あまりにいい声で言うからちょっと
笑ってしまった。

目黒先輩が挨拶をした後
マイクを持ってセンターに立つ敬。
歌う前からもう歓声が上がる。
軽く会釈をして後ろにアイコンタクトを送ると
ゆっくりと演奏が始まった。
いつの間にか静かになった体育館に響き始める
聞き覚えのあるメロディー。
そして...もう十分聞き飽きている
愛しい人の本気の歌声。
うますぎるその声に一瞬体育館内が
どよめいたがすぐに静かになって
全員がただ純粋に聴き入っていた。

...あぁやべぇなぁ...まじでかっこい...

綺麗に曲は移り変わり
2曲目もあっという間に終わってしまった。
目黒先輩がピタッと最後の音を終わらせた時
体育館が揺れるんじゃないか思うぐらいの
馬鹿でかい拍手と絶え間ない歓声が
しばらくの間続いた。
敬が次のバンドと交代するために
ステージからはけようとすると
女子生徒の悲鳴にも似た敬を引き留めようとする
声が響き渡り、
その声に反応したのか足を止めて
軽く手を振る敬に多くの女子が胸を打ち抜かれているように見えた。

次のバンドの準備が続く中、
早足で戻ってきた敬に気づいたのは
俺の横に来た時だった。

「紘樹っ」
「おー、お疲れ!めちゃくちゃかっこよかった!」
「まじっ?良かっ...た...紘樹?
え、お前これどうした」
「あぁ...ちょっと、そのぉ、トラブった(笑)」
「は?」

薄暗いのに本当よく気づくな、敬も...
間宮と同じぐらい近づいて
ものすごい心配そうな顔で覗き込んでくる敬に
めちゃくちゃ心臓が跳ね上がる。
...近い近い...めっちゃ心臓痛いっ...
ゆっくりと俺の殴られた方の頬を
包み込む敬の手のひら。
いつもより少し冷たいその手が気持ちいい...

「...何があった」
「今は...、言えん。
帰ったらちゃんと...」
「今言え、何があった」
「...」

優しい手のひらとは裏腹に
半ギレの目つきと低い声。
せっかくの文化祭、せっかくのバンド。
いい雰囲気で進んでるのに
俺のこんなしょうもない出来事で乱したくない...
俺は頬を包むその手を上から握った。

「大丈夫。
後で絶対話すから。
今は見なかったことにしてほしい」
「無理」
「敬...」
「無理に決まってんだろ...
まさかこれ殴られたんじゃないだろうな?」
「...」
「は?まじ?...はぁ!?
誰に、誰にやられたっ!?」
「落ち着けって!」
「落ち着いてられるわけねぇだろッ!?
言えやッ!紘樹ッ!!」
「敬ッ!!」

目を見開いてもうほとんどガチギレの
敬の口を俺の両手で塞ぐ。
周りも賑やかだからかさほど目立たないが、
さっきの歌声で今敬は注目の的だ。
周りの視線がそこそこ痛い。

「敬...頼む、今は抑えてくれ」
「...っ」
「城田」

俺らのやりとりをずっと横で見ていた間宮。
次のバンドの挨拶が始まり
もうすぐ演奏が始まろうとしている。

「悪かった、守れなくて」
「...」
「間宮っ、別にお前が謝ることじゃっ」
「自分にとって命より大事な人間が
自分の知らないところで傷ついてて
普通正気ではいられないって、七瀬。
今お前は城田に相当無理な頼みをしてる。
だから少しでもその怒りを
誰かのせいにした方がいいんだよ」
「...そんな」

言葉に詰まった時
次のバンドのでかい音が体育館中を包み込んだ。
俺はゆっくり敬の口から手を離して
ステージに視線を向けた。
...正気ではいられない、そうだよな、そうだ...
俺がもし敬の立場なら
怒り狂ってるし絶対パニクってる。
めちゃくちゃ拳に力が入っているけど
それでも俺の頼みを飲んでくれている敬。
...あいつに付いて行かなかったら
こんなことにはならなかったよな...
俺は本当にダメな男だ...

その後も残りのダンスや他の演奏が
滞りなく進み、プログラムのフィナーレとなった。
ずっと司会進行をしていた3年の先輩2人が
ステージに立ってさらに盛り上げる。

「お待たせいたしましたっ!
最後を締めくくっていただくのは、
リクエスト枠に選ばれた1組っ!!」
「そして今、その1組が決定いたしましたッ!」

ザワザワと話していた生徒たちが黙って
静寂が体育館を包み込む。
2人の先輩が声を揃えて言った言葉に
再び体育館が揺れるほどの大歓声が起きた。

「まぁ...そうだとは思ったけど」
「敬...」
「行かない」
「いやっ、行けよ」

間宮が呟くのに続き、俺も敬の方を見る。
悲しそうな、まだまだ怒りが冷めていない
ものすごく不機嫌な顔で敬は下を向いた。
選ばれたのは目黒先輩のバンド。
もう一度あのステージに立ってもう一曲歌う。
間宮が立ち上がって敬の腕を引く。
生徒たちの盛り上がる声と絶え間ない拍手。
それはいつしか一体となり同じリズムを刻んでいる。

「碧が待ってる、行くぞ」
「無理、行けない」
「敬っ」
「離れられるわけねぇだろっ!!
もしっ、もしまたお前になんかあったらッ」
「ねぇよ!もうっ!!」
「そんなんわっかんねぇだろッ!!」

...ごめんな...ごめんな、敬。
もう半泣きの目は全く周りが
見えていない。
真っ直ぐ、ただ俺だけを見るその目が
あまりにも強く俺の心臓を苦しめていく。
俺はゆっくり間宮が掴む腕とは逆の手を握って
笑ってみせる。

「...ごめんな、敬。
苦しいよな、しんどいよな...ごめん。
でも、みんながこの日を楽しみにしてた。
敬も目黒先輩もみんな頑張ってきた。
そんで今、みんながお前の歌声をもう一度聴きたいと言ってくれてる。
...お願いだ、敬。行ってきてほしい。
文句は後から全部聞くから、なぁ、頼むよ」
「紘樹...」
「...沙織、優介」
「「んー?」」
「七瀬といてやってくれ、腕でも掴んで
ゼロ距離でいいから」
「「りょーかい!」」
「いくぞ、城田」
「...っ」

俺を挟んで羽界さんと優介がベッタリと
くっついて来る。
何も知らない愛美たちはそんな俺らを見て笑う。
人混みに消えていく敬の後ろ姿。
ふいに視界に入って来る羽界さんの顔に少し驚く。

「七瀬くん、誰にやられたの?その傷」
「えっあぁ...ちょっと言えない...かな(笑)」
「そっか!言わない方がいいね!」
「え?」
「慎吾が知ったら殺しに行きそう!(笑)」
「しんちゃんも怒ってたね(笑)」
「けどー、城田はすごい!
こんな状況でも紘樹の言葉をちゃんと受け入れて!」
「...相当無理してるよな」
「そうだね、タイミングは最悪だね」

うんうんと頷いて俺の言葉に
耳を傾けてくれる羽界さん。
腕を組んで密着してくれてるけど、
全然ドキドキしない。
そんなことより敬の今の心情を考えると
胸が張り裂けそうなぐらい苦しい。
逆サイドからも優介が肩を組んで密着してくれている。

「抱きしめたかっただろうね、
でもそれをしちゃったら離れられなくなるのを
きっと城田はわかってた。
慎吾もすぐにでも殴り返しに行きそうだったけど
文化祭ぶち壊したくない紘樹の気持ちが
わかったんだろうね、よく抑えてる。
2人ともヒーローみたいだね!
城田の強さはスーパーヒーロー!」
「...優介(笑)」
「ゆうちゃん(笑)」

へへっ!と笑う優介に
俺と羽界さんもつられて笑った。
...確かに、普通だったら痛いほど抱きしめてきても
おかしくなかったな。
歌いに行けと言った俺をあいつはどう思っただろうか...
手を離した瞬間どんな気持ちでいただろうか...

ステージにはグランドピアノと
ドラム、キーボードと準備され始めていた。
...ん?さっきピアノなんてなかったのに...
ぼーっと見ていると目黒先輩たちと敬、
それに続いて間宮までステージに上がっていた。

「えっ?間宮も出るの!?」
「うん!リクエスト枠入ったらスペシャルゲストで
慎吾も呼ばれてたんだー!」
「えーっ、すげぇ、ピアノやんの?」
「しんちゃんすっごいピアノうまいんだよ!」
「えーっ!まじか!!」

目黒先輩の挨拶の後
それぞれが自分の持ち場に立った。
めちゃくちゃ真顔で間宮たちとアイコンタクトをとる敬。
小さく俺たちに向けてお辞儀をした時
ゆっくりと間宮の前奏が響き渡った。
すごく...すごく綺麗な音。
俺も含めてほとんどの人が口を半開きにして
驚きをそのまま表情に出している。

「...この歌」
「七瀬くんが前貸してくれたCDにも入ってたね。
城田くんが好きな歌なんだって
嬉しそうに話してくれたの思い出すよ」
「あぁ...敬が俺にこのアーティスト教えてくれた
あの時からずっと好きな歌だ」
「いい歌だよね」
「うん」

懐かしい...
中学の頃イヤフォンをつけていた敬に
片方貸してと言って自分の耳につけたら
よくこの曲が流れてた。
歌い始めた敬に全員が聞き入る。
一曲フルで歌えるリクエスト枠なのに
ずっと聴いていたくなるようなその歌声で
時の流れは一瞬で過ぎたように感じる。

間宮のピアノも加わって
最後の最後まで本当に誰も口を開くことなく
歴史に残る文化祭のエンディングとなった。
歌い終わり、全ての演奏が終わった時
大歓声ともに惜しみない拍手が続く。
ステージに横一列に並んで
目黒先輩たちがお辞儀をした。

「敬のところ行ってくるわ」
「俺も行くー!」
「私も!」

ニコニコとついて来る2人と
生徒をかき分けながら
体育館の端っこの方に移動する。
扉を開けるとちょうど敬たちが
ステージからはけて来ていた。
ステージへ上がるための階段の下。
敬が完全に裏へ戻ったところで
こっちに気づくのを待つことが我慢できず
口を開いた。

「敬っ!」
「紘樹ッ」
「おっおまっ!えっ!?あぶな!!」

俺に気づいた敬は下に降りて来る階段を無視して
柵から飛び降りた。
そしてそのままの勢いで全力で俺に抱きついた。
すごい力で...めっちゃくちゃ苦しい...
後頭部と背中に回された手が痛いぐらいなのに...
なんでこんなに...嬉しいんだろ...
俺は笑いながら
敬の背中に手を回してバシバシ叩く。

「お疲れっお疲れっ!
ちょーかっこよかった!最高だった!」
「...っ」
「ちょっと苦しい(笑)苦しいっ!」
「...紘樹っ...」
「何してんだ、お前ら」
「あっ、目黒先輩っ!
あのっ!」

正面から敬に抱きつかれたまま俺は
ポケットからハンカチを取り出して
ヒラヒラと目黒先輩に見えるようした。

「何?」
「これっ、ハンカチっ!」
「そうだな」
「いやっそうじゃなくて!
このハンカチ貸してくれた人が
返す時は目黒先輩に渡せって言ってきて!」
「俺?え、これ...お前潤さんに会ったのか?」
「潤さん?」
「つーかなんか顔腫れてね?
殴られたんか?」
「あぁ...はい、ちょっとトラブって(笑)
その時助けてくれた人がこれ貸してくれて!
潤さんっていうんすね!」
「あぁ...それで城田がそんなんになってんのか」
「はい、...なぁ敬、そろそろ離せよっ」
「無理」

びくともしない敬にため息が漏れる。
まぁ...もうしばらくはこれでも...

「城田、やり返そうとか思わなくていいぞ」
「...なんでっすか」
「このハンカチ貸してくれた人、
月の会のトップだから。
七瀬を殴った奴はもう潤さんの獲物だ、
城田が何かアクション起こしたら
お前がやられるぞ」
「やられるって...」
「殺される」
「...」
「確かにめっちゃ圧やばい人だった。
でもめっちゃ優しく笑ってんすけどね、
別人みたいでした」
「まぁ普段はイジられてるし
いい人なんだけどな。
そのハンカチ返しとこうか?」
「あぁ、血ぃついてるんで
洗ってまた先輩に渡しに行きますわ」
「血?まじかよ。どんな力で殴られたんだよ」
「あはは(笑)視界が揺れるぐらいには(笑)」

ギューっと俺に抱きついていた敬が
急にばっと体を起こして俺の目の前に現れた。
目と鼻の先に敬の心配そうな瞳。
ゆっくり俺の頬にまた手を当てる。

「...痛い?」
「もう痛くねぇよ、大丈夫」
「...」
「こっちの片付けはやっとくから
お前ら2年はクラスの片付け行けよ」
「あざっす」

間宮たちはずっと黙って
俺らの様子を見てくれていた。
最後に間宮が少しだけ目黒先輩と話をしていたけど
俺と敬は優介たちと一緒に体育館を後にした。

それからクラスのみんなで教室の片付けをして
陽が落ちかけた頃、文化祭は幕を閉じた。
みんなでゾロゾロと正門を出て手を振り合う。
敬はずっと俺の横にいた。
片時も離れようとせず、必ず視界に入るように
行動していたような気がする。
別れ際に愛美にだいぶ傷のことに関して問い詰められたが
とりあえずほっといてくれと言い続けて
なんとか解放され、
俺たちも肩を並べていつも通り並んで帰り道を歩いた。

たくさん、...たくさん話さなきゃいけないことがある。
でもそれよりも
たくさんのごめんと、たくさんのありがとうを
敬に言わなきゃな...

いつもの土手に通行人はほとんどいなかった。
時間帯のせいだろうか...
俺はポケットに突っ込んでいた手を片方出して
敬の右手を握った。
驚きながらも少しだけ笑った敬は
恋人繋ぎに繋ぎ直してギュッと力を入れてくれた。
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