61 / 116
第七章 悪皇帝
第七章 悪皇帝 八
しおりを挟む
さて、妃がよその男を想って『同心結』を隠し持っていたのを知った悪帝は、自分が正当な夫婦を引き裂いたという事実を忘れて激怒した。
そうして、まだ十四歳を過ぎたばかりの熾繁の衣裳を掴んで引き倒すと「この卑しい豚女め」と罵りながら、手心なしに天杖で打ったのだ。
幼い熾繁は恐怖と痛みに、ただ、ぶるぶると震えるばかりであった。
丁度居合わせていた麗華は我慢できず、尉遅熾繁の前に立ちふさがった。
更には悪帝に激しく抗議した――そう、内通者から伝えられた――とこの下女は言う。
「お嬢様は、お小さいころから本当にお優しゅうございました。
屋敷で働く私の母が病気になったときなどは、お膳に薬粥を乗せて、お小さい身で運んで来て下さったこともあるほどです。
なれど陛下はそんなお優しさもわからず、代わりにお嬢様を『天杖』で二百回あまりも打ったそうなのです。
それで許される約束となっていたのですが、お嬢様が呻きもせず、表情一つ変えなかったことに陛下はいたくご立腹され、とうとう自死を命じられたとのことでした」
その言葉を聞き、伽羅は気が遠くなる思いであった。
いつのまにか下女の言葉が『天元太后様』から『お嬢様』へと変わっているのにも気がつかぬぐらいである。
そう、この下女もその母同様、元々は揚家で働く奴婢の一人であった。
気の利くところを買われて今は密偵となり、正殿の下女として働いている。
自死。
その言葉を聞いて伽羅は唇をかみ締めた。
伽羅の父も宇文護に追い詰められ、そうやって亡くなったのだ。
当時幼く、他家に嫁いで間もない伽羅に出来ることは何一つなかった。
次に浮かんだのは、毒殺された姉である。
その姿が、面影の似た娘・麗華に重なってゆく。
「馬を引きなさい!
わたくしが陛下のもとに参ります!」
叩きつけるように叫ぶ伽羅に下女は言った。
「それでしたら急ぎ軒車(屋根や覆いのある貴族、富裕層用の馬車)を用意いたします。
少々お待ちくださいませ」
「いいえ。麗華が死んでしまっては遅すぎます。
一番良い馬を。早う!」
この時代、まだ纏足は普及しておらず、高貴な女人が馬に乗るというのは、少なくはあったが『無いこと』ではなかった。
史書の中でも身分ある女性が馬を操るさまが書かれている。
もちろん、高貴な女性が単騎で街を駆け抜けるのは稀であったろう。
伽羅は用意させた馬に飛び乗った。そうして宮殿へと向けて急ぎ駆けた。
従者が数人伽羅の後を追うが、馬の力量や乗り手の軽さも手伝って全く追いつけない。
童女の頃に散々馬に乗った伽羅である。手綱さばきも見事に道中を走り抜ける。
宮中に上がっても足は止まらず、気は焦る。
あまりに慌てていたので、長々とした裳裾の乱れを気にする余裕もなく、履物は途中で脱げた。
転んだ拍子に結い上げた髪も崩れ、かんざしも一つ抜け落ちた。
伽羅は女人の中で一番尊い『天元太后』の生母。
更には、大司馬(今でいう国防長官)かつ、幼帝の補佐を任されている楊堅の妻なので咎める者は居ない。
しかし皆が、何事かと彼女を見やる。
伽羅はそんな視線にかまう事は無かった。
娘の一大事である。身なりにかまっている余裕さえ忘れた。
そうして天元皇帝に取次ぎを願うも、その姿ゆえに宦官に困った顔をされる。
伽羅が我に返ったのは、その段階になってからであった。
そうして、まだ十四歳を過ぎたばかりの熾繁の衣裳を掴んで引き倒すと「この卑しい豚女め」と罵りながら、手心なしに天杖で打ったのだ。
幼い熾繁は恐怖と痛みに、ただ、ぶるぶると震えるばかりであった。
丁度居合わせていた麗華は我慢できず、尉遅熾繁の前に立ちふさがった。
更には悪帝に激しく抗議した――そう、内通者から伝えられた――とこの下女は言う。
「お嬢様は、お小さいころから本当にお優しゅうございました。
屋敷で働く私の母が病気になったときなどは、お膳に薬粥を乗せて、お小さい身で運んで来て下さったこともあるほどです。
なれど陛下はそんなお優しさもわからず、代わりにお嬢様を『天杖』で二百回あまりも打ったそうなのです。
それで許される約束となっていたのですが、お嬢様が呻きもせず、表情一つ変えなかったことに陛下はいたくご立腹され、とうとう自死を命じられたとのことでした」
その言葉を聞き、伽羅は気が遠くなる思いであった。
いつのまにか下女の言葉が『天元太后様』から『お嬢様』へと変わっているのにも気がつかぬぐらいである。
そう、この下女もその母同様、元々は揚家で働く奴婢の一人であった。
気の利くところを買われて今は密偵となり、正殿の下女として働いている。
自死。
その言葉を聞いて伽羅は唇をかみ締めた。
伽羅の父も宇文護に追い詰められ、そうやって亡くなったのだ。
当時幼く、他家に嫁いで間もない伽羅に出来ることは何一つなかった。
次に浮かんだのは、毒殺された姉である。
その姿が、面影の似た娘・麗華に重なってゆく。
「馬を引きなさい!
わたくしが陛下のもとに参ります!」
叩きつけるように叫ぶ伽羅に下女は言った。
「それでしたら急ぎ軒車(屋根や覆いのある貴族、富裕層用の馬車)を用意いたします。
少々お待ちくださいませ」
「いいえ。麗華が死んでしまっては遅すぎます。
一番良い馬を。早う!」
この時代、まだ纏足は普及しておらず、高貴な女人が馬に乗るというのは、少なくはあったが『無いこと』ではなかった。
史書の中でも身分ある女性が馬を操るさまが書かれている。
もちろん、高貴な女性が単騎で街を駆け抜けるのは稀であったろう。
伽羅は用意させた馬に飛び乗った。そうして宮殿へと向けて急ぎ駆けた。
従者が数人伽羅の後を追うが、馬の力量や乗り手の軽さも手伝って全く追いつけない。
童女の頃に散々馬に乗った伽羅である。手綱さばきも見事に道中を走り抜ける。
宮中に上がっても足は止まらず、気は焦る。
あまりに慌てていたので、長々とした裳裾の乱れを気にする余裕もなく、履物は途中で脱げた。
転んだ拍子に結い上げた髪も崩れ、かんざしも一つ抜け落ちた。
伽羅は女人の中で一番尊い『天元太后』の生母。
更には、大司馬(今でいう国防長官)かつ、幼帝の補佐を任されている楊堅の妻なので咎める者は居ない。
しかし皆が、何事かと彼女を見やる。
伽羅はそんな視線にかまう事は無かった。
娘の一大事である。身なりにかまっている余裕さえ忘れた。
そうして天元皇帝に取次ぎを願うも、その姿ゆえに宦官に困った顔をされる。
伽羅が我に返ったのは、その段階になってからであった。
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる