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第十二章 高熲
第十二章 高熲 十
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さて、皇帝たる楊堅は今日も悩んでいた。
高熲の事ではない。それはもう済んだことだ。
かつて、高熲の謀反を言い立てる者は多数存在したが、そのときには讒言と信じて相手にしなかった。かえって奏上してきた者の方を罰したものだ。
それほどに高熲を信用していたのである。
だがどうだ。
高熲はその信用を裏切っていたのだ。
愛妾を隠し持っていたこと自体を重罪と思うわけではないが、伽羅の言う通り、皇帝と対面しながら『迫真の嘘がつける』ということはやはり、大問題であった。
しかも、それを楊堅本人が見抜くことが出来ないとなると直ちに手を打つ必要があった。
史書を紐解いてみると、前半は賢人であったのに後半は増長してとんでもない悪臣として記録される者は多い。
女に狂って道を踏み外す者も。
高熲は間違いなく有能ではあった。
しかし、だからこそ、そんな男を高位に置いたままでは危険と言えよう。
早々に排除して、隠居生活を送らせるに限る。
幸い隋朝は安定して久しく、高熲の手腕を必要とするほどの出来事はそうそう無い。
また、後進を育てる意味でも老齢に達した高熲を置いたままにするのは都合が悪かった。
次代の皇帝を十年は補佐できる有能な者を成長させる方が望ましいのだ。
今であれば、高熲に次いで功を見せる『楊素』などが候補に挙がろうか。
それはともかく、高熲の実権さえ剥いでしまえば、後は妾を持とうが女遊びをやろうが、好きに溺れて余生の楽しみとするがいい。
それでも高熲の高名は世に残り、長く尊ばれることだろう。
今悩んでいるのは太子勇のことだった。
勇を廃して次男を太子に立てるか否かについてなのだ。
こちらは我が子。
また、太子の廃嫡は国家にとっても一大事である。
高熲を失脚させたことと同列に扱うわけにはいかなかった。
そうこうするうちに、一つの報が入ってきた。
「大変でございます。陛下!
太子殿下が楊総帥(次男・楊広)のお命を狙っていらっしゃるとのことにございます」
腹心の宦官が、平伏して申し述べた。
その報が真実であったのか、誰か―――例えば、次男・楊広(楊総帥)に賄賂を渡されての讒言であったのか、今となっては知るすべもない。
ただ、次男の楊広は誰の目から見ても皇后から一番に可愛がられていた。
帝位を狙える位置にいたので、太子に対する讒言を画策した可能性は十分にある。
また、宮廷において皇帝堅は崇められていたが、妻にだけは頭が上がらぬことを誰もが知っていた。
なにしろ自分の愛妾を惨殺されても、妻を一喝する事すらできずに山中に単騎で家出―――いや、宮出してしまう始末。
長年、僕射を務めた高熲も『皇后の一言』によって失脚した。
いつか皇后の言を取り入れて太子を廃し、次男を立てるのではないかと皆が囁き合っていた。
そのような状況に、長子・勇が、黙っておれようはずもない。
太子の位を引きずり降ろされれば、大好きな贅沢も女遊びも出来なくなってしまう。
盛り立ててくれた臣下どもも、蜘蛛の子を散らすようにして『廃太子』を見限るであろう。
邪魔な太子妃を殺すような性格の楊勇である。
弟を脅威に思って暗殺計画を練っていても全く不思議ではなかったのだ。
二人の息子の画策の真実はともかくとして、伽羅は長男の罪を信じた。
「陛下、わたくしは勇ならやりかねないと常々思っておりました。
とにかく、普段からの素行が悪いのでございます。
己が正妃に対しても常に粗略に扱い、太子妃元氏は度々、わたくしのもとを訪れては泣いておりました。
今でも元氏のか細い肩と嗚咽が思い出されます。
わたくしは当然、勇を叱りましたが、勇は一向に反省しないのでございます。
そればかりか――――」
伽羅は言葉を詰まらせた。
そう、太子妃は若く健康な身で、ある日突然、死んでしまったのだ。
伽羅はそのときの白い死に顔を忘れてはいない。
彼女は苦悶の表情を浮かべていた。
それは、北周の皇后であった『伽羅の姉』が突然死したときの状況と丸っきり同じであった。
「でもあの子は、妃の縁者が嘆く様すら気に留めず、葬儀のあった夜にも美妾たちを侍らせて、朝まで飲み明かしていたのですわ」
伽羅は、間諜たちが伝えてきたその日の様を、昨日のことのように脳裏に浮かべた。
母として、本当に情けない思いであった。
伽羅は勇が毒を盛ったであろうと確信していた。
「わたくしは、兄弟の情だけは有ると信じてまいりましたが、夫婦の契りを交わした妃さえ毒殺した鬼畜を息子の数に入れるのは間違いでございました。
罪なき次男の広が、かの太子妃のように殺されてもかまわぬとおっしゃるのでございましょうか?
どうか、良きご決断を下されますよう」
そう言って皇帝に迫ったのである。
高熲の事ではない。それはもう済んだことだ。
かつて、高熲の謀反を言い立てる者は多数存在したが、そのときには讒言と信じて相手にしなかった。かえって奏上してきた者の方を罰したものだ。
それほどに高熲を信用していたのである。
だがどうだ。
高熲はその信用を裏切っていたのだ。
愛妾を隠し持っていたこと自体を重罪と思うわけではないが、伽羅の言う通り、皇帝と対面しながら『迫真の嘘がつける』ということはやはり、大問題であった。
しかも、それを楊堅本人が見抜くことが出来ないとなると直ちに手を打つ必要があった。
史書を紐解いてみると、前半は賢人であったのに後半は増長してとんでもない悪臣として記録される者は多い。
女に狂って道を踏み外す者も。
高熲は間違いなく有能ではあった。
しかし、だからこそ、そんな男を高位に置いたままでは危険と言えよう。
早々に排除して、隠居生活を送らせるに限る。
幸い隋朝は安定して久しく、高熲の手腕を必要とするほどの出来事はそうそう無い。
また、後進を育てる意味でも老齢に達した高熲を置いたままにするのは都合が悪かった。
次代の皇帝を十年は補佐できる有能な者を成長させる方が望ましいのだ。
今であれば、高熲に次いで功を見せる『楊素』などが候補に挙がろうか。
それはともかく、高熲の実権さえ剥いでしまえば、後は妾を持とうが女遊びをやろうが、好きに溺れて余生の楽しみとするがいい。
それでも高熲の高名は世に残り、長く尊ばれることだろう。
今悩んでいるのは太子勇のことだった。
勇を廃して次男を太子に立てるか否かについてなのだ。
こちらは我が子。
また、太子の廃嫡は国家にとっても一大事である。
高熲を失脚させたことと同列に扱うわけにはいかなかった。
そうこうするうちに、一つの報が入ってきた。
「大変でございます。陛下!
太子殿下が楊総帥(次男・楊広)のお命を狙っていらっしゃるとのことにございます」
腹心の宦官が、平伏して申し述べた。
その報が真実であったのか、誰か―――例えば、次男・楊広(楊総帥)に賄賂を渡されての讒言であったのか、今となっては知るすべもない。
ただ、次男の楊広は誰の目から見ても皇后から一番に可愛がられていた。
帝位を狙える位置にいたので、太子に対する讒言を画策した可能性は十分にある。
また、宮廷において皇帝堅は崇められていたが、妻にだけは頭が上がらぬことを誰もが知っていた。
なにしろ自分の愛妾を惨殺されても、妻を一喝する事すらできずに山中に単騎で家出―――いや、宮出してしまう始末。
長年、僕射を務めた高熲も『皇后の一言』によって失脚した。
いつか皇后の言を取り入れて太子を廃し、次男を立てるのではないかと皆が囁き合っていた。
そのような状況に、長子・勇が、黙っておれようはずもない。
太子の位を引きずり降ろされれば、大好きな贅沢も女遊びも出来なくなってしまう。
盛り立ててくれた臣下どもも、蜘蛛の子を散らすようにして『廃太子』を見限るであろう。
邪魔な太子妃を殺すような性格の楊勇である。
弟を脅威に思って暗殺計画を練っていても全く不思議ではなかったのだ。
二人の息子の画策の真実はともかくとして、伽羅は長男の罪を信じた。
「陛下、わたくしは勇ならやりかねないと常々思っておりました。
とにかく、普段からの素行が悪いのでございます。
己が正妃に対しても常に粗略に扱い、太子妃元氏は度々、わたくしのもとを訪れては泣いておりました。
今でも元氏のか細い肩と嗚咽が思い出されます。
わたくしは当然、勇を叱りましたが、勇は一向に反省しないのでございます。
そればかりか――――」
伽羅は言葉を詰まらせた。
そう、太子妃は若く健康な身で、ある日突然、死んでしまったのだ。
伽羅はそのときの白い死に顔を忘れてはいない。
彼女は苦悶の表情を浮かべていた。
それは、北周の皇后であった『伽羅の姉』が突然死したときの状況と丸っきり同じであった。
「でもあの子は、妃の縁者が嘆く様すら気に留めず、葬儀のあった夜にも美妾たちを侍らせて、朝まで飲み明かしていたのですわ」
伽羅は、間諜たちが伝えてきたその日の様を、昨日のことのように脳裏に浮かべた。
母として、本当に情けない思いであった。
伽羅は勇が毒を盛ったであろうと確信していた。
「わたくしは、兄弟の情だけは有ると信じてまいりましたが、夫婦の契りを交わした妃さえ毒殺した鬼畜を息子の数に入れるのは間違いでございました。
罪なき次男の広が、かの太子妃のように殺されてもかまわぬとおっしゃるのでございましょうか?
どうか、良きご決断を下されますよう」
そう言って皇帝に迫ったのである。
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