ときどき甘やかして~欲しいのは匠さん、あなたです~

ぐるもり

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欲しいのは……あなただったんだ

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「っ、あ」
「いた!」

 唇が触れそうになった寸前の所で、七海は勢いよく顔を逸らした。あまりにも勢いがよかったためか後ろでひとくくりにしていた髪が匠の顔を張った。ぺしん! といい音がして、七海は自分のしでかしたことに気づく。

「ご、ごめんなさい!」
「い、いや違う。俺こそ、ごめん……」

 痛みからか、匠は顔を押さえている。七海はどうしようとおろおろするばかりで、どうしたらいいか分からない。もしかしたらキスをするタイミングだったのかもしれない。しかし、自分の気持ちが定かではないのに、と真面目な自分が顔を出す。

『ナナ、真面目過ぎ! こういう時はノリがだいじっしょ!』
『ほんと、ノリわりいなあ。俺が悪者じゃねえか』

 かつての友人たちの声が蘇る。高校生活の中でどうしても受け入れられなかったのは、男女関係のものだった。ノリと勢いだけではどうして追い付けない気持ち。心から好きになった相手と七海は結ばれたかった。

「ほんと、すみません……わたし、こういうときどうしたらいいか分からなくて……前にも同じことしちゃって……」

 焦りからか言わなくていいことがぽろぽろと口からこぼれ落ちる。すると、匠が手をぱパッとどけて、じっと七海を見つめてきた。

「前にも?」
「……こういうのって、ノリと勢いが大切なんですよね」

 顔を伏せながらやっとの思いで絞り出す。部活もやらず、遊び歩いていた中で、唯一七海が受け入れられなかったのは、ノリと勢いで彼氏を作ることだった。別れた付き合ったを繰り返す友人たちをすごいな、と思う反面、自分にはどうしても合わないと思ってしまった。ある日、カラオケに行った時、大学生のグループが無断で部屋に入ってきたことがあり、ノリと勢いでキスされそうになったことがあった。
 七海は全力で拒否したが、全員から非難の視線と言葉を浴びせられた。

『なんかシラケた。今日は解散』となった時には、さすがに自分が悪いのかと自身を責めた。しかし、本来持った考え方は変えられず、ずるずるとここまで来てしまった。七海が地元と自分の気持ちのずれを感じてしまったのはこの出来事の比重が大きいのではと改めて感じていた。

「……七海ちゃんは悪くない」
「でも、」
「いや、今回のは俺も悪い。正直、昔ギャルだったって聞いて、こういうことには慣れてると心のどこかで思っていたんだと思う」

 慣れている。その一言に七海の胸の奥がずきりと痛む。そういった目で見られていることは知っているし慣れている。慣れているはずなのに、匠に言われると一丁前に傷ついている自分がいた。

「だから謝罪させてほしい。君を傷つけるつもりはなかった」
「いえ、慣れてますから」

 派手顔、元ギャル、ちょっとばかり胸とおしりが大きい。男性経験が豊富だと思われても仕方ない要素が揃っている。そう思われるのは慣れているし、うまくあしらうことも得意だった。
 だけど、どうしてこんなに苦しいんだろう。誠意を持って謝ってくれているはずなのに、七海は顔を上げることが出来なかった。

「七海ちゃん」
「……ほんと、大丈夫なんで」

 キス一つでどうしてこうなってしまうんだろう。情けなくて、くやしい。俯いたまま、七海はぐっと涙を堪えた。

「七海ちゃん、俺は七海ちゃんを好ましく思っている」
「っ」

 勝手に傷ついている七海に降り注ぐ、優しい言葉。今までであれば批判されて終わっていたのに、と七海はそろりと顔を上げた。

「君にキスしたいし、なんならそれ以上のことをしたいって思ってる」
「たくみ、さん」

 まっすぐな好意をぶつけられる。初めての経験に、七海は驚くばかりだ。

「……だけど、こんな風に君を悲しませるつもりは無かったんだ」

 だから、と匠が続ける。

「笑ってほしい。君が百点満点だっていう笑顔で」
「ひゃく!」
「いつも君が自分で言ってるだろ? 百点満点って」

 うそ、と漏れる声には焦りが含まれていた。心の中では何度も呟いていたがどうして匠が知っているんだろう。

「気づいてなかった? オムレツを皿に乗せるときとか、美味しいスープが出来たとき、お客を案内したときとかいつも『今日も百点満点!』って言ってるよ」
「うそ、うそでしょう……」
「あれが聞きたくてみんな『からんど』の常連になるんだろうな」

 知らなかったことがたくさんだ。七海は今度は恥ずかしさで顔を伏せる。

「君の特別になりたいんだ。毎日モーニングにかいがいしく通ってた俺のこと、全く興味ない?」

 畳みかけるように匠が愛を口にする。まさか、どうして、と七海はとにかく混乱するばかりだ。

「俺のこと、嫌い?」
「そんな、嫌いだなんて!」

 七海は顔を上げる。嫌いな人にゼリーはおまけしない。タオルを貸さない。連絡先を教えない。弓道を教えてほしいと言わない。夜に会ったりしない。考えれば考えるほど、好意がなければできないことだ。

「……私、やだ、恋は無用とか言っときながら。こんな簡単に気持ちって覆されるものなの?」
「それは俺にとって良い覆しなの?」
「……」

 急に楽しそうになる匠に、七海は唇をとがらせる。

「それはちょっとまだ保留で」
「保留!」

 匠が楽しそうにけらけらと声を上げて笑う。少年のように大きく口を開けて笑う姿に七海は目を奪われた。いつものように優しい笑顔を見せてくれる匠も素敵だが、こうして無邪気な姿はもっと素敵だと思ってしまう。
 大人な彼の中に見え隠れする少年の姿に、自分の学生時代を重ねてしまう。もし同じ学校に居たら迷わず好きになってしまうだろう。そんなバカらしいことを考えてしまう。

「七海ちゃん。俺とやり直そうよ」
「やり、なおす?」
「そう。一から全部。一緒に。部活も、恋も。さすがに制服は着られないけど」

 やり直す。その言葉にとても甘い響きに聞こえた。七海は少しだけ違和感を覚えてしまう。過ぎ去った学生生活は戻せない。憧れに手を伸ばして、やっと掴んだチャンス。弓道、そして。

「やり直しはしません」
「っ、」

 匠が息を飲む。少し強い口調になってしまった。けれども、根が真面目な七海にとって学生生活の全てを否定したくなかった。それは今でも繋がりがある友人を裏切ることだ。

「私は、後悔していないんです。ギャルだったことも、部活をしなかったことも。それがあったから匠さんに出会えたから」

 匠は黙ったままだった。しかし、七海はゆっくりと自分の気持ちを口にする。

「やり直しはしません。ちゃんと始めたいから」
「はは……すごいね」

 呆れられたかな? そう思ってこわごわ匠を見上げると、眩しいものでもみるかのように目を細めていた。

「抱きしめていい?」

 匠の問いに、七海はゆっくり頷く。すると、匠がゆっくりと腕を広げる。一呼吸を置いた後、その長くて逞しい腕に包まれた。

「っ、」
「七海ちゃん」

 頭上で名を呼ばれ、胸の高鳴りが最高潮を迎えた。まるで何かを催促しているようだ。何を、などとはさすがの七海でも理解できる。所在なさげだった腕をゆっくり伸ばして匠の背中に腕を回した。初めて感じる異性の熱に、のぼせたようにくらくらしてしまう。
 数秒抱き合っていたのち、もう耐えきれなくなって七海は匠の腕から逃れる。

「ごめんなさい。もう限界」

 顔から火が出そうなほどの恥ずかしさだ。自分の手で顔を覆うと頭上から楽しそうな声が聞こえてきた。

「うん。そうだね」

 くつくつとかみ殺すような笑い声に、七海はまた唇を尖らせた。

「私ばっかりいっぱいいっぱい」
「そんなことないよ」

 大きな手が七海の手首を捉えた。そしてそのままゆっくりと匠の胸に導かれた。手のひらごしに感じる、硬いようで柔らかい感触。男性の筋肉だ! と驚きつつ、触覚を通して伝わってくる鼓動。それは自分のものではない。

「わかる? おれもめっちゃどきどきしてる」

 平常より少し早い。それは段々と七海の手のひらを通して自分の鼓動とリンクしてくる。

(匠さんも、同じ)

 それが分かると、自然と恥ずかしさが落ち着いてくる。ゆっくりと顔を上げると、優しい目に捕らわれた。

(こんな素敵な人が)

 自分を? と真っ先に卑屈な考えが浮かんでくる。過去の経験から敬遠していた男性との関わり。しかし、匠との出会いでそれが変わった。
 その瞬間、ぶわりと浮かんでくる押さえきれない気持ち。七海は浮かんできた衝動に身を任せ、口を開いた。

「私が……ずっと欲しかったのは……匠さん、あなたかもしれない」

 七海の口から漏れた言葉に、手のひらを通して通じる鼓動がより早くなった。
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