《完結》幼馴染の女上司と異世界召喚された僕ですが、勇者じゃなく“標的”でした ~殺し屋に命を狙われるとか聞いてない~

月輝晃

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序章

軍事国家ゼモルディアにて

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 乾いた風が砂と硝煙の匂いを運んでくる。
街は既に廃墟と化しており、俺はその瓦礫の間を、音を殺して滑るように移動した。

 ——戦場

 いや、ここは戦場でもなければ、正式な戦闘区域でもない。すべてが終わってしまった場所、ただの砂漠だ。

 先の街での仕事はすでに終えたはずだった。標的を消し、痕跡を残さず離脱する――いつものことだ。この潔さが評価され、やがて俺は世界一の殺し屋とまで評価されるようになっていた。

 ところが今日はいつもと違った。

 ——子供。

 ——あの子供。

 ——あの時、あの子供さえいなければ。

 ——あの時、あの子供さえいなければ、俺はとっくに任務を終え、この場を去っていたはずだ。



 ——あの時。あの場所。

 ゼモルディアの「碧誓へきせいの広場」が見える。
 俺は碧一色の広場が遠目に見える古びたアパートの一室にいた。距離にして3kmといったところか。
 
  軍事国家ゼモルディアは、漆黒の山脈と冷たい風が吹きすさぶ荒野の果てに出来た新興国家である。
  
 ゼモルディアの礎は、百年前の「血の統一戦争」によって築かれた。散り散りになっていた七つの部族を、若き将軍アーク・ヴァルデンが鉄の意志と剣によってまとめ上げ、初代最高指導官として国を建てたのである。今も彼の座右の銘「強き者こそが守る資格を持つ」は、「碧誓(へきせい)の広場」の墓碑に国是として刻まれている。
 
 曇天の下、ゼモルディアの首都ファルグリム中央に広がる「碧誓へきせいの広場」には、早朝から数万の人々が集まっていた。軍服に身を包んだ兵士、制服姿の学生、戦士の家族、職人たち――すべての国民が、その身に碧色の何かをまとっている。

 そもそもゼモルディアは他国と異なり、軍によって統治される国家である。政治、経済、教育、すべてが「国家防衛」の理念に貫かれており、全国民が国防義務を果たすことを誇りとする。

 国家の軍事技術は常に最先端を行き、ゼモルディア式戦術は世界中で研究の対象となっている。ゼモルディア製の「オルド戦闘機」や「ヴァルク装甲列車」は、敵を寄せ付けぬ象徴だ。

 広場の石畳も、巨大な横断幕も、掲げられる旗も、すべてが碧一色に染まっていた。それはゼモルディアの象徴色――冷静、忠誠、決意の色。

 ゼモルディアの国旗は深い碧色に金の双剣が交差するデザインである。その意味は「冷静、忠誠、決意」――敵に動じず、正義を信じて刃を取る精神を象徴している。

 いま、ゼモルディアは平和を守る楯として、世界にその名を轟かせている。かつて誰も望まなかった荒れ地は、いまや栄光の砦となっていた。



 空気は張りつめているが、誰一人として騒がず、ただ一つの瞬間を待っていた。

 正午。広場の奥にある大理石の壇上に、ゆっくりと姿を現したのは、ゼモルディア最高指導官アーサ・レイングラート将軍。その背には金で縁取られた碧のマントが揺れ、胸には栄光の十字章が輝いていた。

 将軍が右手を挙げると、広場を満たしていたざわめきが一瞬にして静まり返った。鳥の羽音すら聞こえぬほどの沈黙――それは敬意と期待の証であった。

 将軍は一言、力強く口を開いた。

「ゼモルディアの民よ。今日、我らは再び、未来を選ぶ時を迎えた――」

 その瞬間、広場の四方から一斉に吹き上がる碧の煙幕と、軍楽隊による国歌の荘厳な旋律。人々は胸に手を当て、心をひとつにしてその言葉に耳を傾ける。

 演説はやがて、国の過去、現在、そして未来へと語られていった。その声は鋼のように揺るがず、だが同時に、深い慈しみと誇りを帯びていた。

 この広場に集まる者すべてが、ひとつの色で結ばれていた。碧色――それはただの色ではない。信念そのものであった。



 俺は狙撃用の銃の組み立てに入る。 
 現在H&Kの最新鋭ライフル「PSG-5」は、前モデルを遥かに凌駕する連射性能を誇り、わずか3kgという驚異的な軽さを実現している。スコープを装着しても4kg台に収まり、かつてのPSG-1の8kgという重厚な足枷から解き放たれたその機動性は、装備した戦士の意志を瞬時に具現化していた。

 そして、俺の手元にあるのは、ただのPSG-5ではない。世界に一つの特注モデル「PSG-5R ヴィント」。アマラ・インテリジェンス社が極秘裏に開発した重力子制御技術が、この銃の心臓部に息づいている。PSG-5のショートリコイル機構を凌駕し、反動を完全に消し、岩のような安定感で標的を捉える。さらには重力子の力を操り、弾丸の初速を従来の3倍にまで加速する。その一撃は、空気を切り裂き、驚異的な直進性でどんな障害も貫く、まさに神話の矢のようである。

 俺は1分で銃身の組み立てを終え、スコープを取り付ける。前時代のPSG-1はスコープの取り外しができなかったが、今は楽に着脱可能である。スコープはZF16×45の光学ズーム16倍、さらにデジタルズームで32倍まで可能だ。レンズ部分は無反射のモスアイコーティングにより、光ってターゲットに気付かれる事も無い。
 
 取り付けを終え銃を構える。ここまで2分はかかっていない。師匠には組み立ては3分以内に行えと、幼少の頃から言われていた事を思い出す。
 
 ターゲットは最高指導官アーサ・レイングラート将軍……ではなく、後ろの3人だ。

 広場の中心、壇上に立つ最高指導官の背後には、三人の男が控えていた。黒い軍服に身を包み、胸に金の階級章を輝かせる彼ら――ゼモルディア軍の最高幹部、「三剣将」と呼ばれる者たちだ。

 ターゲットはこいつらだ。

 三剣将は、ゼモルディアの軍事力を支える中枢であり、国民には「忠誠の象徴」として讃えられている。だが、俺の手元にある極秘指令書には、そいつらが国家を裏切り、敵国との密約を結んでいる証拠が記されていた。奴らはゼモルディアの技術と資源を他国に売り渡し、内部から国を崩壊させる計画を進めている。最高指導官すらその事実を知らない――いや、知らされていない。

 俺の任務は単純だ。三剣将を排除し、ゼモルディアの未来を守る。だが、単純な任務ほど、実行は難しい。広場には数万の民衆、数千の兵士、そして無数の監視カメラ。演説中の将軍の背後で、完璧なタイミングで三発の弾丸を撃ち込み、誰にも気付かれずこの場を去る。それが俺に課された「不可能」に近い条件だ。

 スコープ越しに、三剣将の顔を一人ずつ確認する。左から順に、ガルド・シュヴァルツ、ヴィルト・ドロウ、ゼクス・ファルゲン。それぞれがゼモルディアの軍事部門を牛耳る実力者だ。ガルドは航空戦力の総司令官、ヴィルトは装甲部隊の設計者、ゼクスは情報戦の鬼才。どの男も、単独で国家を動かすほどの影響力を持つ。だが、その力は今、ゼモルディアを裏切る刃となっている。

 俺の指がトリガーに触れる。心臓の鼓動は静かだ。訓練された狙撃手の条件――感情を殺し、機械のように正確に動くこと。さらに自己催眠の呪文を唱える。師匠から伝授された自己暗示の言葉である。

「自分を断て」

 将軍の演説が佳境に入る。広場の空気はさらに張り詰め、国民の視線は壇上に集中している。

――と、その時、三剣将の後ろにいる男がこちらの方を向いた。

――気付かれた?

 いや、男はこちらの方を向いただけで、気付いたわけではないようだ。すぐに別な方向へ視線を変える。どうやら壇上から見える数ヵ所を交互に見ているようである。 

 理由は明白だ。見ている方向はすべて俺が狙撃候補としていたところ。だが普通の狙撃候補ではない。距離が遠く一流のスナイパーだけが狙える場所だ。

 間違いない。この男も俺と同じ……
 
 ――殺しのプロ。しかも一流。

 男の身長は約178cm、筋骨隆々ではないが、細身でしなやかな筋肉に覆われている。彼の動きは、まるで影が滑るようで、壇上での一歩すらも無駄がない。
 
 髪は漆黒で、ゼモルディアの碧色を思わせる微かな青い光沢を持つ。短く刈り込まれ、動きを妨げないよう整えられているが、額に落ちる一房の前髪が彼の顔に影を落とし、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
 
 風が吹くと、髪が軽く揺れ、スコープ越しにその動きが不気味なほど鮮明に映る。任務中は髪を完全に固定するが、今回は演説の場という特殊な状況でわずかな乱れが見える。
 
 服装は黒を基調としたスーツで、動きやすさと隠密性を追求した特注品だ。

  左耳には、碧色の小さなピアスが光る。これはゼモルディアの裏社会で「契約の証」として知られる装飾で、彼がゼモルディアの暗部と繋がっていることを示す。

 男の仕草は最小限で、壇上で将軍の背後に立つ際も、必要以上の動きを見せない。だが、その静けさの中に、獲物を一瞬で仕留める準備が常に整っているようで、男が視線を動かすたびに、俺はまるで心臓を握り潰されるような圧迫感を覚える。

 そういえば聞いたことがある。

 ゼモルディア出身、26歳の若さにして俺に次ぐ名声を持つ殺し屋。

 ――ノア・ヴェルト

 ――「碧の牙」

 その男、「碧の牙」の視線が、まるで俺の存在を確かめるかのように鋭く動く。

 鬼才と呼ばれるだけあって、奴の勘は異常だ。俺が選んだこの狙撃ポイント――3km離れた古びたアパートの一室は、普通の狙撃手ならまず考慮しない場所だ。
 
 高度な計算と技術、そして「PSG-5R ヴィント」の重力子制御技術があってこそ可能な射程。それなのに、「碧の牙」はまるでそこに俺がいることを予感しているかのようだった。

 俺は息を整え、スコープ越しに「碧の牙」の動きを追う。奴の視線は一瞬で別の方向へ移り、俺の位置を特定できていないようだ。だが、油断はできない。
 
  「碧の牙」はゼモルディアの情報戦を一手に担う男だ。監視カメラの死角、群衆の動き、風向き――すべての要素を瞬時に分析し、異常を察知する能力を持っている。このままでは、俺が引き金を引く前に奴に察知される可能性がある。

 ――どうする?

 任務は三剣将の排除だ。ガルド、ヴィルト、ゼクスの三人を同時に仕留める必要がある。だが、「碧の牙」の異常な勘が、俺の計画に暗い影を落としている。もし奴が俺の存在を確信し、壇上で動き始めたら、完璧なタイミングでの三連射は不可能になる。群衆がパニックに陥り、任務は失敗に終わるだろう。
 
 ――三連射を四連射にできるだろうか?

 同時に仕留められたら今後の仕事も楽になるだろう。しかも一発目で消せたら……
 
 俺は一瞬、自己催眠の呪文を繰り返す。
 
「自分を断て」

 感情を切り離し、機械のように考える。師匠の教えが脳裏に響く。「スナイパーの敵は自分自身だ。迷いは弾丸を逸らす」。

 ――だが

 ――あの子供。

 突然、脳裏に浮かんだのは、さっきの光景だった。あの時、碧誓の広場へ向かう道すがら、瓦礫の陰で震えていた子供。やせ細った身体、ぼろぼろの服、怯えた目。戦火で親を失ったのだろう。ゼモルディアの栄光とは裏腹に、この国にも見捨てられた者たちがいる。その子供は、俺の足を止めた。
 
 ――昔の自分と重なる。

 俺は一瞬、目を閉じた。スコープから視線を外し、深く息を吐く。子供の顔が脳裏に焼き付いている。あの怯えた目、助けを求めるような小さな手。かつての俺もそうだった。戦火の中で全てを失い、瓦礫の中で震えていた。師匠に拾われる前、俺はあの子供と同じだった。

「自分を断て」

 呪文をもう一度唱える。感情は任務の邪魔だ。だが、今回はいつもと違う。心のどこかで、何かが引っかかっている。あの子供の存在が、俺の機械のような冷静さを揺さぶっている。

 あの子供の存在は任務の時間を削り、俺に一瞬の迷いを植え付けた。

――あの子供さえいなければ。

 あの時、俺は子供を無視して進むべきだった。だが、俺は立ち止まり、ポケットにあったわずかな食料を渡してしまった。その数分が、俺の計画を狂わせた。

 ふたたびスコープを覗き込む。
 
 「碧の牙」は依然として壇上で将軍の背後に立ち、視線を鋭く動かしている。奴の勘は異常だ。俺の位置を特定していないとはいえ、奴の視線がこのアパートの方向を掠めるたびに、背筋に冷たいものが走る。三剣将の三人は、将軍の演説に合わせて静かに立っている。ガルドの傲慢な笑み、ヴィルトの冷徹な眼差し、ゼクスの無表情な顔。こいつらがゼモルディアを裏切っていると思うと、腹の底から怒りが湧く。だが、同時に「碧の牙」の存在がその怒りを複雑なものに変える。

 ――ノア・ヴェルト。「碧の牙」。
 
  ゼモルディアの暗部で育ち、俺と同じく血と硝煙の中で生きてきた男だ。奴もまた、かつての俺と同じように、戦火の中で何かを失ったのかもしれない。奴の碧色のピアス「契約の証」がスコープ越しに光る。奴もまた、誰かの命令で動く駒に過ぎないのかもしれない。

 ――だが

 俺の指がトリガーに触れる。心臓の鼓動は依然として静かだ。だが、頭の中で計算が始まる。三連射か、四連射か。「碧の牙」を最初に排除すれば、任務は確実に遂行できる。奴の異常な勘が俺の計画を狂わせる前に、奴の頭を撃ち抜く。一発で仕留めれば、残りの三剣将を確実に排除できる時間は確保できる。だが、四発の射撃はリスクを伴う。PSG-5R ヴィントをもってしても、4発の連続射撃は俺の集中力を極限まで試す。風向き、群衆の動き、監視カメラの死角――すべての条件が完璧に揃わなければ、任務は失敗に終わる。

 ――どうする?

 時計の針は正午を過ぎ、将軍の演説が最高潮に達している。広場の空気は熱を帯び、群衆の視線は壇上に釘付けだ。「碧の牙」の視線は依然として鋭く、俺の位置を掠めている。ガルド、ヴィルト、ゼクスの三人は、まるで俺を嘲笑うかのように堂々と立っている。

 俺は決断する。

 ――集中しろ。

 俺は再びスコープに意識を戻す。「碧の牙」はまだ俺の位置を捉えていない。ガルドとヴィルトは壇上で動かず、将軍の演説に合わせて姿勢を正している。今がチャンスだ。三発の弾丸を、完璧なタイミングで撃ち込む。風速、気温、湿度――すべての条件は計算済み。重力子制御技術が、俺の意志を完璧に具現化する。

 ――その時。

 突然、数人の子供が壇上へ上った。演出の一つだったらしく将軍の陰に「碧の牙」が隠れてしまった。子供の一人に目を見張る。それは碧誓の広場へ向かう道すがら出会い、食料を渡した子供だった。

 ――よりにもよって。

 ――くそっ、時間がない。仕方ない。

 子供を脇にはねらした将軍の姿に、群衆のざわめきが高まり、演説が最高潮に達する。

「ゼモルディアの民よ!我々の信念は、決して揺らぐことはない!」

 碧の煙幕が再び広場を包み、軍楽隊の音が響き渡る。この瞬間、俺の銃声はかき消される。撃つなら今だ。

 俺の指が「PSG-5R ヴィント」のトリガーに力を込める。スコープ内で、ガルド、ヴィルト、ゼクスの三人が一瞬だけ一直線に並ぶ。重力子制御技術が、弾丸の軌道を完璧に制御する。

 一発目。ガルド・シュヴァルツの眉間を、音速の三倍を超える弾丸が貫く。重力子制御技術が弾道を完璧に安定させ、風の影響すら受けない。ガルドの身体がゆっくりと後ろに倒れるが、拍手の喧騒に誰も気付かない。

 二発目。ヴィルト・ドロウの心臓を撃ち抜く。弾丸は彼の装甲服を紙のように突き破り、即死させる。ヴィルトの目が見開かれたまま、前のめりに崩れ落ちる。

 三発目。ゼクス・ファルゲンの首を正確に捉える。彼は反応する暇もなく、壇上の影に沈む。

 0.2秒。すべてが終わったのは、わずか0.2秒の間だった。拍手はまだ鳴り止まず、将軍は演説を続ける。広場の誰も、壇上の異変に気付いていない。完璧な仕事だ。
 
 群衆が気付く前に、俺は銃を分解し、ケースに収める。ノアの視線がこちらを向くが、既に遅い。俺は窓から身を滑らせ、アパートの裏口へ向かう。足音は一切立てない。影のように移動する。

 だが、階段を降りる瞬間、背後に気配を感じる。振り返ると、そこには誰もいない。だが、俺の背筋に冷たいものが走る。ノアだ。奴は俺の動きを予感している。奴の碧色のピアスが、どこかで光っている気がする。

 ――あの子供。

 再び、脳裏にあの子供の顔が浮かぶ。俺は一瞬、足を止める。なぜだ? なぜ今、あの子供のことが頭を離れない? 任務は完遂した。俺は完璧に三剣将を排除し、ゼモルディアの未来を守った。なのに、なぜ心がこんなにも重い?

 階段を降り切り、裏口から外へ出る。乾いた風が砂と硝煙の匂いを運んでくる。俺はフードを被り、廃墟の街に消えた。



 俺は廃墟の街の路地を滑るように移動する。足音は一切立てない。乾いた風が砂と硝煙の匂いを運び、俺のフードを軽く揺らす。
 
 任務は完遂した。三剣将は死に、ゼモルディアの未来は守られた。だが、心のどこかに引っかかるものがある。あの子供の目。そして、ノア・ヴェルト――「碧の牙」。

 背後に気配を感じる。振り返るが、そこには誰もいない。だが、俺の背筋に冷たいものが走る。ノアだ。奴は俺を追っている。3km離れた狙撃ポイントからここまで、俺の動きを完璧に予感している。一流の殺し屋の勘だ。俺と同じ――いや、もしかしたら俺以上の。

 路地の角で一瞬立ち止まり、耳を澄ます。風の音、遠くで崩れる瓦礫の音。そして、かすかな衣擦れの音。奴は近い。
 
 俺は腰のホルスターに手を伸ばし、サイレンサー付きの「H&K P252」を握る。PSG-5R ヴィントは長距離戦の武器だが、こんな狭い路地ではこのコンパクトな拳銃が最適だ。9mmパラベラム弾を8発装填。裏社会では「静かな死」と呼ばれる一品だ。

 ――どこだ?

 俺は壁に身を寄せ、影に溶け込む。「碧の牙」の気配はすぐそこまで迫っている。奴の動きはまるで幽霊のようだ。足音も、呼吸の音すらもない。だが、俺には分かる。奴の視線が、俺の心臓を狙っている。

 路地の向こう、崩れたビルの隙間から一瞬だけ影が動く。黒いスーツ、碧色のピアスが風に揺れる。「碧の牙」だ。奴は俺の位置を特定していないが、まるで俺を誘うようにゆっくりと動いている。挑発か? それとも罠か?

 ――動くぞ。

 俺は一瞬の隙を突き、路地を横に抜ける。廃墟のビルに飛び込み、階段を駆け上がる。足音は最小限に抑え、まるで影が滑るように移動する。2階の窓から路地を見下ろす。「碧の牙」が路地の中央に立っている。黒いスーツが風に揺れ、碧色のピアスが微かに光る。奴はゆっくりと顔を上げ、俺のいるビルを見据える。

 ――気付かれた。

 いや、気付かれたというより、奴は最初から俺の動きを読んでいた。奴の碧色の瞳が、まるで俺の心臓を撃ち抜くかのように鋭い。スコープ越しに見たあの目だ。

 俺は一瞬、息を止める。だが、迷いはない。奴が俺を追うなら、俺も奴を仕留める。それが殺し屋のルールだ。

 「碧の牙」が動く。奴は一瞬で路地から消え、ビルの裏手に回り込む。速い。いや、速いというより、まるで空間を飛び越えたかのような動きだ。ゼモルディアの情報戦の鬼才と呼ばれるだけある。奴の戦術は、俺の予測を常に一歩上回る。

 俺は窓から身を翻し、ビルの屋上へ向かう。屋上に出ると、廃墟の街が一望できる。砂と硝煙の匂いが鼻をつく。遠くでゼモルディアの碧色の旗が風に揺れている。俺はP252を構え、屋上の端で身を低くする。「碧の牙」はすぐそこまで来ている。奴の気配が、まるで冷たい刃のように俺の背中に突き刺さる。

 ――来い、「碧の牙」。

 突然、屋上の入り口が静かに開く。
 ノア・ヴェルト――「碧の牙」が屋上の入り口に姿を現した。
 
  黒いスーツが廃墟の灰色の背景に溶け込むように揺れ、碧色のピアスが微かな光を放つ。奴の目は鋭く、まるで俺の心臓をスコープで捉えたスナイパーのように冷徹だ。だが、その顔にはわずかな笑みが浮かんでいる。挑発か、それとも余裕か。

「見つけたよ、世界一位」

 ――「碧の牙」が低く呟く。声は静かだが、廃墟の空気を切り裂くように鋭い。

「ゼモルディアの未来を握る男が、こんな廃墟で子供に気を取られているとはな。失望したよ」

 ――子供。

 またあの子供の顔が脳裏をよぎる。やせ細った身体、怯えた目。あの瞬間、俺は任務を忘れ、ほんの一瞬だけ人間に戻った。それがノアに隙を見せた原因だ。奴は俺のわずかな動揺を逃さなかった。

 俺はP252を構えたまま、ゆっくりと立ち上がる。屋上の風がフードを揺らし、砂と硝煙の匂いが鼻をつく。「碧の牙」との距離は約10メートル。
 
 狭い屋上では長距離戦のPSG-5Rは使えない。ここは接近戦の領域だ。俺はPSG-5Rのケースを投げ捨て、両手でP252を構える。ケースは複数の認証方式により俺しか開けられず、他人が空ければ爆発する。スペアは倉庫にいくらでもあるので惜しくはない。

 奴もまた、腰のホルスターに手をかけている。黒い革のグリップがちらりと見える。おそらくゼモルディア製の特注品、「ヴァルドP9」。9mm弾を12発装填可能なコンパクトな殺人兵器だ。

「お前が三剣将を守る側だとはな、世界二位」

 と俺は言う。声を低く抑え、感情を殺す。

「奴らが裏切り者だと知っていながら、なぜだ?」

 「碧の牙」の笑みが深まる。
 
 「裏切り者? 面白いことを言うな。お前が握ってるその指令書、誰が書いたと思う? ゼモルディアの暗部だよ。俺もお前も、所詮は駒だ。だが、俺は少しだけ賢い。お前みたいに子供に気を取られたりはしない」

――駒。

 その言葉が胸に突き刺さる。俺は任務を完遂した。ガルド、ヴィルト、ゼクス――三剣将を0.2秒で仕留め、ゼモルディアの未来を守ったはずだ。だが、ノアの言葉には妙な重みがある。まるで俺が見えていない真実を、奴が握っているかのように。

「賢いだと?」

 俺は一歩踏み出し、P252の照準をノアの胸に合わせる。
 
 「なら、なぜ俺を追う? 任務は終わった。俺はお前を撃つ必要はない」

「碧の牙」が首を振る。

「任務は終わっていない。お前の仕事は完璧だったが、一つだけミスがある。あの子供だ」

――子供?

 「碧の牙」の言葉に、俺の心臓が一瞬跳ねる。あの子供が何だ? ただの戦災孤児、任務とは無関係のはずだ。だが、「碧の牙」の目は真剣だ。まるで俺が知らない何かを、奴が見透かしているかのようだ。

「お前が食料を渡したあのガキ」

「ただの孤児じゃない。ゼモルディアの暗部が送り込んだ囮だ。あの子供の服には発信器が仕込まれていた。お前の位置を特定するためにね。俺がこうやってここにいるのも、全部あの子供のおかげだ」

 ――発信器?

 頭の中で記憶がフラッシュバックする。あの子供のぼろぼろの服、怯えた目。俺がポケットから取り出した食料を渡した瞬間、子供の手が俺の袖に触れた。あの時、何か仕込まれたのか? いや、まさか。だが、「碧の牙」の言葉には嘘がない。奴の目は、獲物を仕留めたハンターの目だ。

 「子供を使ってそんな手を……」

「ゼモルディアの暗部に倫理はない」

と「碧の牙」が吐き捨てる。

「お前も知ってるはずだ。俺もお前も、奴らの汚い仕事をしてきた。だが、俺はもううんざりだ。だから、お前をここで終わらせる。そして俺が世界一位になってこの国を出る。」

 ――「碧の牙」。もう碧の牙とは呼べないか。

 ノアの手が動く。ヴァルドP9が一瞬で引き抜かれ、俺の頭部を狙う。だが、俺も負けていない。P252のトリガーを引き、9mm弾がノアの肩をかすめる。奴は一瞬身を翻し、屋上の給水塔の陰に滑り込む。速い。まるで影が動くようだ。

「くそっ」

 俺は給水塔の反対側に回り込み、ノアの気配を探る。風が砂を巻き上げ、視界をわずかに遮る。奴の足音はない。呼吸の音もない。だが、俺には分かる。奴はすぐそこにいる。

 突然、給水塔の陰からノアが飛び出す。ヴァルドP9が火を噴き、弾丸が俺の左腕をかすめる。鋭い痛みが走るが、致命傷ではない。俺は咄嗟に身を低くし、P252で反撃する。二発の弾丸がノアの足元を抉るが、奴はまるで予期していたかのように跳躍し、屋上の端に着地する。

「動きが鈍いぞ、世界一位!」

 ノアが嘲笑う。
 
 「子供のせいで、心が揺れてるのか?」

 ――子供。

 またあの子供の顔が浮かぶ。俺は自己催眠の呪文を唱えようとする。

「自分を断て」

 だが、今回は効かない。心のどこかで、あの子供の怯えた目が俺を縛っている。ノアの言う通りだ。俺はあの子供に気を取られ、完璧な殺し屋ではなくなっている。

 ノアが再び動く。奴は屋上の端から跳び、隣のビルの屋上に着地する。まるで猫のような身のこなしだ。俺はP252を構え、追いかける。屋上から屋上へ、廃墟の街を飛び越える。砂と硝煙の匂いが肺を満たし、俺の心臓は冷静さを保とうと必死に鼓動する。

 隣のビルの屋上で、ノアが立ち止まる。奴は振り返り、ヴァルドP9を構える。

「お前も俺と同じだ」

 とノアが言う。声は低く、どこか悲しげだ。「戦火の中で育ち、誰かの命令で血を流してきた。あの子供を見た時、お前も感じたはずだ。もうこんな人生は終わりだと」

「黙れ!」

 俺は叫び、P252のトリガーを引く。だが、弾丸はノアの肩をかすめるだけだ。奴は一瞬で身を翻し、ビルの影に消える。俺は追いかけるが、ノアの気配はすでに遠ざかっている。まるで幽霊のように、奴は廃墟の街に溶け込む。

 ――逃がした。

 いや、逃がしたわけじゃない。ノアは俺を殺すつもりなら、さっきの屋上で仕留められたはずだ。奴は俺に何かを見せたかった。だが、それが何なのか、俺にはまだ分からない。

 左腕の傷が疼く。血が袖を濡らし、滴り落ちる。俺はフードを被り直し、廃墟の街を移動する。ノアはまだどこかで俺を見ているかもしれない。このままでは、俺は「碧の牙」に狩られる側になる。

 路地の奥で一瞬立ち止まり、ポケットを探る。そこには、子供に渡した食料の包み紙が残っていた。なぜか捨てられなかった。俺はそれを握り潰し、砂の中に埋める。

 ――もう迷わない。

 だが、心のどこかで、あの子供の目がまだ俺を見つめている気がした。



 廃墟の街を抜け、俺はゼモルディアの外縁部にある古い倉庫街にたどり着く。ここはかつて軍需物資の集積地だったが、今は放置された鉄とコンクリートの墓場だ。月明かりが錆びた鉄骨に反射し、冷たい光を投げかける。俺は物陰に身を潜め、左腕の傷を布で縛る。応急処置だが、これでしばらくは動ける。

 ノアの言葉が頭から離れない。発信器。あの子供がゼモルディアの暗部の囮だったという話。もし本当なら、俺の動きは最初から奴らに筒抜けだった。任務の成功も、俺の完璧な射撃も、すべて暗部の掌の上で踊らされていただけかもしれない。

 ――くそっ。

 俺はP252を握り直し、周囲の気配を探る。倉庫街は静かだ。風が鉄骨を叩く音と、遠くで崩れる瓦礫の音だけが聞こえる。だが、俺の背筋に冷たいものが走る。ノアだ。奴はまだ俺を追っている。一流の殺し屋の勘が、奴の存在を確信させる。

 突然、倉庫の奥からかすかな物音。金属が擦れるような、微かな響きだ。俺は音を殺して移動し、倉庫の入り口に近づく。P252を構え、ゆっくりと角を覗く。暗闇の中に、かすかな影が動く。黒いスーツ、碧色のピアス――ノアだ。

 だが、奴は一人じゃない。ノアの腕には、あの子供が捕まっている。やせ細った身体、怯えた目。あの子供だ。ノアの手にはヴァルドP9が握られ、子供の頭に銃口が突きつけられている。

 「出てこい、世界一位」
 
  ノアが静かに言う。声は倉庫の壁に反響し、冷たく響く。
  「お前のせいで、こいつがこうなった。お前の優しさのせいだ」

 ――子供。

 俺の心臓が締め付けられる。あの子供が、俺のせいでこんな目に。ノアの目は冷酷だ。だが、その奥に、ほんの一瞬だけ迷いのようなものが揺れる。奴もまた、俺と同じように戦火の中で育ち、何かを失ってきた男だ。だが、今はそんなことを考える余裕はない。

「子供を放せ、ノア」

 俺はP252を構えたまま、ゆっくりと倉庫の中に踏み込む。
 
「お前の相手は俺だ」

 ノアが笑う。だが、その笑みはどこか歪んでいる。
 
 「まだ人間の心が残ってる。それが、お前の弱点だ」

 子供が震えながら俺を見る。怯えた目が、かつての俺自身を映している。あの時、瓦礫の中で震えていた俺。師匠に拾われる前の、ただの弱い子供だった俺。

「自分を断て」

 呪文を唱えようとするが、声が出ない。
 
  俺の指はP252のトリガーに触れているが、引き金を引くことができない。ノアを撃てば、子供が危険に晒される。

「どうした、世界一位?」

ノアが一歩近づく。子供の頭に銃口を押し付けたまま、奴の目が俺を刺す。

「撃てよ。俺を仕留めれば、すべて終わる。だが、こいつはどうなる? お前の優しさは、こいつの命を奪うぞ」

――くそっ。

 俺の頭の中で計算が始まる。ノアの位置、子供の位置、倉庫の構造。P252の弾丸は正確だが、ノアの反応速度は俺と同等かそれ以上だ。奴を撃つ前に、子供が撃たれる可能性が高い。

 ――どうする?

 ノアがさらに一歩近づく。子供の震えが目に見えて強くなる。
 
 「時間がないぞ」
 
 ノアが言う。
 
 「ゼモルディアの暗部はもう動き始めている。お前の任務は成功したが、奴らは次の駒を用意してる。お前も俺も、使い捨ての道具だ。だが、俺はここで終わらせる。お前を殺し、こいつを殺し、そして俺は世界一になって自由になる」

「自由だと?」

 俺は声を低く抑える。
 
 「お前が自由になれると思うか? ゼモルディアの暗部はそんな甘い相手じゃない」

 ノアの目が一瞬揺れる。だが、すぐに冷たい笑みが戻る。
 
 「なら、試してみるさ。まずはお前からだ」

 その瞬間、ノアの指がヴァルドP9のトリガーに力を込める。子供の頭に銃口が押し付けられ、怯えた目が俺を捉える。俺の心臓が一瞬止まる。P252を構えたまま、俺は動けない。ノアの目は本気だ。奴は子供を撃つ気だ。

 ――動け。

 ――撃て。

 だが、俺の指は凍りついたように動かない。あの子供の目が、俺の過去を呼び起こす。かつての俺自身が、そこに立っている。撃てば、俺はあの子供を、過去の自分を殺すことになる。

ノアが笑う。

「やっぱりな。お前はもう殺し屋じゃない。ただの弱い人間だ」

 その瞬間、ノアの銃口が子供から俺へと向けられる。ヴァルドP9の黒い銃口が、俺の心臓を正確に捉える。奴の指がトリガーに力を込める。弾丸が発射されるまでの時間は、0.1秒もない。

――撃たれる。

 俺の身体が本能的に動く。P252を構え、ノアの肩を狙ってトリガーを引く。だが、遅い。ノアの銃口から火花が散り、9mm弾が俺の胸を狙って飛んでくる。空気が裂ける音が耳に響く。俺の視界が一瞬暗くなり、時間がゆっくりと流れる。

――あの子供。

最後の瞬間、俺の目に映ったのは、子供の怯えた目だった。かつての俺自身。そして、ノアの碧色のピアスが、月明かりに冷たく光る。

 弾丸が俺の胸に迫る。避ける時間はない。俺はただ、P252のトリガーを引き続ける。ノアの肩に弾丸が命中するが、奴の銃口は揺らがない。次の弾丸が、俺の心臓を確実に捉えるだろう。

――終わりだ。

 *

 突然目の前が暗くなった。ただひたすら暗い世界。暗い。暗い。どうやら死んだらしい。

 俺は一度目を瞑り、ゆっくり目を開けた。
 目の前には、柔らかな光に満ちた空間が広がっていた。廃墟の砂と硝煙の匂いは消え、代わりに花のような甘い香りが鼻をくすぐる。足元には白い大理石の床が広がり、遠くには金色の柱が立ち並ぶ神殿のような場所。現実とはあまりにもかけ離れた光景に、俺は一瞬、状況を把握できなかった。

 ――死んだはずじゃ……?

 胸に手を当てる。ノアの撃った弾丸が心臓を貫いた感触がまだ残っている。だが、服には穴一つなく、血の跡もない。身体を動かしてみると、痛みも疲れも感じない。まるで新しい肉体を与えられたかのようだ。

「ようこそ」

 突然、背後から透き通った声が響いた。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。歳は16か17歳ほど。長い銀色の髪が光を反射し、まるで月光のように輝いている。白いワンピースに身を包み、清楚で真面目そうな雰囲気な、だがどこか神聖な気配を漂わせる存在。彼女の瞳は深い青で、俺の心を見透かすような力強さがあった。

「お前は……誰だ? ここはどこだ?」

 俺は警戒しながら一歩下がる。だが、少女は穏やかな笑みを浮かべ、静かに手を差し伸べる。

「私はユリアーナ、この世界を統べる双子神の一人です。そしてここは、神々の間――生と死の狭間にある聖域です。あなたは確かに死にました。でも、まだ終わりではありません」

「終わりじゃない? どういう意味だ?」

 少女――ユリアーナはゆっくりと歩み寄り、俺の前に立つ。彼女の声は優しく、だがどこか厳かな響きを帯びていた。

「あなたは世界一の殺し屋として、数え切れない命を奪ってきました。でも、あなたの心にはまだ光が残っている。私はそれを見ました」

 ――あの子供。

 またあの怯えた目が脳裏をよぎる。ノアに捕らわれたあの子供。俺のせいで、暗部の囮として利用され、危険に晒された。ユリアーナの言葉に、胸の奥が締め付けられる。

「光だと? ふざけるな。俺は殺し屋だ。光なんて持っちゃいない」

 俺は吐き捨てるように言うが、ユリアーナは首を振る。

「まあいいでしょう。私はあなたの人間性を問題にしません。依頼したい事があるのです。」

「依頼?」

 眉をひそめる俺に、ユリアーナは真剣な目で続ける。

「あなたがいた世界とは異なる、別の世界――異世界エルトリア。そこは今、闇に飲み込まれようとしているのです」

「異世界? まるでファンタジー小説だな。日本のライトノベルというやつか。読んだことがある。で、俺に何をしろって言うんだ?」

ユリアーナは一瞬、目を伏せ、静かに言葉を紡ぐ。

「双子神のもう一人、イリアール。彼女が別世界から強力な能力、いわゆるチート能力を持つ転生者を召喚しています。その転生者によって世界のバランスが崩れ、エルトリアが危機に陥っているのです」

 俺は思わず笑いそうになる。だが、ユリアーナの目は本気だ。彼女の言葉には、俺を揺さぶる何かがあった。

「冗談だろ? 俺は殺し屋だぞ。英雄や勇者じゃない。なんで俺がそんな大それたことを――」

「これは依頼です。チート転生者を殺してください」

 ユリアーナが遮る。

「殺された転生者は元の世界に帰ることになります。そしてあなたも、成功すれば元の世界に戻ることができます。さらに一つ望みをかなえることも」

 彼女の声は穏やかだが、どこか絶対的な力を感じさせた。

「このまま死を受け入れ、魂が消滅する道を選ぶか。それとも、エルトリアで依頼を達成し、元の世界で後悔しない人生を選ぶか。これはあなたの償いにもなります」

――償い。

 その言葉が、胸の奥に突き刺さる。ノアの言葉が脳裏をよぎる。「お前も俺と同じだ。戦火の中で育ち、誰かの命令で血を流してきた」。俺は確かに、血にまみれた人生を歩んできた。あの子供に手を差し伸べたのは、ただの気まぐれだったかもしれない。だが、その一瞬が、俺の心に何かを取り戻させた。

「……もし、俺がその依頼を引き受けたら、どうなる?」

 ユリアーナの顔に、初めて柔らかな笑みが広がる。

「あなたはエルトリアに転生する。新しい身体、新しい人生。でも、過去の記憶と技術はすべて引き継がれるわ。ただし私からチート能力を与えることは出来ません。レベル1から自力でレベルアップしていただきます」

「……一つ聞かせろ。エルトリアって世界は、どんなところだ?」

 ユリアーナの目が輝き、まるで遠い世界を思い出すように語り始める。

「エルトリアは、美しい自然と魔法に満ちた世界です。森には精霊が住み、空には竜が舞う。人間、エルフ、ドワーフ、獣人……さまざまな種族が共存しています」

 俺は一瞬、考える。異世界、転生――まるで現実離れした話だ。だが、目の前のユリアーナは本気だ。そして、俺の胸にはまだあの子供の目が焼き付いている。ノアに撃たれた瞬間、俺が感じたのは悔いだった。あの子供を救えなかったこと、過去の自分を救えなかったこと。

「……分かった。引き受ける」

 ユリアーナの顔がぱっと明るくなる。

「本当!? ありがとう、クロウ・ヴァインツ! あなたなら、きっとエルトリアを救える!」
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