卒業した姉とこれから入学するのではしゃぐ妹

月輝晃

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練習

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 〇〇大学 午後三時の和室教室。
 
 窓の外からは、ほんのり甘い風のにおいが漂ってくる。
 春の陽射しに包まれた畳の上、今日は映画のスクリーンも、DVDプレイヤーも置かれていなかった。

「今日はちょっと趣向を変えて、“座道”の練習をしてみない?」

 そう提案したのは、ひかりんだった。

「映画観ないの?」

「うん。映画もいいけど、せっかく“映画研究会”って名乗ってるんだから、ちょっと文化的なこともしようかなって」

 そして、彼女がバッグから取り出したのは、一冊の古びた冊子。

『座道入門 ─静と動の美学─』

 ――うそ……ホントにあるなんて
そもそも座道部ってのは帰宅部だった私が妹――かおりんへの言い訳に使った架空の部で、座道なんてものが実在するなんて思ってもいなかった。

「図書館で見つけたんだ。なんか、面白そうで」

 ページを開くと、正座の姿勢、呼吸法、所作、さらには“無言の対話”という章まであった。

「これ、映画にも通じる気がするの。静けさの中にある緊張とか、目線とか、間とか」

「な、なるほど……静かな映画って、座道っぽいもんね」

 ――冷や汗をかいてる私を見て、 安達さんが真剣な顔でうなずく。見透かされそう。

「よし、やろう。こういうのって、経験しないとわかんないしな」

 山野くんも珍しく乗り気だった。



 それからの1時間、私たちはいつも映画を観る円座のまま、座道の練習に入った。

 まずは呼吸法。

 口から息を吸って、吐く。その長さを八拍で数える。

 ゆっくり、深く、そして静かに。

 呼吸のリズムに合わせて、周囲の音がどんどん遠くなっていく。

 そして今度は鼻から息を――

  ――ひかりんのいい匂いが鼻から……とても精神統一なんかしてられないじゃない

 次は、目線の練習。

 相手の目を見て、そこに“意志”を込める。

 でも、決して圧をかけてはいけない。ただ、そこに“在る”ことを伝えるように。

 ひかりんと目が合った。

 彼女の目は、いつもよりずっと澄んでいた。
 でも、どこかやわらかい光をたたえていて、私は思わず微笑みそうになる。

 けれど、 “笑ってはいけない”のが座道のルール。

 頬を引き締めて、私はまっすぐ彼女の目を見つめた。

 ――まつ毛長い、そして陽光を反射した瞳が怪しく煌めいている。目の美しさと怪しさは、もともと彼女の持っている一番の魅力だ。

 そう……私はこの魅力にやられたのだ。ああ……無理、直視すると変な気分になる。

「はい、目線終了」

 ひかりんの合図で、わたしたちは一斉に目を伏せる。

 ――危なかった。



 次は、 “無言の会話”。

 言葉を交わさずに、意志を伝え合う。

 題材は──「お茶のおかわりが欲しいかどうか」。

 互いに湯飲みを前にしながら、目と所作だけで伝える。

「えっと……こうやって、湯飲みをちょっと前に出したら“ください”の合図らしいよ」

 最初はお遊びのような雰囲気だったけれど、だんだんと空気が変わってくる。

 私の前に置かれた湯飲みに、ひかりんが手を伸ばす。

 何も言わず、そっと急須を持ち、注ぐ。

 それだけの動作なのに、心がすっと通じたような、そんな気がした。

 ――ふふ。ひかりんが微笑んでいる。

 ――欲しいのは、これだけじゃないよね?ひかりんが無言で語りかけてくる。

 ――ふふ。しおりんってわかりやすい。

 拷問かこれ……

「……なんか、落ち着くね」

 私が疲れ切った時に、誰かがぽつりとつぶやいた。その声は、小鳥のさえずりのようだった。



 休憩のあと、最後にやったのは「演出」。

 テーマは“無音のワンシーン”。

「みんな、好きな映画のワンシーンを、セリフなしで再現してみて」

「演技するの?」

「ううん。身体で“その空気”を再現するだけ」

 たとえば──

 ある日の雨の日、駅のホームで別れを惜しむ恋人たち。
 あるいは、無人の教室で一人ぼんやりと外を見る少女。
 そんな情景を、それぞれが静かに演じる。

 私の番が来たとき、私はあえて“ホラー映画の中の沈黙”を選んだ。

 ランタンを灯し、正座したまま、空間の“気配”に耳を澄ます。

 誰かが、後ろにいる──その“気配”だけで、演出する。

 観ている人たちの空気が、ぴしりと変わったのを感じた。

 終わったとき、誰も言葉を発さなかった。

「……すごかった」

 安達さんがぽつりとつぶやいた。

 ――でも本当は

 ――ひかりんからの気配が、圧がすごすぎて固まってただけだったんだよね



 その日、和室の教室は、映画のない静かな一日だった。

 でも、心の中では、いくつもの“映画”が上映されていた。

 静けさの中にある、濃密なやりとり。

 それが、私たちの“座道”だった。

「ねえ、しおり」

 帰り際、ひかりんが私に寄り添いながら言った。

「次は……即興で“物語”を演じるっていうの、やってみたいな」

「座道×即興劇?」

「うん。きっと、新しい表現が見つかると思う」

 その目が、どこか冒険を前にした子供みたいに輝いていた。

 私は思わずうなずいてしまった。

「いいね。やってみよう」

 そう言ったとき、春風が、ふわりと私たちの間を通り抜けていった。
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