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羽柴岡山中納言の章
エピローグ 大坂の陣
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慶長九年(一六〇四年)。稲葉正成は波およぎ兼光を携え、陸奥国・棚倉のとある男の元へ上っていた。
「大名への復帰、真に祝着に存じます。この刀はその祝いの品に御座います」
正成が波およぎ兼光を男へと差し出す。
「この刀は秀詮殿が愛蔵されていた物だろう。俺に受け取る事は出来ない」
しかし。男――立花宗茂は固辞する様に掌を正成へと向けた。
この年、宗茂は陸奥国・棚倉一万石の領主として大名に返り咲いていた。正成はその祝賀として棚倉へ参上していたのである。
「それに、何故俺なのだ」
宗茂は一つ、溜息を吐いた。関ヶ原の合戦の後、己は秀詮の実父と叔母に危害を加えんとしたのだ。その事を正成が知らぬとも思えなかった。
「正直に申しますと、秀包殿にお渡ししたかったのです。あの方は、やはり秀詮様を一番お分かりになられていた。ですが……」
秀包は秀詮に先立つ慶長六年(一六〇一年)三月二十三日、既に鬼籍に入っていた。
「ならば、秀包の子息でも良かったであろう」
「いいえ。秀包殿の御子息はこれからの世を生きる者。道を違えたとは言え、秀包殿の考えを一番に理解しておられたのは宗茂殿を置いて他にはおりません。故に、秀詮様と同じ時を生き抜いた宗茂殿にお渡ししたかったのです」
宗茂は暫し考え込み、口を開いた。
「高虎殿や清正殿も、秀詮殿の考えは理解していた様に思う。彼らでは不足なのか?」
正成は思いつめた顔になり、小声で言った。
「これよりの言は御内密にして頂きたく」
「ああ」
宗茂が頷いた事を確認し、正成は続けた。
「高虎殿は余りにも徳川に依り過ぎました。そして清正殿は余りに豊家に寄り添い過ぎてしまった。しかし、貴方はそのどちらからも距離を置いている。加えて、宗茂殿が……いえ、立花家が『生き残る家』と見込んだ故に御座います」
宗茂が僅かに息を呑む。
「正成殿、お主は……」
「この刀は、我らの末代までも残らねばならぬ刀です。故に、理解しながらも生き残る道を択ぶ事の出来る――貴方へと託したいのです」
正成は波およぎ兼光を前に、深々と辞儀をした。
宗茂は瞑目する。遠き日の相棒の顔が、今も明瞭に写し出される。
――お前の思う道を行けばいい。
そう言って、秀包は微笑んでいた。
「了承した。この立花宗茂、これよりは波およぎ兼光と共に生きよう」
秀詮の死後、豊家と徳川の溝は次第に大きく開いていった。
慶長十六年(一六一一年)六月二十四日、加藤清正の死去によりその溝は加速度的に拡がってゆく。
そして、その亀裂が最早埋め戻せぬ程拡がったその時――豊家と徳川の戦が始まった。
慶長十九年(一六一四年)十二月二日。身を斬る様な乾いた冬風の中、二人の男が遠くに聳える大坂城を見遣っていた。
「まさか、貴殿が豊家に刃を向ける事になるとはな」
「……某は某の道を行くだけです。宗茂殿」
そう言って男――正成は瞑目した。
何時か豊家に刃を向けるやも知れない。そう某が語った時、それでも秀詮様は某を生かして下さった。
ならば、手を緩めずに戦うのが筋であろう。
秀詮様の思い描いていた世の為にも。
正成は脇差の柄を強く掴んでいた。
「天下泰平と豊家の守護――若し泰平を脅かす者が豊家であった時、あの男はどちらに付くのであろうな」
宗茂は波およぎ兼光を鞘より抜き放ち、真直ぐに大坂城の天守へと向けた。
義兄上、私は。
大坂城の天守より、豊臣秀頼は眼下の敵軍を見下ろしていた。凛々しく成長した精悍なその青年に、幼き頃の何処か不安げな表情は最早無かった。
私は、貴方の守ろうとしたものを、全て壊してしまうやも知れません。
秀頼が腰の鯰尾藤四郎を握り直す。
泰平の世も、豊家も、私自身の命すらも。しかし、それでも。
眼下の軍勢より眼を離し、天を仰ぐ。白い息が空に溶けていった。
惨めに膝を屈したくは無いのです。私は天下人・豊臣秀吉の子で、貴方の弟なのですから。
ふと、ほのかな温かさを背に感じた。誰かが背中を合わせている様な、柔らかな感触。
――大丈夫です。
義兄の――いや、兄の声だった。
兄が共に居る。それだけで心は沸き立つ様に熱を帯びていく。
私は、私の精一杯を生き抜いてみせよう。
秀頼は鯰尾藤四郎を抜き放ち、眼下の軍勢へと向けた。
「天下人・豊臣秀吉の子にして稀代の名将・小早川秀秋の弟、豊臣秀頼。いざ、参る!」
<了>
「大名への復帰、真に祝着に存じます。この刀はその祝いの品に御座います」
正成が波およぎ兼光を男へと差し出す。
「この刀は秀詮殿が愛蔵されていた物だろう。俺に受け取る事は出来ない」
しかし。男――立花宗茂は固辞する様に掌を正成へと向けた。
この年、宗茂は陸奥国・棚倉一万石の領主として大名に返り咲いていた。正成はその祝賀として棚倉へ参上していたのである。
「それに、何故俺なのだ」
宗茂は一つ、溜息を吐いた。関ヶ原の合戦の後、己は秀詮の実父と叔母に危害を加えんとしたのだ。その事を正成が知らぬとも思えなかった。
「正直に申しますと、秀包殿にお渡ししたかったのです。あの方は、やはり秀詮様を一番お分かりになられていた。ですが……」
秀包は秀詮に先立つ慶長六年(一六〇一年)三月二十三日、既に鬼籍に入っていた。
「ならば、秀包の子息でも良かったであろう」
「いいえ。秀包殿の御子息はこれからの世を生きる者。道を違えたとは言え、秀包殿の考えを一番に理解しておられたのは宗茂殿を置いて他にはおりません。故に、秀詮様と同じ時を生き抜いた宗茂殿にお渡ししたかったのです」
宗茂は暫し考え込み、口を開いた。
「高虎殿や清正殿も、秀詮殿の考えは理解していた様に思う。彼らでは不足なのか?」
正成は思いつめた顔になり、小声で言った。
「これよりの言は御内密にして頂きたく」
「ああ」
宗茂が頷いた事を確認し、正成は続けた。
「高虎殿は余りにも徳川に依り過ぎました。そして清正殿は余りに豊家に寄り添い過ぎてしまった。しかし、貴方はそのどちらからも距離を置いている。加えて、宗茂殿が……いえ、立花家が『生き残る家』と見込んだ故に御座います」
宗茂が僅かに息を呑む。
「正成殿、お主は……」
「この刀は、我らの末代までも残らねばならぬ刀です。故に、理解しながらも生き残る道を択ぶ事の出来る――貴方へと託したいのです」
正成は波およぎ兼光を前に、深々と辞儀をした。
宗茂は瞑目する。遠き日の相棒の顔が、今も明瞭に写し出される。
――お前の思う道を行けばいい。
そう言って、秀包は微笑んでいた。
「了承した。この立花宗茂、これよりは波およぎ兼光と共に生きよう」
秀詮の死後、豊家と徳川の溝は次第に大きく開いていった。
慶長十六年(一六一一年)六月二十四日、加藤清正の死去によりその溝は加速度的に拡がってゆく。
そして、その亀裂が最早埋め戻せぬ程拡がったその時――豊家と徳川の戦が始まった。
慶長十九年(一六一四年)十二月二日。身を斬る様な乾いた冬風の中、二人の男が遠くに聳える大坂城を見遣っていた。
「まさか、貴殿が豊家に刃を向ける事になるとはな」
「……某は某の道を行くだけです。宗茂殿」
そう言って男――正成は瞑目した。
何時か豊家に刃を向けるやも知れない。そう某が語った時、それでも秀詮様は某を生かして下さった。
ならば、手を緩めずに戦うのが筋であろう。
秀詮様の思い描いていた世の為にも。
正成は脇差の柄を強く掴んでいた。
「天下泰平と豊家の守護――若し泰平を脅かす者が豊家であった時、あの男はどちらに付くのであろうな」
宗茂は波およぎ兼光を鞘より抜き放ち、真直ぐに大坂城の天守へと向けた。
義兄上、私は。
大坂城の天守より、豊臣秀頼は眼下の敵軍を見下ろしていた。凛々しく成長した精悍なその青年に、幼き頃の何処か不安げな表情は最早無かった。
私は、貴方の守ろうとしたものを、全て壊してしまうやも知れません。
秀頼が腰の鯰尾藤四郎を握り直す。
泰平の世も、豊家も、私自身の命すらも。しかし、それでも。
眼下の軍勢より眼を離し、天を仰ぐ。白い息が空に溶けていった。
惨めに膝を屈したくは無いのです。私は天下人・豊臣秀吉の子で、貴方の弟なのですから。
ふと、ほのかな温かさを背に感じた。誰かが背中を合わせている様な、柔らかな感触。
――大丈夫です。
義兄の――いや、兄の声だった。
兄が共に居る。それだけで心は沸き立つ様に熱を帯びていく。
私は、私の精一杯を生き抜いてみせよう。
秀頼は鯰尾藤四郎を抜き放ち、眼下の軍勢へと向けた。
「天下人・豊臣秀吉の子にして稀代の名将・小早川秀秋の弟、豊臣秀頼。いざ、参る!」
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