うつしよの波 ~波およぎ兼光異伝~

春疾風

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小早川秀秋の章

番外編 幼き日の追憶

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 筑前へと帰還した秀秋を待っていたのは、忙しく目まぐるしい日々であった。慶長の役で疲弊した農地の復興に取り組んでいたのである。
 秀秋が北ノ庄へ移封していた際は三成が筑前の代官となっていたのだが、税の取り立ては厳しく、離散する農民も居たのだ。
 以前筑前を治めていた際、即ち秀吉の生前においての秀秋の統治は秀吉の朱印状を通した、豊家の意向の強いものであった。
 しかし秀吉が亡くなり、秀秋は豊家の後ろ盾なしで自ら領国経営することとなったのである。そこで、秀秋は豊家朱印状時代の政策を撤廃し、隆景統治下の仕置きに従うとした。結果的にこれは成功し、農地は復興していくこととなる。
 自身の裁量で領地を経営する。一人の大名として国を動かす――それは忙しくも充実した日々であった。
 故にその日も秀秋は疲れ果てて床へと入っており、深い眠りへと誘われていた。

 懐かしい香りがする。松の香りだろうか。
「今日からお前はここの家の子になるんだよ」
 傍らでそう語った男を、秀秋は直感的に「父」だと思った。
 己の視線は低く、父の顔はもやの掛かった様に不明瞭である。
 これは幼い頃の記憶だ、と秀秋は悟った。
父様ととさまは参らないのですか?」
 辺りを見回す。城だ。黒塗りの壁に金箔瓦の天守が妙に眩しかった。
 父はかぶりを振り、城の方を見やった。
「いいかい、辰之助。これからはあの方を父上と呼ぶんだよ」
 父の向いた方をに視線を向けると、一人の男が立っていた。
 能面の翁の様に満面の笑みを浮かべ、大仰に手を開いている。
 しかし、秀秋にはその男が何故かとても恐ろしく感じられた。
 父の羽織の裾をしっかと掴む。
 だが、父は秀秋の手を外すと、ぐい、と強引にその男の方へと押し出した。
「今日から先、私の事を夢にも父と思わない様に。私もお前を子とは思わないからね」
 靄掛かった父の顔は、寂しげに笑っていた気がした。

 また何処からか懐かしい香りがする。桜の香りだろうか。
「君が秀俊殿だね。私は……そうだね、君の兄と言ったところかな」
 やわらかな顔で青年が微笑む。青年が腰を折って秀秋に視線を合わせていたせいか、その顔は明瞭に判別する事が出来た。
「よろしくお願いいたします、秀次義兄上」
 目の前の青年は、記憶より幾分か若い秀次であった。
 秀次は秀秋の返答にまた、にこ、と笑うと、その手を取って歩き出した。
 恐らく、その後大坂城を案内されたのだと思う。
 その時何処を紹介されたのかはあまり覚えていない。
 しかし、誰を紹介されたのかは朧げながら覚えている。
「余は宇喜多秀家。そなたと同じく殿下より『秀』の字を賜った、言わば兄弟であるな」
 名に「秀」が付くと兄弟となるのか。何故だか分からないが、その時分の秀秋はそう納得していた。
 秀家の年の頃は秀次と比べると遥かに若く、言ってしまえば子供に見えた。それでも自身と比べれば十ほど年長であった。
 秀家は身振り手振りを使って何やら話していた。内容までは覚えていなかったが、明るい人だな、と秀秋は思った。

 暫くすると、秀次は秀秋の手を取り歩き出した。
 また、一人の青年が立っていた。
「これは秀――殿。久方振りにて」
「ああ、秀次殿。長久手以来だな」
 青年の名前は聞き取れなかったが、「秀」の付く名前であったことだけは覚えていた。
 年の頃は秀次と同じ、もしくはわずかに若いようである。
 暫く二人は何やら話していたが、不意に秀次を呼ぶ声が聞こえた。
「孫七郎! 早ようせんか!」
 声の主は秀吉であった。かつて自身や父に見せていた様な笑顔ではなく、何処か苛立っている様な表情である。
「済まない、秀――殿。秀俊殿の事を頼む」
 秀次は青年に己の事を頼むと、足早に秀吉へ付いて行く。
 秀秋は青年と二人残されてしまった。
 暫しの沈黙。突如会話を任され困っていたのだろうか、青年がぼそりと呟く。
「私は末子だったのだぞ……童の扱いなぞ分かるか」
 何か話しかけなくては。秀秋は記憶を探り、一つの話題を思いついた。
「名に『秀』が付いているという事は、私の兄上になるのでしょうか?」
 名に「秀」が付くと兄弟となる……らしい。秀家と話していた際ふと思った事を青年に問う。
 青年は露骨に不満そうな顔をした。
「俺は毛利元就公の子で小早川隆景の養子。此処には兄上から御役目を仰せつかって人質……いや、羽柴に参っているだけだ。断じてお前の兄などではない!」
 秀秋はきょとんとする。
「あの、毛利様と小早川様とは、どのような方なのでしょうか?」
 聞きなれない名前に、秀秋が聞き返す。青年は口を丸く空け驚いている様であった。
「まさか元就公を知らぬのか? いや、斯様な童では仕方ないのか……」
 呆れかえっていた青年であったが、思い直したように口を開いた。
「仕方あるまい、ならば俺が教えてやろう」
 その後、秀秋は青年から延々と話を聞かされる羽目となった。青年の話は妙に長くてくどく、何故か同じ話が何回も出てくるものであった。無論、その内容は全く覚えていない。
 しかし話している青年は誇らしそうで、そして嬉しそうであった。

 それからの日々は、とても忙しいものであった。
 公家の教育はごく幼いころから行われる。十五ともなれば、一人前として一線で活躍する事となる。
 秀秋もまた、聖護院道澄、近衛信尹という朝廷の主要人物に教育されてきた。
伊勢物語と言った貴族としての教養、所作に礼儀作法、蹴鞠に和歌に書……。
 秀秋には唯、秀吉とおねの期待に応えなければとひたぶるに打ち込んでいた記憶だけが残っている。
 そして秀秋が数え六歳となったある日、帝が聚楽第に訪れた。「聚楽第行幸」である。
 この中で、秀秋は秀吉の代理として諸大名の誓詞を受け取ったのだ。
 妙に誇らしかったのを秀秋は覚えていた。

 また景色が切り替わる。
 家康や秀次、輝元達を見下ろしていた。遠くには隆景や広家が座している。
 傍らから秀吉の声がした。
「これが儂の世継ぎ、秀俊じゃ」
 思い出した。この日は確か西国の毛利が上洛したとかで、私は殿下がお立ちになった後「殿下の席に」座らされたのだ。
「羽柴秀俊に御座います」
 秀秋は軽く辞儀をし、下座を見渡した。
 輝元がこちらを向き何か奏上していた。その幾分か離れた後ろで、広家が少し居心地が悪そうにそわそわとしている。
 そしてその左隣に、隆景は居た。
「これは、ご聡明な御世継ぎで有らせられる」
 そう言って隆景は優しげに微笑んでいた。

「義父上……」
 鼻に届く微かな潮の香り。開いた目に映る木の天井。薄らと明るい室内。
 そうだ、ここはあの人の……義父上の名島城だ。
 秀秋はゆるりと起き上がると、障子を開いた。
 薄雲棚引く、黎明の日輪が今にも登らんとしている。
 その光に目を細めながら、秀秋は今朝の夢を思い返していた。
 恐らく、殿下は「生まれながらの公家」を豊家に作りたかったのだ。
 そもそも、関白自体が公家の最上位なのだ。だが、殿下も秀次義兄上も武士として生きてきた。だからこそ豊家は「公家である一門」が欲しかったのだ。
 そして、私は公家として育てられた……豊家の為に、殿下の為にと。
 無論、その事に恨みは無かった。確かに教養を身につけるのは大変であった。同世代の童と遊んだ記憶も無い。しかし、そういう物として生きてきたのだ。
 否。今はむしろ感謝していた。
「今度は、私が利用する番だ」
 暁は、空をあけに染めながら昇り始めていた。
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