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サイキック編

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 岡島裕太は当惑していた。
 デート相手の菖蒲ヶ原雪子と連絡をとり、すっぽかされたわけではないと安心したのも束の間、ウインドウの外にいて彼と正対している者がいた。
「うっわ。ストーカーか、あの女」
 ふくよか雪子である。岡島との距離は二メートルほどだ。カフェのほうが歩道よりも若干高いので、彼からは見下げる位置で、彼女からは見上げる格好だ。肩には相変わらず白いオームが乗っていた。
 女と鳥がガラス越しにしばし岡島を凝視すると、さっと横を向いて右側へと歩き出した。
「やっと諦めたか」と安どの息を洩らし、ぶっ太いストローでアイスコーヒーをちゅーと吸っていた。
「なんだっ」 
 ふくよか雪子が戻ってきた。岡島の前で止まって、あらためて対面した。腰に手を当て、片足を少し前に出し膝に手を添えてちょいと曲げた。少しばかり前かがみになると、ニヤリと笑みを浮かべた。本人はモデルばりの可愛いポーズのつもりであるが、岡島には渡世人が仁義を切るスタイルに見えた。時代劇の動画で見た光景が目の前で、しかもふくよか過ぎる同級生が演じていた。
{おー、ひけー、なすってーーー、クエーー}と、ピーちゃんが口走った。これはなにかが違うと察したふくよか雪子が姿勢を戻した。
 一瞬、気をつけをしてから今度は両手を腰に当てて、そのまま上半身を左右に振った。首をぐるぐると回し、前屈しては後ろへ逆エビ反りとなる。頃合いに体がほぐれてきたのか動きにキレが出てきた。
「おい、慎二。あの肉まん女はなにをやっているんだ」
「見たところ、体操っぽい動きだよな。公共放送でお姉さんがやっているのと同じだな」
「オレはセクシーポーズをやれと言ったはずだ。体操のお姉さんはマニアック過ぎるだろう。しかも、あのぶっ太い体じゃあ酸素の無駄使いだ。地球が温まっちまう」
「たぶん、本人としてはあれがセクシーポーズのつもりなんだろう」
 慎二と極劣化赤川は、カフェから少し離れた紳士服やの前で、背広を選ぶふりをして観察していた。ひどくブサイクな少年がやたらと商品に触れるので、店員のお姉さんがハエを見るような目つきだ。
「慎二、菖蒲ヶ原さんにケイタイをかけろ。プランBをやらせるんだ」
「プランBなんか、あったっけ」
 疑問に思いつつもケイタイを手にする。ほどなくしてふくよか雪子の声が刺さってきた。
「もう、なんなのっ。せっかくいい汗かいてきているのに邪魔しないでよ」
 吐息の温かさを感じそうなほどの臨場感に、慎二の頬も汗ばんでくる。
「赤川がプランBをやれってさ」
「プランBって、なによ。あれだけセクシーしたんだから、もう少しで出てくるわ。私のセクシーにヨダレを垂らしているわよ」
「いや、それは、ちょっと。たぶんやつは」涎どころか、口の中の水分がなくなっているのではと思った。
 ここで極劣化赤川がケイタイをもぎ取った。慎二が文句を言う前にしゃべり始める。
「いいか、焼き豚おんな、いや菖蒲ヶ原さん。そんなもんで男がなびくと思ったら大間違いだ。やつはまだまだ発情していない。気にもしてない。男が求めるセクシーをナメんなよ。プランBを実行しろ」
「だからプランBって、なんなのよ。それと焼き豚とか言ったでしょう。許さないから」
 ふくよか雪子がそれ以上言う前に、突如として啖呵が切られた。
「ダンスだ」
「ダンス?」
「セクシーダンス」
「セクしーダンス?」
「以上」
「ちょ、ちょっとー」
 通話が切られた。最新バージョンの画面を見ながら、ふくよか雪子は眉間に皺をよせた。ピーちゃんが、{せくし~}と短く鳴いた。
 極劣化赤川がケイタイを持ち主に返した。慎二がさっそく意見具申する。
「いまの菖蒲ヶ原さんにダンスは荷が重いぞ。しかも人通りが多いし、ヘンに目立ってしまう。かえって岡島に逃げられるんじゃないのか」
 フフフと、四角いブサイク顔が不敵な笑みを浮かべていた。
「それだ、心の友よ」
「いや、なにがだ」
「あの巨体女子では、いくら中身が菖蒲ヶ原雪子といえども、男を誘い出すことはムリだ。いや、中身が菖蒲ヶ原雪子だからこそ余計に困難と言える。ハッキリ言って、得体のしれないヤバ女子だ」
「たしかに。その見解は否定できない」
「コーヒーを飲んでいて、あれが目の前で踊りだしたら、慎二だったらどう思うか」
「どうって、うう~ん」
 慎二はその絵図らを考えた。背中が寒いと感じる。
「めっちゃ怖いな」
「だろう。女たらしの岡島がいままで経験したことのない恐怖を感じ、店から出て逃げ帰ることが確実だ。そこを待ち構えて捕獲する。これがプランBだ」
「ふむ。菖蒲ヶ原さんを囮としてではなく、岡島を追い出す武器として利用するわけか」
「強硬手段となるが、やむを得ないだろう」
 極劣化赤川の説明に慎二が納得した。プランBの発動である。
 いっぽう、ふくよか雪子は戸惑っていた。ドラムの名手なのでリズム感には自信があるのだが、そもそもセクシーダンスの定義を見いだせなかった。
「でも、やるしかないわ」
 肉厚の瞼がへの字に吊り上がり、キッと鋭い視線がガラス向こうの男子に射られた。その視圧に、岡島は思わずのけ反ってしまった。これはヘタに店を出てしまうと捕まってなにをされるかわらないと、籠城戦を決意する。スモークサーモンアンドチーズサンドイッチとガラナコーラのトールを注文し、長期戦に備えることにした。
「ハイハイハイ」
 ふくよか雪子は、とにかく気合を入れて手足と体を動かしていた。さらにセクシーを意識して、とくに胸のあたりをブルブルと揺らすが、ぜい肉との区別がつきにくく、セクシーさを演出するには至らなかった。それでもリズム感は抜群なので、振り付けは滅茶苦茶な我流なのだが、それなりにキレがあった。おもいのほか体が動くので、彼女のテンションも上がっていた。 
 街頭放送がラジオを流していた。いまの時間は有名DJによるダンスミュージック特集である。ふくよか雪子の知っている曲がかかり、自然とそのリズムに合わせて体が動いた。デタラメだったステップに秩序と方向性が備わり、肉量たっぷりな体がダンスを見せていた。ノリの良い曲とあいまって迫力満点である。また、肩にのったオームが合いの手を入れるように鳴くので、その滑稽さがより人目を惹くこととなった。
「ねえ、あれって迫力ある~」
「なんか、女がスゲエ。鳥もスゲエ」
「女子高生か。めちゃ太いけどやるなあ」
 行き交う人の流れが部分的に止まり始めた。十代や二十代だけではなく、子供や主婦までもが、ふくよかダンサーに注目していた。 
「なんか、肉まん女が人気になってるんだけど」
「菖蒲ヶ原さん、ドラムをやっているだけにセンスがあるんだ」
「あの肉量でムダにいい動きをしてるなあ」
 二曲続いてふくよか雪子が踊りきると、観衆から拍手や声援が沸き上がった。いつも一人ドラム演奏で静かな終わりを迎えるので、人々からの賞賛に心地良さを感じていた。
 ケイタイが震えた。慎二からであり、ふくよか雪子がすぐに応答した。ダンスが高評で、うれしさと興奮で声が弾む。
「慎二、私がすごいウケてるんだけど、アハ」
「ウケてどうするんだ。プランBを忘れたのか。元の体に戻れないぞ」
「ちょっとー、ブッサイクじゃないの。慎二を出しなさいよ」
 かけてきたのは極劣化赤川だった。友人のケイタイを強引に奪い取っての連絡である。
「慎二はあとで好きなだけくれてやる。目標は岡島なんだ。やつのハートをつかんだのか」
 ガラスの向こうでは、岡島が真顔で軽食をとっていた。こころなしか目が死んでいるように見える。
「いいえ、冷静な顔してサンドイッチを食べているわ。美味しそう、お腹すいちゃった」
「いいか、よく聞け、肉シューマイ女、いや菖蒲ヶ原さん。ダンスが意外に良いから、そのまま音楽にノッて踊り続けろ。やつはきっと出てくる。セクシーを忘れるな」
「なんか、毎回ディスられている気がするけど、わかったわ、がんばってみる」
 通話が終わると同時に、ラジオ放送が唐突に街頭放送へと切り替わった。仏具店の短い宣伝の後、新たな曲が流れ始める。インストルメンタルだが、腰が踊ってしまいそうなユニークな曲調であった。 
「なんだ、このへんな曲は。聞いたことがあるような、ないような」
「これは、ヒゲダンスのテーマ曲だっ」
 極劣化赤川が、クワッとした顔で言い放った。
「このベースラインのリフレインがたまらん」
「そんなことより、この曲でダンスはムリだろう」
「いや、この曲のダンスは、むしろ定番だ。ほら、すでに菖蒲ヶ原さんが始めてる」
 導入部分が終わるやいなや、ふくよか雪子は踊りだしていた。腰をいくぶんか落として、その位置へ両手をあてがい、忙しく上下させていた。そしてとぼけた表情で、とにかく歩き回るのである。ピーちゃんが頭の上へ移動し、バタバタ羽ばたきながら合わせていた。
「あれがヒゲダンスの基本形だ。頭の上の鳥は余計だが、見事なダンシングはさすが菖蒲ヶ原雪子」
「菖蒲ヶ原さん、なんでも知ってるなあ」
 ヒゲダンスのテーマ曲を、ふくよか雪子は知っていた。以前、面白がってドラムを叩いて投降したことがあり、メロディーを楽譜レベルで覚えている。なので、結構楽しんで踊っていた。
「ところどころ、オリジナルで痛々しい振り付けになるところが高ポイントだな」
「誰に対しての高ポイントなんだよ」
 観衆の数が増えていた。超豊満ボデーの女子高生が、滑稽な曲に合わせてキレのあるダンスをしている。笑いと拍手が起こり、ちびっ子などがマネをしながら後についていた。ただし、肝心の岡島は無表情であり、ときどき目が点になっていた。
 ヒゲダンスのテーマ曲が終わると、街頭放送が次なる曲を奏でだした。
「また聴いたことのある曲だけど、今度はなんだ。なんか思い出せない」
「こ、これは」
 もぞかしそうに悩む慎二だが、ふたたび、クワっとした表情の極劣化赤川が言い切るのだった。
「激安スーパー{ハマタ}の店内BGMだーっ」
 激安スーパー{ハマタ}は、周辺地域に五店舗をかまえる食品スーパーのチェーン店である。とにかく安さだけを求めた品ぞろえを得意とし、産地不明の野菜やら国籍偽装の輸入食品など、激安な商品に特化していた。得体のしれない材料でつくられたボリューミーな128円弁当などは有名であり、若者からの絶大な支持があった。
「この曲に合わすのは、むずかしいわ」
 さすがに激安スーパーの店内BGMでダンスをするのは至難の業であった。基本形がないので、リズムを合わせづらいのだ。
「だけど、私はやる」
 一度両手両足をそろえて気をつけの姿勢となり、はあ~っ、と気合を充填した。頭上の鳥が{エロいぞー}と檄を飛ばす。
「♪ げっき安げっき安、おなべのおこげで~、しろめし三杯~、げき安げき安、千円あれば豪華なディナー、子犬も喜ぶ焼肉ざんまい~、それは~、どこの~、激安~、ハマタ、ハマタ、激やーーーーす、ハマタ♪」
 踊りながら歌詞を口ずさんでいた。歌声は大きく、振り付けは大仰なものとなっている。
「菖蒲ヶ原さんのダンスがキレッキレだー」手に汗握りながら慎二が叫ぶ。
「あの肉量で、あの動きは神だな」極劣化赤川も感心していた。
 まさにアクティブなダンスだった。聞きなれた陳腐なメロディーを重圧感のあるボデーをぶん回して、ダンスダンスダンス。
「♪ ハ~マタ~でハッピ~~~~~~~~ ♪」
 フィナーレに向かって十分にタメをつくって十秒後、落下する勢いで、突如としてその場に崩れた。
「♪ 激安! ♪」
 最後は両足を縦に180度開脚してキマッた。{ヤスいぞー}とピーちゃんが叫ぶ。
 おおー、すごい、ブラボー、とやんやんの歓声が上がった。賞賛と拍手の渦が気持ちよくて、ふくよかな女ダンサーは手を振って笑顔を振りまいている。
「菖蒲ヶ原さん、すごかったよ」
 人々をかき分けて慎二がやってきて、ふくよか雪子の手を握った。彼女の汗ばんだ手が彼の手を握り返す。
「肉女、いや、菖蒲ヶ原さん。よくやった。感動した!」
 極劣化赤川も手を握ろうとするが、パシリと叩かれてしまう。
「ブッサイクはアライグマにでも抱きついてなさいよ」
{ブッサいぞー}とピーちゃんが吠えた。
「菖蒲ヶ原さんって、なんでもできるんだな。生ダンスが最高だった」
「当然でしょ。だてにドラムをやっているわけじゃないわ。音楽関係はなんでもござれよ」
 得意になって、その場で跳んだり跳ねたりするふくよか雪子であった。
「もっと激しくジャンプしろよ。体の肉が千切れて身軽になるぜ」ヘヘヘと、極劣化赤川が下卑た顔で言う。
「あなたこそヒグマに顔を齧られたら元通りになるわよ」
「まあまあ。うまくいったんだし二人とも仲よくしよう」
「そうね。久しぶりに動いたら気分がいいわ。アイスクリームが食べたくなっちゃった」
「なにごともなく、無事に終わってなによりだったな」
 和やかな雰囲気で労をねぎらっていたが、フッと会話が止まった。ピーちゃんが{クエー}と鳴いた。重大な案件を忘れていることに、三人が同時に気づいた。
「ああーっ、そういえば岡島はどうなった」
「そ、そうよ。踊っている場合じゃにゃい」
「しまった。オレのプランBを忘れてた」
{エロいぞー}と、一点を見つめてピーちゃんが叫ぶ。そこへ三人の目が集中した。
「あのやろう」と極劣化赤川が言うより前に、ふくよか雪子が走り出していた。
 すでに岡島がカフェを出ていた。気づかれないように肩をすぼめて歩いていたが、巨体のダンス女子が猛烈な勢いで迫ってくるのを見て、「ぎゃっ」と呻いてダッシュした。
「うわー、来るなー」と言っても、ふくよか雪子の追撃は止まることはない。
 足が遅いわけではない岡島だが、彼女との距離がどんどんと縮まってゆく。追いつかれると焦って左の路地に逃げ込んでしまう。だが、そこはどんづまりの行き止まりであり、人気もなく薄暗かった。不遜な輩が不埒な行為におよぶには、絶好の隘路である。
「うっ」
 逃げ場がないことを悟った岡島が踵を返すが、時すでに遅しであった。
 ふくよか雪子に出入り口を塞がれていた。さらに、二人の男子が駆けつけてきた。三人は獲物を見つめるハイエナの群れのように圧力をかけている。
「おまえら、なんだよ。雪風東なのか」
 ふくよか雪子と極劣化赤川は雪風東高校の制服を着ている。しかも同学年だ。
「あ、おまえ知ってるぞ。二組の新条だな」
 たいして顔見知りでもない相手から、名前を呼ばれた慎二はドギマギして言葉が出ない。かわりに、ふくよか雪子がツカツカと彼の前に歩み出て、その図太い上半身の前で腕を組んだ。なんて偉そうな女なんだと、岡島がひるむ。 
「私と後ろにいるブッサイクを元の姿に戻して拷問されるか、断って拷問されるか。さあ、どっちなの」
「いや、どっちにしても拷問じゃん。やっぱヤベエな、この女」
 ふくよか雪子の過大な要求は、味方をも困惑させてしまう。
「菖蒲ヶ原さん、本人もわかっていないはずだから、丁寧に説明してからにしよう。ここで脅迫したら逆効果だ」
「それもそうね」
 慎二の言うことには素直であった。
「説明が終わった後に拷問するから、とりあえず私の説明を聞きなさい」
 慎二がため息を漏らし、極劣化赤川が苦笑いだ。
「あなたは意識していないと思うけど、じつはサイキックなの。他人の姿を変えられるサイキックよ」
「ちなみに、サイキックって超能力のことな」
 極劣化赤川がマヌケ顔をつきだして捕捉すると、それを押し戻してふくよか雪子が続ける。
「なにかの衝動で、あなたの人を変身させるサイキックが菖蒲ヶ原雪子である私と、生徒会長の赤川君に発動されちゃったの。だから元に戻してってこと。わかったでしょ」
「そういうことだから、なんとか二人を元通りにしてほしいんだ」
 拷問のことを言い出す前に慎二が言う。といっても、自分と菖蒲ヶ原雪子のサイキックをカミングアウトするわけではなかった。
「おまえら、なに言ってんだよ。おれが超能力者とかアホなのか。中二か。それに、そこのデブ女が菖蒲ヶ原なわけねえだろう。ぜんぜん違うし。赤川も全く別人じゃないかよ」
 岡島の目が泳いでいた。理解が追いつかず、嘘偽りのないイノセンスなキョドり具合である。
「やっぱりわかってないみたいね」
「まあ、そうだろうな。オレだってわけわからんもん」
「もう拷問しかないわね。やりたくないけど」
「いや、絶対やりたいだろう。おまえ、細胞の隅々までドSだろう」
「ブッサイクに、おまえ呼ばわりされたくない」
「じゃあ、肉だ肉。霜降りの樽肉」
「なにさーっ」
 ふくよか雪子と極劣化赤川がにらみ合っていた。
「とにかく岡島になんとかしてもらわないと、二人とも爺さん婆さんになるまで、その姿のままだって」
 姿が変わってしまった二人よりも、むしろ慎二のほうが危機感を抱いている。冷静になるよう諭そうとした時、ふくよか雪子がテキトーな方向を指さして、声を高らかに言った。 
「あっ、ビキニ姿の菖蒲ヶ原雪子さんがオッ〇イぽろりしてるう」
「え、マジ」
「どこ、どこ?」
 岡島と極劣化赤川が血相を変えてキョロキョロする。なにがしかの凶事を予感した慎二は、とっさに身構えた。
「ロナウドー」
 ふくよかな体がゆっくりと一回転し、左足に気合と力を込めた。ピーちゃんが羽ばたき、どこかへ行ってしまう。
「キーーーック」
「ぼっへ」
 ふくよか雪子の回し蹴りが、鼻の下を伸ばしていた岡島の股間へヒットした。彼女の大質量に加速度がプラスされたエナジーは強烈であり、イヤな音を響かせてズシリとめり込んだ。
「うっわ、な、なんてことするんだ、この女。ド悪魔か」
 あわてて極劣化赤川が離れた。
「それでどうなの。私は元通りになった?」
 ふくよか雪子は、両手を開いてニッコリと微笑む。
「いや。菖蒲ヶ原さんは、まだふくよかなままだよ」
「えーっ、どうしてよ。ちゃんと蹴ったじゃないの」
 男子の中心点を蹴り上げるとサイキックが発動するという成功体験を、再度再現したのだ。
「しかたないわね。もう一度、今度は右足でやるから」
「菖蒲ヶ原さん、それはダメだ」
「どうしてよ」
「やつが男ではなくってしまう」
 岡島は股間を両手で押さえながら、ウーウーと呻いていた。これは潰されたのではないかと、経験者の慎二は心配している。
「手加減したのに、大げさね」
「いやいや、いまのはおもいっきりだろう。おもいっきりの肉肉マシマシキックだ」
「あんたにもしてあげましょうか」
 ぶっ太い瞼の奥の目がキッと睨みつけると、反射的にブサイク顔が明後日の方向を見た。 
「ねえ、岡島君。お願いよ、私を元に戻して。この体は悪くはないけど菖蒲ヶ原雪子ではないの。あなたの気まぐれで人生をややこしくしたくないのよ」
「だからー、なんのことかー、知らないってー」
 女の子からのお願いだが、岡島は憤慨した態度を隠さなかった。
「ホント、なにするんだよ。ここは男の玉座なんだぞ。太古の昔から神聖不可侵な場所なんだって」
 股間を両手でおさえながら涙目で訴えていた。その気持ちは十分すぎるほどわかると、慎二は何度も頷いた。
「しかたないわね。少しずつ拷問しながら、いろいろと試していきましょうか」
「ええーっ、結局それかよ」
「だから、拷問から離れて」
 ふくよかな少女の口からとび出したとんでもない言動に、岡島はおろか慎二や極劣化赤川までもが引いてしまう。
「君たちっ、そこで何やってるのっ」
 突然、鋭い声が飛んできた。路地の入口に人影があり、それが高校生たちへ向かって歩いてくる。
 その人物が着ている制服は、日本人であれば誰でも知っていた。ある種の畏怖を感じさせる職業を象徴していた。
「雪風東高校の生徒たちね。タバコでも吸っているだったら、いまのうちに出したほうが身のためよ。学校には連絡するけど、正直に白状すると微罪ですむから」
 警察官であった。しかも婦警である。
「いや、俺たちなにもしてないよ。タバコとかもないし」
「そうっスよ。ただ話し合ってただけでっス。ほんとになにもないっス」
 慎二と極劣化赤川が、白々しくとぼけてみせた。
「ウソだ。こいつらはおれをリンチしてたんだ。いまなんか、大事なところを蹴られてすごく痛かった。そこのデブ女は拷問するとか言ってるし、早く逮捕してくれ」
 早口でまくし立てた岡島は、「逮捕だ逮捕」と叫びながら逃げてしまった。
「あ、待ちなさい。まだ続きがあるんだから」
 追いかけようとするふくよか雪子であったが、婦警が立ちはだかった。
「君たちを暴行罪で逮捕します。現行犯逮捕よ。しばらくは塀の中で暮らすことになるけど、しっかりと罪を償って反省しなさい」
「ええーっ、マジですか」
「うっわ、オレの人生終わった。ブサイクな顔のままでジ・エンドだ」
 男子高校生たちの絶望が計り知れない。彼らのしょぼくれた態度を見て、婦警は満足そうにニヤついていた。
「ちょっとー、そこどけなさいよ」
 ただし、ふくよか雪子は強気だった。
「あなたが邪魔なの、めざわりなの、うっとうしいの」
 官憲による逮捕のことなど微塵も気にしている様子がなかった。
「菖蒲ヶ原さん、ちょっと静かにしたほうがいい。てか、謝って。いますぐ謝って」 
「オレの人生が終わったー。慎二、刑務所でも友だちなんだからな。いっしょに麦飯三杯だ」
 雪子の居丈高な態度とは正反対に、男子たち狼狽えていた。婦警に逮捕だと言われて縮みあがっていた。
「国家公務員に逆らうとはいい度胸してるわ。おこちゃまだから、この状況がわからないみたいね。なんならここで手錠をかけてあげてもいいのよ。賑わう街の中を、お縄をちょうだいして歩くJKってステキじゃない」
「フン、バカみたい。バカ」
 婦警は国家権力を盾として言い放つが、勝気な女子高生は一歩も引く気がないようだ。
「いまバカって言った?」
「だから、早くどけなさいって言ってるでしょ。ブス」
「ぶ、ブスとはなによ。母親にも言われたことないんだからね」
 ふくよか雪子がずんすんと前進する。婦警の目の前で止まると、彼女の顔を穴のあくほど見つめた。
「あなたの声、どこかで聞いたことがある。初対面じゃない」
「うっ」
 肉厚な目線が真実を引きずり出そうと、ねちっこくガンを飛ばしている。
「菖蒲ヶ原さん、ここはおさえて。逆らう相手が悪すぎるって」
「警察にドSは通用しないぞ。オレは刑務所に行きたくない」
 振り返ったふくよか雪子は呆れ顔だ。 
「ったく、あなたたちの目はどれほどフシアナなのよ。観察力がゼロだし、考察力もネズミ並み。ブッサイクはついでにライフもゼロにしなさい。ゲームオーバーよ」
「なんでオレだけライフゼロなんだよ。慎二だっているじゃないか」
 その反論には、無反応を決め込むふくよか雪子である。
「ええーっと、菖蒲ヶ原さんの言っていることがわからないんだけども」
「そうだよ。この状況でなにを考察するってんだ。オレたち、逮捕されて終わりじゃんか。ブ男のままム所生活だ。懲役次郎だ」
「その通りよ。みんな刑務所行き。警察をナメたらどうなるか、鉄格子のなかで嘆くがいいわ」
 ふくよか雪子に負けじと、婦警も胸を張り偉そうな態度で言った。
「フン。ニセモノのくせに、なに上から目線で言っちゃってるのさ。この、ニセ警官」
「え、ニセモノ?」
「ニセモノって、マジか」
 婦人警官がニセモノであると、女子高生が言い放った。おもいもよらぬ展開に、慎二と極劣化赤川が彼女を見つめた。ふくよか雪子は腕を組んでやや斜に構えて、苦そうな表情をしている婦警へ言う。
「あなたの階級は何? 警視正には見えないから、どうせ巡査でしょう」
「だったら、なんなのよ。巡査だってちゃんと逮捕できるんだからね」
「あなた、さっきは自分のことを国家公務員だって言っていたでしょう」
「そうよ。国家公務員に逆らったから、絶対逮捕してやるんだから」
「警察官は都道府県採用で、ふつうは地方公務員なのよ。国家公務員になるのは警視正以上。本物の警察官が知らないわけないでしょ」
「くっ」と婦警がたじろぐ。
「へえ、そうなのか、知らなかった。菖蒲ヶ原さんはもの知りだなあ」
「ほへえ、さすがデブっても菖蒲ヶ原さんだ。特進の中でもトップなのはダテじゃねえ」
「物書きの娘をナメるなってことね」
 ニセモノであると喝破された婦警は固まって目線が泳いでいた。ふくよか雪子が、彼女のブラウスを引っぱった。
「あ、なにすんの。ちょっとやめてよ、痴漢、痴漢」
「ほら、ここに証拠が書いてあるから」
 スカートから裾が引っぱり出されて裏地が露出した。そこに布切れがパッチされている。
「コスプレショップ・ファンシーってあるな」
「この店、知ってるぞ。すぐ近くにあるべ。ナース系が充実してるんだ」
「おまえはもの知りだなあ」
 友人の博識を頼もしく思う慎二であった。
「だいたい、婦警さんのスカートがこんなにミニなわけないじゃないのさ」
「そういえば、どこかヘンだとは思ってた。婦警さんってけっこうズボン履いてるし」
「なんか、ミニスカがエロいしな」
「もう、放してっ」
 三人から、婦警がサッと離れた。不敵に、そして憎々しく睨みつける。
「ふっ、さすが菖蒲ヶ原雪子。よくぞ見破った。褒めてやる」
 ベロベロとび出した裾をスカートの中へそそくさと仕舞い込みながら言った。
「こいつ、菖蒲ヶ原雪子を知ってるぞ」
「知っているどころか、いまの私を菖蒲ヶ原雪子だと正しく認識したわ」
「ということは、ええーっと、なんだ、こんがらがってきた」
 慎二より先に、極劣化赤川が答えに近づこうとする。
「ひょっとして、この女も岡島の仲間なのか」
「あんな二流のナンパ野郎とあたしが仲間だとかやめてよね、赤川君」
「おま、オレを赤川大輝だって知ってるのか」
「もちろん知ってるわ。だって赤川君をブサイク男に変えたのは、あたしなんだから」
 突然のカミングアウトで、ブサイクと言われた男子の口が、あんぐりと開いていた。
「そう、そういうわけ。あなたがサイキックなのね。ケツ野郎は関与していないわけか」
「えっ、岡島は関係ないのか」
「おいおい、これはどういうこっちゃ」
 ふくよか雪子は冷静だったが、慎二と極劣化赤川は混乱している。
「おまえらは、あのナンパ野郎がサイキックだと思ってたようだけど、それは大間違い。ざ~んねんでした」
 その事実を言うのが楽しいのか、ニセモノ婦警がケラケラと笑っていた。
「あたしがやったのさ。菖蒲ヶ原雪子を肥満女に、赤川大輝をブザイク男に変えたのは、このわたしなの。そういう超能力があるんだよ~ん。ちなみに、いまの自分も変えているから誰だかわからないでしょう」
 自分の両頬に人差し指を当てて、くるりと一回転した。正体を知られていないと思っているが故の余裕である。
「教育実習の女子大学生」と、ふくよか雪子が言う。
「うっ」ニセモノ婦警の笑みが落ちた。
「顔は違うけど声が同じね。図星でしょう」
 記憶力に自信のあるふくよか雪子は、確信に満ちていた。
「慎二、教育実習生なんて、いたか」
「そういう話は聞いたことがあるけど、そういえば姿を見たことがないな」
 教育実習生のことは朧から聞いていたが、慎二が姿を見たわけではなかった。
「私はある。廊下で話しかけられたもの。友達でもないのに妙になれなれしかったし、うざったらしいから無視してやったわ。」当然よ、と最後に付け加えた。
 ぐぬぬぬ、とニセモノ婦警が歯ぎしりしていた。
「でも考えてみれば、女子大生の教育実習生なんて来ていなかった。雪風東の伝統として、彼ら彼女らは必ず特進クラスで教育実習をさせられるから。最初にね」
「ということは」慎二がキリッとした表情になった。
「どういうことだよ、慎二。オレにはさっぱりわかんねえんだ」
「いや、俺もわからない」
「おまえもわかんねえのかよ」
 推察力のない男子たちを見て、ふくよか雪子はまたもや呆れ顔だ。
「教育実習生というのもフェイクなのよ。女子大生のニセモノが学校内をウロついて、私に声をかけてきたってこと」
「えーっ」と驚いたのは慎二だ。
「するってーとなにかい、教育実習生に化けてたってことかい。なんで。ってか誰が」
「それは本人の口から説明してもらいましょう。私や赤川君を変身させた理由もね」
 ふくよか雪子に続いて、慎二と極劣化赤川の熱視線がニセモノ婦警へと注がれた。彼女は追い詰められたラスボスのように、不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふふ、ほーほっほっへ、ゲホッゲホ」
 いくぶん緊張してしまったのか、高笑いの最後のほうでむせてしまった。
「さすがだわ、菖蒲ヶ原雪子。まさにあたしの永遠のライバルにふさわしい女」
「ライバルとかどうでもいいから、とにかくいろいろと説明しなさいよ。お腹すいてるんだから」
 ニセモノ婦警が手足を振り回して、キメセリフ前になんらかのポーズをとろうとしていた。戦隊ヒーローモノみたいだなと、慎二が興味深そうに見ていた。
「ある時は、生徒たちに愛されてやまない美人教育実習生」
「ぜんぜん美人じゃなかったし、イノシシにでも愛されていたの?」とふくよか雪子。
「またある時は、市民の安寧を願う心優しき美人婦人警官」
「いや、美人じゃねえし。どちらかというと、ちょいブス」と極劣化赤川。
「ちょっとねえ、人がいい気分で口上をのべているんだから、いちいち茶々を入れなでくれる。黙って頷いてくれないかなあ」
 あんなの頷けるわけないじゃないのと、ふくよか雪子が言うと、だよなあ、ありえねえぜとブサイクな顔が同意する。
「どうでもいいけど、早く結論を言ってくれないか」
 慎二が待ちくたびれていた。急かされたニセモノ婦警は、最後に両手をそろえて左右へ斬った。
「はたして、その正体はっ」
 シャキーン、と自らの口で効果音を発した。それ、なかなかいいわね、とふくよか雪子が思う。
「雪風東高校二年一組、雄別夕子」
 自己紹介を兼ねたセリフが空を切った。さらに、もっとも重要な言葉でキメにかかる。
「サイキックさ」 
 その場がシンと静まり返った。誰も身動きせず、十秒ほどが経過する。
「ゆうべつ、ゆうこ、って誰」
 ふくよか雪子が機嫌の悪そうな声色で慎二に訊いた。
「いや、俺は他の組のことはさっぱりだし。女子のことなら赤川が詳しいよ」
「だれっ?」今度は極劣化赤川を見た。
「いや、知らねえなあ。さすがのオレでも、あんましジミなやつは視界に入らねえし」
 同じ高校、同じ学年の別の組の女子であるが、三人は知らないようだ。
「あ、あたしはたしかにジミ子とか影子とか背後霊とか未読無視とか言われることがあるけど、こう見えても超常的な能力を持っているんだから。じつは女子力もすごいんだからね。人類の宝よ」
 地味な女の子であることにコンプレックスを抱いているようだ。
「あなたがサイキックなのはわかったから、ええっと一組の雄別夕子さんだっけ。どうして私たちの姿を変えたのよ」
 ふくよか雪子の問いに、彼女を睨みつけながら夕子が答える。
「菖蒲ヶ原雪子。雪風東高校で燦然と輝く女子生徒の頂点。全男子生徒のあこがれ。だけどその容姿は生まれつきで、セレブなのもいわばラッキーだっただけ。本人の能力じゃない。それなのにお高くとまって腹が立つう。サディストのくせに恵まれ過ぎ。一度非モテ女子になって、実力で這い上がればいい、ってことよ」
 夕子は、どうだと言わんばかりの表情である。ふくよか雪子がため息をつく。
「まあ、モテねえ女のヒガミだってことか。こりゃあ、だいぶこじらせてるな」
「そうみたいだな。女の嫉妬は怖いっていうし」
「ちょっと、そこのブサイク男と陰キャ。うるさい。ウ〇コに変えるわよ」
 そんなものに変身させられたくない二人が黙った。ふくよか雪子の問いが続く。
「赤川君を変えたのはどうしてよ」
「赤川大輝。生徒会長でイケメンで性格もいい。どんな女子生徒にも分け隔てなく接するので大人気。だけど、あたしには声すらかけない、顔も見ない。きっと本当の性格はカワイイ女子だけ相手にする差別主義者。本性は卑しく下劣なクズ。橋の下でスケベ本を拾っているオッサンと同列よ。だから、その性根にふさわしい顔にしてやったってわけ」
「あら、いい線ついているんじゃないの」
 ふくよか雪子が目を細めると、極劣化赤川はバツの悪そうな様子だ。
「ちょっと待てよ。オレは一組にはほとんど行かねえし、雄別夕子も知らねえのに、どうやって差別するんだよ」イミフだぜ、と憤慨してみせる。
「五月二十六日のお昼休み、あなたはあたしの席に勝手に座って、後ろの女子と話していた」
「春のことかよ。おそらく生徒会の女子と話をしてたんだろう」
「あたしが席に戻りたくても、あなたが邪魔でムリだったわ。おかげで、トイレの個室で昼食になった」
 悲惨な出来事だったと、夕子が神妙な顔で語った。
「いや、言ってくれればすぐによけたよ」
「ちょんと、あなたの背中を五分間見つめていたけど」
「見つめられてもわかんねえよ。口で言えよ、口で」
「ふつうの人だったら、視線に気づくはず。カワイイ女子以外は眼中にないクズ男だからよ」
「だから、見つめないでしゃべればいいんだって。頭のおっかしな女だなあ」
「あたしはどこもおかしくない。悪口言うならワンコのウ〇コに変えてやるから」
「うわあ、それだけはやめてくれ」
 あわてて極劣化赤川が夕子から距離をとった。
「まあ、私と赤川君を変身させた理由はわかったけど どうして教育実習生に化けてたの。それといまは婦警に」
「あたしは地味だから、ふだんはだれも口をきいてくれない。大人だけど女子大生ならば話しやすいし、たぶん慕ってくれるでしょ。男子も話しかけてくれるかもしれないし」
 とくに気負ったり落ち込んだりする様子もなく、夕子は淡々と話す。
「なんか、泣けてくるなあ。俺の孤独なんか屁みたいものだ」
 慎二がしみじみと言う。
「慎二が孤独なわけないでしょう。なに言ってるのよ、もう」
「あひゃっ」
 ふくよか雪子に太ももをつねられて、その強力なねじりに慎二は跳びあがってしまう。
「でも、婦警は逆に避けられるんじぇねえか。犯罪者じゃなくても警官はイヤなものだって」
 極劣化赤川の言い方は、やや遠くから言葉を配達してくるように遠慮気味だった。
「たまたま出歩いていたら、あたしが変身させたデブ菖蒲ヶ原雪子とブサイク生徒会長が一緒にいるじゃん。ちょっと興味がわいて、すぐそこのコスプレショップでコスプレして、ついでに変身したんだよ。そうしたら岡島がサイキックとか言い出しているから笑っちゃう」
 ケラケラと笑う様子は、少しばかり自嘲気味に見えた。
「いろいろとわかったわ。じゃあ、そろそろ元に戻してくれない。もう気が済んだでしょう。私たちは仲間になったんだから」
「な、仲間?」
 夕子の目が点となって、その視線は空で止まっていた。
「あたしが菖蒲ヶ原雪子の仲間?」
「そうよ、仲間で友達ね」
「と、ともだち?」
「おいおいおいおい」と血相を変えて、極劣化赤川がふくよか雪子に駆け寄ってきた。
「菖蒲ヶ原さん、あの手の女子には係わらないほうがいいって」
 慎二も加わり、三人は円陣を組んでヒソヒソ話をする。
「あなたたち、バカなの。ああいう女はねえ、ヘビのように執念深いのよ。ヘタに敵認定されれば、どんなことがあっても元に戻してくれないでしょう。逆にフトコロに飛び込んで懐柔したほうが楽なわけよ」
 説明するふくよか雪子は男子二人よりも頼もしく、そして大きく見えた。
「なるほど。さすが菖蒲ヶ原さん、心理戦まで抜群だ」
「たしかに。あいつはボッチをこじらせすぎているから、仲間ということにすれば喜ぶな」
 三人のミーティングが終わって、ふくよか雪子が振り返った。
「うわあああ~ん」
 すると、号泣しながら夕子が抱きついてきた。
「ちょ、ちょっとー、いきなり抱きつかないでよ」
「菖蒲ヶ原さーん、ありがとー。あたし、仲間とか、友だちとか、そういうのにあこがれていたのよ。幼稚園、いや、保育器にいるときから地味すぎて看護師さんからも相手にされなかったから。あやうく死にかけたこともあるんだ」
「そ、それは災難だったわねえ」
 よしよしと、夕子の頭を抱きかかえて宥めると同時に、目線を鋭くして男子たちへ無言の指示を出す。
「俺は二組の新条慎二、よろしくな」
「いまはブサイクだけど、本当はイケメンの赤川だ、なんてな。よろしく」
「あたしは雄別夕子りんで~す。よろぴこ~。顔は地味でちょいブサだけど、得意科目は化学とか物理とかで~す。勉強も、教えちゃいますよ~」
 男子二人が自己紹介すると夕子も打ち解けて、和やかな交流が始まった。
「へえ、雄別さんって、理系なんだね」
「ジミ~な女子は、そっち方面に走っちゃうのよ~」
「もしかして、オレをブサイクに変身させたときも、すごい計算したとか」
「計算しちゃいますよ~」
 四人はふつうの高校生たちのように、他愛もない雑談で五分を消費した。
「ねえ、夕子。そろそろ変身を解いてくれない。この体はちょっと重いのよ」
「うん」
 タイミングを見計らって、ふくよか雪子が懸案事項を切り出した。夕子は親指を立ててニッコリし、解除のサイキックが発動される。
「は~い、これが本当のあたしちゃんで~す。ゆ~こでーす。よろぴこね」
 ニセモノ婦警の顔が変わった。大人のちょいブス女から、なんら特徴のない地味女子高生顔となった。これは存外に地味だと、他の三人は心の中で頷いていた。
「ハハハ、すご~い。夕子のサイキックは面白いわ。今度は私を戻してくれないかしら。赤川君は十年後でいいから」
「おいおい、冗談がキツイなあ。オレも早く戻りたい」
 ふくよか雪子と極劣化赤川が気を使っている。二人にとって、夕子の懐柔はなによりも重要なことだ。ここでの失敗は致命的だと、笑顔のわりに頬がひきつっている。
「それはムリだから」
 だが、夕子はあえなく希望を打ち砕いた。
「ムリって、なにが、ハハハ」
 それでも和やかな笑顔で、ふくよか雪子が訊き返す。
「だから、菖蒲ヶ原さんと赤川君を元に戻すのはムリ。だって、いつの間にか変わってたんだもん。たぶん、あたしの潜在意識が計算して勝手にやったんだよ。どうにもできないんだよねえ。あたしができるのは自分の顔を変えることだけ。それもいっつもちょいブスなんだけも。てへ」
「アハハハハー」ふくよか雪子が高らかに笑った。
「それは豪気だなあ。へへへへ」と極劣化赤川もつられて笑う。
「えっ。それって、やっぱ無意識の衝動なのか。あちゃー、これは難儀しそう」
 慎二は笑う気にはなれなかった。
「ハハハハ、アッハハハ、ハハハ、ハーッハッハヒー」
 ふくよか雪子の笑いが甲高くなっていた。
「ヒーッヒッヒッヒ。じゃあ、私は夕子の潜在意識の気まぐれじゃなきゃあ、元に戻らないということなの」
「うん、そういうことになる。こればっかりはあたしのせいじゃないから、仕方ないんだ」
 悪びれることもなく言う夕子に対し、極劣化赤川は呆れ顔だ。
「おいおい、そりゃ困るぜ。この顔で学校には行けな・・・」
「ふざけんなーっ」
 突然、ふくよか雪子の絶叫であった。
「てへ、とかですむと思うな。努力して私を戻しなさい。死ぬ気になって戻しなさい。死んでもいいから計算しなさいって」
 太くて ゴツい両手が地味系コスプレ婦警の首を絞めた。
「ちょ、ちょっと、やめてよ。く、ぐるしい。友だちになにするのー」
「友達だったら頑張りなさいよ。どうやれば潜在意識が計算するか、頑張れ、っつうの」
「あ、なにするの。頭を叩かないで。中身は貴重なんだから」
 頭をポカポカと叩かれた夕子は、割れちゃうでしょう、と涙目になっていた。
「菖蒲ヶ原さん、だめだって。暴力では解決しないから」
「これは暴力じゃない。友達にたいしての愛のくびきよ」
「くびきの意味が深すぎて怖いぞ」
「{少壮にして努力せずんば老大徒に傷悲せん}、ってことよ」
「ごめん、俺の学力じゃ理解できん」
「とにかく、愛があればなんでもできるの。愛よ、愛」
 慎二の制止でいったん夕子の首から手を放すが、間髪入れずにポケットから工具を取り出した。
「うっわ、この女、プライヤーを持ってるぞ。ほんとに拷問する気だったんだな」
 プライヤーはペンチのような鋼鉄製の挟む工具である。それで夕子の頬をつまむと、ぐいぐいと引っぱった。
「ちょちょちょちょ。あたしのほっぺたが千切れそうーなんですけど、けほけほ」
 プライヤーによって、夕子の頬が餅のようによく伸びていた。
「菖蒲ヶ原さん、やりすぎだよ。ドSがテロリストレベルになってるぞ」
「こんなの、まだまだよ。ラジオペンチだってあるんだから」
「だから、この尋問方法には愛がないって」
 慎二がふくよか雪子の手に自分の手を添えて、一呼吸おいてからもう一方の手で凶器を奪い取った。夕子がほうほうのていで逃げ出した。
「きっと元通りになるよ。焦らずにさ、雄別さんの無意識スイッチが入るのを待とう」
「そんな悠長なこと言っていたら、いつになるかわからない。この体のままおばあちゃんになって、だれからも愛されずに人生が終わってしまう。終わってしまう」 
 ふくよか雪子の声がかすれて、瞳がうるんでいるように見えた。いつもの強気とは対極にある情動であった。   「変身させられた私は、一人のままになるのよ。誰にも相手にされないし、愛を知らずに死んでいく」
 変身して以来、ずっと気丈に振る舞ってきた菖蒲ヶ原雪子だが、その内心は不安に苛まれていたのだ。生来の強気と前向きな性格でなんとか耐え忍んでいたが、希望がなくなりかけて一気に落ち込んでしまった。誰かの支えを必要とし、だからいま、慎二は存在意義を問われている。
「大丈夫だって。菖蒲ヶ原さんは十分可愛いし、素敵すぎるよ。俺が孤独じゃないって、さっきは言ってくれたじゃないか。菖蒲ヶ原さんも一人になんてならないよ」
「じゃあ、慎二がお嫁にもらってくれる?」
「え」
 まったく予期しない質問であった。冗談かと思ったが、意外にもふくよか雪子の眼差しは真っ直ぐであった。再度、慎二は漢であることを問われることになった。
「もし、そうなったら」
 プライヤーを投げ捨てた慎二の手がそっと乗せられて、両手で彼女の手を包み込んだ。 
「俺はバカだから菖蒲ヶ原さん以外の選択肢を知らないし、俺はバカだから菖蒲ヶ原さん以外を知ろうとしないよ」
 それが満額の回答なのかどうかわからない。ただ泣きべそ一歩手前のふくよか雪子が、ほんのりと笑顔になっている。だから及第点には到達しているのだろう。
「ばか」
 その一言は重要な意味を含んでいるのだが、慎二は気づいていない。少し離れたところで見ていた極劣化赤川が近づいてきた。
「まあ、とにかくこいつに活躍してもらわねえとな。菖蒲ヶ原さんとオレを戻せよ」
 逃げようとした地味女子高生サイキックの首根っこを、しっかりとつかまえていた。さっきのしおらしさとは打って変わって、バタバタと暴れている。 
「だから、あたしにも、どうにもなんないって言ってるっしょ。あんたなんか化粧でもすればいいのよ。口紅ぬって生徒会にでも行けばいいんだ」
「オレが化粧して学校に行けるかよ。この顔に口紅ぬったらヤバすぎるだろう」
 その場面を想像して、ふくよか雪子がプッと吹き出した。慎二も笑いをこらえながら肩を震わせた。
「おい、さっきからウルセーぞ。どっか行け、ガキども」
 高校生たちはビルとビルに挟まれた隘路で騒いでいる。上の階の住人から苦情が落ちてきた。
「うっせー、クソオヤジ。すげえ大事な話してんだっ。おまえのほうこそどっか行け」
 極劣化赤川が言い返した。気持ちが高ぶってしまったのか、「クソオヤジ」を何度も繰り返し、天を見上げて拳をつきだした。
「キマッた、かな」
 誇らしげにニヤついた刹那、なにかが降ってきたのが見えた。 
「ぶげっ」
「ぼげっ」
 それは極劣化赤川の顔面を直撃して、さらに真横に跳ね返って夕子の顔面をヒットした。二人とも地面に倒れてしまう。
「おい、大丈夫か」
 すぐに慎二がやってきて、顔をおさえて呻いている友人を起こした。
「ちくしょう、上のクソオヤジがなにか投げてきた」
「これね」
 ふくよか雪子が拾い上げたのはプラスチック製の洗面器である。よく使いこまれており、臭そうな湯垢がびっしりとこびり付いていた。
「どうやら、ただの洗面器みたいだ」
「よかったじゃないの。電子レンジとか出刃包丁とかだったら、いまごろ頓死していたわよ」
「ちっともよくないぞ。けっこう痛かった」
「あれえ、なんかヘンだ」
 慎二が友人をまじまじと見つめた。
「なんだよ、オレに気でもあるのか」
「赤川、おまえ赤川になってるぞ」
「なに言ってんだよ。オレは最初から赤川だ」
「そうじゃない。あなたは生徒会長の赤川君。女子に人気なイケメンの赤川君」
「えっ」
 ふくよか雪子が正面に立ち、ポケットから手鏡を出して彼の顔の前へ突きつけた。
「あーっ、おーっ、戻ってる、元に戻ってるぞ。なんでだ」
 出っ歯で真四角顔の極劣化赤川から、イケメン生徒会長の赤川大輝に戻っていた。慣れ親しんだ感触を思い出すように、しきりと顔面を触っている。
 ハッとしたふくよか雪子が夕子を見た。地味なニセモノ婦警は、まだ顔をおさえて立ち上がれない。
「雄別さん、大丈夫」と言って彼女を立たせた。
「な、なんか、めまいがするのは気のせいかな。鼻の奥が痛いし」
「ああ、それは気のせいよ。ぜんぜん気のせい。もう、すっかり気のせい」
「でも、痛いんだけども」
「さあ、こっちよ」と言って、赤川が立っていた場所へ誘導した。そして真上を向いて声を張り上げた。
「は~い、クソオヤジさん。モテたことのないクソオヤジさーん。エッチなアニメ好きなクソオヤジってば。ヘイヘーイ」
 ふくよか雪子としては、精いっぱいの挑発文句である。
「うるせえんだ、このクソアマ。ぶっ殺すぞ」と言って、ランニングシャツのクソオヤジが再びなにかを投げ落とした。
「夕子。ほら、上から天使が舞い降りてくるよ」
「え、ほんと。どこどこ。ああー、なんかくるー、ぶげっ」
 投げ落とされたヤカンが地味顔へ激突した。衝撃で倒れそうになるが、屈んでいた女子が支えとなって、そっと寝かせた。ヤカンは鉄やステンレスではなく、アルミ製で軽かった。
「ちょっと鼻血が出ちゃってるけど、命に別状なし」
 トリアージの結果、夕子の生命に危険のないことがわかった。パコーンと良い音をたてたが、人体へのダメージは最小限にとどまった。げんに夕子が立ち上がるやいなや、顔をおさえながらそのへんを走り始めた。
 慎二と赤川が抱き合って跳ねていた。とくにブサイクだった男子のはしゃぎ具合は格別で、まるでクリスマスプレゼントをもらった子供みたいである。喜びすぎて女子二人を忘れていたが、落ち着いてきた頃に慎二が振りかえった。 
「菖蒲ヶ原さん、赤川が戻ったよ。もとのいい男になった。きっと菖蒲ヶ原さんも近いうちに」
「もとに戻るって言いたいのかしら、ピーピング・トム君」
 両手を腰に当て、上半身を少しひねって斜に構える雪子がいた。十八番のポーズが眩しいと感じた。
「あれえ、菖蒲ヶ原さん、だよね」
「菖蒲ヶ原雪子ですけど、なにか」
 雪風東高校で、歴代を含めても頂点を極めた女子が慎二の前にいた。
 女子高生であるが、大人の雰囲気が漂う絶妙な顔立ちが神々しい。抜群のスタイルであるが、いまは伸びきった制服に隠されている 彼女も元の菖蒲ヶ原雪子へとカムバックしたのだ。
「どうやら、雄別さんの顔に衝撃があると、解除のサイキックが発動するみたいよ」
「俺の中心点蹴りよりは、ちょっとはマシだな」
 雪子が、フッと微笑んだ
「やっぱり、もとの菖蒲ヶ原さんは最高だな。ふくよかなほうも良かったけどね」
「そういうこと言われると、ご褒美をあげちゃいたい気分になってくるでしょう」
 しっとりと妖しく匂う瞳が男心を誘う。慎二の足が一歩を踏み出そうとする。
「うわおー、菖蒲ヶ原雪子ー。よかったぞー」
 走ってきた赤川が雪子に抱きついた。祝福というには鬱陶しいほど熱く、がむしゃらで、気持ちのこもった抱擁だった。
「オレも菖蒲ヶ原さんも元通りだー。家に帰れるぞー。よかったよかった」
「ほんとによかったわ。うれしい」
 二人の顔が異常接近していた。一歩を踏み出そうとしていた慎二の足が空中で止まり、そっと元の位置に戻った。美男美女の画は、恋人同士には相応しく思えた。諦めと憂いが彼の心に波紋として広がる。見ていることに躊躇いを感じ、なに気なくというように背中を向けた。
「こらっ、調子に乗っていつまでくっ付いているのよ。生徒会長のくせに痴漢するな」
 存外に強い桎梏から逃れようと、雪子の両手が赤川の胸を押して安全距離をとった。
「なあ、菖蒲ヶ原。昨日からいろいろあったけど、オレたちってあんがいと相性がいいんじゃないか」
「ちょっと、くっ付かないでよ」
 一度離した赤川がまた抱きつこうとするが、雪子の憮然とした姿勢が接近を阻んでいた。
「菖蒲ヶ原、だから」
「呼び捨てとは失礼だわ。生徒会長の赤川君は礼儀を知っているはずでしょ」
「じゃあ、言い直すよ」
 そう言って一歩前進すると、美少女が一歩後退する。赤川は真顔で言う。
「雪子、オレとこのまま付き合うっていうのもアリかもしれないぞ」
 赤川の気分は高揚したまま突き進む。本気になって女子を口説くのは、彼にしても珍しいことだ。
「モハメド・アリの話は、あなたにしないわ。だって特別じゃないもの」
 イケメンの顔が?となる。やや渋い表情でよくよく考えて、彼にとって好ましからぬ答えを導き出した。
「よくわからないけど、それは脈なし、ってことなのかな」
「赤川君は、ただでさえ過ぎたる人なのよ。私まで手に入れたら神様が怒っちゃうでしょう。ていうか、私以外にいい女なんてゴマンといるわ。私はワガママで孤高で、ドSなだけよ。おすすめはしない」
「うまい断り方だな。オレには通用するけど、慎二には別の方法を試したほうがいい」
 中学校からの友人も、雪子に対しては同じ感情を抱いているはずだと断定していた。その慎二は二人に背を向けて、聞き耳を立てながらも、あえて我は関与せずの態度を装っていた。
「どうして、私が断ると思っているのかな」
 可愛らしい顔が小首を傾げて、?の表情だ。事情を察した赤川が苦笑しながら首を振り、そして頷いた。
「なら、ちゃんと言い切ったほうがいい。あいつは時々ものすごく鈍感になることがあるからな」
「鈍感男の扱いには慣れているわ。それよりも、なにを言い切ったらいいのかしら」
 雪子は、とぼけてみせる。
「ええーっと、じゃあ違うのか」
「さあ、どうかしら」
 赤川のそばを通りすぎて、雪子が慎二と並んだ。
「慎二、さっきからなにを見ているのよ」
「雄別さん。顔が気になるみたいで走り回ってるんだ」
「アルミのヤカンだったけど、やっぱり硬かったみたい。ちょっと可哀そうなことしちゃったかしら」
 あーあー言いながら、顔面を手で押さえている夕子が走っていた。しばし迷走した後、慎二の前でピタリと停止して睨みつけた。
「地味子で悪かったわね。あんたが悪いのさー、あたしはー、地味じゃないー」
 突如として慎二の胸ぐらをつかんで喚き始めた。 
「わっ、いきなりどうしたんだ」
 地味顔の夕子が血相を変えていた。女子とは思えぬ剛力でグイグイと首を絞めつける。
「ヤカンで錯乱してるんだわ」
「な、なんでヤカン。なして俺なの。く、くるじい」
 雪子が引き剥がそうとするが、夕子の手がガッチリ食い込んで離れない。赤川もやってきて手を貸すが、キレた女はしぶとかった。
 そこへバタバタバタと飛んできたのはピーちゃんだ。夕子の顔に貼り付いて、羽根を散らかしながら暴れている。
「と、鳥くさっ。うっへ、ぎゃっ、ぎゃはっ」
 フェイスハガーのように、ピーちゃんがガッチリとしがみ付いている。もがいている夕子が両手で鳥をつかんで、「あっちいけ」と言って投げつけた。
「おわっ」
「きゃっ」
「どあっ」
 それを受け止めた三人が揃って転んでしまう。ぶつけられたモノの質量がおもいのほか大きかったのだ。
「いたたた。てか、重っ」
「ちょっとう、なによこれ。足?」
「おい、人だぞ」
 三人が受け止めたのは、鳥ではなく人間だった。
「うわあ、子供だ」
 慎二の体に乗っているのは子供であった
「ハダカじゃないの。どうして」
 しかも素っ裸の状態だ。
「女の子だ」
 一糸まとわぬ姿の幼女が三人に覆いかぶさっていた。
 あわてて立ち上がった高校生たちを、幼女は不思議そうに見上げている。雪子が急ぎ制服の上着を脱いで、その子に被せた。ただでさえ大きなサイズなのに、伸びきってしまったそれはマントのようである。慎二と赤川は呆然として言葉がない。
「おめえらなんて友だちでもなんでもねえ。ハマの地味子をナメんなよ。フ〇ック」
 大声で捨て台詞を吐き出した夕子が、その場から遁走してしまった。
「君たち、そこで何をしているんだ。高校生か」
 入れ替わりに警官がやって来た。太った中年と痩せた若者のコンビだ。騒動のうるささに業を煮やした上の住人が通報したのであった。
「いえ、あの、その」
 慎二の言葉が詰まる。突然幼女が現れたかと思えば、本物の警官が二人もやってきた。罪を犯しているわけではないのだが、頭というより心の整理が間に合わなかった。
「その子はどうした」
 一般市民に対する官憲の質問は、つねに威圧的で不愉快なものである。男子二人の目線が泳いでいた。
「彼の妹ですけど、なにか」
 雪子が答えた。男子たちとは違い、うろたえた様子はなかった。
「そ、そうなんです。彼女とデートしてたら妹が迷子になっちゃって、探していたらここで見つけたんです」慎二は苦し紛れのウソをつく。 
「君たちは子供連れでデートしてたのか」
 若い警官と比べて中年のほうは若干ソフトな言い方だが、真実を追求しようとする姿勢はかわらない。
「うっ」
 とっさについたウソのアラを突かれて、慎二が言葉に詰まる。
「そうですけど。だって彼のご両親が旅行で留守にしているから連れてくるしかないじゃないの」
 丁寧な言葉づかいの雪子だが、最後のほうは若干キレ気味であった。
「君はなんなんだ」
 若いほうの警官が赤川を睨みつけていた。
「オ、オレもデートですよ。当然でしょう」
「君の相手はどこにいるんだ」
 あきらかに狼狽している男子高校生への詰問が続く。
「どこって、そこにいますよ」
 そう言って雪子を指さした。考えてのことではなく、焦ってしまって反射的に体が動いてしまったのだ。雪子の、愚か者を叱咤するような目線が突き刺さっている。
「彼女は、そっちの彼とデートじゃないのか」 
「ダ、ダブルデートです」
 友人を援護するために、とっさに慎二が口走った。
「だからダブルデートなら、もう一人女性がいるはずだろう」
 警官の習性らしく、質問は執拗に行われた。
「シェアです。彼女を友人とシェアなんです。With妹ちゃん、みたいな感じっす」
 もはや支離滅裂になっているが、とにかく誤魔化しきろうとしていた。
「私は菖蒲ヶ原雪子と申します。雪風東高校の二年生です。そこの二人は彼氏の新条君と赤川君です。赤川君は生徒会長もしています」
 二人に話をさせるとボロしか出てこないと悟った雪子が、ここで強制介入する。慌てた様子は微塵もなく、よどみなく話し堂々とした態度である。幼女に着せた制服から生徒手帳を取り出して、太ったほうの警官に見せた。
「菖蒲ヶ原って苗字は珍しい。作家の菖蒲ヶ原誠人さんくらいしか知らないなあ」
「それは父です」と雪子が即答する。
「え、あの菖蒲ヶ原誠人さんの娘さんでしたか」
「そうです。父がお世話になっています」
「いやいや、私はただの読書好きのファンなだけだよ。知り合いとかじゃないから」
「読書好きな人は頭の良い人ばかりだと、父が常々申しております」
「いや、そうでもないけど、ははは」
 著名人の関係者に褒められて、まんざらでもない様子だ。
「ええーっと、じゃあ、彼氏とデートしてたってことでいいのかな。彼氏二人と」
「そうです」
「二人の彼氏って、豪勢だねえ」
「当然です。でもそこの二人は物足りないので、あと三人ほど増やす予定です」
「さすが大作家の娘さんはすごいなあ」
 中年の警官は、本気で感心しているようだった。
「彼氏の妹さんだけど、大丈夫なのかい。服がだいぶ大きなようだけど」
 大きいどころの騒ぎではない。幼女が着るには不自然を通りこしている。しかも、ふくよか雪子の肉圧で伸びきった雪風東高校の制服だ。
「あのあの~、妹は脱ぎ癖があって。どこでも服を脱いじゃって無くしてしまうんです。今日も迷子になって裸になっちゃって、それで彼女が制服を着せたんです」
「へえ~、脱ぎ癖ねえ」
 慎二の回答には疑惑の目線を向ける中年警官であった。
「ハダカミダラ星人の踊りが流行っているでしょう。あれを真似るみたいですね。子供って、すぐテレビに影響されちゃうから」
 雪子がていよく補足する。中年の警官は若いほうに助言を求めた。
「そんなのが流行っているんだな。笹山君は知ってるか」
「いや、僕は知らないですけど。最近はテレビを見ないんで」
 若いほうも、最近の流行については不案内のようである。
「エロいぞー」
 唐突に拳を振り上げて幼女が言った。いきなりだったので、皆がいっせいに注目した
「パタパタパタパタ」
 幼女は両手の拳を胸の前に置いて、Vに折り曲げた両腕を羽ばたくように上下させて歩き出した。体に比して大仰な上着なので、マントの中での羽ばたきとなるが、たとえ見えなくともやっていることは理解できた。円を描きながら、幼女らしからぬアダルトな言葉を口走っていた。
 テレビの影響という雪子の話を警官たちは了承する。高校生たちの嫌疑は晴れた。
「まあ、デートではしゃぎたいのはわかるけど、近所迷惑にならないように気をつけて」
「わざわざ出動していただいて、申し訳ございませんでした」
 雪子が頭を下げると、慎二と赤川も同じ姿勢をとった。幼女は相変わらずパタパタと羽ばたいている。無線で異常なしと一報を入れると、ようやく警官たちが去った。
「ふう、なんとかやり過ごしたな」
「菖蒲ヶ原さんのおかげだ。すっごく機転が利いてカッコよかった。大人相手なのにまったくひるんでいなかった」
「フン、当然ね」
 腕を胸の前で組んで、斜に構えたスタイルで賞賛を受ける。
「あなたたちは挙動不審過ぎる。もっと堂々としてなさいよ。自分で怪しい人物って言っているものじゃないのさ」
 慎二はヘラヘラと愛想笑いで受け流し、赤川はあるぬ方向を見て首筋を掻く。
「ちなみに、彼氏というのはデタラメだから勘違いしないように」
 男子たちへ言われたが、雪子の目線は片方を除外していた。
「ところで、あの子はなんなの」
「おそらく、ピーちゃんかと」慎二が申し訳なさそうに言った。
「あいつだ、雄別夕子だよ。最後にとんでもないことしやがった」
 もと鳥であった幼女は走り回るのをやめて、雪子をボーっと見ていた。
「驚いた。人間だけじゃなくて鳥まで変えちゃうのね すごいサイキックだわ」
「狙ってやったとは思えないけど」
「おそらく無意識の衝動でしょうね」
「けっこうパニックってたからなあ」
 幼女が雪子の足にしがみ付いて、ふくらはぎに頭をこすり付けている。慎二が引きはがそうとするが、しなやかな手がいなした。
「すっごく可愛い。もともと白い鳥だから、まさに天使ちゃんね」
 しゃがんで頭を撫でていた。幼女は嫌がることもなく、されるがままである。
「で、どうするんだ、この子。まさか野に放つわけにはいかないだろう」
「うちに連れて帰るよ。ラッキーなことに両親ともいないし、休み明けに学校へ行ったら雄別さんをつかまえて、なんとかサイキックを発動してもらう」
「そういうことね。それにしても、ほんとに可愛いんだから。私の妹にしたい気分よ」
「エロいぞー」
 そう呟いて、つぶらな瞳が見ていた。その可愛さと可憐さに心を打たれた雪子が、おもわず頬ずりをする。
「ねえ、鳥の時から気になっていたんだけど、どうしてこんな変な言葉を口走るの」
 慎二がイヤそうな顔で赤川を見た。
「中学の時、慎二の家でオレがよく言っていたんだ。それを覚えちゃったみたいで」
「れいのエッチ本の時のね。ほんっとにサイテイだわ。死ねばいいのに」
 手厳しく言われてしまい、赤川はバツが悪そうに頭を掻いていた。
 菖蒲ヶ原雪子と赤川大輝の姿が元通りとなった。オームのピーちゃんが可愛らしい幼女へ変身してしまったことは予定外だったが、おおむね満足できる結果となった。幼女と戯れる美女をめでていた慎二に、友人はなつかしい話題をふった。
「前に慎二を好きな女の子がいるって言ったよな。紹介してやるって」
「ああ。でも、その話はウソなんだろう」
 しゃがんで幼女をあやしている女子高生をちらりと見てから、赤川が言う。
「紹介してやるという部分はウソだ。まあ、がんばれ」
 ポンと背中を叩いて、彼も幼女との戯れに加わった。首を傾げた慎二は、あれこれと考えなければならなかった。

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