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サイキック編

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「とまあ、そんなことがあったんだ。まったく、ここ最近信じられないことばかりだよ」
 週が変わった月曜日朝の校務員室で、抹茶入り玄米茶を啜りながら慎二がしみじみと語っていた。
「このお茶美味いなあ。梅干しかタクアンが食いたくなる」
「じゃあ、慎二先輩ではなくて、じじい先輩と呼ばせてもらいますよ」
「おい、それは年寄り差別だぞ」
「年寄りではなくて、慎二先輩を見下しているだけです」
「俺かよ」
 慎二が先日の出来事を朧に話していた。菖蒲ヶ原雪子がふくよかな女子になり、赤川大輝がブサイク劣化赤川へと変わった。雄別夕子という同学年の女子が変身能力のあるサイキックであること、なんとか二人はもと通りになったが、ペットのピーちゃんが幼女に変身させられてしまったことを冗長的に説明している。 
「なかなか面白いお話ですけど、それで、どうしてその幼女がここにいるんですか」
 校務員室には、校務員である朧と生徒の慎二、それと小さい女の子がいた。その子は部屋の中をせわしなくウロついて、工具などを興味深そうに見ていた。
「ちっちゃな子供をさあ、家に一人で置いておくわけにいかないだろう」
「もともとは鳥なんだから、ケージの中にでも入れておけばいいんじゃないですか」
「鳥はそれでいいけど、この子はいちおう人間なんだよ。檻に閉じ込めたら児童虐待になるじゃないか」
「じじい先輩のくせに難しい言葉を使わないでください。腹立たしいです」
「四文字熟語を使うからって、年寄りってわけではないだろう」
「この子の服はどうしたんですか。まさか幼女趣味で持っていたとか」
 幼女は裸ではない。その年齢に見合った服装であった。
「俺はロリじゃないぞ。あのあと、菖蒲ヶ原さんと子供服を買いに行ったんだ。セレブの店でけっこう高かったけど、お金を全部出してくれたよ。帰りに食事までおごってもらって、もう頭があがらないな」
「へえ、菖蒲ヶ原さんとデートってことですか。さぞかし楽しくてルンルンだったでしょう。やりますね、慎二先輩のくせに。ケツ野郎なんかよりも、よほどナンパ野郎ですよ」
 褒めているというより、貶しているという色合いが強かった。しぜん、慎二は言い訳がましくなる。
「デートじゃないよ。その子を連れて帰ろうとしたら、菖蒲ヶ原さんがどうしてもっていうから、買い物したり食事したりしたんだ。妹が欲しかったみたいで、すっごく可愛がっちゃってさ」
「まあ、そのへんの公園でジタバタしているちびっ子たちよりは可愛いですけど」
 コーヒーを追加しようと、朧がカップを持って立った。するとカラになった椅子に幼女がよじ登り、さらに机の上にのる。少し腰を落としてから両手を胸の前に置き、パタパタと肘だけで羽ばたいてみせた。
「ああ、たしかにこれは妹にしたくなりますね。可愛さがハンパない」
 その愛々しい姿に魅了された朧が目を細めた。間違って飛び降りてしまわないように、コーヒーを継ぎ足さずに注視して見守っている。
「とにかく雄別さんをつかまえないとな。彼女の顔を硬いなにかでぶん殴ると、変身を解除するサイキックが発動するらしいんだ」
「なんですか、その絶妙にややこしい設定は」
「今日中になんとかしたい。そろそろ両親が帰ってくるからさ。家に見知らぬ幼女がいたら大変なことになる」
 立ち上がった慎二が、幼女の頭を軽くポンポンと叩く。なぜそうされたのかわからず、キョトンとしたいた。
「よりによって今日中ですか。タイミングが悪すぎますよ」
「走りながら探して、見つけ出したら説得してみるさ」
 朧はいつもの作業着姿だが、慎二は制服を着ていなかった。上は学校指定のTシャツで、下はジャージ姿である。
「マラソン競歩の最中に見つかりますか。この前は暴言を吐いて逃げてしまったんでしょう。たぶん、協力してくれないと思いますよ」
 本日は、雪風東高校の全校生徒が強制参加する競歩遠足の日である。遠足という気楽な名目であるが、じつは確固とした順位付けがあり、上位者は表彰され文具等の粗品贈呈を受ける。さらに各クラスの担任教師がハッパをかけるので、そのじっさいはマラソン大会に近かった。距離は二十キロメートルと、実質マラソンのわりにはハードな具合に設定されている。
「雄別さんは俺がなんとかするから、その子をたのむよ」
「やっぱり、僕に子守りをさせるんですね」
「すまん、ほんとにすまない」
 合掌して拝む慎二の情けない姿は、断れない雰囲気を存分に醸しだしていた。
「僕だって仕事がありますからね。ずっと見ているわけにはいかないですよ」
 幼女が机の上から椅子に降り始めた。幼児らしくつたない動作である。心配した朧が手を出そうとするが、自力で地面に降り立った。そしてパタパタパタパタと腕で羽ばたきながら部屋の中を走り回った。
 慎二がジャージのポケットからピーナッツの粒を取り出して、それを床に一つずつ置いてゆく。間髪入れずに幼女が拾って食べる。一つ置くごとに一つを食べるのだ。
「こうすると、おとなしくなるんだ」
「それは衛生的にみて児童虐待ですよ」
「五秒以内に食べているから大丈夫だろう」
「慎二先輩って、本質的にアホでしょう。殴ってやりたいです」
 朧が呆れていると、突然、ドアが開いた。
「私の天使ちゃーん」 
 ノックもせずに入ってきたのは雪子であった。上は学校指定のTシャツ、下はジャージという服装は慎二と同じだ。胸のあたりが形よく膨らみ、尻はツンとやや上向きで張りがある。スタイルの良さは超一級品であり、学校指定のダサい服を着ても色褪せることはなかった。
 ピーナッツをもぐもぐしている幼女を見つけると、素早く駆け寄り抱き上げた。
「もう、天使ちゃんはホントに天使ちゃんなんだから~」
 若干の鳥臭さを感じながら、頬をすりすりとする。すっかりとお気に入りだ。 
「今日中にはピーちゃんへ戻る予定だから、いまのうちに可愛がってくれよ」
「はあ~、そうよねえ。なんか残念」
 名残惜しそうに幼女を解き放ってから、雪子は真顔になった。
「一組に行ってみたけど雄別夕子はいなかったわ。みんなグランドに集合し始めたから、たぶんそっちね」
「ゴールした順に帰宅していいから、走っている最中につかまえて説得しないと」
 雄別夕子が帰ってしまわないうちに解決したいと、慎二は思っていた。
「そんなまどろっこしいことしないで、いきなりグーパンチよ」
「それ、拷問と大差ないから」
「パンチは正義なの。パンチ、パンチ」
 雪子がシャドーボクシングを開始する。後ろ髪が上下に揺れ、幼女が「エロいぞー」と口走った。
「今日はポニーテールか。なかなかいいな」ボソリとひとり言の慎二だったが、はっきりと口に出してしまう。  「あら、褒めてくれてありがとう」
「いや、そのう、ははは」
 雪子に見つめられて、慎二は照れ笑いだ。朧が不機嫌そうな顔である。
「おかげさまで、僕がその子の面倒をみることになってしまいましたけど」
「そういえば、あなたと話したことはなかったわね。トイレの痴漢行為の時も、さっさと逃げちゃうし」
「ヘンタイ先輩に無理矢理付き合わされただけで、菖蒲ヶ原さんをわざわざ覗きたいとかは思わないですよ。ドS女は好みじゃないんで」
「あら、そう。女の子みたい顔だから、ふにゃふにゃした女が好みなのかしら」
「やたらと気が強くて、鉄骨みたいな女よりはいいんじゃないですか」
 雪子と朧が話すのは初めてだが、ファーストコンタクトは少しばかり険悪となってしまった。
「まあまあ、二人とも仲よくしようよ」
 慎二が仲裁に入って静かになるが、微妙な空気である。そこへ、もう一人がやってきた。 
「慎二、一組に行ったけど、あいつがいない。もうグランドに集合してんだ」
 いきなり校務員室に入ってくるなり、空気を読まずに言うのは赤川である。
「それは私がいま言ったわ。マネしないでよね」
「菖蒲ヶ原さんも来てたのか。そのポニーテールは似合ってるよ」
 慎二は心からそう思って言ったが、赤川はモテ男の習性で社交辞令的である。雪子はなにも反応を返さなかった。
「朧、オレにも飲み物ないか。お茶じゃなくて、炭酸がいいな」
「自販機で買ってきてください。僕はメイドじゃないんです。お尻を蹴りあげますよ」
 慎二繋がりで、朧と赤川は顔見知りだ。先輩であっても容赦がないのは共通している。
 パタパタパタパタと羽ばたいて、幼女がまた歩き回り始めた。雄別夕子の捕獲について、高校生たちはしばしの作戦会議となる。やはり、走っている最中に探して協力してもらうこととなった。   
「それじゃあ行きましょうか」
 雪子が号令をかけると、慎二と赤川が立ち上がった。
「なにをやってんるのよ。あなたも行くんだから立ちなさい」
「はあ?」
 椅子に座ってコーヒーを飲もうとしていた朧へ、雪子の尖った言葉が突き刺さった。
「僕は校務員なんで、学校のイベントでは忙しいんです。仕事があるんです」
「だからいいのよ。学校関係者だから、競歩遠足へ私の天使ちゃんを連れて来ることができるじゃないの」
「どうして、僕がこの子を連れていかなくてはならないんですか。今日の担当は子守ですよ」
「あ、そうか」と慎二が気づいた。
「あの女の顔面に衝撃を与えた時、体に触れてないとサイキック解除の効力が及ばないんだ」と赤川が説明する。
「そういうことよ」
 雪子は抜け目なく、計画の隅々まで見通している。
「なんですかそれ。仕事なのに子連れって、一番やりにくい役目じゃないですか」
 露骨にイヤそうな態度の後輩にむかって、いつもの合掌スタイルで慎二が頼み込む。赤川まで加わって、朧は仏さま扱いだ。先輩二人に拝まれてしまい、断ることが困難となる。
「わかりました、連れていきますよ。ただし、条件があります」
「タダではないってことかしら」
「当然ですよ。ヘタすると幼女誘拐の罪で捕まっちゃいますからね。リスクがあるんだから、それなりの誠意を見せてもらわないと」
「それで、おいくらなの」
 金銭での交渉ならなんとかなるだろうと、朧の足元を見る。
「いいえ、お金はいりません。菖蒲ヶ原さん個人の行動で支払ってください」
「私個人の?いったい、なにかしら」
 身体的に過大な要求は受け入れられないと、雪子は身を固くした。
「菖蒲ヶ原さんは慎二先輩と付き合おうとしない。色気を出さないってことです」
 一瞬、皆の目が点となった。
「いろいろと意味がわからないわ。どういうこと」
「ええーっと、まさか朧は慎二にボーイズ・ラブしていると。菖蒲ヶ原さんに嫉妬とか」
「明確に違います。刺しますよ」
 赤川の邪推を、朧はきっぱりと否定した。
「菖蒲ヶ原さんが慎二先輩に絡んでから、僕への被害が多くなっているんです。ということは、もし二人が付き合ったりしたら、すごいとばっちりがくる気がしてならないんですよ。仕事をクビになりそうなほどの大事になる予感がひしひしとするんです」
 説明する校務員の顔を、雪子が睨みつけている。
「朧、それはないよ。俺と菖蒲ヶ原さんがつり合うわけないだろう。俺は孤独をこじらせて年をとっていくんだ。彼女なんてできるわけがない、ハハハ」
「私は孤高をこじらせて年をとっていきそうね。おばあさんになっても、彼氏なんてできないのかしら」
 自虐的な慎二に合わせて、雪子も悲観的な将来を口にする。その場の雰囲気がしんみりとなってしまった。皆の顔色が冴えない。
「わかった、こうしよう」
 赤川の顔がキリリとする。少なくとも慎二は期待していた。
「オレが菖蒲ヶ原さんと付き合えばいいんだ。なんなら婚約して、なんなら同棲とかもいいかもしれない。高校生なのに一つ屋根の下って最高だ。菖蒲ヶ原さんの家でマスオさんを楽しみたいな」
 能天気な友人に、温和で空手三段なサディストの存在を知らせてやりたいと慎二は思っていた。雪子は赤川を無視して朧を見る。
「いいわ。その条件を飲みましょう。私は慎二と付き合おうとしないし、色気も出さない。すごく簡単なことね」
「契約成立ですね。じゃあ、がんばりますか」
 歩き回る幼女の手を校務員が捕まえた。慎二はなにか言いたそうな表情だが、静かにしていた。雪子がちらりと見る。
「なに?文句でもあるの」
「いや、べつに」 
 心中複雑な慎二は口では平静を装う。男の子にかぎらず、人は常に希望の火を燃やし続けているのだ。
「まあな、慎二。人生はいろいろあるさ」
「俺にはなにもないよ」
 友人の慰めは社交辞令ほどの価値もなかった。
「じゃあ、行きましょうか。今日はすっごいロングランになりそうね」
 赤川と子連れの校務員が先に出てゆき、軽くため息を漏らした慎二が後に続いた。最後に出た雪子は、余裕のある笑みを浮かべていた。
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