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アンドロイド編

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 廃虚となって久しいその鉄工所は、アクション映画で大活劇が繰り広げられそうな容量と空虚さを兼ね備えていた。天井には壊れたクレーンがだらしなくぶら下がり、ワイヤーや鉄骨、シャックル類があちこちに散らばっていた。どれもが錆びつき、赤茶けた色彩が光景のほとんどを占めている。
 たくさんの高校生たちが集まっていた。だいたいは男子だが、好奇心旺盛でケンカ見物が好きな女子も混ざっていた。彼らの視線の先には、二人の女がいる。
 高校生にしては相当な美人の一方は、やや斜に構えて腕を組んでいた。偉そうな態度に似つかわしく、ふてぶてしい笑みを浮かべている。
 もう一人はねずみ色の作業服を着た少女で、その可愛らしい顔立ちに不釣なほど胸が大きい。物思いにふけったように佇んでいた。二人は息がかかるほどの距離で相対している。
「今日は私のファンが大勢来ているけど、あなたのサポーターはどこなの。ああ、周りをブンブン飛び回っているハエさんかしら」
 雪子が、まずは舌戦で軽いジャブをかます。
「よく聞きな、ビッチ。その顔に生まれたのは偶然であって、おまえの努力の成果じゃない。性格ブスなおまえは、年をとって皺が増えれば、ハエすらも相手にしないさ」
 朧も言い返す。あえてタメ口となって、先輩であることをつゆほどにも意識はしていない態度を見せた。雪子の瞳に黒い靄がかかる。
「マズい紅茶ばかり飲んでいるから、老けるのはあなたのほうが先だと思うけど。その膨らみすぎた風船オッパイもしぼんで、おばあちゃんみたいに尖がっちゃうのよ。ああ~、なんて惨めなんでしょう」
 ハハハ、と雪子のファンから笑いがもれた。その男子は、両手で自分の胸をもみほぐして、さも悶えている表情をつくっていた。
「おまえの取り巻きは、根性ブスなおまえと同じくらいクズだな。それと」
 朧が言い終わらないうちに、中段に廻し蹴りがとんできた。
「ふんっ」
 とっさに両足を踏ん張って、左腕を曲げてわき腹をガードする。雪子の脚はかまわず空を切って衝突した。
 ドンと腹にこたえる音がした。朧を中心とした衝撃波が、確かな風圧をともなって周囲へと伝搬した。
「おおー」
 どよめき混じりの歓声が一斉に起こった。下手な格闘映画よりも、よほど迫力があるのだ。
「やってくれたな、勘違い女」
 そう言って朧が背筋を伸ばした刹那、今度は雪子の前蹴りがさく裂した。みぞおちへきれいにヒットし、作業服の美少女は数メートル後方にぶっ飛ばされて、鉄柱に背中を打ちつけて止まった。凄まじい衝撃であり、鋼鉄の柱が大概に凹んでしまう。
「朧っ」
 見物人兼朧のセコンドである慎二は気が気じゃない。どちらかが倒れそうになるまでは止めに入らないつもりだったが、雪子の手加減のなさに面食らっていた。すぐにでも止めないと死人が出てしまうと焦っていた。 
 まるで瞬間移動したかのような素早い動きだった。鉄柱にめり込んでいた朧が忽然と消えて、少しばかり空気中を帯電させたと思うと、雪子の前に立っていた。
「ちょ」っと声を漏らす女ドラマーの襟首をつかんで、そのまま背負い投げした。ただし、通常の背負い投げは真下の地面に叩きつけるが、朧は空中へ放り投げた。
 十数メートルを飛んだ雪子は、幸運にも鉄の柱へ激突することはなかったが、廃屋の内壁に体当たりして滅茶苦茶にした。ボードやら木材やら鉄板類がガラガラと崩れ落ちる。あたりが埃だらけになり、彼女は瓦礫の中に埋もれてしまった。群衆の息遣いが止まり、廃墟にふさわしい埃臭い静寂が支配した。
「菖蒲ヶ原さん」
 慎二は朧のサポーターであるが、もちろん、雪子も大事なのである。叫ばずにはいられなかった。
「出てこいよ、自意識過剰のドS女。それくらいでヘバったりしないだろう」
 ひと山の瓦礫が盛り上がって、その頂点から豆の木が芽吹くように女が立ち上がった。一歩二歩と歩みだし、全身に付着した塵芥を払い落とす。ポケットから手鏡を取り出し、前髪をいじくりだした。
「まったく、やってくれたわ。この髪型、セットするのに時間がかかったのに。もうホコリだらけじゃないのさ。メイクにくっ付いて、たいへんだわ」
 おおー、と再びどよめきが起こった。あれだけの衝撃を食らったのに、雪子は涼しい顔なのだ。畏怖と賞賛と憧れが飛び交っている。
 雪子が、足元にあったH型の断面をした鉄骨を持ち上げる。長さは1メートルほどだが重さは50キロぐらいあるそれを、朧に向かってぶん投げた。
 縦に回転しながらブオンブオンと迫るその鋼鉄を、校務員は飛び蹴り一発で弾き飛ばした。
「うおっ」
「きゃ」
 朧の蹴りで、さらに速度を増した鉄骨ブーメランが群衆の隙間を通り抜けた。廃墟の壁をぶち破って、そのままの勢いで外までいってしまう。なお、怪我人はいなかった。
「そーらさっ」
 走ってきた雪子がいったん飛び上がり、重力とともに落ちてきた。大型ショベルのバケットを下ろしたようなトルクが、右手に作られた手刀に込められていた。
 朧が両手を頭上でX字に組んで、それを受け止めた。雪子の体は一般の女子高生よりは若干軽めなのだが、振り下ろされた拳は数トンの重さがあった。
「バキ」っと嫌な音がした。朧の両腕が折れたのではない。彼女の両足が踏ん張っているコンクリートの床が割れたのだ。
「ハッ」
 間髪入れずに廻し蹴りが下段に放たれた。頭上に注意を集中していたために、朧の足元はおろそかになっていた。あっけなく払われて体勢が崩れてしまった。
「ぐっふ」
 仰向けに倒れた朧の胸に、雪子の全体重を乗せた肘が打ち下ろされた。胃の真上にズブリとめり込んで、エビ反りになり唾を吐き出した。
 雪子が素早く起き上がり、今度は足の裏で踏んづけようとした。さもサディスティックな笑みを浮かべて踏み下ろすが、今度は朧が反撃に出た。
「キャッ」
 可愛らしい悲鳴を発して雪子が倒れた。右足を下ろそうとした際に、もう片方の足を朧の腕がなぎ倒したのだ。
 仕返しは素早かった。社会人女子の肘打ちが女子高生のみぞおちに食い込んだ。「ゲッホ」と、オヤジみたいな嗚咽を吐き出して悶絶する。
 双方とも同じようなダメージを食らったために、小休止することに暗黙の了解があった。同時に立ち上がり、一方は乱れた髪型を気にしながら居丈高に、もう一人は無表情のまま立っていた。
「なかなか面白いわね」先に労をねぎらったのは雪子である。
「ふう、多少息切れ気味だが」朧も、まんざらではないといった様子だ。
「安月給のくせして動きは悪くないわ。胸がでかいだけの風船女になったと思っていたけど」
「なめるな」
 朧が突進する。顔に上段蹴りがくると予想した雪子は、腕をあげて頭部をガードする体勢になるが、オフェンス側は意表をついてきた。
「ぐっ」
 頭突きを食らわしたのだ。咄嗟のデフェンスで顔面への被害は免れたが、胸の上へ朧の頭頂部が衝突し、そのままの勢いで押しまくった。
「くおうーのー」
 朧の頭部を両手で抑え込みながら、雪子は押されていた。アンドロイドの両足を踏ん張って地面との接触を密にするが、硬質のコンクリートを削りながら後退は止まらない。まるで、華奢な女の子が押し込んでくる闘牛を止めようとしているようだった。
「うおおおおー」
 途中から朧が馬力を倍増させた。じりじりと押されていた雪子は、加速度をつけて後ろへ流されてゆく。もちろん足の裏はフルブレーキ状態であり、コンクリート床面の一部が割れるくらいの制動力をかけていたが、猛牛少女の突進力は半端ではなかった。そのまま、構内の隅に積まれた鉄くずの山に突っ込んだ。
 ガッシャーン、と凄まじい音が響いた。衝突の衝撃で飛び散った鉄クズ類が散乱する。煙のような埃が舞って視界が遮られ、二人の猛者が観衆から見えなくなった。静寂が続くあいだに靄が観客のほうへ流れて行き、何人かがせき込んでしまった。もっとも多く吸い込んでしまったのは慎二で、四つん這いになりながらゲホゲホと苦しんでいる。
 なにかが高速で転がってきた。男子の何人かが、それにぶっ飛ばされてしまった。
 雪子と朧がくんずほぐれずの死闘を繰り広げながら一塊となり、縦横無尽に転がり、鉄柱をひん曲げ壁を破壊しているのだ。
 壮絶だった。すでに数十発のパンチと蹴りが双方から繰り出されていた。一発一発がとても重くて、打ち込むたびに衝撃波がドンッ、ドンッと伝わってくる。
「なんかすげえ」
「あの二人、モノホンの格闘家か」
 桁違いの闘気だった。本物の迫力に圧倒され、見物している生徒が感心していた。
「そういえば、ブルース・レーの弟子とか言ってたぞ、あの用務員女」
「レーじゃなくて、ローじゃなかったか」
「いや、チャッキーだろう。チャッキー、チェン」
「それ、微妙にホラーだよな」
 観客たちが勝手なことを言っている間にも、凄まじい格闘戦は続いている。お互いの力が拮抗しているのか、勝負は一進一退を繰り返していた。
「ねえ、ちょっと、たんま」
 雪子が唐突にインターバルを宣言したが、タイミングが少しばかりずれた。すでに朧の右フックが放たれていて、左頬にクリーンヒットしてしまう。5メートルほど吹っ飛ばされてしまったが、すぐに起き上がって不機嫌な顔で埃を振り払った。
「ったく、言葉がわからないのかしら。タイムよ、タイム」
「すまん。ネコのことかと思ったんだ」
「それはタマよ。磯〇家で飼っているんだから」
 プリプリ怒りながら、雪子は足元に落ちている汚いズタ袋を拾い上げる。底のほうを強引にちぎって穴をあけると、頭から被ってしまった。
「へえ。コジキのコスプレが、あんがい似合ってるよ」
 大きなズタ袋だったので、腰のあたりまですっぽりと覆われてしまった。
「服が破けているのよ。このままだったら、大事なとこが見られちゃうじゃないのさ。あんたただって、谷間が丸見えよ」
 激しい格闘戦の結果、彼女たちの衣服がボロボロに傷んでいた。どちらも制服であったが、ブレザーを上着にしている雪子とは違い、朧は安物の作業服である。破れかたは朧のほうが激しかった。胸のボタンが飛び散ってしまったので、その下に隠されていたボリューム満点のバストが、少しばかり露となっていた。
「ほら、あなたもこれを被りなさい」敵に塩ではなく、潤滑油で汚れたズタ袋をさしだす雪子であった。
「ありがとう」
 好意はありがたくもらうにかぎると、朧はさっそく頭からかぶり始めた。ズタ袋に両手を突っこんで、バンザイしている時だった。
「甘いわ、スキありっ」と叫んで、雪子が廻し蹴りを放った。無防備なわき腹にズシリとめり込んで、その強烈な脚力に押されるままふっ飛んだ。
「勘違い女らしく、生き方が卑怯だな」
 まるでダメージなどないように朧がすーっと立ち上がり、ズタ袋を着こみながら言った。
「当然でしょ。バカ正直に生きてどうするの。人生はね、バカをだし抜いてナンボなのよ」
「なるほど、フェイクらしい戯言だ。本物が聞くと、さぞかし嘆くだろうよ」
「本物は私よ。菖蒲ヶ原雪子は私以外に存在しないの。今度言ったら本当に殺すわよ」
「偽物が、うるさいなあ」
 ヒュンと風が切られたかと思うと、雪子が朧の前に立ち渾身のストレートを放った。自らのオデコに直進してくる鉄拳を五ミリの距離でかわし、逆にストレートを打ち込んだが、それを逆エビ反りになって雪子がかわした。
 一発一発に、渾身の力が込められていた。アンドロイに備わっているのは、重機のようなパワーである。まともにくらうと、スクラップまではいかなくとも、機能不全を起こすには十分なダメージとなるだろう。
「やれー、やれー、もっとやれ」
「いけー、そこだ」
「ああ、ちくしょう。いまのは惜しかったなあ」
 かつて人類が経験したことのない闘いを見せつけられていた。観客のボルテージは否が応でも上がる。鉄錆臭い廃墟の内部は、やんやの歓声で溢れていた。
「もういい、やめろ」
 慎二が叫んでいるが、その声はかき消された。二人の拳や蹴りは、お互いの驚くべき俊敏さにかわされ続け、なかなか当たらない。蜂の羽音のような、あるいはジューサーをカラで回しているような、高速の風切り音が呻っていた。
「これじゃあ、ラチがあかないわね」
 その竜巻の中から、まずは雪子が抜け出した。近くに落ちていた三メートルほどの鉄骨を拾い上げると、朧に突進しながら滅茶苦茶に振り回し始めた。ブオーンブオーンと、不吉な音が響き渡った。
「キャー」
「うわあ、あぶね」
 そんなのにあてられたらひとたまりもない。まさに蜘蛛の子を散らすように観客たちが逃げ出した。
 唸りまくる鉄骨をよけながら、朧は鋼鉄のワイヤーを拾い上げた。数トンの重さに耐えられる硬くて長いそれを、鞭のようにしならせて雪子に投げつけた。ヒュンヒュンと空気を切る音は、鉄骨とは違った危険を感じさせた。
「菖蒲ヶ原さん、朧、もう止めるんだ。こんなことしていたら、本当に死んでしまうぞ」
 慎二が大声で叫ぶ。アンドロイド同士の格闘はもはや災害レベルであり、見物の生徒たちは逃げていなくなってしまった。
 地響きが鳴り、大量の埃が舞っていた。廃鉄工所内の光景はぼやけ、視界が効かない。強烈な打撃音が絶え間なく響いている。粉塵の中を、二つの高速な物体が動き回り、そのたびに空気がピリピリと唸った。
「うっ、危ない」
 慎二の警告は、元恋人と現後輩へ向かって発せられたわけではない。廃墟を構成している部材が天上から落ちきたのだ。生身の人間がそこにいるのは危険な状態で、ただ一人残った男子生徒は、ほうほうのていで逃げ回っていた。
 バリバリと轟音を放って天井が崩れ落ちた。風雨にさらされて、ただでさえ脆弱になっていた骨だらけの屋根が、アンドロイドたちが巻き起こした衝撃によって崩壊した。
「うわあ」
 鉄骨を含む屋根の瓦礫が、慎二の頭上に落ちてきた。逃げることもままならず、その場に頭を抱えてしゃがみ込む。すると、二つの影が高速で近づいた。そして彼に降りかかる全てを叩き飛ばした。
「ちょっとう、慎二がここにいるとやりにくいじゃないのさ」
「とりあえず慎二先輩は外の安全な場所で座っていてほしいです。この勘違い女をぶちのめしたら迎えにいきますから」
「そうそう、このムダに脂肪だらけのオッパイ女を片付けたら、挨拶してあげるわ」
 朧が腰を落として低く構えた。ふたたび闘いの開始が示されたことに、雪子はニヤリとする。気合を極限まで充填して、攻撃の準備を整えた。どちらかが破壊するまでぶつかり合うことになるだろう。慎二は天を仰ぐような心境だった。
「ストーーーップ」
 誰かがそう叫んだ。三人が注目していると、どこからか若い女が瓦礫を踏みしめながらやってきた。
「もう、このへんが潮時ね」
 雪子と朧は危険な構えを解いていた。くっ付くように二人並んで、新参者を傍観している。立ち上がった慎二の前に、彼女がいた。
「君は」
「雄別昼子よ。君とは、この前あったね」
 彼女は制服を着ているが、その種類と着こなしには違和感があった。
「念のためにハッキリとさせておくけど、この服は業務用なの。いまの私は運転手さんですだから」
 そう言うと、ハンドルを握って回す動作をした。昼子の十数メートル向こう、建物の入り口付近に、黒塗りセダンのハイヤーが一台停車しているのが見える。
「じゃあ、君が大家さんなのか。この世界を創りだしている張本人、管理者。そして、ここは君の中ということか。俺たちは、やっぱりキャラクターにすぎないのか」
 運転手のくだりは無視して、慎二は核心部分を突く。朧の仮説通りならば、彼女の回答が証拠となるからだ。
「私は運転手なのだよ。ここでの役目は、あの車に君を乗せて、北へと行くことだ。長いドライブになる。酔い止めは飲んだかい」
「いや、そんなことを訊いているわけではないぞ」
 期待外れの答えだった。慎二は畳みかけようとするが、昼子はくるりと半回転し、真っ黒な背中を見せつけながらハイヤーのほうへ歩き出してしまった。
「慎二、行ってきなさいよ」雪子が言う。
「慎二先輩、行ってください」朧も言う。
 あのハイヤーに乗れば、謎の解明に限りなく近づくとの予感があった。しかし、二人のことが心配な慎二は、この場にとどまりたいと思っていた。
「俺が行ってしまうと、菖蒲ヶ原さんと朧は傷ついてしまう」
「それはないわよ。安心しなさい。もうやめたから」
「そうそう。お腹もすいたし、帰って肉まんでも食べますよ」
「シーフードピザなんていいわね。それに、このズタ袋が衣装ってありえないでしょう。コスプレするなら、もっと可愛らしいほうがいいわ」
 二人の闘いは終わったようだ。ボロボロの服を着た美少女たちが、一方は不敵に、もう一人は真顔で頷く。背中を押された慎二は出発を決意する。
「わかった。俺は行くよ」
 黒いハイヤーでは、昼子が制服警察官のような帽子をかぶり、運転席についていた。慎二が近づくと、後部座席のドアがすーっと開いた。 
「お客さん、どこまで行きましょうか」
 運転手が行先を訊ねた。ルームミラーには、後部座席をチラ見する女の目があった。
「北へ」曖昧ではあるが、目的地は自明なのである。
「はい、かしこまりました」
 ギアがDレンジへと入れられた。パーキングブレーキが解除され、車がゆっくりと動き出した。
 土埃をあげながら、ハイヤーが廃墟から遠ざかっている。後ろを振り返った慎二は、崩れかけた廃鉄工所に立って小さくなっていく二人の女子を、ずっと見ていた。
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