上 下
42 / 49
アンドロイド編

しおりを挟む

 慎二を乗せたハイヤーは高速道路を北へと向かっている。途中のパーキングエリアで小休止することなく、法的に定められた制限速度をはるかに超えて走っていた。
 危ないので速度を落とすように慎二が言うと、「危ないので運転中に話しかけないでくれ」と返された。質問したいことが山ほどあったが、どうせ、はぐらかされると考えて黙ることにした。車窓からの眺めは代わり映えがしなく退屈で、いつの間にか眠ってしまう。
 目覚めた慎二が目にしたのは、雪景色だった。ハイヤーが高速道路を爆走しているのは相変わらずだが、遠くに見える山々は白く濁っていた。 
「ここはどこだ」
「北海道だよ、お客さん」運転手が答える。
「え、北海道」
 後部ドアの窓に頬をくっ付けて、慎二は食い入るように外を見た。自分が北国にいることが信じられなくて、頭の中に空白が広がった。
「海はどうやって越えたんだよ。トンネルを通ったのか。いや、船に乗ったのか。だいたい、北海道だってまだ雪の降る季節じゃないだろう」
 外の景色を眺めていた慎二は、運転手の異常に気がついた。 
「君は雄別夕子さんじゃないか。いつのまに入れ替わったんだ」
 運転手は、雄別昼子から雄別夕子になっていた。久しぶりの再会となったが、ルームミラーに反射しているのは相変わらずの地味顔女子であり、心躍るものではなかった。
「入れ替わったんじゃないよ」
「どういうことだ。やっぱり雄別昼子さんに変身していたのか」
「そういう感じじゃないんだな。なんというか、{雄別}という人物は、ここでは飛び飛びの値でしか存在できないんだ。その時その時の状況で、その時の雄別が現れるのさ」   
「よくわからないけど、三人は関連しているってことか」
 運転手は少しばかり首を曲げたが、結局、慎二の問いには答えなかった。
 ハイヤーは、相変わらずの猛スピードで高速道路を東進している。車線は片側に一つしかなく、対向車線や後にほかの車は見当たらず、独走状態だ。周辺の雪景色が白く脳裏に焼き付くわりには車道に積雪がない。アイスバーンでフルスピード走行は危険極まりないが、乾燥したアスファルトが露出しているのなら、いちおうは安全である。
「降りるよ」
 ハイヤーはインターチェンジを左に回転しながら一般道へと降りた。国道を少しばかり走ると、そこは街の入口である。 
「ここは」
 見慣れぬ北国の街に、慎二は少しばかり戸惑っていた。低い建物がほとんどで、高層ビルなど一つもないが、どこにでもある地方の街並みといった様子だ。
「ここは北海道の釧路市。あちらに見えるには釧路川です」
「ここになにがあるというんだ」
「ここにはないよ。もっと寂しいところ」
 夕子の声が軽やかだ。水で溶いたような薄い朱色が窓から差し込み、その夕日を手で遮っているとハイヤーが止まった。自動ドアが開くと、冷えた空気が早く降りるよう急かした。
 慎二は北の大地へ一歩を踏みしめた。積雪は四センチほどあり、運動靴を湿らせて足を濡らすには十分な厚みがあった。 
「にょ~ん」
 特徴的なネコポーズで出迎えたのは、雄別朝子だった。そこは大きな建造物の、だだっ広い駐車場である。
「そうか、君だったのか」
「久しぶりだにょ~ん。やっと会えたね」ピースといって、ピースサインを見せつけた。外気温は氷点下なのに、朝子の制服の上には防寒着がなかった。それは慎二も同じであり、不思議と寒さを感じなかった。
「これは君の夢の中なのか。俺たちは現実として存在しているのか。ただのキャラクターなのか」
 慎二は単刀直入に疑問をぶつけた。目の前にいる人物が、すべてを操っているのだと確信していた。
「あなたは旅をしているんだよ、慎二」
 朝子にしては、語気が強めに感じられた。
「ああ。ここまで来るのは遠かったよ。車に乗りっぱなしで尻が痛いし」
 朝子は大きく首を振った。
「自分探しの旅だよ、慎二。あなたのセルフを求める旅なのさ」
「セルフ?」
 その言葉は何度か聞いたことがあった。記憶の中をまさぐって、その領域へ近づこうとする。
「これは慎二の無意識における内的な旅なんだよ。慎二という個別の人格に魂を見出す、ちょっとばかり真剣な自分探しの旅」
 二人は並んで歩いていた。
「まあ、説明しづらいことだよな。いろんな言い方があるけど、やっぱりセルフというのがしっくりくるよ。冗談でゴーストだよって雪子に言ったら、幽霊がどうしたのって、マジメな顔で返されたけども」
「よくわからないが、俺のことはどうでもいいだろう。話をはぐらかすなよ」
 慎二は、朝子が雪子のことを呼び捨てにしていることが気になっていた。まるで、親友であるかのような口調である。
「俺の推理したとこでは、いや、後輩の朧の考えだけど、この世界は誰かの夢、もしくはゲームの中のような仮想空間で、俺や菖蒲ヶ原さんや朧は、作られたキャラクターじゃないかって」
「慎二はそう思うのか」
 大人の女性みたいな言い方だった。教師と話しているようで、若干の戸惑いがあった。 
「俺は自分が作られた人格だなんて思わないよ。だって、俺は俺なんだ。自分で考えているし、女の子を好きになったりもした。それが誰かの設定やバーチャルだなんて、ありえない」
 朝子の歩調は速くなったり遅くなったりする。雪道に足を取られないように、慎二は気をつけて歩いていた。
「だけど、サイキックやアンドロイド化みたいな謎現象が起こったり、偶然が不自然に重なっていることを考えると、誰かがなにかを仕組んでいるような気もするんだ」
 慎二は、ここで朝子の前へと出た。相手を立ち止まらせて、彼女のハートを射抜くつもりで問いかけた。
「雄別朝子、ここは君の中なのか」
「わたしは雄別朝子じゃないよ」
 その胸の大きな少女は、唐突に、あの特徴的なネコポーズをした。 
「にゃあ」
 一瞬、時が止まったような気がした。
 ガツンと、後頭部を叩かれたような衝撃だった。慎二は二歩三歩と後退し、その少女をまじまじと見つめる。顔立ちや体つきの相似に、どうして気づかなかったのかと、いまさらながら思った。 
 彼女の全身が一瞬ぼやけたと思ったら、作業服姿の女が立っていた。
「朧、君は朧なのか」
「そうだよ」と羽間朧が頷く。
「じゃあ、もう一方の朧はなんなんだ。アンドロイドだから、やっぱり偽物なのか」
 厳めしく対面しているのが億劫になって、朧はそろりと歩き出した。慎二は、彼女の横にピタリと身を寄せながらついてゆく。
「ある心の領域において、わたしはわたしとしての人格を保てないんだよ。当人の無意識的な検閲を受け、身も心もさまざまに変容させられてしまったんだ。これがダイブの限界なんだよ。より深層へ降下したならば自分を保てるかもしれないが、そうすると量子力学的な不確定性が増して、なにが起こるかわかったもんじゃない」
 一羽のハトが飛んできて、二人の前を斜めに横切った。朧がいったん話を切って、一呼吸おいてから続けた。
「最悪、当人の人格を崩壊させてしまうかもしれないんだ。シンクロニシティの連発は警告だったんだよ。ここはインターフェイスに近い領域だから検閲もヌルくて、比較的自由に話ができるんだ」
 混乱しきっていた。朧の言っていることを、なに一つ理解できない慎二がいた。
「なにを言っているのか意味不明だ。ここはどこだ、俺は朧の中にいるのか。朧が大家さんだったのか」
「違うよ。わたしはただ降りてきただけ。あなたはセルフを見出す旅の途中で、自分探しをしていたんだよ」
「自分探しって、なんのことだ。どうしてそんなことをするんだよ」
「人間になるためだよ」
「人間、って」
 人間なのに、なぜ人間になるために自分を探さなければならないのか、慎二は壁にぶつかってしまう。今度は朧のほうから彼の前に立ち、そして向き合った。
「ここがどこか、あなたはわかっているはずだ」
 慎二のわだかまりを溶かそうと、朧の瞳には力が込められていた。愛おしい者を包み込もうとする温かさに満ちているが、それでいて強く突き放してもいた。

 知る時が来たのだ。

 慎二の精神を覆っていた薄っぺらな膜が破けて、膨大な量の情報が心中を駆け抜けた。電気的に醸成された熱量がすみずみまで浸透し、彼を目覚めさせるには十分な起爆力となった。
「そうだ」と力なく呟いた。
 慎二はすべてを理解していた。 
「俺は、俺の中にいる」
 視界が一気に開けた。雪景色が消え去り、目の前で語りかけていた羽間朧もいなくなった。足元には乾いて黄ばんだ大地が厳然としてあり、遠くに見えるのは荒みきった建物群だ。かつて文明だったものの残滓が、揺らめく陽炎の中でぼやけている。崩れてしまった廃墟の街に、彼は一人で立っていた。
しおりを挟む

処理中です...