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おしどり夫婦の茶番
馬車の音が屋敷の玄関へと近付いている。
「ブライアンが帰ってきたわ」
ナタリアは遊びにきている親友のサラにことわり、夫を出迎えるため待機している使用人達の身なりを点検する。
侯爵家の使用人達はしっかり教育されているので心配する必要はないが、つねに気を配り自分の目で確認するのが女主人の仕事だ。
「お帰りなさいませ」
ナタリアと使用人達の声が玄関ホールに柔らかくひびく。
「ただいま、ナタリア」
夫のブライアンがナタリアに口づけたあとナタリアを抱きしめる。
結婚した当初、ナタリアはブライアンを見送り、出迎えるたびに口づけ抱きしめられることに胸をときめかせた。
ナタリアの家ではこのような習慣がなかっただけに初めは驚いたが、婚家のブラック家では普通のことだった。
結婚して十年たつと新婚当初に胸をときめかせた口づけや抱擁は、いまでは当たり前の習慣となった。
「当たり前の習慣」と文字にするとありがたみがうすいが、ナタリアは二人が一緒に歩んできた証だと思っている。
習慣として組みこまれるほどブライアンと一緒に生きていることが嬉しかった。
ナタリアから数歩さがったところに控えていたサラが、ブライアンに淑女の礼をとる。
「お久しぶりです、ブライアン。すっかり長居してしまい申し訳ありません。
お戻りになる前にお暇するつもりだったのですが、ナタリアと過ごす時間が楽しくてつい居座ってしまいました」
ナタリアは、サラがブライアンと挨拶のあと世間話をしながら、ちらちら視線を送ってきているのに気づいた。
サラの視線の先をたどるとブライアンの首に口紅がついていた。
「またなのね」
ナタリアは心の中で溜め息をつきながら反射的に淑女の笑みをうかべる。
「サラ、また来週のチャリティーイベントで」
ナタリアはサラを見送りながら、サラが必死に馬車へ乗り込むまではと笑いをこらえているのを見て見ぬふりをする。
サラがこのあと馬車の中でお腹をかかえて笑う姿が目にうかぶ。
「今度会った時、散々からかわれそうだわ」
ナタリアはサラを見送ったあと玄関ホールをぬけ、自室で着替えているブライアンのもとへと急ぐ。
ブライアンは首筋についた口紅をナタリアへみせつけるまで、着替えを中途半端にしながらナタリアが来るのを待っているはずだ。
ナタリアはそのような主人の姿を、肩をぴくりともゆらすことなく真顔で対応する使用人達のプロ意識の高さに賞賛をおくる。
「ばたばたして申し訳ありません」
ナタリアが詫びながらブライアンの部屋へはいると、ブライアンは嬉しそうに着ていたシャツを脱ぎ侍従にわたす。
ブライアンの首についている口紅が、ナタリアによく見えるような角度でブライアンは立っている。
――こんな茶番に本当は付き合いたくないけど、付き合わないと終わらない。
ナタリアはハンカチを手にし「口紅がついているわよ」とブライアンの首についた口紅をぬぐう。
「すまない、ナタリア。ご婦人を助けた時についたようだ」
ナタリアはお腹にぐっと力をいれお約束のセリフをおごそかに口にする。
「女性に優しくするのは大事ですが、あまり近寄りすぎないよう気をつけてくださいね。やきもきしてしまいますから」
この手のセリフだけなら舞台で女優にひけをとらないほど上手くいえるだろうとナタリアは思う。
「ナタリア、心配しないで。僕が愛してるのはナタリアだけだよ!」
ブライアンがナタリアを羽交い締めするかのように抱きしめる。
ナタリアは頭の中で「ご苦労さま」と自分自身にねぎらいの言葉をかけた。
ブライアンの侍従が主人の着替えをもち辛抱強くひかえている。
ナタリアは彼の唇がいつもより赤いのをみて、「ごめんなさいね」と心の中でわびる。
主人から口紅をぬり主人の首にキスマークをつけるよう強要される職場などブラック家以外ないだろう。
ブライアンはこれまでナタリアを嫉妬させようと様々なことをやってきた。
ナタリアのものでない香水をまとい帰宅したり、今日のように体のどこかに口紅をつけていたり、女物のハンカチ、イヤリングといった小物がポケットにはいっているなど他の女性の影をちらつかせる。
ナタリアはそのような行動を初めてされた時は動揺しブライアンをなじり問いつめた。
ブライアン自身は香水の移り香や口紅は、女性を助けた時に近寄ったせいで浮気などしていないとありきたりな説明をするだけだった。
しかしブライアンの侍従が早々に主人を裏切り、ブライアンのたくらみをナタリアに暴露した。
ブライアンは浮気しておらず、ナタリアを嫉妬させるためわざと他の女性の存在をにおわせる小細工をしていると。
侍従いわく
「ブライアン様はナタリア様への愛を、普通の人間では理解できない形で表現されます。
わざとナタリア様を嫉妬させる行動をし、ナタリア様がそれに反応することがブライアン様にはとても重要なのです。
なぜそうするのか私にはさっぱり分かりませんが」
ということだった。
ナタリアにもブライアンの行動にどのような意味があるのか全く分からない。
しかし浮気していないことだけは理解した。
あまりにもバカバカしいのでブライアンがわざとやってることを知っている、やめて欲しいと怒りを爆発させたことがある。
しばらくおとなしくなったブライアンだったが行動は変わらなかった。
「子供と同じ。構って欲しいのよ」
ブライアンがナタリアに嫉妬させようとするのは、自分に構ってほしいからだと誰もがいう。
もちろんナタリアもそれは承知している。
しかし理解できないのは、ブライアンがナタリアにばれているにもかかわらず、何度も同じパターンで嫉妬させようとすることだった。
ブライアンが嫉妬深いのはしっている。そのためナタリアはブライアンが心配しないよう日々の行動には気をつけていた。
しかし男性とまったく接することなく生活するのは不可能なので、ナタリアとブライアンの間でかなりの攻防があった。
ブライアンから他の男をみるな、家からでるなといった理不尽な要求をされた時は、ナタリアは全ての義務を放棄し部屋から一歩も出ず、全男性を拒否するとブライアンにも接触拒否し応戦した。
さすがに自分が理不尽なことをいったと理解したのかブライアンは謝ってきた。
しかしその後も外出する時はブライアンの許可をとれ、子供の家庭教師は女性に限るなど、ありとあらゆる溜め息をつきたくなる要求をしつづけた。
ナタリアはおとなしく従うようなことはせず、そちらがその気ならと盛大にやり返し行動制限されないようにしている。
子供達へも嫉妬するブライアンは、大人気なく子供達に対抗意識をみせナタリアを独占しようとする。子供達から「お父様ずるい」といわれニヤリとするのは父親としていただけない。
ナタリアはブライアンに対し子供を育てるのと同じように、毎日愛しているといい、抱きしめ、ほめてと不安にならないよう愛情をあらわし続けた。
しかしナタリアを嫉妬させる行動は止まらなかった。
親友のサラに愚痴ると、「愛されすぎるのも面倒なものね」としみじみいわれた。
「昔から二人のことを見てきた私としては、あなた達は初恋同士で子供の頃から好きあっているし、ナタリアがブライアンを不安にさせるような行動をとったこともないのよね。
なぜブライアンはナタリアを嫉妬させないと気が済まないのかしら?
そばにいるこっちが気恥ずかしくなるほどお互い愛してるって伝えあってるのにね」
ナタリアはサラの言葉に大いにうなづく。
ナタリアの愛に不安を感じているわけでもないのに、なぜブライアンは茶番をつづけるのか。
ナタリアに対し過剰な愛で謎の行動をとるブライアンだが、仕事では理性と感情をバランスよくたもち高い評価をうけている。
ブライアンは領地の一部地域が洪水の被害をこうむった時に、素早く支援のための財源を確保し次期侯爵としての手腕をみせた。
仕事やナタリアがからまないことに対しては冷静な判断と行動をとるブライアンだったが、ナタリアに対してのみ「どうしてそうなるの?」と首をかしげたくなることが多かった。
ナタリアが一度口紅がついていてもあえて何もいわずにいたところ、「僕のこと嫌いになったの、ナタリア? 僕に口紅がついていてもナタリアは全く気にならないの?」と泣かれてしまった。
侍従がいうようにブライアンには意味のある行動らしいが、本人に面と向かってなぜそのようなことをするのかと聞いても明確な答えはかえってこなかった。
ナタリアはブライアンの行動を変えようとするよりも、ナタリアがブライアンが望む行動をした方が面倒臭くないと悟り、それ以来ブライアンが望む茶番をつづけている。
しかし今日のように身内以外にみられるのは恥ずかしい。
サラには何でも話しているので、サラはブライアンのこのような行動について知っている。
しかし本当にブライアンがわざとらしく口紅をつけて帰ってきたのを見るのは初めてで、帰りの馬車で笑い転げたのは想像にかたくない。
もし逆にサラの夫のエドワードが、ブライアンと同じことをしているのを目撃したら、ナタリアはエドワードの目の前で笑いをこらえきれず吹きだすだろう。
困った行動をするブライアンだが、ナタリアは夫のことを一途に愛していた。小さい頃から大好きで、こうして夫婦として、家族として年月を重ねられることに感謝している。
ブライアンは愛情を言葉と態度で惜しみなくあらわしてくれる。それはナタリアにとって大切なことだった。
ナタリアの父は愛情表現をほとんどしない人で、子供達のことを大切に思っていたようだが、ナタリアは父から嫌われていると思っていた。
母がいうには父なりに愛情をしめしていたらしいが、ナタリアは父から愛されていると感じたことがないだけに、そのような愛情表現に何の意味があるのかと思う。
自分自身が親になったからこそ、子供を愛しているなら愛していると分かりやすく伝えなくてはならないと痛感している。
それは子供だけでなく他の人達に対しても同じことだ。好きという気持ち、大切にしているという気持ちは相手に分かる形で伝えてこそ意味をなす。
だからこそナタリアはブライアンがうっとうしいほど愛していると伝えてくれることが嬉しかった。
ナタリアとブライアンの仲の良さは社交界で知られているが、時折「人生何がおこるか本当に分からないものよ」とご親切な方々から忠告をうけることがある。
おしどり夫婦であっても、ある日突然相手の心変わりで、あっという間に離縁や愛人宅へいりびたりということになるからだ。
まさしくそのような忠告通り、長年おしどり夫婦として名高かった伯爵夫婦の仲が破綻した。夫が若い女性におぼれ愛人宅にいりびたっているという。
妻一筋と思われていた伯爵の突然の変身に、女性達の間で「男ってそういうものよね」「男ってやっぱり若い女が好きよね」と失望の声があふれた。
その伯爵夫人と親交があるナタリアの母から聞いた話しでは、伯爵夫人が理事をつとめている芸術団体の拡張にともない、伯爵との時間を犠牲にしすぎてしまったらしい。
お互い長く一緒にいて信頼関係も強固だったことから、伯爵夫人は長年の習慣であった二人の散歩の時間をおろそかにしてしまった。
そしてそれに対する伯爵の不満を聞き流してしまったという。
「良い関係を保ちつづけていくには、どちらも努力し続けなくてはいけないことを忘れていた。
夫に犠牲をしいつづけて関係が守れると思っていた私は傲慢だった」
その伯爵夫人の言葉はナタリアに重くひびいた。
ナタリアがブライアンの愛情を疑うことなくいられるのは、ブライアンが努力してくれているからだ。
ブライアンは結婚記念日、誕生日といったお祝いに必ず手紙をくれる。それも長文のラブレターだ。一年かけて少しづつ書きためてくれる。
そして毎日どれだけ忙しくても必ず二人で話しをし、話したあとに抱きしめあうことを習慣にしていた。
もしブライアンがその習慣を大切にしなければ、ナタリアは彼に蔑ろにされたと思うだろう。
そしてナタリアが習慣を守らなければ、ブライアンが荒れ狂い外出不可といいだしかねない。
ブライアンは妙な形でナタリアの愛を確かめずにはいられないとはいえ、ナタリアがブライアンの望む形で反応することで、ブライアンはナタリアからの愛を感じているのだろう。
さすがに夫婦の関係を良くしようと毎日意識を高くもって生活することは出来ないが、折に触れ意識をあらたにする。
今後二人で歩む年月が長くなれば長くなるほど、ナタリアにとってブライアンは空気のように存在を意識することなく過ごすだろう。
それはブライアンも同じでナタリアを空気のように当たり前と意識することなく生活するだろう。
しかし二人は幾度となく思いかえす。
お互いが空気のように「なくてはならない存在」なのだと。
そのような存在になるために努力し続けなくてはならない。
ナタリアは伯爵夫人の話を聞き強くそのように思った。
伯爵夫人のようにそのうち捨てられるわといってくる淑女の方々は、努力を忘れてはいけないと思い出させてくれる大切な存在といえる。
しかしものには言い方というものがある。
昔ならその場で切り返し相手の弱みをつき黙らせたが、大人として成長したいまとなっては、この程度の嫌みはさらりと流し相手に最大の痛みをあたえられるタイミングをまつ。
次期侯爵夫人のコネクションを甘くみてもらってはこまる。誰にもばれていないと思っている秘密をこちらはいろいろつかんでいる。
「お決まりのセリフをいえばよいのは幸せな証拠」
ナタリアは心の中でつぶやく。
「来週サラに会ったら心ゆくまでからかってもらいましょう。幸せなんだからからかわれるぐらい何ともないわ」
ナタリアは機嫌よくダイニングルームへエスコートしてくれる夫に微笑んだ。
「ブライアンが帰ってきたわ」
ナタリアは遊びにきている親友のサラにことわり、夫を出迎えるため待機している使用人達の身なりを点検する。
侯爵家の使用人達はしっかり教育されているので心配する必要はないが、つねに気を配り自分の目で確認するのが女主人の仕事だ。
「お帰りなさいませ」
ナタリアと使用人達の声が玄関ホールに柔らかくひびく。
「ただいま、ナタリア」
夫のブライアンがナタリアに口づけたあとナタリアを抱きしめる。
結婚した当初、ナタリアはブライアンを見送り、出迎えるたびに口づけ抱きしめられることに胸をときめかせた。
ナタリアの家ではこのような習慣がなかっただけに初めは驚いたが、婚家のブラック家では普通のことだった。
結婚して十年たつと新婚当初に胸をときめかせた口づけや抱擁は、いまでは当たり前の習慣となった。
「当たり前の習慣」と文字にするとありがたみがうすいが、ナタリアは二人が一緒に歩んできた証だと思っている。
習慣として組みこまれるほどブライアンと一緒に生きていることが嬉しかった。
ナタリアから数歩さがったところに控えていたサラが、ブライアンに淑女の礼をとる。
「お久しぶりです、ブライアン。すっかり長居してしまい申し訳ありません。
お戻りになる前にお暇するつもりだったのですが、ナタリアと過ごす時間が楽しくてつい居座ってしまいました」
ナタリアは、サラがブライアンと挨拶のあと世間話をしながら、ちらちら視線を送ってきているのに気づいた。
サラの視線の先をたどるとブライアンの首に口紅がついていた。
「またなのね」
ナタリアは心の中で溜め息をつきながら反射的に淑女の笑みをうかべる。
「サラ、また来週のチャリティーイベントで」
ナタリアはサラを見送りながら、サラが必死に馬車へ乗り込むまではと笑いをこらえているのを見て見ぬふりをする。
サラがこのあと馬車の中でお腹をかかえて笑う姿が目にうかぶ。
「今度会った時、散々からかわれそうだわ」
ナタリアはサラを見送ったあと玄関ホールをぬけ、自室で着替えているブライアンのもとへと急ぐ。
ブライアンは首筋についた口紅をナタリアへみせつけるまで、着替えを中途半端にしながらナタリアが来るのを待っているはずだ。
ナタリアはそのような主人の姿を、肩をぴくりともゆらすことなく真顔で対応する使用人達のプロ意識の高さに賞賛をおくる。
「ばたばたして申し訳ありません」
ナタリアが詫びながらブライアンの部屋へはいると、ブライアンは嬉しそうに着ていたシャツを脱ぎ侍従にわたす。
ブライアンの首についている口紅が、ナタリアによく見えるような角度でブライアンは立っている。
――こんな茶番に本当は付き合いたくないけど、付き合わないと終わらない。
ナタリアはハンカチを手にし「口紅がついているわよ」とブライアンの首についた口紅をぬぐう。
「すまない、ナタリア。ご婦人を助けた時についたようだ」
ナタリアはお腹にぐっと力をいれお約束のセリフをおごそかに口にする。
「女性に優しくするのは大事ですが、あまり近寄りすぎないよう気をつけてくださいね。やきもきしてしまいますから」
この手のセリフだけなら舞台で女優にひけをとらないほど上手くいえるだろうとナタリアは思う。
「ナタリア、心配しないで。僕が愛してるのはナタリアだけだよ!」
ブライアンがナタリアを羽交い締めするかのように抱きしめる。
ナタリアは頭の中で「ご苦労さま」と自分自身にねぎらいの言葉をかけた。
ブライアンの侍従が主人の着替えをもち辛抱強くひかえている。
ナタリアは彼の唇がいつもより赤いのをみて、「ごめんなさいね」と心の中でわびる。
主人から口紅をぬり主人の首にキスマークをつけるよう強要される職場などブラック家以外ないだろう。
ブライアンはこれまでナタリアを嫉妬させようと様々なことをやってきた。
ナタリアのものでない香水をまとい帰宅したり、今日のように体のどこかに口紅をつけていたり、女物のハンカチ、イヤリングといった小物がポケットにはいっているなど他の女性の影をちらつかせる。
ナタリアはそのような行動を初めてされた時は動揺しブライアンをなじり問いつめた。
ブライアン自身は香水の移り香や口紅は、女性を助けた時に近寄ったせいで浮気などしていないとありきたりな説明をするだけだった。
しかしブライアンの侍従が早々に主人を裏切り、ブライアンのたくらみをナタリアに暴露した。
ブライアンは浮気しておらず、ナタリアを嫉妬させるためわざと他の女性の存在をにおわせる小細工をしていると。
侍従いわく
「ブライアン様はナタリア様への愛を、普通の人間では理解できない形で表現されます。
わざとナタリア様を嫉妬させる行動をし、ナタリア様がそれに反応することがブライアン様にはとても重要なのです。
なぜそうするのか私にはさっぱり分かりませんが」
ということだった。
ナタリアにもブライアンの行動にどのような意味があるのか全く分からない。
しかし浮気していないことだけは理解した。
あまりにもバカバカしいのでブライアンがわざとやってることを知っている、やめて欲しいと怒りを爆発させたことがある。
しばらくおとなしくなったブライアンだったが行動は変わらなかった。
「子供と同じ。構って欲しいのよ」
ブライアンがナタリアに嫉妬させようとするのは、自分に構ってほしいからだと誰もがいう。
もちろんナタリアもそれは承知している。
しかし理解できないのは、ブライアンがナタリアにばれているにもかかわらず、何度も同じパターンで嫉妬させようとすることだった。
ブライアンが嫉妬深いのはしっている。そのためナタリアはブライアンが心配しないよう日々の行動には気をつけていた。
しかし男性とまったく接することなく生活するのは不可能なので、ナタリアとブライアンの間でかなりの攻防があった。
ブライアンから他の男をみるな、家からでるなといった理不尽な要求をされた時は、ナタリアは全ての義務を放棄し部屋から一歩も出ず、全男性を拒否するとブライアンにも接触拒否し応戦した。
さすがに自分が理不尽なことをいったと理解したのかブライアンは謝ってきた。
しかしその後も外出する時はブライアンの許可をとれ、子供の家庭教師は女性に限るなど、ありとあらゆる溜め息をつきたくなる要求をしつづけた。
ナタリアはおとなしく従うようなことはせず、そちらがその気ならと盛大にやり返し行動制限されないようにしている。
子供達へも嫉妬するブライアンは、大人気なく子供達に対抗意識をみせナタリアを独占しようとする。子供達から「お父様ずるい」といわれニヤリとするのは父親としていただけない。
ナタリアはブライアンに対し子供を育てるのと同じように、毎日愛しているといい、抱きしめ、ほめてと不安にならないよう愛情をあらわし続けた。
しかしナタリアを嫉妬させる行動は止まらなかった。
親友のサラに愚痴ると、「愛されすぎるのも面倒なものね」としみじみいわれた。
「昔から二人のことを見てきた私としては、あなた達は初恋同士で子供の頃から好きあっているし、ナタリアがブライアンを不安にさせるような行動をとったこともないのよね。
なぜブライアンはナタリアを嫉妬させないと気が済まないのかしら?
そばにいるこっちが気恥ずかしくなるほどお互い愛してるって伝えあってるのにね」
ナタリアはサラの言葉に大いにうなづく。
ナタリアの愛に不安を感じているわけでもないのに、なぜブライアンは茶番をつづけるのか。
ナタリアに対し過剰な愛で謎の行動をとるブライアンだが、仕事では理性と感情をバランスよくたもち高い評価をうけている。
ブライアンは領地の一部地域が洪水の被害をこうむった時に、素早く支援のための財源を確保し次期侯爵としての手腕をみせた。
仕事やナタリアがからまないことに対しては冷静な判断と行動をとるブライアンだったが、ナタリアに対してのみ「どうしてそうなるの?」と首をかしげたくなることが多かった。
ナタリアが一度口紅がついていてもあえて何もいわずにいたところ、「僕のこと嫌いになったの、ナタリア? 僕に口紅がついていてもナタリアは全く気にならないの?」と泣かれてしまった。
侍従がいうようにブライアンには意味のある行動らしいが、本人に面と向かってなぜそのようなことをするのかと聞いても明確な答えはかえってこなかった。
ナタリアはブライアンの行動を変えようとするよりも、ナタリアがブライアンが望む行動をした方が面倒臭くないと悟り、それ以来ブライアンが望む茶番をつづけている。
しかし今日のように身内以外にみられるのは恥ずかしい。
サラには何でも話しているので、サラはブライアンのこのような行動について知っている。
しかし本当にブライアンがわざとらしく口紅をつけて帰ってきたのを見るのは初めてで、帰りの馬車で笑い転げたのは想像にかたくない。
もし逆にサラの夫のエドワードが、ブライアンと同じことをしているのを目撃したら、ナタリアはエドワードの目の前で笑いをこらえきれず吹きだすだろう。
困った行動をするブライアンだが、ナタリアは夫のことを一途に愛していた。小さい頃から大好きで、こうして夫婦として、家族として年月を重ねられることに感謝している。
ブライアンは愛情を言葉と態度で惜しみなくあらわしてくれる。それはナタリアにとって大切なことだった。
ナタリアの父は愛情表現をほとんどしない人で、子供達のことを大切に思っていたようだが、ナタリアは父から嫌われていると思っていた。
母がいうには父なりに愛情をしめしていたらしいが、ナタリアは父から愛されていると感じたことがないだけに、そのような愛情表現に何の意味があるのかと思う。
自分自身が親になったからこそ、子供を愛しているなら愛していると分かりやすく伝えなくてはならないと痛感している。
それは子供だけでなく他の人達に対しても同じことだ。好きという気持ち、大切にしているという気持ちは相手に分かる形で伝えてこそ意味をなす。
だからこそナタリアはブライアンがうっとうしいほど愛していると伝えてくれることが嬉しかった。
ナタリアとブライアンの仲の良さは社交界で知られているが、時折「人生何がおこるか本当に分からないものよ」とご親切な方々から忠告をうけることがある。
おしどり夫婦であっても、ある日突然相手の心変わりで、あっという間に離縁や愛人宅へいりびたりということになるからだ。
まさしくそのような忠告通り、長年おしどり夫婦として名高かった伯爵夫婦の仲が破綻した。夫が若い女性におぼれ愛人宅にいりびたっているという。
妻一筋と思われていた伯爵の突然の変身に、女性達の間で「男ってそういうものよね」「男ってやっぱり若い女が好きよね」と失望の声があふれた。
その伯爵夫人と親交があるナタリアの母から聞いた話しでは、伯爵夫人が理事をつとめている芸術団体の拡張にともない、伯爵との時間を犠牲にしすぎてしまったらしい。
お互い長く一緒にいて信頼関係も強固だったことから、伯爵夫人は長年の習慣であった二人の散歩の時間をおろそかにしてしまった。
そしてそれに対する伯爵の不満を聞き流してしまったという。
「良い関係を保ちつづけていくには、どちらも努力し続けなくてはいけないことを忘れていた。
夫に犠牲をしいつづけて関係が守れると思っていた私は傲慢だった」
その伯爵夫人の言葉はナタリアに重くひびいた。
ナタリアがブライアンの愛情を疑うことなくいられるのは、ブライアンが努力してくれているからだ。
ブライアンは結婚記念日、誕生日といったお祝いに必ず手紙をくれる。それも長文のラブレターだ。一年かけて少しづつ書きためてくれる。
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もしブライアンがその習慣を大切にしなければ、ナタリアは彼に蔑ろにされたと思うだろう。
そしてナタリアが習慣を守らなければ、ブライアンが荒れ狂い外出不可といいだしかねない。
ブライアンは妙な形でナタリアの愛を確かめずにはいられないとはいえ、ナタリアがブライアンの望む形で反応することで、ブライアンはナタリアからの愛を感じているのだろう。
さすがに夫婦の関係を良くしようと毎日意識を高くもって生活することは出来ないが、折に触れ意識をあらたにする。
今後二人で歩む年月が長くなれば長くなるほど、ナタリアにとってブライアンは空気のように存在を意識することなく過ごすだろう。
それはブライアンも同じでナタリアを空気のように当たり前と意識することなく生活するだろう。
しかし二人は幾度となく思いかえす。
お互いが空気のように「なくてはならない存在」なのだと。
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伯爵夫人のようにそのうち捨てられるわといってくる淑女の方々は、努力を忘れてはいけないと思い出させてくれる大切な存在といえる。
しかしものには言い方というものがある。
昔ならその場で切り返し相手の弱みをつき黙らせたが、大人として成長したいまとなっては、この程度の嫌みはさらりと流し相手に最大の痛みをあたえられるタイミングをまつ。
次期侯爵夫人のコネクションを甘くみてもらってはこまる。誰にもばれていないと思っている秘密をこちらはいろいろつかんでいる。
「お決まりのセリフをいえばよいのは幸せな証拠」
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「来週サラに会ったら心ゆくまでからかってもらいましょう。幸せなんだからからかわれるぐらい何ともないわ」
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