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第一章 『約束』の日
第一章 『約束』の日
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第一章 『約束』の日
バチバチと何かがはじけるような音が聞こえる。
億劫に思いながら、ユウヤはまぶたを僅かに開く。近視のためはっきりと断定はできないが、その音は今時珍しい火鉢から聞こえてきた音のようだ。
何とか体を動かそうとしても、思うように動かない。自分は布団か何かの上に横向きに寝かされているようだが、全身が凍えるように冷たくて、その感覚さえもあいまいだ。
ただ、背中だけは温かい。背中だけは感覚がある。温かくて柔らかい何かがそこに触れているのが分かる。
「……こ…こ……は……」
ひどくかすれてはいたが、何とか声が出た。すると、
「あっ、気づきはった」
不意に背中の方から女性の声が聞こえた。
「……あっ、あ…の……こ……こ…は……」
ユウヤは、背中から聞こえた声の主に尋ねようとしたが、声がかすれて呂律が回らない。
「……大丈夫です。大丈夫ですから、元気になるまでもう少し眠っていてください……」
耳に届くそんな綺麗な声と優しいぬくもりに、ユウヤは安心して再び目を閉じた。
ユウヤがもう一度目を覚ますと、ぼんやりと木製の天井らしきものが目に入った。
「……あれ?」
周りを見渡したが。あまり目のよくないユウヤには様子がよくわからない。それでも何とか、枕元に紫色の布の上に大事そうにおかれた自分の眼鏡を見つけることができた。
「ああ、よかった」
ユウヤは眼鏡をかけ、もう一度周りを確認する。
木造で床は畳という和風の造りの部屋で、それほど大きな部屋ではない。部屋にあるのは自分が眠っていた布団一式と、その横にある座布団が一枚、そして部屋の隅の小さな鏡台だけだ。
鏡台の前に顔をやると、痩せた冴えない男の顔が映る。顔には怪我はないようだ。それに、身体が痛むようなこともない。
「……なんで……生きて……。ここは、いったい」
自分は橋から川に飛び降りたはずなのに、何故こんなところにいるのだろう? ユウヤはそう疑問に思ったが、いくら考えても理由は分からない。
「それに、この格好は……」
ユウヤの服装は、ジーンズとシャツから何故か着物に変わっている。
「失礼いたします」
不意に襖の外から女性の声が聞こえた。
「あっ、はい……」
ユウヤが反射的に返事を返すと、襖が開かれ、着物姿の若い女性が現れる。
「よかった。だいぶ顔色がようなられはったみたいで、安心しました」
女性は座っていたが、静かに立ち上がって部屋に入り、襖を閉めた。
まるで作法の手本のような優雅な動きに、ユウヤは思わず見とれてしまう。
「おなか空いてまへんか? もう少しで温かいおかゆができますんで」
満面の笑みを浮かべるその女性は美人だった。
腰まで伸びた美しい黒髪、優しい輝きを宿した瞳、小さな鼻と朱色の健康的な唇。あまりの美しさにユウヤの心臓は早鐘を打ち、顔は真っ赤に染まる。
「うちの顔に何か付いてはりますか?」
あまりにも長い時間見惚れていたためだろう。女性にそう尋ねられ、ユウヤは「すみません」と謝る。
「ふふっ、なして謝りはるんです?」
女性は悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「申し遅れました。うちはシノ言います。この街で雑貨店を営んどる者です」
そう名乗った。
「あっ、僕は……ユウヤ。ユウヤです」
ユウヤも同じように名乗る。一瞬、何か違和感を覚えたが、すぐにそれは消えた。
「ほんなら、ユウヤはん、と呼ばせて頂いてもよろしいです?」
「あっ、その、はい……」
ユウヤはしどろもどろになりながら何とかそう返事をする。
ユウヤにとって、人とじっくり顔を合わせて話すのは久しぶりだった。ましてやこんなに綺麗な女性と話しをするのは初めてだ。
「あっ、その、シノさん。僕はどうしてここに……」
「まぁ、その話は食事を取りながらにでもしましょう。うちもご相伴させて頂きますんで」
シノは「こちらにお持ちします」と言って部屋を出て行ったかと思うと、すぐにちゃぶ台を部屋に運んで来ると、続いて土鍋と二人分の茶碗や箸などを乗せたお盆を持ってきた。
「熱いですから、気いつけて下さい」
シノは茶碗にお粥を盛り、ユウヤに手渡してくれた。
「箸が使いにくいんでしたら、レンゲも用意しとります。それと、お粥は塩で薄く味付けはしとりますが、小鉢に梅干しや鮭の焼いたものなんかも用意しましたんで、好きなものをかけて召し上がってください」
シノの笑顔に「はい、頂きます」と頷き、ユウヤは箸を手に取って、まずはそのままお粥を口に運んだ。
「……美味しい……」
ユウヤは思わずそう感想を口にした。たまに食べる、レトルトの温めるだけのお粥などとは比べ物にならないほど美味しい。
「お口に合ったようで安心しました。ほんなら、うちも頂きます」
シノは嬉しそうに微笑み、自分もお粥を口に運ぶ。
「ユウヤはん。嫌いやなかったら、この佃煮も食べてみて下さい。うちの自信作なんです」
「あっ、はい……」
ユウヤはシノが自信作だと言う小魚の佃煮に箸を伸ばし、お粥と一緒に口に運ぶ。
その佃煮は硬さも甘辛さも絶妙ですばらしい味だった。さらにそれがあっさりとしたお粥にぴったりで、いっそうお粥の美味しさが際立つ。
「いかがです?」
「ええ。とても美味しいです」
期待に満ちたシノの視線に、ユウヤはお世辞でもなんでもなく、思ったとおりに答える。
「よかった。お粥もぎょうさんありますんで、遠慮せんとどんどん召し上ってください」
満面の笑みを浮かべるシノ。その笑顔は綺麗で、優しくて、温かくて……。
「……あれっ?」
不意にシノの顔が歪んだ――ようにユウヤには見えた。
「……ユウヤはん、どないしはったんです?」
心配そうなシノの言葉に、ユウヤは自分が泣いている事に気づく。
「すっ、すみません……。今まで、こっ……こんなふうに優しく……してもらったこと……なく……」
田舎から都会に出てきて、こんなに人に優しくしてもらったことは一度も無い。いや、田舎でも、人付き合いが苦手なユウヤにここまで優しくしてくれる人はいなかった。
「うっ、ううっ……。うわああああああっ!」
涙を流しているうちに、今まで胸のうちに溜めていた悲しみがこみ上げてきて、ユウヤは我慢ができなくなって泣き叫んだ。
情けないとユウヤは思った。何故こんな歳になっても自分は子供のように泣いているのだろうと。でも涙が止まらない。情けない。みっともない。男なのに。大人なのに。
「すっ、すみませ……」
散々泣き叫んで少しだけ落ち着いたユウヤは、こんな情けない姿を晒してしまったことを詫びようとした。だが、不意にユウヤはシノに抱きしめられ、言葉を続けることは出来なかった。
「……何を謝ることがあるんです? 泣きたいときは誰にでもあるもんです。思いっきり泣いたらええやないですか……」
シノはそう言うと、ポンポンと優しくユウヤの背中を触った。
「ユウヤはんが話したないんなら、無理にとはいいまへんが、良かったらうちに話してみてください。少しは楽になるかもしれまへんよ」
優しい声。そして柔らかで温かいシノに抱きしめられて、ユウヤはさらに大粒の涙をこぼして泣き叫んだ。
何故、自分はこんなに惨めなんだろう。こんなに不幸なんだろう。どうして自殺なんてしなければいけなかったんだろう。
ユウヤが泣き止むまで、シノは黙ってユウヤを優しく抱きしめてくれた。
「……僕が、何をしたって言うんだ……」
ユウヤはそう言葉を搾り出し、堰を切ったように自分のことを話し始めた。
バチバチと何かがはじけるような音が聞こえる。
億劫に思いながら、ユウヤはまぶたを僅かに開く。近視のためはっきりと断定はできないが、その音は今時珍しい火鉢から聞こえてきた音のようだ。
何とか体を動かそうとしても、思うように動かない。自分は布団か何かの上に横向きに寝かされているようだが、全身が凍えるように冷たくて、その感覚さえもあいまいだ。
ただ、背中だけは温かい。背中だけは感覚がある。温かくて柔らかい何かがそこに触れているのが分かる。
「……こ…こ……は……」
ひどくかすれてはいたが、何とか声が出た。すると、
「あっ、気づきはった」
不意に背中の方から女性の声が聞こえた。
「……あっ、あ…の……こ……こ…は……」
ユウヤは、背中から聞こえた声の主に尋ねようとしたが、声がかすれて呂律が回らない。
「……大丈夫です。大丈夫ですから、元気になるまでもう少し眠っていてください……」
耳に届くそんな綺麗な声と優しいぬくもりに、ユウヤは安心して再び目を閉じた。
ユウヤがもう一度目を覚ますと、ぼんやりと木製の天井らしきものが目に入った。
「……あれ?」
周りを見渡したが。あまり目のよくないユウヤには様子がよくわからない。それでも何とか、枕元に紫色の布の上に大事そうにおかれた自分の眼鏡を見つけることができた。
「ああ、よかった」
ユウヤは眼鏡をかけ、もう一度周りを確認する。
木造で床は畳という和風の造りの部屋で、それほど大きな部屋ではない。部屋にあるのは自分が眠っていた布団一式と、その横にある座布団が一枚、そして部屋の隅の小さな鏡台だけだ。
鏡台の前に顔をやると、痩せた冴えない男の顔が映る。顔には怪我はないようだ。それに、身体が痛むようなこともない。
「……なんで……生きて……。ここは、いったい」
自分は橋から川に飛び降りたはずなのに、何故こんなところにいるのだろう? ユウヤはそう疑問に思ったが、いくら考えても理由は分からない。
「それに、この格好は……」
ユウヤの服装は、ジーンズとシャツから何故か着物に変わっている。
「失礼いたします」
不意に襖の外から女性の声が聞こえた。
「あっ、はい……」
ユウヤが反射的に返事を返すと、襖が開かれ、着物姿の若い女性が現れる。
「よかった。だいぶ顔色がようなられはったみたいで、安心しました」
女性は座っていたが、静かに立ち上がって部屋に入り、襖を閉めた。
まるで作法の手本のような優雅な動きに、ユウヤは思わず見とれてしまう。
「おなか空いてまへんか? もう少しで温かいおかゆができますんで」
満面の笑みを浮かべるその女性は美人だった。
腰まで伸びた美しい黒髪、優しい輝きを宿した瞳、小さな鼻と朱色の健康的な唇。あまりの美しさにユウヤの心臓は早鐘を打ち、顔は真っ赤に染まる。
「うちの顔に何か付いてはりますか?」
あまりにも長い時間見惚れていたためだろう。女性にそう尋ねられ、ユウヤは「すみません」と謝る。
「ふふっ、なして謝りはるんです?」
女性は悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「申し遅れました。うちはシノ言います。この街で雑貨店を営んどる者です」
そう名乗った。
「あっ、僕は……ユウヤ。ユウヤです」
ユウヤも同じように名乗る。一瞬、何か違和感を覚えたが、すぐにそれは消えた。
「ほんなら、ユウヤはん、と呼ばせて頂いてもよろしいです?」
「あっ、その、はい……」
ユウヤはしどろもどろになりながら何とかそう返事をする。
ユウヤにとって、人とじっくり顔を合わせて話すのは久しぶりだった。ましてやこんなに綺麗な女性と話しをするのは初めてだ。
「あっ、その、シノさん。僕はどうしてここに……」
「まぁ、その話は食事を取りながらにでもしましょう。うちもご相伴させて頂きますんで」
シノは「こちらにお持ちします」と言って部屋を出て行ったかと思うと、すぐにちゃぶ台を部屋に運んで来ると、続いて土鍋と二人分の茶碗や箸などを乗せたお盆を持ってきた。
「熱いですから、気いつけて下さい」
シノは茶碗にお粥を盛り、ユウヤに手渡してくれた。
「箸が使いにくいんでしたら、レンゲも用意しとります。それと、お粥は塩で薄く味付けはしとりますが、小鉢に梅干しや鮭の焼いたものなんかも用意しましたんで、好きなものをかけて召し上がってください」
シノの笑顔に「はい、頂きます」と頷き、ユウヤは箸を手に取って、まずはそのままお粥を口に運んだ。
「……美味しい……」
ユウヤは思わずそう感想を口にした。たまに食べる、レトルトの温めるだけのお粥などとは比べ物にならないほど美味しい。
「お口に合ったようで安心しました。ほんなら、うちも頂きます」
シノは嬉しそうに微笑み、自分もお粥を口に運ぶ。
「ユウヤはん。嫌いやなかったら、この佃煮も食べてみて下さい。うちの自信作なんです」
「あっ、はい……」
ユウヤはシノが自信作だと言う小魚の佃煮に箸を伸ばし、お粥と一緒に口に運ぶ。
その佃煮は硬さも甘辛さも絶妙ですばらしい味だった。さらにそれがあっさりとしたお粥にぴったりで、いっそうお粥の美味しさが際立つ。
「いかがです?」
「ええ。とても美味しいです」
期待に満ちたシノの視線に、ユウヤはお世辞でもなんでもなく、思ったとおりに答える。
「よかった。お粥もぎょうさんありますんで、遠慮せんとどんどん召し上ってください」
満面の笑みを浮かべるシノ。その笑顔は綺麗で、優しくて、温かくて……。
「……あれっ?」
不意にシノの顔が歪んだ――ようにユウヤには見えた。
「……ユウヤはん、どないしはったんです?」
心配そうなシノの言葉に、ユウヤは自分が泣いている事に気づく。
「すっ、すみません……。今まで、こっ……こんなふうに優しく……してもらったこと……なく……」
田舎から都会に出てきて、こんなに人に優しくしてもらったことは一度も無い。いや、田舎でも、人付き合いが苦手なユウヤにここまで優しくしてくれる人はいなかった。
「うっ、ううっ……。うわああああああっ!」
涙を流しているうちに、今まで胸のうちに溜めていた悲しみがこみ上げてきて、ユウヤは我慢ができなくなって泣き叫んだ。
情けないとユウヤは思った。何故こんな歳になっても自分は子供のように泣いているのだろうと。でも涙が止まらない。情けない。みっともない。男なのに。大人なのに。
「すっ、すみませ……」
散々泣き叫んで少しだけ落ち着いたユウヤは、こんな情けない姿を晒してしまったことを詫びようとした。だが、不意にユウヤはシノに抱きしめられ、言葉を続けることは出来なかった。
「……何を謝ることがあるんです? 泣きたいときは誰にでもあるもんです。思いっきり泣いたらええやないですか……」
シノはそう言うと、ポンポンと優しくユウヤの背中を触った。
「ユウヤはんが話したないんなら、無理にとはいいまへんが、良かったらうちに話してみてください。少しは楽になるかもしれまへんよ」
優しい声。そして柔らかで温かいシノに抱きしめられて、ユウヤはさらに大粒の涙をこぼして泣き叫んだ。
何故、自分はこんなに惨めなんだろう。こんなに不幸なんだろう。どうして自殺なんてしなければいけなかったんだろう。
ユウヤが泣き止むまで、シノは黙ってユウヤを優しく抱きしめてくれた。
「……僕が、何をしたって言うんだ……」
ユウヤはそう言葉を搾り出し、堰を切ったように自分のことを話し始めた。
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