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第一章 『約束』の日

第一章ー⑥

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 居間についで広い部屋なのだが、さすがに彼のほかに五人も居れば手狭に思えてしまう。

 午後一番に、コリィは仲間たちと白いローブをまとったシスターを同行してユウヤの家を訪れて来た。

「さぁ、みんな、分かっているよね!」
 コリィがそんな掛け声をかけると、その他の少女達は両拳を胸の前で握り締めた。

「もちろん! 美味しいパンもご馳走になっちゃったことだし、全力でやっちゃうよ!」
「そうだよね。早速今晩から使えるようにしてあげないとね!」
「そうそう。いつもお世話になっているシノさんのためでもあるんだし。やるぞぉ~!」
 コリィと彼女が引き連れてきた三人の少女達は口々に勝手なことを言い、作業に取り掛かる。

「あっ、あのねぇ、みんな。気持ちは本当に嬉しいんだけど、万が一必要になったら僕が自分で組み立てるから、そのまま部屋の端に置いといてくれるだけで……」
 ユウヤのそんな声に、コリィたちは一斉に彼の方を向いた。

「だめだよ、ユウヤさん。このベッド、大きいし、結構複雑みたいだから、ユウヤさんが一人で組み立てるのは難しいよ」
「うんうん、コリィの言うとおり」
「そうそう。いざという時に組み立てが甘くて、ベッドが壊れたらどうするんですか! せっかくの記念の夜が台無しになって、いつまでも消えないトラウマになってしまいますよ」
「だから、ここは私達に任せて、ユウヤさんはシスターさんのお話を聞いていてください」

 言いたい事を言うと、コリィたちはみんなで一心不乱にベッドを組み立て始めた。

 それにしても、女の子なのに随分みんな手馴れている。

 ユウヤの知っている簡易的な組み立て式のベッドとは異なり、木の接合部分は自分で位置を決めてから釘とネジで組み立てなければならないうえに、大きさが大きさだ。

 だが、コリィたちは素晴らしい連携で器用にベッドを組み立てていく。

「……うん。分かったよ。でも、お願いだから、シノさんの前で変な事は言わないでね」

 幸いなことに、まだシノは来ていない。おそらく店を閉めるのに手間取っているのだろう。

 しかし、ユウヤがそう釘を刺すと、「もう、言われなくても大丈夫ですよ」と少女達はニヤニヤと笑みを浮かべる。……まったく大丈夫ではない、とユウヤは結論付けた。

 とはいえ、彼女たちを止める手段が思いつかないユウヤは、コリィたちに同行してきたリスレ神殿と呼ばれる所のシスターで、エリーと名乗った女性と改めて話をすることにする。

「あっ、その、すみません。わざわざ遠いところから来て頂きまして」
 間の抜けた話の振り方だと自覚はしていたが、ほかにどう言えば良いのか言葉が出てこず、ユウヤはエリーに話しかける。

 一見すると、コリィたちよりも少し年上くらいの若い女性だ。肩まで伸びたサラサラとなびく栗毛色の髪が印象的で、その顔立ちも温和で美しい。

「いいえ、お気になさらずに。これが私のお仕事ですから。……ですが、ユウヤさんは随分人気がおありのようですね。彼女たち、ユウヤさんに喜んでもらえるようにと一生懸命ですよ」
 そう言い含み笑いを浮かべるエリー。

「……ははっ、いいようにからかわれているだけですよ」
 しかしユウヤはその言葉の真意を理解できず、そう応えて小さく嘆息する。

「ふふっ、では、そういうことにしておきますね」
 エリーはそう言って姿勢を正した。

「それでは、これからユウヤさんに商品の領収書にサインをして頂きたいのですが……。ここで一つお詫びをしなければならないことがあります」
「お詫び、ですか?」
 オウム返しに問うユウヤに、エリーは「はい」と頷き、話を続ける。

「実は、当選の際にお渡した書類に不備がありまして、副賞の記載が漏れておりました。大変失礼致しました」
 エリーはそう説明して静かに頭を下げた。

「このベッドの他に、副賞としまして、ヴェリス金貨千枚が贈られます。どうかお納め下さい」
「きっ、金貨で千枚ですか?」
 あまりの金額に、ユウヤは驚いた。

 ユウヤが知る限り、この国には金貨と銀貨と銅貨の三種類の貨幣がある。ユウヤがこの街で物品を購入した感覚での話だが、元の世界に換算すると、銅貨が十円、銀貨が百円、金貨が千円ほどだ。すると、金貨千枚は百万円ほどの金額になる。

「あっ、その、ユウヤさん」
 話を聞いていたのか、いつの間にかコリィがユウヤの隣にやってきて、彼に耳打ちをする。

「あのねぇ、ユウヤさんはたぶん知らないだろうけど、ヴェリス金貨という金貨は、この街で使っている金貨の十倍の価値があるんだよ。だから、実質金貨一万枚ってことだよ」
「……えっ? それって……」

 先ほど計算した金額の桁が一つ上がることになる。すると、その価値は一千万円になる。

「あっ、ああ……すごいね……」

 あまりの金額にユウヤはそれ以上の言葉が出てこなかった。たかだか商店街のくじ引きで当たっただけでもらえる金額にしては、一千万円は大金過ぎる。

「金額の大小は関係ないと思います。ユウヤさんは定められた賞に当選されました。その商品を手にするのは当然の権利ですよ」
 ユウヤの心を読んだかのように、エリーはそう言って笑みを浮かべる。

「こちらの不備に加えまして、このようなことをお願いするのは大変恐縮ですが、お受け取りいただけないと我々リスレ神殿とヴェリス神殿の信用に関わりますので、なにとぞお納め下さい」
 エリーはそう続け、再び深々と頭を下げた。

「あっ、その……。困ったなぁ……」
「ねぇねぇ、ユウヤさん。別に困ることなんてないんじゃないかな? くれるって言っているんだから、ありがたく貰ったらいいと思うよ。シノさんとのこれからのことを考えたら、お金は必要になってくると思うし」
 コリィは含みのある笑みを浮かべて、ユウヤにお金を受け取るように促す。

「……わかりました。副賞もありがたく頂きますので、どうか顔をあげて下さい」
コリィに言われたからではないが、いつまでもシスターに頭を下げさせておくわけには行かないと思い、ユウヤは副賞の受領を承諾した。

「はい。ありがとうございます」
 エリーは顔をあげて感謝の言葉を口にする。

「それでは、この書類を確認の上、サインをお願いします」
「ええ。分かりました」
 ユウヤは書類を確認してサインをし、エリーに手渡した。

「はい、ありがとうございます。こちらは控えですのでお持ち下さい。それと、これが副賞のヴェリス金貨千枚の小切手です。紛失されると大変ですので、お早めに銀行で現金化して下さいね」
「あっ、はい……」
 小切手を手渡され、しかしユウヤは呆然としていた。

 小切手など手にした事がないので、どうにもこの紙切れ一枚を貰っても大金を手にした実感がわかない。

「これで引渡しの手続きは全て終了となります。ありがとうございました」

 エリーのその言葉に、
「……うん、書類のミスだよな、あれは……」
 ユウヤは当選した際に付属品とやらの書類に記載したことを思い出し、苦笑した。

 やはりあの質問用紙は何かのミスだったようだ。本来は副賞を説明する用紙が入っているはずだったのだろう。

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
 ユウヤもエリーの丁寧な礼に倣い、笑顔で礼をする。

「…………た」

「……えっ?」
 エリーが何か呟いたのは分かったが、ユウヤはそれを聞き取ることはできなかった。

「いいえ、なんでもありません。それでは、私はこれで失礼いたします。本当にありがとうございました」
「あっ、いえ……」
 コリィの仕事仲間の一人がシスターを送っていくと言ってくれたので、ユウヤはエリーを玄関まで見送ることにした。

「……ユウヤさん、あなたに神のご加護がありますように」
「あっ、ありがとうございます……」

 去り際に、エリーはそう言ってユウヤのために祈りを捧げてくれた。

 だが、エリーがその祈りに込めたものがなんなのか、この時のユウヤは知る由もなかった。



「はぁ。ヴェリス金貨が千枚も……。随分と気前のええ副賞ですなぁ」
 リスレ神殿のシスター、エリーが帰ってから程なく、シノがユウヤの家を訪ねてきた。
 ユウヤの予想どおり、店を閉めるのに時間が掛かったらしい。

「ええ。正直、本賞より副賞が豪華というのはおかしいとは思ったんですが……」
 ユウヤはこれまでの経緯を簡単にシノに説明し、今更ながら、先ほど受け取った副賞に違和感を覚えていた。

「そうですな。せやけど、別にユウヤはんは悪いことをしたわけでもないんですから、受け取っても何も問題はないと思いますよ」
 シノはコリィと同じ事を言って微笑んだ。しかし、すぐにそれが苦笑に変わる。

「……ほんまに大きなベッドですなぁ」
 驚きと呆れが混じったような声で、シノはコリィ達が組み立てているベッドの感想を口にする。コリィたちの頑張りのおかげで、組み立て式のベッドはおおよその形になっていた。

「あっ、はははっ、そうですね……」
 なんと答えればいいのか分からないユウヤは、とりあえずシノの言葉に同意する。ベッドの寸法はパンフレット等で知っていたが、やはり実物を見るとその大きさに圧倒されてしまう。

 いったい何人が寝られる大きさなのだろう。少なくとも五、六人は楽に横になれそうだ。

「……ええと、それで、シノさん」
「はい。どないしました、ユウヤはん?」
 ユウヤが声を掛けると、シノはにっこり微笑んでユウヤに顔を向けた。

「おおっ、ユウヤさん!」
「そうですよね。ここですよ、ユウヤさん」
「大丈夫、大丈夫。シノさんも期待している!」
 ベッドを組み立てていたコリィ達が、こっそりこちらに目を向けている。

 ユウヤはそのことに気づき、小さく嘆息した。彼女たちが何を期待しているかは見当が付くが、ユウヤはその期待に応えるつもりはない。

「その、この副賞のお金なんですが、僕にはこんな大金は必要ありません。このようなものでシノさんへの感謝の気持ちを形にできるとは思いませんが、この小切手、受け取ってくれませんか?」
 ユウヤは小切手をシノの前に差し出した。

 シノのおかげで、毎月充分な給料を得ることができる。
 それに、元の世界ならまだしも、ユウヤはこの街でそのような大金の使用方法が浮かばない。

 お金という形で感謝の気持ちを表すのは失礼だとは思うが、今のユウヤにはシノへの恩を返す方法が他には思いつかなかった。

「……そないな大金受け取れまへん。うちはそないな事をして欲しくて、ユウヤはんを助けたわけやありまへんよ」
 シノは首を横に振り、寂しげな顔で小切手を受け取ることを拒否した。

「……すみません、でも、僕はどうシノさんに恩を返したらいいのか分からなくて……」
「せやから、それはうちの我侭やというたはずです。それに、さっきは言いまへんでしたけど、ユウヤはんは充分うちに良うしてくれとりますよ」
「えっ……。いや、僕は何も……」
 シノの言葉の意味が分からず、ユウヤは言葉に詰まる。そんなユウヤに、シノは苦笑して言葉を続けた。

「ユウヤはんは、うちとの『約束』を守ってくれとるやありまへんか」
「……えっ。あっ、その、別にそれは……」
 そこまで言われて、ユウヤはようやくそれを思い出した。

 『約束』とは、ユウヤがシノの店を可能な限り訪れること。

『体調が良うなって新しい住居に引っ越したから、「ほな、さいなら」では寂しいんで、できる範囲でええんで、うちの店に足を運んでください』と、この家に引っ越した際にシノに頼まれたことだ。

 だが、それはユウヤにとっては嬉しく思うことはあっても苦労ではない。そもそも、ユウヤは約束だからしかたなく、といった理由でシノの店に足を運んだことはない。

 そんなことで恩を返せているとは思えない。それどころか、おいしい料理をお裾分けしてもらったり、相談に乗ってもらったりで、世話になるばかりだ。

「……ユウヤはん、人はどうやったら幸せになれるかて、考えたことあります?」
 突拍子もないシノの問いに、ユウヤは戸惑い、言葉を返せなかった。

「……もしも、自分の願ったことすべてが叶うのならば、それは幸せなことなのかもしれまへん。せやけど、全部が全部、自分の望むようになんてできまへん。……当たり前のことです。世の中には自分とは違う人がぎょうさんおって、その人たちも望みをもっていて、それらの望みは同時にはかなえられないものばかりなんやから……。
 だから、どこかで折り合いをつけなあきまへん。そして、その折り合いをつけたところをどう思うかで、人は幸せにも不幸にもなるんやないでしょうか?」
 シノは小さく息をつき、言葉を続けた。

「より幸せになろうと努力することは素晴らしいことですし、それを止めた方がええなんて思いまへん。せやけど、いくら頑張っても、幸せだと自分が思わない限り、人は幸せになれないとうちは思います。他人から見たらどれほど幸せな境遇でも、本人がそのことを理解できなければ、幸せにはなれまへん」
 そこまで言うと、シノはユウヤの目を見据える。

「お金は大切なものです。せやけど、それだけでは人は幸せにはなれまへん。ユウヤはんは気づいてないかもしれまへんけど、ユウヤはんはお金以上にうちが幸せだと思えるものをうちにくれているんです。せやからうちはお金持ちやなくても、今とても幸せなんです。それに……」
 シノは静かに懐からなにかを取り出した。

「それに、こないな嬉しい贈り物まで頂きました……」
「……シノさん、それは……。まさか、いつも持って……」
 シノが取り出したものは、ユウヤが先日、彼女に贈った櫛だった。

「はい。うちの宝物ですから、肌身離さず持っています」

 シノは少し恥ずかしそうに言うと、
「ユウヤはん、これからも仲良うしてください。それだけでうちは満足です」
 満面の笑みを浮かべた。

「…………」
 その笑顔がまぶし過ぎて、ユウヤは言葉を口にできなかった。

「……どうして、この人はこんなに優しいのだろう?」 
 ユウヤは優しさと悲しさが入り混じった笑みを浮かべる。

 いくら心惹かれても、決して自分のものにはならない存在を、美術館に飾られたケースの中の芸術品を愛でるような笑みを。

 ユウヤは心から思う。この女性が愛しいと。誰よりも愛しいと。

 こんな気持ちは生まれて初めてだ。叶うのならば、この人が欲しい。この人と共に生きたい。でも、きっとそれは叶わない……。

「……ありがとう、シノさん……」
 ユウヤは泣きたくなるのを堪えながら、何とか笑顔で礼を言う。

 それが精一杯だった。
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