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第八章 別離

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 第八章   別離



 季節はいよいよ秋となった。

 このカリスの街は、ユウヤが以前に住んでいた世界の日本と同じように四季がある。慣れない気候よりも体に馴染んだものの方がありがたいが、やはりだんだん気温が下がってきて、日が短くなってくるのは、どこか物悲しさを感じずにはいられない。

 もっとも、今日のユウヤには、そんな感慨に浸っている暇などないのだが。

「うん、これで大丈夫だな。ファリア、この串をレミアさんたちのところに」
「はい、ユウヤ様」

 ファリアに絶妙な焼き加減の肉と野菜の串焼きを載せた紙皿を手渡すと、また新たな串を追加する。

 ユウヤは炭火の熱を全身で感じながら、慣れた手付きで串焼きを焼いていく。ずっと同じ作業を続けるのはかなり大変なのだが、皆が喜んでくれていると力が湧いてくる。

 この日のために、猛練習をしたのだ。その成果を遺憾なく発揮しなければ。

 ユウヤは、黙々と焼いている。食材の準備は、カットから串に刺すところまで全てユウヤが一人で行った。

「ははっ。こういった飲み会は大の苦手だったけれど、妻や知人たちが参加者だとこんなに楽しいんだな」

 ユウヤはそう心のうちで呟きながら、作業を続けるのだった。




 事の起こりは、二週間前に遡る。

「結婚式でお世話になった人たちへのお返しはだいたい終わったけれど、レミア区長やルミラさん、それに職場の皆やコリィとコリィの会社の子達には、特にお世話になってしまったよね」
「そうですね。会場の設営や料理の準備など、たくさんお世話になりました」
 ユウヤの右腕に腕を絡ませているリナが、笑顔でそう同意してくれる。

 今日は、シノさんの店も休みということで、家族全員で買い物にやって来たのだが、その大部分は結婚式でのお返しの手配だった。

 人数が人数なので、これも何日かに分けて行ったのだが、それもようやく今日でおしまいとなった。だが、特にお世話になった人たちには、これだけでは不足な気がする。

「何か、別にお礼を考えないといけないと思うんだけど……」
「はい。ですが、あまり過度な贈り物は控えるべきだと思います」
 ユウヤの左を歩く、ファリアがそう助言してくる。

「そうだよね。受け取る方に申し訳ない気持ちを持たれたくないし、財布の紐も少し閉めないといけないよね」

 結婚してからというもの、ファリアとシノが金銭面での管理を行ってくれている。
 それをリナが監査し、そして、気になるので最後にユウヤ自身がその数値を確認させてもらっている。

 最初は戸惑ったものの、普段からどちらかと言えば貯め込むタイプのユウヤには、この方式は合っていたので、感謝こそすれ不満に思うことはない。

「せやけど、人様の好意に甘えてばかりというのもよくありまへん。そこで、うちから提案があるんですが……」
 ユウヤの三歩後ろを歩くシノの言葉に、皆が振り返る。

「シノさん、それは、いったい?」
「ふふっ。それは家に帰ってからのお楽しみです。そのために必要なものも買うてきましたんで」
 ユウヤが提案するまでもなく、シノは皆へのお返しを考えていてくれたのだろう。

「いつの間に、そんな……」
「あんた達がユウヤはんに甘えて、あっちこっちに引っ張り歩いとるあいだや。新婚気分が悪いとはいいまへんが、妻たるもの、そういった心配りを忘れたらあきまへんよ」
「くっ。いっ、言われるまでもありません」
 ファリアが少し悔しそうに言い、シノは逆に微笑んでいる。

 けれど、この二人の間に流れていた張り詰めた空気のようなものは、だいぶ薄まってきたとユウヤは思う。
 今までは、ファリアがシノに敵愾心を顕にしていたのだが、一緒に生活をするに連れて、その状況はだんだん変わっていった。

 ファリアは少し意固地な部分があるが、相手の主張を受け止めることができる柔軟性も持ち合わせている。
 包容力があり知識も豊かなシノに敬意を払い、彼女の言うこともファリアは取り入れるようになっていた。すると、面倒見の良いシノもそのことを理解して、自分からも歩み寄って行ってくれた。
 そこに更にリナが加わることで、より円満に家族の絆が育まれてきている気がする。

 いや、気がする、ではない。そうなるように三人が努めてくれたのだろう。この情けない夫のために。

「本当に、僕は果報者だな……」

 妻たちの優しさに感謝しながらも、ユウヤはどうにか彼女たちにも何かしてあげられたらと思っていた。

 だから、家に帰ってから聞いたシノの提案は願ったり叶ったりだった。
 彼女の提案。それは、お世話になった人たちを家に招いておこなう食事会だったのだ。






「はい、お飲み物の追加です。ジュースもあります」
「あんがと、リナ。皆に運ぶのはあたしがやっておくから、大丈夫よ」
「ですが、お客様に……」
「いいのいいの。これくらいやらないとね」
 リナがコリィという名の少女と仲良く接客しているのを見て、ファリアは少し安堵した。

 先日仲直りができたと、リナが満面の笑顔で話していた事を思い出す。

 そんな二人を微笑ましげに横目で確認し、夫が調理した肉と野菜の刺された串を、レミア達、つまりは夫の職場仲間のテーブルに運ぶ。

「おまたせしました。お肉とお野菜の追加です」
 ファリアが笑顔で、テーブルの上の空皿と手持ちの皿を置き換える。

「ふむ。ありがとう、ファリア。皆が美味しい美味しいと言って勢いよく食べるものだから、あっという間になくなってしまうのだ」
 レミアがそうファリアに声を掛けてきた。

「ええ~っ。仕方ないじゃないですか。ユウヤさんの手料理なんて、今回を逃したらもう食べられないかもしれないんですから」
「そうそう。今回は特別に『皆さんに感謝をお返しする意味で』ってユウヤさんが頑張ってくれているんですよ。その気持ちをしっかりと受け止めて、味あわなくちゃあもったいないですよ」

 夫の料理が好評なのは妻としても嬉しいのだが、悪い虫がつかないだろうかとも思ってしまう自分に、ファリアは心のうちで苦笑する。

 夫は、決してこれ以上妻も妾も増やさないと言ってくれている。ファリアはその言葉を信じている。それに、同じ職場仲間から夫が好かれていることは喜ばしいことのはずだ。
 だが、あまりにも夫に好意が向けられていると、ついつい嫉妬心が顔を出してしまいそうになってしまう。

「ふふっ。しかし、皆の憧れだったユウヤ殿が結婚してしまうと、少し寂しいのが現状だな。まぁ、こんなに美しいファリアと可愛らしいリナ。それとユウヤ殿が以前から一途に思っていたシノの三人が相手では、仕方がないとは思う。
 ……だから、安心したまえ、ファリア」
 レミアはそう言って、意味ありげな笑みをこちらに向けてくる。

 その視線に悪意めいたものは全く感じられなかったが、ファリアは心の中を読まれたのではないかと一瞬思ってしまった。
 だが、レミアは何事もなかったように、串を皿から一本取り、箸を使ってその料理を皿に移す作業をし始める。

「……きっと気のせいです。神殿のことで神経質になっているから、そんなふうに思ってしまったのでしょう」
 ファリアはそう結論づけて、空皿を手に一度夫の元に戻ることにする。

「はい。熱うなっとりますんで、気をつけて召し上がって下さい」
 その途中で、自分と同じように料理皿を別のテーブルに運ぶシノの姿が見えた。

 そこで再び怪訝な気持ちがこみ上げてきてしまう。

「ユウヤ様も皆さんも喜んでいらっしゃるので特に気にしませんでしたが、シノは何故、ユウヤ様に料理をさせたのでしょうか?」

 シノの今までの夫というものに対する接し方を考えるに、料理を夫に行わせる事を忌避するものだとばかり思っていた。

 もっとも、今回は特別だと言っていたので、今後はこのような機会はないとは思う。

 だが、違和感を覚えてしまう。何か自分の知らない意図があるのではないかと勘ぐってしまう。

「……いいえ。まずは無事に今回の食事会を終わらせることが肝要ですね。きっとのらりくらりと誤魔化されてしまうでしょうが、シノには後で直接話を聞くことにしましょう」

 あまり人を疑ってばかりでは気が滅入る。それは分かっている。

 だが、不安感がファリアの胸をよぎるのだ。

 このままでは何か取り返しの付かないことになってしまうのではないかという、漠然とした不安が消えてくれない。

「……フォルシア様。どうか、私達にご加護を……」
 神への祈りを小さく口にし、ファリアは仕事に戻るのだった。






 今日の夕食は、リナの特製海鮮ピラフだった。
 シンプルな料理なのだが、味付けが巧みで、思わずファリアも唸ってしまった。

 リナは最近料理に特に力を入れていて、ファリアだけではなくシノにも教えを乞うている。その成果が着々と出始めているようだ。

「うん。これは素晴らしいね。疲れた身体に染み渡るような、優しくて美味しい味だ」
「このバターと米の相性がええな。それも、バターの量がきちんと計算されとるからや。何回も試行錯誤をして頑張ったんやな、リナ」
 ユウヤとシノの絶賛に、リナは恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑む。

「ふふっ、貴女の努力の成果ですね。これほど美味しいピラフは、お店でもなかなか食べられないと思います」
 そして、続いたファリアの賛辞を受けて、リナは「ありがとうございます」と皆に頭を下げた。
 その顔があまりにも嬉しそうな笑顔だったので、思わず皆の表情も明るくなる。

「料理っていろいろ大変だけど、すごく面白いし、やりごたえのあるものなんだね」

 今回の食事会のバーベキューが大盛況のまま無事に終了し、とても楽しかったのだろう。ユウヤが何気なくそう呟き、
「また、何かの機会があるかもしれないから、よければ僕にも、もっと料理を教えてくれないかな?」
 とファリア達に言って来た。

「あきまへん。今回は特別やと言うたはずです。料理はうちら妻の仕事。本来は殿方が行うことやありまへんよ」
 ファリアが何かを言う前に、シノがそうピシャリと言い放つ。

「あっ、シノさん……」
 ユウヤは困った顔をして、リナとファリアに助けを求める用に視線を動かしたが、ファリアもこの件に関してはシノと同じ考えだ。

「あっ、あの、ユウヤさん。もしかして、気を使ってくださっただけで、私の料理に気に入らないところがあったんですか?」
 リナなどは、先程までの笑顔が一変して、泣き出しそうな、不安げな表情をユウヤに向ける。

「あっ、その、ごめん。というか、リナ。すごくこのピラフは美味しいよ、本当に。ただね、皆も家事仕事で大変だから、休みの日くらいはその手伝いでもしようかと……」
 ユウヤの言葉に、ファリアは少し目を閉じて頭を整理し、口を開く。

「ユウヤ様。家事は私達の仕事です。そして、ユウヤ様は毎日お仕事を頑張って下さっています。お休みの日は、しっかりと休んで英気を養って下さい。
 私達妻は三人おります。それに、シノは雑貨店を営んでおりますが、私とリナは家事仕事しかしておりません。適度の休みも頂いています。それなのに、ユウヤ様にお仕事を手伝わせることなどあってはいけないと私は考えます」

 ファリアの言葉に、「そうです」とシノが同意する。

「『男子厨房に入らず』という言葉があります。殿方が女のするような卑しいことはしてはならないという意味です。そのような些事に殿方の手を煩わせては、妻の沽券にも関わってきます。
 妻が三人もいるのに、あの家は普段から夫に家事をさせとるんやと世間様に思われてしまいます。どうか、ご理解下さい」
 シノはそう言って静かにユウヤに頭を下げた。それに倣い、ファリア達も頭を下げる。

「あっ、その、シノさん。それにファリアとリナも顔を上げて。もう、料理をしたいなんて言わないから」
 妻たちに頭を下げられて、ユウヤは居心地が悪かったのだろう。慌ててそう約束した。

「はい。ありがとうございます」
 シノはそう御礼の言葉を述べると、しかしすぐに穏やかな笑みを浮かべる。

 そのことに安堵したのだろう。ユウヤはほっと胸をなでおろし、
「せっかくこんなに美味しいピラフなんだから、温かいうちに食べましょう」
 そう言ってスプーンを手に取った。

 ファリアとリナも「はい」と答えて食事を再開する。
 そして、再び楽しい食事の時間が戻ってきた。

 だが、ファリアはここでますます今回の『特別』に違和感を覚える。

 ファリアは食事後に、シノと食器等の後片付けを行うことにして、その場でその疑問をシノに問うことにした。
 素晴らしい食事を作ったリナを労うために、彼女にはユウヤと談笑をしてもらうことにしたので、二人きりになることができた。この機会を逃す手はない。

「……シノ。貴女に聞きたいことがあるのですが」
「ふふっ。なにか言いたそうな雰囲気やったのは分かっとりました。同じユウヤはんの妻なんや。遠慮はいりまへんよ」
 食器を洗いながら、シノは苦笑交じりに答える。

 もっとも、遠慮はいらないとのことだが、本当のことを話してくれるかどうかは分からない。

「……質問は、『二つ』あります」
 ファリアは答えてくれることにはあまり期待せずに、質問を増やす。

「一つは、今回、ユウヤ様に何故料理をさせたかと言うことです。いえ、式を手伝って頂いた皆さんへの謝辞としての意味合いは理解できます。
 ですが、貴女がユウヤ様にそれだけの理由で料理をさせたということに違和感を覚えます」
「なるほど。そないなふうに疑問を持ったわけやな。それに応える前に、もう一つの質問を聞いてもええです?」
 シノの言葉に、ファリアは頷いた。

「こちらは、最初の問と重複する部分があると思います。ですが、ぜひ答えてもらいたい事柄です」
 ファリアはシノの横顔を見つめて、問う。

「貴女は、私達に何を隠しているのですか?」

 単刀直入な質問。
 どうせはぐらかされてしまうのならば、問はシンプルな方が良い。

「……貴女は謎だらけです。人並み外れた力を持ち、魔法のことや神殿の『お役目』というものも私達以上に知っているようです。そして、きっと、神殿の上層部の人間がひた隠しにしている事柄についても知っているのではないですか?」

 シノは食器を洗う手を止めて、こちらに視線を向けてきた。

「まずは、最初の問いに答えます。ユウヤはんに料理をさせたんは、あんたのいうとおりに謝辞を表すためが主な理由。そして、もしもうちらが料理を作れない事態になった時に、最低限のことを一人で行ってもらえるようにするためというのが、もう一つの理由です」
「私達が、料理を作れない事態ですか?」
「せや。あり得んことやないやろ? 万が一病気でうちらが倒れでもする可能性はあるはずや」

 シノの言葉に嘘はないと思う。だが、やはり肝心なことをはぐらかしている気がする。何か別に起こりうる事態を隠している気がしてならない。

「そして、次の質問。うちが何を隠しているか、やったな。それは、単純な答えや」
 シノは静かに言葉を続ける。

「……それらは、知らないほうがええことや。何も知らんほうが幸せなことというものもあるんよ、ファリア」

 シノはそう言って微笑んだ。けれど、その笑顔は酷く寂しげだった。

「……納得がいきません。ですが、貴女が今、話せる限界まで話してくれたことは分かります。そして、それは私達を、ユウヤ様を慮ってのものに違いないということも……」

 ファリアは拳をきつく握りしめ、声を絞り出す。

 この数ヶ月の間の付き合いだが、寝食をともにしてわかった。
 このシノという女性は心からユウヤを愛している。
 そして、その家族である自分たちにも心を砕いてくれている。

 シノは敵ではない。
 もしも敵であるのならば、とうの昔に自分たちを亡き者にできているはずなのだから。

 その彼女が言うのだ。悪意があって隠しているのではないだろう。

「ファリア。あんたにだからここまで話したんや。うちが自分以外の最も頼りになる仲間やと、家族だと思うあんたにやから」

 シノの優しい言葉がファリアの心を抉る。

 悔しい。悔しくて仕方がない。

 自分ではまだまだ力不足なのだろう。シノが抱えているであろう事柄に対抗するには。

「……分かりました。この事は私の胸のうちにとどめておきます」
「ええ。そうしといてや」
 ファリアは気持ちを押し殺して、作業に戻る。

「大丈夫や。うちが不安に思う事柄は、もう長いこと起きとりまへん」

 シノはそう言ってくれたが、ファリアの不安な気持ちは消えてくれない。

 そして、そういった予感ほど当たってしまうものなのだ。
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