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幕間

三伏(後編)―③

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 ……気の緩みだったのだろう。

 本来ならば、旅の支度を整えて早々に別の街に逃げるべきだった。

 だが、約束の日から一週間以上追手の追撃がなく、そして久しぶりに味わう人間らしい生活に触れてしまったルイとアリシア達は、その甘美な毒に骨抜きにされてしまったのだ。

「もしかしたら、あいつらは私達を追うのを諦めたのかもしれない」
 誰かが言ったそんな言葉が、さらに警戒心を奪っていく。

 既に知っていたはずなのに。
 そんな油断が、大切な仲間を失う原因となった事を……。

 最低限のことはしていた。

 約束の日以降は、みんなで出歩かずに用心をしながら行動して、宿を毎日変更した。
 必ず、街の出入り口の二箇所に見張りをおいて、行き交う人々をチェックしていた。
 街の噂も可能な限り仕入れることにしていた。

 だが、思ってもいなかった。相手も同じことをしている可能性を考慮していなかった。

 そしてなにより、あまりにもその衝撃が強かったから、自分たちの敵があの一組だけだと思いこんでしまっていた。

 この期間に参加しているものは、全て敵だという大原則を、ルイ達はきちんと理解していなかったのだ。





「大丈夫。今日もあいつらがこの街に近づいてきた様子はないし、怪しい人物は見られなかったわ」

 サリアのその報告を受けた私は、自分の方も同じ状況だったことを報告し、今晩泊まる予定の宿屋に足を運ぶ算段を整える。

 そして日が沈みかけて、人通りが少なくなった頃に私達は行動に移る。

 斥候をするティアに案内され、私達は裏道を通って宿屋に移動する手はずになっていた。

 なるべく人に見つかることのないルートで宿を変える。その行為にどれほどの効果があるのかは未知数だが、何もしないでいるよりはマシなはずだ。

「ルイ……。大丈夫?」
「うん。なんてことないよ、アリシア」
 昨晩泊まった宿から少し離れた裏路地に、私達四人は集まっていた。

 個別に移動したほうが目立たないとは思うけれど、万が一に敵に見つかった場合、私達の強みが発揮できなくなる。

「……来た!」
 私はティアの気配を感じ、視線を上に上げる。

 ティアは住宅の屋根に登っているのだ。

 彼女が見つかる危険性が高いのは分かっているが、私達はティアにその役目をどうしてもしてもらわなければならない。

 それが私達の最大の弱点。探知能力を持つものがいないという事実だ。

「…………」
 ティアは何も言わずに、顎を動かして付いてくるように合図をする。私達は頷いて彼女を見失わないようにその後を追う。

 それはいつもの決められた手順。そして、普段どおりなら、今日も彼女の決めてくれたルートに沿って移動すれば、無事に宿屋に着けるはずだった。

「アリシア、みんな。すこし止まって」
 突然ルイが私に声をかけてきた。

 隠密行動を心がけていることをルイも分かっているはずだ。なのに、声を上げるなんて何かあったに違いない。

「…………」
 屋根伝いに走るティアも足を止めて、こちらに戻ってくる。

「サリア……」
 ルイが、一番近い私ではなくサリアに耳打ちする。その意味を、私は瞬時に理解した。

「ねぇ、ティア。今のサリアの声が聞こえたわよね?」
 私の言葉に、ティアはこちらを向いて頷いた。

 私はそれを確認すると、
「リミファ!」
 そうリミファの名を呼んだ。

 全てを理解しているリミファは、目立たない風の魔法を使用して、ティアの姿をした誰かの胸を切り裂く。

「がっ、うっ……。なっ、何で……。ああっ!」
 胸に深手を負ったティアの姿が、見知らぬ女のそれに変わっていく。そして、その女は足を踏み外して、屋根から滑り落ち、頭部から地面に激突した。

 高さもそれなりにある。間違いなく即死だろう。だが、事はまるで好転していない。私達は誰かの罠に誘い込まれてしまったのだ。

「呆けている暇はないわ。どうすればルイを、みんなを守れるの。考えなさい、私」
 パニックを起こしそうな自分を心のなかで叱咤し、私はルイ達の前に立つ。みんなを守れるように。だが、それはあまりにも遅い行動だった。

 聞こえたのは、風切り音が二つだったことと背後から聞こえたということ。それしか分からなかった。そして、振り返った私が見たのは、喉を正確に二本の矢で射抜かれ、血を流して倒れるリミファの姿だった。

「リミファ……。リミファ!」
 ルイが悲鳴を上げる。だが、もう手遅れだった。

 何かを喋ろうと口を僅かに動かしたリミファは、そのまま動かなくなってしまった。

『真っ先に、<僧侶>のリミファを狙ってきたわ。気をつけなさい。相手はかなり戦い慣れている』
 耳ではなく、私の頭の中に直接声が響いてくる。サリアの能力『伝達』によるものだ。

『弓をどうにかして。残りは私がなんとかするから!』
 サリアの言葉に『分かったわ』と頭の中で返事をし、私は泣き崩れそうなルイの手を取って、射抜かれないように更に細い道に逃げ込む。

「ルイ! しっかりしなさい! このままじゃあ、みんな殺されてしまうわ」
「うっ、うん」
 ルイは懸命に涙がこぼれそうになるのを堪えて、私に頷き返す。

 そう、それでいい。リミファの死を悲しむのは、無事に逃げおおせてからだ。

「コソコソと人を狙う卑怯者たち! 何処にいるのか正直に答えなさい!」
 私はあらん限りの声で叫ぶ。

 リスクはかなり高い。でも、これしか方法がない。
 今、自分たちがいる位置がばれるのと同時に、このおかしな発言で、私の能力と駒としての力がバレてしまう可能性がある。だが、早く弓を持った相手を倒さないことには、状況は悪くなる一方だ。

「……よし、聞こえたみたいね。それならば……」
 私はルイの手を取って、再び走り出す。

 分かる、弓を持った相手が私達二人を追ってくるのが。

「それなら、後はサリアが耐えていられる間に、こいつらを……」

 ルイも何も言わずに私と一緒に走ってくれている。

「待っていて。すぐに終わらせるから!」
「うっ、うん!」
 私は少し足を止めて、ルイを更に細い路地道に押し込む。そして、手近の家屋の凹凸と身体能力と強化の魔法を駆使して、屋根の上に駆け上がった。

「なっ!」
「遅い!」
 私が突然目の前に現れたことに動揺した敵が、慌てて私に弓を向けようとするが、そんな何手もかかる動作を待ってあげるほど私は鈍くない。

 駆け寄るのと同時に腰の剣を抜いて、その敵の首を一撃で飛ばす。そして、そのまま走り抜けて、再び地面に降りる。
 衝撃を和らげるために、距離の近い住宅の壁を、何回かジグザグに蹴って着地した私は、踵を返して、もう一人の弓使いの元に近づくべく足を進ませる。

 高速で移動する私の動きは分からないはずだ。一方、今の私には敵の位置ははっきり分かっている。
 けれど、きっと仲間がやられて警戒しているに違いない。

 私は走りながら、腰のバックから手探りで薬を挿れている瓶を取り出す。そしてそれを、目的の建造物を駆け上がる前に、反対の住宅の窓に向かって放り投げた。

 窓ガラスの割れる音に、敵が気を取られている間に、私は一気に敵との距離を詰める。

「なっ、何故、私の位置が……」
 こちらを視認した敵の言葉。それが、そいつの最後の言葉になる。

 私はためらうことなく、また首をはねた。

 そして、剣を鞘に戻すのと同時に、先程と同じ方法で地面に着地した私は、ルイの元に駆け戻る。

「あっ、アリシア……。良かった。無事だったんだね……」
 幸い、ルイは無事だった。だが、その顔は土気色をしている。

「……ルイ。辛いのは分かっているけど、今は少しでも情報がほしいわ。何があったか教えて」
 私の問に、ルイは口を開く。

「……リミファと、そしてティアの力が抜けていった……」
 ルイの言葉に、私は知らずに拳を強く握りしめる。

 リミファが助からないのは分かっていた。しかし、敵はそれだけではなく、偽物が化けていることに気づかれた以上は、もう利用価値はないと思いティアを殺したのだ。

「ルイ! サリアのところに戻るわよ!」
「うん。分かっているよ!」
 私とルイは手を握って駆け出す。

「せめて、せめてサリアだけでも……」
 そのことだけを願い、私達は懸命に走った。でも……。


『……ごめんね、ルイ。アリシア。……後は、お願い……』


 そんな言葉が、私の頭に直接聞こえてきた。

「……あっ、アリシア……」
 繋いだルイの手が震えているのが分かった。でも、私がここで足を止めるわけには行かない。

 サリアは『逃げろ』とは言っていなかった。後を頼むと言ったのだ。

「あのサリアが、簡単に負けるはずがない。それならば……」
 私はルイの手を引いて懸命に走り、そこにたどり着いた。

「……サリア……」
 ルイの悲痛な声色は、血の池に倒れたサリアに向けられたものだろう。

 うん。そうだ。サリアの死を悼むのは、今はルイ一人に任せる。

 私は力尽き倒れたサリアが、私達のために何をしてくれたのかを確認し、彼女に心から感謝した。
 サリアの死体の前には、「男」が居た。そして、そいつの手に持つ剣が赤く染まっている。その周りには、九人の女の死体。

「最初に倒した、ティアに化けていた女。そして、私が倒したのが二人。合計十二人。残っているのは、最大でも三人……」

 サリアは一人で九人を倒したのだ。そして、そのあまりの強さに、<王>であるはずの男が出てきて、手ずからサリアを殺すしかない状況を作り上げてくれた。

「……ありがとう、サリア。後は私に任せて……」
 私は、男とその傍に立つ二人の女に視線を移す。

 男たちには疲労の色がありありと見えた。サリアがここまで敵を追い詰めてくれたんだ。

「くそっ、まさか、<女王>だったとは……。だがな、お前たちの切り札だった女は殺してやった! 私の作戦に狂いはない。狂いはないんだ」

 改めて男の顔を見る。年は二十代の半ばくらいだろうか? ひどく神経質そうな顔に見える。ただ、その虚勢を、強がりを言う姿は、どうしようもなく醜いと思った。

「ルイ。下がっていて……」

 私は静かに剣を抜く。そして、
「どうして私達を襲ったの? 貴方達とは初対面だと思うけれど?」
 そう尋ねる。

「ふん。くだらない質問だね。目の前に敵がいる。ならば可能な時に排除しておかねば、いつ寝首をかかれるかわからない。それだけのことだよ」

 男の言葉を聞き、私ははっきりと理解した。

 この男は嘘をついていない。そうか、そんなくだらない理由で、私の大切な友達を殺したというのか……。

「……貴方の名前は聞かないわ。そして、その二人だけが貴方に残った仲間よね?」
 私は不審がられないように注意し、少しだけ大きな声でそう尋ねる。

「ふん、どうかな?」
 愚かだ。まだこの男は私の能力を理解していないみたいだ。

「そう、そこね」
 私は腰のベルトからナイフを一本取り出して、横道の奥に向かってそれを投げる。

「……うっ……」
 くぐもった声を漏らし、隠れていた一人が姿を表すのと同時に倒れた。

「……なっ、なんだと。おっ、お前、まさかお前も……」
 私はもうこいつらと会話するつもりはない。

 全力で動いた。残っている敵が、大した使い手ではないことはもう分かっていた。
 私は二人の女を一呼吸のうちに斬り殺す。そして、最後に、男の眼前に剣を突きつけた。

「……そっ、そんな! ふっ、ふざけるな! <女王>を二体も保有しているなんて、予想外にも程が……。ひっ、卑怯だぞ。こっ、こんな戦力差は……」
「…………」
 私の心は荒んでいく一方だ。こんな奴のせいで、みんなは……。

「……楽に死ねるなんて、思わないことね!」
 私が剣を振うと、次の瞬間、男の鼻が飛んだ。

「いっ、ぎやぁああああああっ!」
 男は情けない悲鳴を上げて後ずさり、背中を向けて逃げ出していく。

 逃がすとでも思っているの? 逃してもらえるとでも考えているの?

 ふざけないで! ふざけるんじゃないわよ! 

 私はルイが見ていることも忘れていた。きっと酷い顔をしていたと思う。

 でも、こいつは許せない! 八つ裂きでもまだ足りない。みんなの受けた苦しみの何分の一でも返さないことには、私は冷静ではいられ……。


「……えっ……」

 沸点を超えていたはずの怒りが、急速に冷めていった。

 いつからそこに居たのだろう? 男が逃げていく先に、女が一人立っていた。

 長い黒髪で変わった服装の女。私もルイもその女を知っている。ただ、何故こんなところに場違いなその女がいるのだろう。……しかも、その手には短刀が握られている。

「……散りや」
 女は一言そう言うと、迫りくる男の横を通り過ぎた。

 そう、ただ通り過ぎたようにしか見えなかった。しかし、走っていく男の首が、体から滑り落ち、原型を留めないほどにバラバラになった。
 頭部を失った男の体は、少し走った後にバランスを崩して崩れ落ちる。そんな見るも無残な殺しをしたというのに、眼前の黒髪の女は美しかった。

 この女は達人だ。ただ立っているだけでわかる。そのあまりにも洗練された立ち姿は、美しくて恐ろしい。
 そして、その女が殺意をこちらに向けている。

「……ばっ、化け物……」
 私の口から思わずその言葉が漏れた。

 あの時……、レイアを殺したあの男に恐怖を覚えた。だが、あの男でも比較にならない。こんな、こんな……。

「アリシア!」
 あまりの恐怖で剣を落としてしまいそうになる私。だが、私と女の間にルイが割り入る。

 ルイの手にはナイフが握られている。万が一の際に自分の身を守るようにと渡した武器だ。

「だめ、ルイ!」
 私は全力で、ルイを背中から抱きしめる。

 戦いの経験がないルイにも分かるんだ。この女が危険な存在だって。

「うっ、あああああっ!」
 私は恐怖に震える自分の足を叩いて、臆病な自分を叱咤した。

「もう、もう私しか居ない。ルイを、ルイを守れるのは、私だけなんだから!」
 心のうちで自分を懸命に鼓舞し、私はルイの身体を引っ張って背後に隠す。
 そして、剣を構えて女を睨みつけた。

「……強がるのはやめとき。あんたらに勝ち目はない」
 だが、女は静かにそう言うと、短刀を持つ手を前に突き出す。

「終わりや。うちに見つかった時点で、あんたらは終わっとったんよ」

 女の言葉は事実だ。それは分かっている。だけど、私は負けられないんだ!

「私の攻撃を、貴女は防ごうとも躱そうともしないわよね?」
 私は自分の能力を開放して、その言葉を口にする。

 それが彼我の戦力差を少しでも埋めてくれることを願って。
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