彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第一章 エルマイラムの冒険者

⑤ 『家族』

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「よし。今度こそ、あの化け物を……」

 団長と副団長に掛け合い、なんとか非番を返上して今晩も見回りを任せられることになった。ただ、少しは休めと言われ、レイは仕方なく家路に就くことにする。

 東の空に太陽が登り始めている。今後の作戦会議の後に、団長たちを説得するのに思ったより時間が掛かってしまったようだ。

「家に帰っても、セインの奴は眠っている時間だな。何処かでパンでも買って帰って、朝飯。そして少し剣を振るってから、風呂。その後はひたすら眠る」
 簡単にこれからのスケジュールを決めながら、レイはナイムの街の大道を歩く。

 街の中心にある大時計で時間を確認すると、ちょうどもう少しで馴染みのパン屋が開店する頃だ。

「今回のような失態は起こさない。もう二度とあいつに助けられるようなヘマはしない」

 一度だけ今回の屈辱を思い出し、レイはその気持ちを心の奥へと仕舞い込む。
 失敗を悔やむことはある。だが、それは一度で十分だ。悔やみ続けていてもなんの解決にもならないのだから。

「今晩はジェノの奴は非番だ。どうにか今晩のうちに決着をつけてやる」
 そう決意し、まずは腹ごしらえだと先程立てた予定通りにパン屋に行こうとしたレイだったが、

「あっ、良かったわ。行き違いにならなくて」

 不意に聞こえた女性の声に、レイはそちらに顔を向ける。そこに立っていたのは、彼の予想通りの人間だった。

 レイと同じ金色の髪。そして、とても温和そうなその人は、優しい笑みを浮かべていた。
 生きていればレイ達の母親と同じ位の年齢らしいのだが、傍目にはとてもそうは思えないほど若々しくみえる。二十代だと言われても納得してしまうだろう。

「……バルネアさん」
 レイは、その女性の名を口にした。
 足を進めるうちに、いつの間にか彼女の店の近くまで来ていたらしい。
 だが、近くとは言っても、少し距離がある。手荷物を持ちながら、わざわざ自分のことを待ってくれていたようだ。

「ふふっ。おはよう、レイちゃん。朝までご苦労さま」
「あっ、ああ。おはよう……ございます……」
 レイのなんとも間の抜けた挨拶に、しかしバルネアは何が嬉しいのか一層笑みを強める。

「聞いたわよ。昨晩は大忙しだったんですってね。夜食も食べている暇がなかったって。それでね、簡単なものだけれど朝食を作ったの。良かったら、食べてちょうだい」
 バルネアはそう言って大きなバスケットを手渡してきた。

 上には布巾がかけられていたが、そこから垣間見えるのは小型の鍋とサンドイッチなどだ。出来たてのようで、食欲を誘ういい香りがレイの鼻に届いた。

「そっ、その、あっ、ありがとな、バルネアさん。セインの奴もきっと喜ぶと思う」
 思いもしなかった出来事に、レイは呆気にとられてそれ以上の言葉が出てこない。

「ふふっ。自分で言うのもなんだけれど、結構美味しくできたと思うから、冷める前にセインちゃんにも食べさせてあげてね。野菜と果物も入れておいたから、好き嫌いをしては駄目よ。『朝食は金、昼食は銀、夕食は銅』って言うくらい、朝ごはんは大切なんだから」
 バルネアは満面の笑みでそう言うと、空いているレイの左手を両手で優しく握る。

「レイちゃん。いつも、私達を守ってくれて、本当にありがとう。でも、無理はしないようにしなくては駄目よ」
「あっ、ああ。分かっているよ。でも、俺よりもバルネアさんこそ無理をしないでくれよ」

 レイの言葉に、バルネアは苦笑する。

「私は大したことはしていないわ。心配しないで。それと、夜勤明けだから今日はお休みだと思うけれど、レイちゃんとセインちゃんの分も夕食を作っておくから、よかったら食べに来てね」
「いや、その……。分かった。助かるよ。ありがとう、バルネアさん」

 自分達の身の上を知っているバルネアの気遣いに、レイは深々と頭を下げ、「それじゃあ、俺は帰るから」とだけ告げて踵を返して足早に家路に就く。

「ええ。しっかり休んでね、レイちゃん」
 背中から掛けられた声に、しかしレイはその言葉とは反対の事を考えていた。

「これ以上、バルネアさんに迷惑をかけられない。この事件は今晩にでも終わらせてやる。俺達の手で」
 レイは深くそう心に誓った。





「帰ったぞ」
 鍵を開けて家に入ったレイは、一応帰宅を告げる。

「ああっ、おかえり、兄さん」
 まだ、眠っているだろうと思って、起こさないように控えめの声にしたのだが、返事が帰ってきた。

「なんだ。もう起きていたのか」
「うん。なんだか目が冴えてしまって」

 レイにそう言って答えるのは、彼の弟のセイン。レイと同じ金髪だが、顔はあまり似ておらず、どちらかと言うとおとなしそうな雰囲気の少年だ。
 歳はレイの五つ下の十二歳で、今は学校に通っている学生だ。

「まあ、起きているのなら丁度いい。バルネアさんが俺たちのために朝食を作ってくれたんだ。温かいうちに食べようぜ」
「えっ、バルネアさんが?」
 セインの顔に笑みが浮かんだことに、レイも笑みを浮かべる。

「俺は着替えてくるから、先に食べていていいぞ」
「ううん。待っている。一緒に食べようよ。僕が用意しておくから」
「おう。頼む」
 レイはバスケットをテーブルに置き、後のことをセインにまかせて別室に行って着替えを済ませる。

 そして、居間に戻ってくると、きちんと料理が配膳されていた。

「これは美味そうだな。さすがバルネアさんだ」

 サンドイッチの具材は定番のハムの他に、鳥肉か何かが挟まれたもののほか、ポテトサラダや卵などバリエーションが豊富で、しかも量も多い。食べざかりの自分達のことを気遣ってくれたのだろう。

 そして、色鮮やかな新鮮な野菜と果物のサラダ。さらに、先程から鼻孔をくすぐる素晴らしい香りは、白いスープ料理のようだ。だが、シチューとは香りが違う。

「さぁ、食べようよ、兄さん」
「おう」
 レイとセインは食事前の祈りを口にする。

 兄弟二人だけの食事。だが、レイの家族はこれで全員だ。
 母はセインを生んでまもなく病気で他界した。それからは父が一人でレイたちを育ててくれたが、その父も三年前に亡くなった。

 父が死んで日が浅い時期は、違和感と悲しみに心を痛めていたが、人間はそういった環境にも慣れていくものだ。今は、二人での食事にもすっかり日常になってしまった。

 祈りを終えて、レイ達は食事を始める。

「サンドイッチも気になるけれど、まずは……」
 そう言ってスープに匙を伸ばす弟に倣い、レイも同じようにそれを味わうことにする。

「はぁ~。美味しい」
「ああ、最高だな……」
 レイも思わず口角を上げてしまう。

 たくさんの野菜の旨みと貝の旨味が合わさった熱々のスープが、体だけでなく心も温めてくれるのだ。

「バルネアさんのメモ書きによると、『クラムチャウダー』って料理みたいだね。作り方まで書いてくれているよ」
「なに、レシピまで書いてあるのか?」

 良くも悪くも全然すごい人には見えないバルネアだが、彼女はこの国でも著名な料理人なのだ。そのレシピとなると、金を出してでも知りたいと思う輩はたくさんいるはずだ。それなのに、こんな簡単に……。

 そんな事を考えたレイだったが、このあっけらかんとした気取らない感じが、いかにもバルネアさんらしいと思い、苦笑する。

「兄さん、このサンドイッチも凄いよ。食べ慣れた具材のはずなのに、全然美味しさが違う」
「ああ。どれもすごく美味い。だが、この鶏肉を焼いたのも食べてみろ、さらに驚くぞ」

 心から嬉しそうに笑って食事を楽しむセインの姿に、レイは笑みを強めて、心のなかでバルネアに深く感謝する。
 弟のこんなに嬉しそうな顔は久しぶりだ。

 件の化け物の一件で、レイもなかなか弟のための時間を取ってやることができなかった。きっと寂しい思いをさせてしまっていたのだろう。

「はぁ、美味しかったぁ」
 綺麗にバルネアの料理を完食し、セインは幸せそうに笑う。

「セイン。実はバルネアさんに夕食に呼ばれているんだ。学校が終わったら、まっすぐ家に帰ってこいよ」
「えっ? 僕も食べに行ってもいいの?」
「ああ。俺は今晩もそのまま仕事に出るが、帰りは誰かに送らせるから安心しろ」

 バルネアさんの店<パニヨン>から、この家までは大した距離があるわけではない。それぐらいは仲間たちも協力してくれる。

「兄さん、夜勤明けなのに、今晩も……」
 バルネアの料理をまた食べられる事に喜んでいたセインの顔が曇る。

「すまんな。だが、ついに今回の事件の犯人が明らかになったんだ。休んではいられない」
「……うん。分かった」
 セインの絞り出すような声に、レイは頷いて彼の頭を撫でる。昔、自分が父にしてもらったように。

「大丈夫だ。だから、お前はしっかり勉強をしてくれ。そして、偉くなって、俺達みたいな人間が、少しでもいい生活ができるように頑張ってくれ」
 何度も弟に言い聞かせてきた言葉を、レイはまた口にする。

 レイと異なり、おっとりとしたおだやかな気質のセインには荒事は向いていない。だが、こと勉学については光るものがある。

「兄さん、僕、頑張るよ。だから、必ず帰ってきてね」

 稼ぎ頭の父が居なくなったことで、レイは十五歳で弟を養うために自警団に入団した。
 そのことは微塵も悔やんでいない。父が人生を捧げ、殉職したこの仕事を自分が継いだことに誇りを持っている。
 だが、できることならば弟には、自分に向いた仕事について欲しい。そして、幸せになってほしい。

「ああ、大丈夫だ。安心しろ」

 同じ立場になってようやく分かる。
 今のセインと同じ言葉を口にする自分を、父がどんな思いで見つめていたのか。

 常に死と隣り合わせの仕事をしながら、家族も守ろうとした男の気持ちが、痛いほどに……。
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