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第一章 エルマイラムの冒険者
⑲ 『あの日の出来事』
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リットから、すべての準備が整ったとの連絡があった。
もっとも、それはジェノの頭に直接語りかけてくるもの――リットの<遠距離会話>の魔法によるものでだった。
リット自身はすでに配置に着いて、決行の合図を待っている。
自警団の制服を身に着けたジェノは、一人倉庫街まで足を運んだ。
事前の打ち合わせどおりに、倉庫街に人影は見えない。夜間の外出禁止令が出ている夕方近くの時間帯だ。それも当然だろう。
さらに、リットが『舞台は整える』と言ったのだ。この一帯にいる人間は自分以外にいないことをジェノは確信していた。
ジェノは静かに呼吸を整えると、未だに繋がっている遠距離会話の魔法でリットに作戦開始を告げる。
「はいよ、了解」
生き生きとしたリットの返事が聞こえた。
きっとリットは作戦通りに、件の化け物の幻覚を作り出して自警団の人間たちを集めて誘導してくれるだろう。
「後は、俺次第か……」
いい加減な言動や態度が目立つリットだが、やると決めたことに対しては手を抜く人間ではない。物心がついた頃からの長い付き合いだ。それくらいは分かる。
「よーし、作戦通りに食いついてくれたぜ、ジェノちゃん。安心してくれよ。今回の魔法は、特別性だ。質量さえ魔法で再現しているから、幻というよりは複写体の作成だ。
だから、この化け物の攻撃を受けたら、リアルにダメージを受ける。最悪、死ぬことになるはずさ」
「リット……」
「分かっているよ。不審を抱かれない程度の抵抗しかしないって」
リットの声に自分をからかう響きを感じ、ジェノは苦笑いする。長い付き合いはお互い様かと思いながら。
「リット、すまんが、後のことは頼む」
「あいよ。不測の事態なんてものが起こっても、この天才にかかればそんなものは障害になりえない。大船に乗ったつもりで、ジェノちゃんはどんと構えておきなよ」
やはり、リットの声は生き生きしているように思える。
魔法という力を持たない自分には分からないが、その力を持つがゆえの悩みというものもあるのだろう。だが、それでも、ジェノはこう思ってしまう。
「俺も魔法が使えれば……」
何度そう思ったことかわからない。だが、魔法は先天性的な才能なのだ。努力で後から身につけることは決してできない。
「愚痴を言っている場合ではないな。……今日で全てを終わらせるんだ」
ジェノはそう心に決め、自身の弱い心を胸底に沈めるのだった。
◇
「そうか。コウ。今日は母さんのシチューか。それは楽しみだな」
「うん。だから、迎えに来たんだよ」
コウの父の今の仕事現場は、彼の家からそう距離があるわけではない。だから、祖父に許可をもらって、コウは一人で父親を迎えに行ったのだ。
帰り支度をしていた父は、コウが迎えに来たことに驚いていたが、嬉しそうに微笑んでコウの頭を撫でてくれた。
そして、コウは父と一緒に、手を繋いで家に帰る。
とりとめのない話をしながら歩いていれば、すぐに家にたどり着き、コウと父は熱々のシチューを楽しむことができるはずだった。
だが、そこで思いもよらなかった事が起きた。
コウが何とはなしに見上げた前方の建物の屋根の上に、何か大きな生き物が居たのだ。
それは、絵本で見たことのある、猿のような外見をした大きな生き物。だが、その顔にはいくつもの赤い瞳が蠢いていた。
「あっ、あああ……。おっ、お父さん!」
コウは父の手を引っ張り、震えながらその生き物の方を指差す。
「どうした、コウ? ……なんだ、なんだあれは?」
父もその生き物に気づいた。だが、その瞬間に、それはコウに向かって飛びかかってきた。
コウは恐怖で体が動かずに、何もできなかった。
だが、彼の父がそんなコウを抱きかかえて、今まで来た道を逆走し始めた。
コウの父は懸命に走る。だが、赤い目を忙しなく動かしながら、巨大な猿の怪物が凄まじい速度でそれを追ってくるのが、父の肩越しに見えた。
「あっ、ああ! くっ、来るな! 来るな!」
声の限りに叫ぶコウだったが、怪物は足を止めてくれはしない。
怪物は突然跳び上がった。そして、上からコウ達に襲いかかってくる。
「お父さん、危ない!」
コウは父に危険を告げたが、正面を向いて逃げることに必死な父は背後で起こっていることに気づけなかった。
次の瞬間、コウの体が宙を舞った。そして、石畳の地面に倒れる。
「うっ……」
その衝撃で背中を打ったコウは、一瞬息が詰まった。
苦しさに目を閉じたコウが、なんとか再び目を開けると、そこには悪夢のような光景が広がっていた。
うつ伏せに倒れる父。そして、父の背中からは大量の血が流れ出して、石畳を赤く染めていく。そして、そんな父の後ろには、あの怪物が立っている。
「あっ、あああ! お父さん! お父さん!」
叫ぶコウに、父は何とか口を動かし、「逃げるんだ」と言う。
しかし、コウは動くことができなかった。
ただ、目の前の怪物が怖くて、恐ろしくて。
このまま、自分もお父さんと一緒に殺される。そうコウは思ったが、
「どうした! 何があった!」
突然、男の人の声が、遠くから聞こえてきた。
それは、先程のコウの叫び声が、たまたま近くを巡回していた自警団の人間に届いたからだったのだが、コウにはそんな事を考える余裕などなかった。
怪物は動きを止めると、再び跳び上がって近くの家の屋根に着地する。
そして、コウを一瞥し、明後日の方向に逃げていった。
「あっ、あああああっ……。うわああああああああっ!」
大怪我をした父に駆け寄ることもできなかった。
コウはあまりの恐怖であらん限りの声を上げて、ただただ泣き叫んだ。
やがて、自警団の者が駆けつけて、コウは保護をされた。父親も治療魔法が使える者がいる近くの神殿に運ばれることになった。
結果として、コウは僅かなかすり傷を負っただけで、彼の父も一命は取り留めることができた。だが、それは幸運と呼べるものでは決してなかった。
コウの父は後で意識を取り戻したものの、背中を深く切り裂かれた後遺症で、今後は立つことができないと診断されてしまったのだから。
そして、コウは深い傷を心に負うこととなってしまい、この日から彼は悪夢にうなされ続ける事になってしまったのだから。
もっとも、それはジェノの頭に直接語りかけてくるもの――リットの<遠距離会話>の魔法によるものでだった。
リット自身はすでに配置に着いて、決行の合図を待っている。
自警団の制服を身に着けたジェノは、一人倉庫街まで足を運んだ。
事前の打ち合わせどおりに、倉庫街に人影は見えない。夜間の外出禁止令が出ている夕方近くの時間帯だ。それも当然だろう。
さらに、リットが『舞台は整える』と言ったのだ。この一帯にいる人間は自分以外にいないことをジェノは確信していた。
ジェノは静かに呼吸を整えると、未だに繋がっている遠距離会話の魔法でリットに作戦開始を告げる。
「はいよ、了解」
生き生きとしたリットの返事が聞こえた。
きっとリットは作戦通りに、件の化け物の幻覚を作り出して自警団の人間たちを集めて誘導してくれるだろう。
「後は、俺次第か……」
いい加減な言動や態度が目立つリットだが、やると決めたことに対しては手を抜く人間ではない。物心がついた頃からの長い付き合いだ。それくらいは分かる。
「よーし、作戦通りに食いついてくれたぜ、ジェノちゃん。安心してくれよ。今回の魔法は、特別性だ。質量さえ魔法で再現しているから、幻というよりは複写体の作成だ。
だから、この化け物の攻撃を受けたら、リアルにダメージを受ける。最悪、死ぬことになるはずさ」
「リット……」
「分かっているよ。不審を抱かれない程度の抵抗しかしないって」
リットの声に自分をからかう響きを感じ、ジェノは苦笑いする。長い付き合いはお互い様かと思いながら。
「リット、すまんが、後のことは頼む」
「あいよ。不測の事態なんてものが起こっても、この天才にかかればそんなものは障害になりえない。大船に乗ったつもりで、ジェノちゃんはどんと構えておきなよ」
やはり、リットの声は生き生きしているように思える。
魔法という力を持たない自分には分からないが、その力を持つがゆえの悩みというものもあるのだろう。だが、それでも、ジェノはこう思ってしまう。
「俺も魔法が使えれば……」
何度そう思ったことかわからない。だが、魔法は先天性的な才能なのだ。努力で後から身につけることは決してできない。
「愚痴を言っている場合ではないな。……今日で全てを終わらせるんだ」
ジェノはそう心に決め、自身の弱い心を胸底に沈めるのだった。
◇
「そうか。コウ。今日は母さんのシチューか。それは楽しみだな」
「うん。だから、迎えに来たんだよ」
コウの父の今の仕事現場は、彼の家からそう距離があるわけではない。だから、祖父に許可をもらって、コウは一人で父親を迎えに行ったのだ。
帰り支度をしていた父は、コウが迎えに来たことに驚いていたが、嬉しそうに微笑んでコウの頭を撫でてくれた。
そして、コウは父と一緒に、手を繋いで家に帰る。
とりとめのない話をしながら歩いていれば、すぐに家にたどり着き、コウと父は熱々のシチューを楽しむことができるはずだった。
だが、そこで思いもよらなかった事が起きた。
コウが何とはなしに見上げた前方の建物の屋根の上に、何か大きな生き物が居たのだ。
それは、絵本で見たことのある、猿のような外見をした大きな生き物。だが、その顔にはいくつもの赤い瞳が蠢いていた。
「あっ、あああ……。おっ、お父さん!」
コウは父の手を引っ張り、震えながらその生き物の方を指差す。
「どうした、コウ? ……なんだ、なんだあれは?」
父もその生き物に気づいた。だが、その瞬間に、それはコウに向かって飛びかかってきた。
コウは恐怖で体が動かずに、何もできなかった。
だが、彼の父がそんなコウを抱きかかえて、今まで来た道を逆走し始めた。
コウの父は懸命に走る。だが、赤い目を忙しなく動かしながら、巨大な猿の怪物が凄まじい速度でそれを追ってくるのが、父の肩越しに見えた。
「あっ、ああ! くっ、来るな! 来るな!」
声の限りに叫ぶコウだったが、怪物は足を止めてくれはしない。
怪物は突然跳び上がった。そして、上からコウ達に襲いかかってくる。
「お父さん、危ない!」
コウは父に危険を告げたが、正面を向いて逃げることに必死な父は背後で起こっていることに気づけなかった。
次の瞬間、コウの体が宙を舞った。そして、石畳の地面に倒れる。
「うっ……」
その衝撃で背中を打ったコウは、一瞬息が詰まった。
苦しさに目を閉じたコウが、なんとか再び目を開けると、そこには悪夢のような光景が広がっていた。
うつ伏せに倒れる父。そして、父の背中からは大量の血が流れ出して、石畳を赤く染めていく。そして、そんな父の後ろには、あの怪物が立っている。
「あっ、あああ! お父さん! お父さん!」
叫ぶコウに、父は何とか口を動かし、「逃げるんだ」と言う。
しかし、コウは動くことができなかった。
ただ、目の前の怪物が怖くて、恐ろしくて。
このまま、自分もお父さんと一緒に殺される。そうコウは思ったが、
「どうした! 何があった!」
突然、男の人の声が、遠くから聞こえてきた。
それは、先程のコウの叫び声が、たまたま近くを巡回していた自警団の人間に届いたからだったのだが、コウにはそんな事を考える余裕などなかった。
怪物は動きを止めると、再び跳び上がって近くの家の屋根に着地する。
そして、コウを一瞥し、明後日の方向に逃げていった。
「あっ、あああああっ……。うわああああああああっ!」
大怪我をした父に駆け寄ることもできなかった。
コウはあまりの恐怖であらん限りの声を上げて、ただただ泣き叫んだ。
やがて、自警団の者が駆けつけて、コウは保護をされた。父親も治療魔法が使える者がいる近くの神殿に運ばれることになった。
結果として、コウは僅かなかすり傷を負っただけで、彼の父も一命は取り留めることができた。だが、それは幸運と呼べるものでは決してなかった。
コウの父は後で意識を取り戻したものの、背中を深く切り裂かれた後遺症で、今後は立つことができないと診断されてしまったのだから。
そして、コウは深い傷を心に負うこととなってしまい、この日から彼は悪夢にうなされ続ける事になってしまったのだから。
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