31 / 249
第一章 エルマイラムの冒険者
㉛ 『違う道を歩む、君へ』
しおりを挟む
頬の痛みと突っ張った感じがあっという間に消えていく。
魔法の力というものはやはり便利だと思う。だが、それはそれとして、ジェノは目の前の男に尋ねずにはいられなかった。
「それで、何を企んでいるんだ?」
「いやだなぁ、ジェノちゃん。俺はただ単に、昨晩、ジェノちゃんのあまりの正義の味方っぷりに痺れてしまって、頬の傷を治していなかったことを思い出しただけだぜ。
たまたま通りかかる用事もあったから、こうして足を運んであげたわけよ。他意はないぜ」
調子のいいリットに、ジェノは嘆息する。
どんな用事があったかは知らないが、この男がわざわざ他人の傷を治してやるために足を運ぶ人間でないことはよく知っている。絶対にこの行動には裏がある。
「もう、リットちゃん。本当に、お昼ごはんを食べていってはくれないの?」
「ああ、ごめんね、バルネアさん。昼はもうほかの店で済ましてしまったんだ。付き合いで仕方なくさ。だから、また今度にさせてよ」
その上、客が居なくなる時間帯を狙ってきたのに、バルネアさんの作る昼食を断るのだ。これは絶対に怪しい。
「それに、この後すぐにお客さんが来ることになるから、そいつらになにかご馳走してやってよ」
リットは、片目をつぶってバルネアに意味深なことを言う。
「待て。本当に何をしたんだ、お前は!」
「よ~し、準備は完璧だな。主役が顔に怪我していたら、せっかくのいい場面が台無しになるからな。それじゃあ、後の事はよろしく、ジェノちゃん」
そこまで言うと、リットはわざわざ転位の魔法を使ってこの店から姿を消した。
「なっ、何だったんでしょうか?」
訳がわからないと言った顔をするメルエーナ。だが、それはジェノも同じだ。
いったい誰がこの店を訪ねてきて、何が起こるというのだろう?
考えていても埒が明かないので、ジェノは店のテーブルの拭き掃除を再開する。
そして、ジェノが拭き掃除を終わらせる頃に、その客はやって来た。
「すみません。もう営業が終わっていると書かれているのは見えたんですが、どうしても会いたい人がいるので、お尋ねしてもいいでしょうか?」
聞いたことのない若い男性の声。姿を見ても、やはり会った覚えはない。だが、その男性と一緒に入ってきた幼い少年は、ジェノの見知った顔だった。
「コウ君!」
メルエーナもその姿を確認して、声を上げる。
「いらっしゃいませ。余った材料を使った簡単な料理ならお出しできますので、よろしければお席にどうぞ」
バルネアは笑顔でそう言い、メルエーナが案内しようとしたが、コウの隣りにいる男性は「いえ、私はジェノさんという方に用事がありまして」と言って、首を横に振る。
ジェノは何も言わずに、布巾をテーブルに置いて、男性の前に足を進めた。
「コウ。この人がジェノさんかな?」
「……うん」
コウはずっと俯いたままだったが、男性の問に頷く。
「初めまして。私の名前はマリクと言います。今回の一件で貴方のお世話になった、コウの父親です」
「初めまして。ジェノです」
ジェノはそう答えながらも、内心では少し動揺していた。
コウとの距離感から、父親だろうかとも考えはしたが、コウの父親は先の事件で大怪我を負ったはずだ。なのに、目の前の男は自分の足で立っている。まるで怪我などしていないかのように。
「立ち話もなんですので、やはりお席にどうぞ」
バルネアとメルエーナの二人に促されて、マリクとコウは手近な席に腰を下ろす。ジェノもマリクの向かいに座る。
「その、ジェノさん。まず、大変遅くなってしまったが、私からも貴方に礼を言わせて頂きたい。ありがとうございました。私が留守にしている間に、この子がとてもお世話になってしまい、申し訳ありません」
マリクの礼と謝辞を受け取り、ジェノは頭を下げる。
「ご丁寧にありがとうございます。ですが、ご存知でしょうが、先の一件は、息子さんの依頼契約を遂行しただけに過ぎません。報酬もすでに頂いていますので、この件はここまでにさせて頂ければと思います」
ジェノは慇懃ながらも淡々とそう告げるが、マリクは顎に手を当てて少し考えると、再び口を開く。
「その、貴方が私達にしてくださったのは、本当にそれだけなのでしょうか?」
「……すみません。質問の意味が分かりません」
ジェノは思ったままを口にしたのだが、マリクは手にしていたカバンから、何かを取り出し始める。
「その、私は昨日の晩まで少しも起き上がることが出来なかったんです。治療をしてくださっていた神官様からも、もう自分の足で立ち上がることは諦めるようにと言われていたくらいで……。
ですが、今朝目覚めてみると、体の痛みがまったくなくなっていたんです。そして、立ち上がって歩くことが出来たんです。走ることだってできるほどに、体が元通りになっていたんです」
少し興奮気味に、マリクは言う。そして、カバンから取り出した紙切れをジェノの前に差し出した。
「神様の奇跡としか思えないと神官様達は仰っていましたが、私はこれが神様のおかげだとは思えませんでした。なぜなら、私の枕元に、この紙が置かれていたからです」
ジェノは嫌な予感がしながらも、差し出された紙切れに視線を移す。
するとそこには、
『正義の味方に感謝しろ』
という文字が記されていた。
「……くそっ。リットの奴」
ジェノは悪友の親切心と悪戯に、心の中で文句を言いながら歯噛みするしかなかった。
「ああっ、やっぱり、貴方だったんですね。コウにこの事を話したら、きっとジェノさんがお父さんを救ってくれたんだっていうものですから……」
ジェノが否定しなかったことでそう判断したのだろう。
マリクは涙さえこぼしながら、ジェノに頭を下げる。
「あのまま私が動けないままだったら、家族を養っていくことができなくなっていました。
貴方がどのような方法で私の傷を癒やしてくれたのかは知りませんし、余計な詮索はしません。ただ、お礼だけは言わせて下さい。本当に、本当にありがとうございました」
「どうか、顔を上げて下さい。……その、それと、この件はどうか内密にして頂ければと思います」
「はい。決して他言はしません」
いつまでも顔を上げようとしないマリクに、ジェノは困り果てる。
自分がしたことでもない事柄で感謝されるというのは非常に気まずい。だが、今更事情を説明したところで、話がこんがらかるだけなのは目に見えている。
「あっ、あの、ジェノさん……」
渋面のジェノに、マリクの隣に座っていたコウが、席を立って近づいてきた。
「その、誰にも話さないようにって言われていたのに、約束を破ってごめんなさい。それと、お父さんも助けてくれて、ありがとうございました」
コウはしっかりと謝罪とお礼を言って頭を下げた。その姿に、ジェノは苦笑する。
「……これ以上は、関わらないほうが良いと思っていたんだがな」
そうは思っても、ジェノはやはりコウの事を放っては置けなかった。
「コウ。その事はもういい。だから、顔を俯けるな」
ジェノは優しくコウの頭を撫でる。すると、コウは顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。
「その、ジェノさん。僕ね、大きくなったら、ジェノさんみたいになりたい! 誰かを助けてあげられる、強い剣士になりたいんだ!」
突然のコウの宣言に、しかしジェノは驚きながらも首を横に振る。
「それは違うぞ、コウ。俺はただあの化け物と戦っただけだ。お前のことを、身を挺して助けたのは、お前のお父さん、マリクさんだろう?」
「えっ? うっ、うん。そうです。お父さんは、僕を助けてくれた。守ってくれました。でも、僕は……」
ジェノの言葉に、コウは納得がいかないようなので、彼は更に言葉を続ける。
「俺に最初に剣術を教えてくれた先生の言葉なんだが。お前と同じくらいの時に、俺はその人にこう言われた。『強い剣士である前に、強い人間になりなさい』と」
「強い人間? でも、ジェノさんはすごく……」
その言葉に、またジェノはポンと軽くコウの頭を叩く。
「違う。強い人間というのは、腕力があったり、剣を使える人間の事ではないんだ。心が強い者のことを、強い人間と言うんだ。俺はその事に気づかずに、ただ剣技を鍛えただけの弱い人間だ」
「でも、でも、ジェノさんは!」
「もしも、お前が大きくなって、剣術を学びたいと思うのならば止めはしない。だが、目標にするのは俺のような奴では駄目なんだ。
お前のことを命がけで救ってくれた人を、心の強い人を手本にするんだ。そうすれば、お前はきっと強い人間になれる。俺なんかよりもずっと強い人間にな」
「……わからない。わからないよ、そんなの……」
コウが文句を言うのを見て、ジェノは口を開く。
「俺も、お前とまったく同じことを先生に言った。だが、ようやく今頃になって少しだけ分かるようになった。先生の言葉の正しさを。
だから、俺の事を少しでも評価してくれているのであれば、この話を忘れないでいてくれ。いつか、お前にも分かる時が来るはずだ」
その言葉にも、コウは納得しない。
だが、ジェノはそんなコウに笑みを向ける。
めったに見せない、年相応の少年の笑顔を。
「贅沢を言うな。俺には、手本にできるような父親はいなかった。だから、お前が羨ましいくらいなんだぞ」
彼のその笑みには、羨望が込められていた。憧憬が込められていた。
それは、いくら願っても自分が辿ることができなかった道。
その道をこれから歩むことができる者に対する、ジェノの正直な気持ちだった。
きっと、そんな心の機微はコウには理解できなかったと思う。
けれど、頭では理解できなくても、感じるものはあったようで、コウはそれ以上文句を言わなかった。
「我ながら、下手くそな説得だな。だが、俺にはこれが精一杯だ」
ジェノは心のうちでそうこぼす。
心からの言葉をぶつけるという方法でしか、自分の気持ちを相手に伝えられない。
そして、結局自分は、この目の前の幼子が自分と同じ不幸な経験をせずにすむように願うしかないのだ。
それから、バルネアのはからいで、コウ達は昼食を食べてから帰ってもらうこととなった。
それが良かったのだろう。不機嫌だったコウも、帰り際には笑顔になっていた。
「本当にありがとうございました」
「ありがとうございました」
そっくりな笑顔で礼を言う親子の姿に、ジェノは目を細める。
「ジェノさん。良かったですね。きっと、コウ君は大丈夫ですよ」
コウ達を見送るジェノの横で、メルエーナがそう言う。
それを気休めとは思わなかった。
メルエーナの言葉には、信じたくなるような強さがあった。
「ああ、そうか。昨日もそうだったんだな」
メルエーナの言葉が昨日から随分と心に響く理由を、ジェノはようやく悟った。
それは、先程自分がコウにしたことと同じことを、彼女もしているから。
偽りのない心からの言葉を、自分にぶつけてきているのだ。
何の装飾もない裸の心を。
「困ったな。イルリアとの約束を達成するのが難しくなった。ここまで力を借りてしまった埋め合わせとなると、何をすればいいのだろうか?」
ジェノはそんな事を思いながら、コウ達が見えなくなるまで彼らを見送り続ける。
事件は今度こそ終わったかに思えたが、最後に大きな問題が残ってしまった。
だが、その悩みは、とても幸せなものだった。
◇
「さぁて、今頃、ジェノちゃんは大慌てだろうな」
リットはナイムの街を歩きながら、満面の笑みを浮かべる。
自分らしくないとは思う。だが、心のなかでこの結末を楽しんでいる自分もいるのだから仕方がない。
「俺はひねくれ者だから、欲しいというやつには何もしないで、何も望まない奴にこうしておせっかいをするんだよ。だが、これくらいは受け取れよ、ジェノちゃん」
リットは心のうちでそういい、喉で笑う。
「俺は舞台を整えただけで、人々を襲う化け物は、ジェノちゃんが一人で倒したんだぜ。本来であれば、それだけで英雄と呼ばれるはずなのに、ジェノちゃんはそれを蹴って、あのガキのための正義の味方であることを選んだんだ。それなら、この結末は受け入れざるをえないだろう?」
リットはこの場にいないジェノに同意を求める。
もちろん、ジェノがそれに答えることはないのだが、誰もがこの結末であることを否定はしないはずだ。
そう、これは昔から決まりきった結末なのだ。
正義の味方が頑張った後は、ハッピーエンドと相場が決まっているのだから。
魔法の力というものはやはり便利だと思う。だが、それはそれとして、ジェノは目の前の男に尋ねずにはいられなかった。
「それで、何を企んでいるんだ?」
「いやだなぁ、ジェノちゃん。俺はただ単に、昨晩、ジェノちゃんのあまりの正義の味方っぷりに痺れてしまって、頬の傷を治していなかったことを思い出しただけだぜ。
たまたま通りかかる用事もあったから、こうして足を運んであげたわけよ。他意はないぜ」
調子のいいリットに、ジェノは嘆息する。
どんな用事があったかは知らないが、この男がわざわざ他人の傷を治してやるために足を運ぶ人間でないことはよく知っている。絶対にこの行動には裏がある。
「もう、リットちゃん。本当に、お昼ごはんを食べていってはくれないの?」
「ああ、ごめんね、バルネアさん。昼はもうほかの店で済ましてしまったんだ。付き合いで仕方なくさ。だから、また今度にさせてよ」
その上、客が居なくなる時間帯を狙ってきたのに、バルネアさんの作る昼食を断るのだ。これは絶対に怪しい。
「それに、この後すぐにお客さんが来ることになるから、そいつらになにかご馳走してやってよ」
リットは、片目をつぶってバルネアに意味深なことを言う。
「待て。本当に何をしたんだ、お前は!」
「よ~し、準備は完璧だな。主役が顔に怪我していたら、せっかくのいい場面が台無しになるからな。それじゃあ、後の事はよろしく、ジェノちゃん」
そこまで言うと、リットはわざわざ転位の魔法を使ってこの店から姿を消した。
「なっ、何だったんでしょうか?」
訳がわからないと言った顔をするメルエーナ。だが、それはジェノも同じだ。
いったい誰がこの店を訪ねてきて、何が起こるというのだろう?
考えていても埒が明かないので、ジェノは店のテーブルの拭き掃除を再開する。
そして、ジェノが拭き掃除を終わらせる頃に、その客はやって来た。
「すみません。もう営業が終わっていると書かれているのは見えたんですが、どうしても会いたい人がいるので、お尋ねしてもいいでしょうか?」
聞いたことのない若い男性の声。姿を見ても、やはり会った覚えはない。だが、その男性と一緒に入ってきた幼い少年は、ジェノの見知った顔だった。
「コウ君!」
メルエーナもその姿を確認して、声を上げる。
「いらっしゃいませ。余った材料を使った簡単な料理ならお出しできますので、よろしければお席にどうぞ」
バルネアは笑顔でそう言い、メルエーナが案内しようとしたが、コウの隣りにいる男性は「いえ、私はジェノさんという方に用事がありまして」と言って、首を横に振る。
ジェノは何も言わずに、布巾をテーブルに置いて、男性の前に足を進めた。
「コウ。この人がジェノさんかな?」
「……うん」
コウはずっと俯いたままだったが、男性の問に頷く。
「初めまして。私の名前はマリクと言います。今回の一件で貴方のお世話になった、コウの父親です」
「初めまして。ジェノです」
ジェノはそう答えながらも、内心では少し動揺していた。
コウとの距離感から、父親だろうかとも考えはしたが、コウの父親は先の事件で大怪我を負ったはずだ。なのに、目の前の男は自分の足で立っている。まるで怪我などしていないかのように。
「立ち話もなんですので、やはりお席にどうぞ」
バルネアとメルエーナの二人に促されて、マリクとコウは手近な席に腰を下ろす。ジェノもマリクの向かいに座る。
「その、ジェノさん。まず、大変遅くなってしまったが、私からも貴方に礼を言わせて頂きたい。ありがとうございました。私が留守にしている間に、この子がとてもお世話になってしまい、申し訳ありません」
マリクの礼と謝辞を受け取り、ジェノは頭を下げる。
「ご丁寧にありがとうございます。ですが、ご存知でしょうが、先の一件は、息子さんの依頼契約を遂行しただけに過ぎません。報酬もすでに頂いていますので、この件はここまでにさせて頂ければと思います」
ジェノは慇懃ながらも淡々とそう告げるが、マリクは顎に手を当てて少し考えると、再び口を開く。
「その、貴方が私達にしてくださったのは、本当にそれだけなのでしょうか?」
「……すみません。質問の意味が分かりません」
ジェノは思ったままを口にしたのだが、マリクは手にしていたカバンから、何かを取り出し始める。
「その、私は昨日の晩まで少しも起き上がることが出来なかったんです。治療をしてくださっていた神官様からも、もう自分の足で立ち上がることは諦めるようにと言われていたくらいで……。
ですが、今朝目覚めてみると、体の痛みがまったくなくなっていたんです。そして、立ち上がって歩くことが出来たんです。走ることだってできるほどに、体が元通りになっていたんです」
少し興奮気味に、マリクは言う。そして、カバンから取り出した紙切れをジェノの前に差し出した。
「神様の奇跡としか思えないと神官様達は仰っていましたが、私はこれが神様のおかげだとは思えませんでした。なぜなら、私の枕元に、この紙が置かれていたからです」
ジェノは嫌な予感がしながらも、差し出された紙切れに視線を移す。
するとそこには、
『正義の味方に感謝しろ』
という文字が記されていた。
「……くそっ。リットの奴」
ジェノは悪友の親切心と悪戯に、心の中で文句を言いながら歯噛みするしかなかった。
「ああっ、やっぱり、貴方だったんですね。コウにこの事を話したら、きっとジェノさんがお父さんを救ってくれたんだっていうものですから……」
ジェノが否定しなかったことでそう判断したのだろう。
マリクは涙さえこぼしながら、ジェノに頭を下げる。
「あのまま私が動けないままだったら、家族を養っていくことができなくなっていました。
貴方がどのような方法で私の傷を癒やしてくれたのかは知りませんし、余計な詮索はしません。ただ、お礼だけは言わせて下さい。本当に、本当にありがとうございました」
「どうか、顔を上げて下さい。……その、それと、この件はどうか内密にして頂ければと思います」
「はい。決して他言はしません」
いつまでも顔を上げようとしないマリクに、ジェノは困り果てる。
自分がしたことでもない事柄で感謝されるというのは非常に気まずい。だが、今更事情を説明したところで、話がこんがらかるだけなのは目に見えている。
「あっ、あの、ジェノさん……」
渋面のジェノに、マリクの隣に座っていたコウが、席を立って近づいてきた。
「その、誰にも話さないようにって言われていたのに、約束を破ってごめんなさい。それと、お父さんも助けてくれて、ありがとうございました」
コウはしっかりと謝罪とお礼を言って頭を下げた。その姿に、ジェノは苦笑する。
「……これ以上は、関わらないほうが良いと思っていたんだがな」
そうは思っても、ジェノはやはりコウの事を放っては置けなかった。
「コウ。その事はもういい。だから、顔を俯けるな」
ジェノは優しくコウの頭を撫でる。すると、コウは顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。
「その、ジェノさん。僕ね、大きくなったら、ジェノさんみたいになりたい! 誰かを助けてあげられる、強い剣士になりたいんだ!」
突然のコウの宣言に、しかしジェノは驚きながらも首を横に振る。
「それは違うぞ、コウ。俺はただあの化け物と戦っただけだ。お前のことを、身を挺して助けたのは、お前のお父さん、マリクさんだろう?」
「えっ? うっ、うん。そうです。お父さんは、僕を助けてくれた。守ってくれました。でも、僕は……」
ジェノの言葉に、コウは納得がいかないようなので、彼は更に言葉を続ける。
「俺に最初に剣術を教えてくれた先生の言葉なんだが。お前と同じくらいの時に、俺はその人にこう言われた。『強い剣士である前に、強い人間になりなさい』と」
「強い人間? でも、ジェノさんはすごく……」
その言葉に、またジェノはポンと軽くコウの頭を叩く。
「違う。強い人間というのは、腕力があったり、剣を使える人間の事ではないんだ。心が強い者のことを、強い人間と言うんだ。俺はその事に気づかずに、ただ剣技を鍛えただけの弱い人間だ」
「でも、でも、ジェノさんは!」
「もしも、お前が大きくなって、剣術を学びたいと思うのならば止めはしない。だが、目標にするのは俺のような奴では駄目なんだ。
お前のことを命がけで救ってくれた人を、心の強い人を手本にするんだ。そうすれば、お前はきっと強い人間になれる。俺なんかよりもずっと強い人間にな」
「……わからない。わからないよ、そんなの……」
コウが文句を言うのを見て、ジェノは口を開く。
「俺も、お前とまったく同じことを先生に言った。だが、ようやく今頃になって少しだけ分かるようになった。先生の言葉の正しさを。
だから、俺の事を少しでも評価してくれているのであれば、この話を忘れないでいてくれ。いつか、お前にも分かる時が来るはずだ」
その言葉にも、コウは納得しない。
だが、ジェノはそんなコウに笑みを向ける。
めったに見せない、年相応の少年の笑顔を。
「贅沢を言うな。俺には、手本にできるような父親はいなかった。だから、お前が羨ましいくらいなんだぞ」
彼のその笑みには、羨望が込められていた。憧憬が込められていた。
それは、いくら願っても自分が辿ることができなかった道。
その道をこれから歩むことができる者に対する、ジェノの正直な気持ちだった。
きっと、そんな心の機微はコウには理解できなかったと思う。
けれど、頭では理解できなくても、感じるものはあったようで、コウはそれ以上文句を言わなかった。
「我ながら、下手くそな説得だな。だが、俺にはこれが精一杯だ」
ジェノは心のうちでそうこぼす。
心からの言葉をぶつけるという方法でしか、自分の気持ちを相手に伝えられない。
そして、結局自分は、この目の前の幼子が自分と同じ不幸な経験をせずにすむように願うしかないのだ。
それから、バルネアのはからいで、コウ達は昼食を食べてから帰ってもらうこととなった。
それが良かったのだろう。不機嫌だったコウも、帰り際には笑顔になっていた。
「本当にありがとうございました」
「ありがとうございました」
そっくりな笑顔で礼を言う親子の姿に、ジェノは目を細める。
「ジェノさん。良かったですね。きっと、コウ君は大丈夫ですよ」
コウ達を見送るジェノの横で、メルエーナがそう言う。
それを気休めとは思わなかった。
メルエーナの言葉には、信じたくなるような強さがあった。
「ああ、そうか。昨日もそうだったんだな」
メルエーナの言葉が昨日から随分と心に響く理由を、ジェノはようやく悟った。
それは、先程自分がコウにしたことと同じことを、彼女もしているから。
偽りのない心からの言葉を、自分にぶつけてきているのだ。
何の装飾もない裸の心を。
「困ったな。イルリアとの約束を達成するのが難しくなった。ここまで力を借りてしまった埋め合わせとなると、何をすればいいのだろうか?」
ジェノはそんな事を思いながら、コウ達が見えなくなるまで彼らを見送り続ける。
事件は今度こそ終わったかに思えたが、最後に大きな問題が残ってしまった。
だが、その悩みは、とても幸せなものだった。
◇
「さぁて、今頃、ジェノちゃんは大慌てだろうな」
リットはナイムの街を歩きながら、満面の笑みを浮かべる。
自分らしくないとは思う。だが、心のなかでこの結末を楽しんでいる自分もいるのだから仕方がない。
「俺はひねくれ者だから、欲しいというやつには何もしないで、何も望まない奴にこうしておせっかいをするんだよ。だが、これくらいは受け取れよ、ジェノちゃん」
リットは心のうちでそういい、喉で笑う。
「俺は舞台を整えただけで、人々を襲う化け物は、ジェノちゃんが一人で倒したんだぜ。本来であれば、それだけで英雄と呼ばれるはずなのに、ジェノちゃんはそれを蹴って、あのガキのための正義の味方であることを選んだんだ。それなら、この結末は受け入れざるをえないだろう?」
リットはこの場にいないジェノに同意を求める。
もちろん、ジェノがそれに答えることはないのだが、誰もがこの結末であることを否定はしないはずだ。
そう、これは昔から決まりきった結末なのだ。
正義の味方が頑張った後は、ハッピーエンドと相場が決まっているのだから。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
一国一城の主を目指す!〜渇望の日々を超えて。
リョウ
ファンタジー
何者かになりたかった。
だが現世でその願いは叶わず、男は敗北感と悲嘆を胸に沈んでいた。
そんな彼の前に現れたのは、一柱の女神。
導かれるまま異世界へ転移した男は、新たにレイと名乗り、剣も魔法も身分もない底辺から成り上がることを決意する。
冒険者として生きる術を学び、魔法を覚え、剣を磨き、人と裏社会を見極めながら、レイは少しずつ力を蓄えていく。
目指すのは、ただ生き延びることではない。
一国一城の主となり、この世界で“何者か”になること。
渇望を燃料に、知恵と執念で上へ上へと這い上がる、ダークファンタジー成り上がり譚。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる