彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㉒ 『譲歩』

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 宿まで案内をしてくれた少女達に礼を言い、ジェノは宿で割り当てられた部屋のベッドに腰を掛け、息をつく。
 そして、ジェノは手持ち無沙汰に部屋をざっと確認する。二階ということもあり、窓からはこの村の様子がよく見える。

 壁に囲まれているはずのこの村で、何故か遠くに森の木々も見える。これは、森のかなりの範囲まで、壁の中に囲われているからだと、案内をしてくれた少女達が、聞きもしないのに教えてくれた。

 けれど、風光明媚と呼ぶには取り立てて心惹かれる自然があるわけではなく、かといって、建築物も神殿を除けば、取り立てて特徴のない家屋しかない。
 畑作や養畜も村の中で行っているらしいが、それはどの村でも行われているものだ。もっとも、件の壁のせいで、日当たりはよくないだろうとは思うが。

 やはり、集落の規模とは不釣り合いな巨大な壁に囲まれていること。そして、場違いな大きな神殿の存在が、あまりにもこの村に適合していない。

 案内してくれた少女達が話してくれたので、この村の歴史を知ることができた。だが、それを知ったことで、ますますこの村が不穏なものに思えてしまう。

 まず村があった。取り立てて特徴のない、人口が千人にも満たない小さな村が。
 だが、十年以上前に、この国の暴君が、聖女ジューナの誇り高い献身的な姿に心を打たれ、もっと人々のために役立ちたいと願う彼女のために、この村に神殿を作った。多数の病める人々を治療できる大施設を普請したのだ。

 その際に、聖女様を守るためにと強固な壁でこの村を囲ったのだという。だが、この話はあまりにも言い訳じみて聞こえる。

 聖女の活動を後押ししたいだけであれば、他に神殿を作るのに適した場所などいくらでもあったはず。それなのに、こんな山奥に治療施設を作ったのは何故だ。どんな思惑が底にあったというのだろう。

「……依頼はもう達成した。後はイルリアの用事が終われば、俺達はこの村を出ていく。こんなことを考えても何の意味もない」
 ジェノは自分に言い聞かせるように言うと、ベッドに体を預ける。

 だが、そう思っても、ジェノはサクリの事が気がかりだった。
 あの、ナターシャと言う名の神官が、サクリを見た時の表情を思い出すと、心がざわつく。
 隠しているつもりだったのだろうが、あの瞬間の醜悪としか思えない酷薄な笑みは、決して病人に向けていいものではない。

「……サクリは、何かを知っているようだった」
 ジェノは自分が横になりながらも、無意識に手をきつく握りしめていた事に気づく。

「どうしたんだ、いったい。俺達の仕事はもう終わった。それなのに、何故、俺は……」
 今、この胸に宿る気持ちが何なのかは理解している。

 腹立たしさだ。

 だが、この感情が何に向けてのものなのかが、ジェノ自身にも分からない。だから、余計に苛立ちが募る。

 思考の海に沈みそうになったジェノだったが、そこで聞こえてきたドアをノックする音で我に返る。

「ジェノちゃん。起きているかい?」
「ああ」
 ジェノがそう答えると、ドアが開かれ、声の主であるリットが、無遠慮に部屋に入ってくる。

「どうかしたのか?」
 ジェノが尋ねると、リットは「いや、少し出かけてくるって伝えておこうと思ってさ」と軽い口調で言う。

「……神殿の女絡みならば、自重しろ。ようやく仕事が終わったんだ。トラブルは困る」
 ジェノがそう言うと、リットはさも可笑しそうに笑う。

「そんな暇つぶしじゃあないぜ。久しぶりに面白そうなことを見つけたから、今はそれに夢中なんだよ、俺は」
「どういうことだ?」
「言葉通りだよ、ジェノちゃん。それと、たぶん俺達は、もう何事もなくこの村を出るのは難しいと思うぜ」
 リットはそう言って喉で笑う。

 自分だけが答えを知っている。その状態で、答えを知らない者をからかうのがリットの悪い癖だ。

「……あれっ? 『何を隠している!』とか訊かないの? つまらないなぁ」
 リットはジェノが無言でいることに、口を尖らせる。
 
「俺が尋ねても、答えるつもりはないだろうが」
「はいはい、御名答。付き合いが長いと、ノリが悪くて俺は悲しいよ」
 リットは大げさに肩をすくめてみせたが、不意に真剣な目でジェノを見た。

「なぁ、以前に俺は警告したよな。サクリちゃんに入れ込みすぎるなと。だが、ジェノちゃんはそれを聞かなかった。もっとも、どのような判断をするかは自由だから、俺がどうこう口出しすることじゃあないがね」
「すまん。お前の警告を……」
「いや、だからいいって。俺は人に強制するのも、されるのも大嫌いだからな。自由に選べばいいさ」
 リットはそう言って微笑む。だが、目がまったく笑っていないことにジェノは気づく。

「だが、ジェノちゃんとは長い付き合いだ。その誼で、大サービスをして最後のチャンスをやるよ。今日一日だけ考える時間をやる。その間に、この村を立ち去るかどうかを決めろ。
 もしも、立ち去るのならば、俺がお前と、ついでにイルリアも助けてやる。だが、そうでないのなら、俺は自分の楽しみを優先し、勝手にこの村で暗躍する」
「……それが、お前の今回の最大限の譲歩ということか」
 ジェノの問に、リットは「そのとおりだぜ、ジェノちゃん」と言って笑みを浮かべる。

「分かった。だが、おそらく俺の考えは変わらん」
 ジェノの答えに、リットは再び肩をすくめる。
 
「了解だ。まぁ、一応、明日の朝に答えを聞くぜ」
 話は終わりだと言わんばかりに、リットは踵を返して部屋を出ていこうとする。ジェノはそれを無言で見送っていたが、リットは不意に立ち止まった。

「ああ、そうだ。絶対に森には入るなよ。珍しく親切になっている、リットさんからの忠告だ。……これくらいは守れよ」
「分かった」
 ジェノの答えを聞いたリットは、無言で部屋を出ていった。

「最後のチャンス……」
 リットとは長い付き合いだが、基本的にあいつは嘘を言わない。その代わり、部分的にしか情報を教えようとはしない。
 何とも扱いに困る人間だが、ジェノもリットとの付き合いは長い。どうして、リットがそういう行動を取るのかは理解している。

「そして、森か……」
 この村を覆う壁のもう一つの疑問点。 そう言えば、案内をしてくれた少女達も、森には近づかないようにと言っていた。

 その場所に気が惹かれないと言えば嘘になる。
 だが、リットが入るなというのだ。それは、近づいては命に関わるということ。

 しばらくあれこれ考えていたジェノだったが、あまりにも今は情報が少なすぎる。

「……じっとしていても、何も変わらんな」
 ジェノは静かに立ち上がり、村で何かしらの情報を集めようと思い、剣を腰に帯び、部屋を後にすることにした。
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