彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㉔ 『檻』

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 ジェノはナターシャを睨み続けたが、彼女はにっこりと微笑み、優雅に一礼を返してくる。

「ジェノ様、イルリア様。お二人の勇気ある行動によって、村人の犠牲が最小限で済みました。この村の治安を預かる者として、ご協力に心から感謝致します」
 何処か芝居がかった慇懃な礼に、ジェノは一層不信感を募らせる。

 さらに、ナターシャは、騒ぎに気づいて多数集まって来ていた村人達の方を向く。
 彼らは、突然村の中に現れた化け物に驚き、それと交戦した余所者のジェノを不審がっていた。
 だが、そこに朗々としたナターシャの声が響き渡る

「皆さん。こちらの方々は、ジェノ様とイルリア様とおっしゃいます。この方たちは、遠い国から、カーフィア様にお使えする、病める信徒を護衛して、この村まで連れてきて下さったのです。
 その上、こうして村の危機にまでお力添えをして下さいました。どうか、皆さん。この村に彼らが滞在なされている間、感謝の気持ちを忘れずに接して下さいますようお願い致します」

「…………」
 ナターシャの言葉に、ジェノは意識を失った男を静かに横たわらせて、彼女の方に近づく。いや、近づこうとしたのだが……。

「らしくないわね。何を熱くなっているのよ!」
 腕を引っ張られ、ジェノはイルリアに小声で叱責された。

「……すまない。どうかしていた……」
 ジェノは小声で答え、顔を俯ける。

 ナターシャがどのような意図を持って、こんな猿芝居をしているのかは分からない。だが、この女は、サクリの事をわざわざ口に出した。
 自分のことならどう言われようと構わない。だが、こいつは、サクリの名を何かに利用しようとしているようだ。それが、許せなかった。

「待ってなさいよ。聖女様にアレを治して貰うから。それからなら、いくらでも……」
 イルリアの声は低い。そして、村人たちに一席ぶっているナターシャを睨んでいる。
 彼女も、心底腹を立てていることがジェノにも分かった。
 
「村人をお預かり致します」
 ナターシャの取り巻きの神官らしき若い女が、ジェノが地面の上に寝かせた男を丁寧に背中から抱き起こす。
 もちろんコツはあるのだろうが、大の男一人を軽く持ち上げるとは、かなり体を鍛えていることは間違いない。

「こんな化け物が、頻出するのか? この壁に囲まれた村で……」
「……失礼ながら、私にその事をお答えする権限はありません」
 若い女神官は、それだけを言い、他の仲間といっしょに、男を運び始める。すでに、地面に無残に巻かれていた子供の手足も、彼女達が片付けている。

「村人も、初めてこの化け物を見たという感じではないな」
「……そうね」
 ジェノとイルリアは短く言葉を交わす。

「人が集まりすぎた。とりあえず宿に行くぞ」
 その言葉にイルリアが頷いたのを確認し、ジェノはナターシャ達に背を向けて宿に向かって歩き始める。
 方向の関係で、まだ熱弁を振るい続けるナターシャの横を通る事になったが、ジェノ達は一瞥もせずに通り抜ける。

 だから気づかなかった。
 ナターシャは、ジェノ達の態度に気分を害した様子はなく、むしろ笑みを強めたことに。








「……そうか。先程の雷は、その魔法の品の効果だったのか」
 ジェノと一緒に宿に戻ったイルリアは、彼の部屋のベッドに腰掛けて、簡単に自分の持っている武器の、銀色の板の説明をする。

「ええ。それと今は、<沈黙>の魔法をこの部屋にかけているから、私達の声は外には漏れないはずよ」
「助かる。この村の人間は、全て神殿の味方だろうからな」
 向かいの小さな机に付属した椅子に腰掛けたジェノはそう言い、小さく息をつく。

「話し合いをしておかないといけないことが、多すぎるわね」
「ああ。だが、一つ明らかなことがある。この村は危険だ。リットに警告されるほどにな」
 ジェノはそう話を切り出すと、リットが彼にした話をイルリアにも聞かせてくれた。

「……森が危険なのね。まぁ、最初から近寄るつもりはなかったけれど、覚えておくわ。そして、今日一日を掛けて、あいつに守られて村を脱出するかどうか決めろと言うわけね。
 まったく、あいつの思考ってどうなっているの?」
「さぁな。それなりに長い付き合いだが、あいつの気まぐれな思考はよく分からん」
 真偽は確かではないが、ジェノは答える。

「あんたはリットの言葉を全面的に信じているみたいだけれど、本当に、この村を出ることがそんなに大変なの?」
「あいつは、基本的に嘘は言わない。本当のこともなかなか言わないのが問題だがな」
「でも、急用ができたと言って出ていこうとしても、神殿の関係者は私達を止めようとするというの? まぁ、さっきの態度から、私達を何かに巻き込もうとしているのは分かったけれどね」
 いったい何に、ただの冒険者見習いに過ぎない自分達を巻き込もうとしているのか分からない。

「その方法は実行したくない。最悪、罪状を捏造されて捕まる可能性も否定できないからな。そうなってしまったら、打つ手がなくなる」
「そんなことまで、わざわざするっていうの? 私達なんかに?」
「あくまでも可能性だ。だが、可能性は低くないと俺は思う」
 分からない。私達に何の利用価値があるというのだろう。

「だが、イルリア。俺は、お前だけ……」
「ああ、『お前だけでもリットと一緒に村を出ろ』っていうのは却下するからね。論外だわ。そもそも、リットが指定した期限は明日の朝までなんでしょう? それじゃあ、あんたを聖女様に診てもらうことができないわ」
 わざわざこんな遠い国まで足を運んだ一番の理由を果たさないうちに、帰るわけにはいかない。

「しかし、この村は明らかに異常だ。」
「それは分かっているわよ! なんだかこの村に入ってからというもの、空気が重たい気がして仕方がない。でも、あんたは残るつもりなんでしょう? だったら私も残るわ」
 イルリアはそうピシャリと言う。

「ほらっ、不毛な口論をしている余裕はないから、私もここに残る前提で話を進めなさいよ」
「……そうか」
 ジェノはどうやらこちらの説得を諦めたようだ。

「サクリの事、この村を覆う巨大な壁の事。この辺りの事が知りたいが、いきなりこれを考えても現状では情報が少なくて頓挫することは目に見えている。
 だから、今は他の疑問点から考えていく。ここまではいいか?」
 イルリアは頷く。

「まずは、先程の巨大な猿のような化け物についてだ。これが一番情報も多い、実際に体験したことだ」
 部屋に戻る前に、宿の人に頼んで用意してもらった水を一口して、ジェノは話をする。

「あの化け物が何なのか? それはすぐには分からない。だが、先程の村人たちの驚きの程度から察するに、今回の出現が最初だとは思えない。
 もっとも、村の厳戒態勢の緩さから、そう頻繁なものでもないと推測されるがな」
「どこから、この村に入って来たのかは、予想がつくの?」
「まず間違いなく、壁の中の森の部分からだろう。俺が見かけたのも、森の近くだった」
 ジェノはそう断言する。

「あの化け物の能力をくわしく知っている訳ではないが、この村を覆う巨大な壁を、あの質量の生物が飛び越えて侵入してきたのだとしたら、もっと地響きなどがするはずだ。それなら、もっと多くの村人が異変に気づいていたはずだ
 それに、そもそもこんな入りにくい村に入る理由がない。餌なら、村の外の森のほうがいくらでも獲物がいるだろうからな」

 ジェノの説明を聞き、イルリアも水を口にする。
 柑橘系の香りがついた水は、飲みやすくて美味しかった。

「この仮定のもとに話を続ける」
 ジェノは紙を一枚取り出し、この村の簡易図を書いた。

「森の部分の規模が分からないからその部分を省略して考えると、この村の中央部分に神殿がある。ちょうど、この村の入口から真っすぐ進んだ位置。
 そして、森は村の西方向の奥。そして、森と神殿の中間距離くらいに、この宿があるわけだ」
 イルリアは黙って頷く。

「俺達が合流したのがここ。そして、化け物と戦ったのがこの辺りだ。そして、戦いが終わるとすぐに、ナターシャが俺達の前に現れた。
 たまたま、あの女がこの付近の巡回を行っていた可能性は否定できないが、あまりにも駆けつけるのが早すぎる。まるで、その場所で何かが起こることを初めから知っていたのではと思えるほどに」

「ああ、そういえば。私との話を終えたナターシャ神官は、部下らしき人から報告を受けて、なにか慌ただしくし始めたのよね。
 だから、私は手近な人に宿の位置だけを聞いて、そこに向かって歩いている途中に、あんたを見つけたのよ」
 イルリアの説明に、「そうか、やはりな」とジェノは頷く。

「ここで、一つの疑問が浮かぶ。俺があの化け物と遭遇したのは、男の悲鳴を聞いたからだ。だが、俺よりも先に何かが起こる情報を得ていたはずの神殿の関係者が、俺達よりも後に現場に到着するのはおかしい」
「そうね。確かに変ね」
 イルリアも顎に手をやり考える。

「そして、先程の猿芝居。俺達が、化け物を倒したのだと露骨に喧伝していた。ナイムの街の自警団もそうだが、真摯にその場所を守ろうとしている者は、それなりの自負心もあるし、余所者の力を借りるのを嫌う傾向にあることが多い。だが、ナターシャの取った態度は真逆だ」
 ジェノの言葉に、イルリアは思考を巡らせる。
 だが、どうしても、あの女が何を企んでいるのかが皆目見当がつかない。

「……私達を見張っていたということ? でも、私達を見張る意味なんてあるの?」
「普通に考えればない。俺達は、サクリ達が不運にも賊に襲われてしまったため、急遽、彼女の護衛を務めただけの冒険者見習いの一党にすぎない。
 だが、俺も同意見だ。ナターシャ達は、俺とお前を見張っていたと考えている」
 ジェノの答えに、イルリアはますます頭がこんがらかってきた。

「どういう事よ? 偶然、この街を訪れた私達を見張る意味はないんでしょう?」
「ああ、ない」
 ジェノは答え、喉を鳴らしてコップの中身を飲み干した。

「イルリア。お前が大きな商談を無事に成功させようとした場合、綿密な計画を練り、それ相応の時間を掛けるだろう?」
「えっ? ええ。それはもちろん」
 突然話題を変えられたことに驚きながらも、イルリアは頷く。

「その計画がいよいよ詰めの段階に入ったときに、お前は不確定要素をその計画にあえて入れて、更に利益を出そうとするか?」
「……ありえないわね。そんな欲をかいて、全てが台無しになったら目も当てられないもの」
 イルリアの答えに、ジェノは頷く。

「この村で、誰が何を起こそうとしているのかは皆目見当がつかない。だが、あの『化け物』。この村を覆う『巨大な壁』。理由を知っている『神殿』。『聖女』。これらが一つの壮大な計画によって集まっているのだと仮定してくれ。
 そのうえで、先程の長い年月と労力を掛けてきたこの計画の首謀者が、俺達のような不確定要素を入れようとすると思うか?」
 そこまで言われ、イルリアはジェノが言いたいことを理解した。

「なるほどね。誰かが何かを長い年月掛けて計画している。そして、それはナターシャではない誰かの計画だろうと、あんたは推測するわけね」
「ああ。そして、ナターシャは、その首謀者のためにと、余計なことをしようとしているのではないかと思う。明確に計画を頓挫させるつもりならば、やはり俺達のようなものを利用しようとはしないだろうからな」

 ジェノはそう言うと、静かに窓に視線をやった。
 イルリアがそれに倣うと、嫌でも無機質な壁の一部が視界に入る。

「今の情報で推測できるのはここまでだな」
「ええ。そうね」
 イルリアもジェノも、しばらく無言で外の景色を見ていた。だが、

「まるで、檻の中のような村だな。いったい、この村で何が……」
 ジェノが小さく呟いたその一言に、イルリアは身震いを抑えられなかった。
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