彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㉜ 『そして、その時が……』

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 あまりにも痛々しくて、見ていられなかった。

 目の前で、大切な友人達が理不尽に命を散らせてしまったことに、彼女は心を痛めていた。
 そして、その罪悪感から自身を苛み続けていた。
 
 その身を苦しめることを友人への贖罪とし、信奉する女神にただただ許しを乞う。病魔に侵され、明日をも知れぬ身であるにも関わらずに。

 この世界が不完全だからと、彼女は言っていた。
 だから、自分はこんな目にあうのだと。

 他に恨めるものがなかったのだろう。
 子供でも知っているこの世界の成り立ちのおとぎ話。それを憎むことを、心の寄る辺としていた彼女の気持ちを考えると、あまりにもやるせない。


 きっと、自分は彼女に、サクリに同情していたのだろう。
 それが、懸命に生きている彼女に対する冒涜だとしても、俺は彼女の力になりたいと思うようになっていた。

 俺達は、決してサクリの大切な友人の代わりにはなれない。
 それでも、少しでもあの村までの旅を楽しいと感じてもらいたいと柄にもなく考え、イルリアとリットにも協力してもらった。

 もっとも、心根の優しいイルリアは、そんなことを頼むまでもなく、彼女と友好的に接してくれただろうが。

 サクリはもう助からない。
 リットの言葉が真実だとしても、その生命が終わるまでの時間が、少しでも彼女に安らぎを与えられるものにしたかった。
 
 ……傲慢な考えだ。それは分かっていた。
 だが、それでも、もう少しくらいは、サクリにも幸せだと思える時間があってもいいはずだと考えた。
 
 あの村の入口で、サクリが俺達に礼を言って微笑んだ事を思い出す。
 それはとても綺麗で、美しい笑顔。けれど、悲しさを感じさせるものだった。

 彼女は何かを隠している。あの時の自分もそれは察していた。
 そしてそれは、サクリの事を尋ねた際に、リットが答えなかったことから確信に変わった。

 けれど、もしもあの村が、ただの療養施設があるだけの村であれば、自分はこんなに気持ちを乱すことはなかっただろう。
 彼女の隠し事も特段気にせず、この街に、ナイムの街に戻っていただろう。

 だが、あまりにもあの村は、『聖女の村』は異常すぎた。

 だから、あの村を包む異質さの正体を探ろうとした。あのままサクリを置いて帰るのは躊躇われたから。

 そんな理由で、俺はリットの提案を蹴った。
 この体に封じられたアレを治療したいと願う、イルリアの思うようにさせたいと思う気持ちもあったが、それが主な理由だ。

 だが、あの時の俺は理解していなかった。
 俺のこのちっぽけな手は、剣を握って戦う程度のことしか出来ないのだと言うことを。

 俺は、未熟な剣士だ。そして、ただの十六歳のガキに過ぎなかった。
 物語に出てくる英雄などでは決してない。

 何も出来ない。守れない。そしてその事を理解さえしていなかった。
 だがそれを、俺はあの時に思い知ることとなったのだ。

 たくさんの死とともに……。

 






 イースを狙った襲撃があるのであれば、夜の闇に乗じてだとジェノは考えていたのだが、この晩は空が白み始めるまで待っても、何も起こらなかった。

 やがて、日が昇ってイルリアが。それからイースが目を覚ます。
 イースの体調を確認したが、彼女はすっかり体調を取り戻したようで、顔色も良い。

「あっ、おはよう……ございます」
 昨日、熱を出して倒れたことを申し訳なく思っているのだろう。イースは遠慮がちに挨拶をしてくる。だが、そんな彼女に、ジェノは控えめに、イルリアは隠すことなく笑顔を向ける。

「ああ。体は良くなったようだな」
「おはよう、イース。まずは、顔をしっかり洗いましょう。女の子は身だしなみに気を使うものよ」
 イルリアはそう言うと、準備をしてイースを連れて一階に降りていこうとするので、ジェノもそれに就いていく。

 女将さんに断って、ジェノは宿の裏の井戸から水を汲む。そして、念の為、自分が最初にその水を手で汲んで顔を洗う。
 流石に井戸に毒を流すようなことはしないとは思うが、用心するに越したことはない。

「ほらっ、イース」
「あっ、うん。ありがとう」
 その後、イルリアとイースが顔を洗い始めたので、ジェノは少しだけ彼女達から離れて、終わるのを待つ。

 イルリアは水を汲み桶から容器に移し、そこに小瓶から取り出した液体を少し入れてかき混ぜる。そして、その効能をイースに話しているようだ。
 イースは興味深そうにそれを聞いている。幼くても、やはり女なのだとジェノは思う。

 女のおしゃれの話を聞くのも躊躇われたが、いつ襲撃があるかも分からないので、ジェノは宿の建物に背を預けて、辺りに気を配ることにした。

「さて、朝食にしましょう。イース。何か食べたいものはある?」
「あっ、その……」
「遠慮しなくていいわよ。病み上がりなんだから、しっかり美味しいものを食べないとね」

 イルリアはすっかりイースの心を掴んだようで、二人は笑顔で会話を弾ませている。
 もともと面倒見の良いイルリアだが、何故かはしらないが、昨日から随分と機嫌がいいようだ。

 イースの笑顔を見て、できることならば、彼女にこうした笑顔をもっと浮かべられるようになってほしいと思う。
 けれど、家族を殺された恨みを忘れることなど出来はしない。

 だから自分は約束をしたのだ。
 この力を持たない幼子に変わって戦うのだと。
 せめて、彼女が無垢なる手を血に染めることがないようにと。

 一階の食堂で食事を取る。
 今日のメニューは、パンと目玉焼きとウインナー。そして、オニオンスープだった。
 育ち盛りのイースは、今まであまりまともなものを食べられなかったこともあって、パンを二回もお代わりしていた。
 それを嬉しそうに見守るイルリアを横目に、ジェノは相変わらずの無表情で思考を続けていた。

 やはり、イースが嘘を言っているとは思えない。すると、『聖女』と呼ばれるジューナが、裏で何人もの人間を殺しているのだということになる。
 だが、この体の治療に当たっていたジューナは、とても謙虚で穏やかな優しい女性に思えた。人には裏の顔というものがあることくらいは分かっているが、彼女はあの時、嘘をついていなかった。

 二日準備の時間を貰えれば、治せるかも知れないと彼女は言っていた。
 その二日というのが、ジューナの何らかの目的を果たすための時間なのだとしたら。おそらく今晩が一番襲撃される可能性が高い。

「ジェノ。部屋に戻ったら、あんたも休みなさいよ。きっと、今晩が重要になるわ」
 どうやらイルリアもジェノと同じ考えのようで、一睡もしていないジェノに言葉をかけてくる

「ああ。分かった」
 ジェノは静かに頷く。

 だが、ジェノとイルリアの予測は外れることとなる。




 ◇



 仮眠をとったジェノが起き、イルリアはイースと三人で昼食を済ませ、部屋に戻った。
 最悪、長期戦になることも覚悟し、ジェノは今までと同じように、部屋の椅子で一人仮眠を取ることにするらしい。

 ベッドを使うように言ったのだが、いざというときに反応が遅れるという理由で拒否された。
 
 ジェノが眠ってしまったので、イルリアはイースと大きなベッドの上で話しをし、時間を潰していた。
 昼食後ということもあり、眠くなってしまうが、ここで眠るわけにはいかない。
 
 イルリアは軽く頬を叩き、心配そうなイースの頭を撫でる。

 ふと眠っているジェノの顔を見ると、とても穏やかに見えた。
 だが、閉じられていたジェノの目が、不意に開かれた

「イルリア! 窓から離れろ!」
 目を覚ますなり、ジェノが指示を口にする。

 イルリアはイースの手を取って、ベッドから離れ、ジェノの方に移動する。
 次の瞬間、窓ガラスを叩き割る音が聞こえたかと思うと、黒い布で目の部分以外の顔を覆った人間が窓から侵入してきた。ここが、二階であるにも関わらず。
 近くの建物の屋根を伝ってきたのだろうが、それにしても、呆れるほどの身の軽さだ。

 全身も黒いブカブカの服を身にまとっているため、男女の区別もつかない。
 ただ、右手に抜身の短剣を握っていて、イルリア達に向かって駆け寄ってこようとする。

「イルリア、俺の後ろに!」
 ジェノはその言葉とともに、黒ずくめの侵入者に剣を抜いて斬りかかる。
 しかし、侵入者はその一撃を後ろに飛んで躱す。そして、懐からこぶし大の白い塊を取り出し、それをこちらに向かって投げつけてくる。

 ジェノは正体不明のその塊を剣の腹で叩き落とす。
 斬って良いものかの判別がつかなかったためだろう。だが、ジェノの剣に触れただけでも、その白い塊は、一瞬で真っ白な粉を部屋中に撒き散らした。

 辺りが真っ白に染まる。イルリアは粉を吸い込まないように口に手を当てる。そして、開いている方の手で、イースの口を塞ぐ。しかし、そんな程度では粉を完全に吸い込まずにはいられない。

「ごほっ、ごほっ!」
 イースが苦しそうに咳き込む。イルリアも同じように咳き込んでしまう。けれど、イルリアはイースを抱きしめて、彼女を守ろうとする。

 白い粉でチカチカして、目が効かない。だが、音が聞こえる。
 この粉の中で動く音と、剣戟の音が。

 ジェノはこの中でも、戦っているようだ。
 きっと粉が舞った瞬間に、敵との距離を詰めたのだろう。
 そうすれば、粉の影響は少ないのだろう。

 イルリアは咳き込みながらも、ジェノ達の姿を確認しようと前を向く。だが、そこで、イルリアは異変に気がつく。

 イースの咳き込む音が、不意に聞こえなくなっていた。
 聞こえるのは、自分のそれだけ。

「いっ、イース?」
 少し粉が収まってきたので、イルリアはイースに声をかける。
 だが、イルリアの目に入ってきたイースは、明らかに様子がおかしかった。

 何より、青かったはずのイースの両方の瞳が、赤に変わっている。そして、体を軽く揺すっても、まるで反応しないのだ。

「イース! どうしたの、イース!」
 イルリアは懸命に声をかける。


 だが、そこで、イースの体が内部から膨れ上がり、破裂した。
 そう、破裂したのだ。
 その衝撃で、イルリアは後ろにふっ飛ばされ、背中を部屋の壁に打ち付ける。

 彼女の顔と四肢は飛び散り、彼女が居た場所には、別の異形が、あの猿の化け物が立っていた。

「えっ? なっ、なによ。何が起こったのよ!」
 イルリアは状況がまるで理解できずに、パニックに陥る。

 しかし、そんなイルリアになどお構いなしに、猿の化け物が彼女に向かって迫ってくる。
 
「いっ、いや、嫌ぁぁぁぁぁっ!」
 イルリアは身構えることも出来ず、悲鳴を上げるしか出来ない。

 だが、そこで化け物猿に向かって剣が振り下ろされた。
 化け物猿は、その一撃を躱しきれず、肩を深く斬り裂かれる。

「イルリア! あの板を構えろ!」
 ジェノの叱咤する声が聞こえた。

「でも、でも! ジェノ、それは、イース……」
「いいから構えろ! 侵入者は逃げた! まずはこの化け物を片付ける!」

 明らかに怒りが込められた声に、イルリアはポーチから銀色の板を取り出す。

 一体何が起こっているのだろう?
 どうして、イースがこんな化け物になって。

 イルリアはそんな疑問を飲み込み、涙を堪えて化け物と対峙するのだった。
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