彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㊵ 『汚染』

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「逃げはしません。どうか、そこの席に座って下さい」
 ナターシャの口調が、敵に対するものから客人に向けられるものに変わっている。

「……ええ。分かったわ」
 イルリアはその事を理解し、ナターシャが視線を向けた先の客人用の椅子に座る。

「はいはい。聞かせてもらいましょうかね」
 リットが自分の隣の席に当たり前のように座り、笑みを浮かべているのが腹立たしいとイルリアは思う。
 けれど、この男がいなければ、万全な状態に戻ったナターシャを自分一人で御すことができないことは分かるので、そこは渋々我慢する。

 失った腕を取り戻したナターシャは、今までが嘘のようにすんなり立ち上がると、リットの向かいの席に座った。
 
「まぁ、私よりも、リットを警戒するわよね」
 イルリアはその言葉が喉元まで出かかったが、そんな嫌味を言ったところで、話を聞くのが遅くなるだけだと思い、それを飲み込む。
 
「どのように話せばいいでしょうか? 貴方達の質問に答えていく方法がよろしいでしょうか? それとも、長くなってしまいますが、一から全てをお話した方がよろしいでしょうか?」
「おっと、俺に確認を取らないでくれ。話を聞きたいのはイルリアちゃんだぜ」
 リットは視線をイルリアに向けてくる。

 どちらを選ぶかは自分で決めろと言っていることを理解し、イルリアは後者を、一から全てを話す事を求める。


 ――長い話を聞き終えたイルリアは、分からなくなってしまった。
 そう、何が正しかったのか、どうすればよかったのかが、まるで分からなくなった。
 
 なにより、真に断罪すべき者にこの手が届かない歯がゆさに、彼女はただ怒るしかない。

 悔しさに歯噛みし、涙し、『そんな理由』で死んでいった友人の、人々の魂の安らぎを祈る。
 
 そして、またあの馬鹿が、ジェノが心を痛めるであろう事に、イルリアは血が出そうなほど自分の小さな手を握りしめるのだった。
 







 それは、絶望だった。
 あまりにも、あまりにも救いのない、この世の地獄だった。

 人々が死んでいく。目の前で死んでいく。
 それが、寿命なら、不治の病ならば、まだ受け入れることができた。
 だが、これは違う。

 魔法の才能がないこの身が、ただただ恨めしい。
 あの化け物に襲われ、深手を負った人々が神殿に運ばれてきても、癒やしの魔法が使えない私には、救いようがない。

 この神殿にも魔法の使い手は何人かいるが、深手を治せるものは、片手の指ほどしかいない。けれど、すぐにでも癒やしの魔法での治療が必要な患者は、倍以上いる。

 魔法が使えない私達は、それでも手を動かして止血をしようとする。そんな小手先のことでどうにかならない深手であることを知りながら。
 目の前でこぼれ落ちていく命を、少しでも救いたくて。

「皆さん、怪我人から離れて下さい。大きな魔法を使います!」
 すでに疲労困憊の体に鞭を打ち、ジューナ様が多人数への癒やしの魔法を使用する。
 その力は強大で、ベッドで死を待つだけとなり息も絶え絶えだった重症患者十名以上が、あっという間に穏やかな呼吸を取り戻す。

 しかし、それとは正反対に、ジューナ様は顔面を蒼白にし、力なく前方に倒れそうになる。

「ジューナ様!」
 私は慌ててジューナ様を助けようとしたが、ジューナ様は手にしていた杖を支えにして地面との激突を回避する。

「大丈夫です……。皆さん、まだ大勢の怪我人が治療を待っておられます。疲労困憊なのは重々承知しておりますが、もう少しだけ皆さんの力を私に貸して下さい!」
 ジューナ様の声に、誰もが「はい」と返事を返す。

 けれど、けれど、みんな分かっている。
 このままでは、ジューナ様が、私達の最後の希望が絶たれてしまう。

 だが、今の私達にできるのはこれだけなのだ。
 この村を蝕む呪いを、根治できる方法などないのだから。



 ――剣の腕を磨いた。
 魔法が使えない私には、こんなことでしか、ジューナ様のお手伝いをすることができないから。

 私がこの村にやってきて七年。
 物心つく頃からやってきたものの、好きではなかった武術の訓練。けれど、私は心を入れ替えて、懸命に一日も欠かすことなく激しい鍛錬を続けた。

 あの化け物が現れた際に、私がすぐにあれを打ち倒すことができれば、皆の、ジューナ様の負担が減ると信じて。

 年若い未熟な神官見習いだった私も、正規の神官となり、化け物共に遅れを取ることはなくなった。

 けれど、少しずつ、でも確実に、あの化け物の出現頻度は上がっていく。
 この村の呪いが、次第にまして行っているのだ。
 それは、無辜の村人や病症人が苦しむ事を意味する。

 何も知らず、この村に、<聖女>ジューナ様に最後の望みを託してやってくる人々が、村の者たちが、死ぬだけではなく、あんな、あんな化け物に……変貌してしまうのだ。

 





 リットの話を聞いていたジェノは、そこで口を挟まざるを得なかった。

「ナターシャは、『化け物に変貌してしまう』と言ったのか?」
「ああ。そのとおりだ」

 リットの答えを聞き、ジェノはイースが化け物に変貌してしまったときのことを思い出す。
 自分達が無事なことから、あの時、侵入者であるナターシャが巻いた粉がイースを化け物に変えたとは思えなかった。
 やはり、あれはただの目くらましだったのだろうか?
 いや、もしかすると……。

「リット。この村の神官たちが、定期的に村人に薬を配っていたようだが、あれの正体は分かるか?」
「ああ。あれは、本当に薬だぜ。体力増進の薬草を混ぜたものに、おまじない程度の抗魔力を上げる力を込めたものだ」
「抗魔力? 魔法に耐性を得る力ということか?」
 言葉の響きから、ジェノは聞き慣れない単語を推測する。

「ああ。俺がジェノちゃんとイルリアちゃんに掛けたものの、何万分の一にも満たない、ちゃちなもんだけどな」
「俺とイルリアに、その抗魔力を上げる魔法を掛けていたというのか? いったいいつ、何のため……」
 ジェノは懸命に思考する。

「そうか。この村に入る前に、お前は俺とイルリアの頭に触れたことがあった。あの時だな、俺達に魔法を掛けたのは。
 そして、わざわざお前が対象に触れるという動作が必要なほど強力な魔法を描けた理由は……。この村が危険だったからだ」
「うんうん。いいねぇ。ジェノちゃんは自分で考えようとするから、話が早くて助かるよ」
 リットはさも嬉しそうに笑い、話を続ける。

「この村は、汚染されていたんだよ。魔法に似た力にな」
「魔法に似た? 魔法とは違うのか?」
「ああ。違う。けれど、その辺りは順を追って話すさ」
 リットが話を切り上げたので、ジェノは思考を再びイースの事に戻す。

「イース……といっても、お前は知らないだろうが、幼い少女を俺達が保護してい……」
「その辺りの説明は不要だぜ。俺はあの嬢ちゃんを知っている。まぁ、バラしてしまうと、あのイースって嬢ちゃんをジェノちゃん達に引き合わせたのは俺だからな」
 思いも寄らなかった言葉に、ジェノは驚く。

「おいおい。驚きの連続でそんな暇はなかったのかも知れないけれど、少し思い出してみろよ。明らかにおかしいだろう?
 なんで森に隠れていたあの子供が、わざわざ村の中央付近まで戻り、ジェノちゃんの剣を奪おうとするんだ? あれは俺の仕込みだよ」
 リットは苦笑し、解説する。

「信じなくてもいいが、あの嬢ちゃんも手遅れだった。森の中に長く居すぎたせいで、全身が汚染されていたんだ。
 ただ、ジェノちゃん達にこの村の真実を知ってもらうにはいいなと思って、癒やしの魔法を掛けて、ジェノちゃんの剣を奪いたいと思う気持ちを一時的に付加した。ついでに、ジェノちゃん達に見つかるまでの限定で、<隠蔽>の魔法も掛けておいた。神官たちに見つかったら、そのまま殺されるのは明らかだったからな」

「……リット……」
「おいおい、怖い顔しないでくれよ、ジェノちゃん。あの嬢ちゃんも、死ぬ前に温かな飯が食えたんだろう? 何もなく化け物に変わるよりは、少しはマシだったと俺は思うけどね」
 怒りは覚えたが、今は話を聞くのが先決だと自分に言い聞かせ、ジェノは口を開く。

「答えろ。この村は、魔法に似た力で汚染されていた。そして、その影響で、人間が化け物に変わる現象が起きていたと言うわけか。そして、その元凶は、この村の中の森にあるんだな。そしてそれは、神殿に属する者の仕業ではなかった、という事なのか?」
「優等生だね、ジェノちゃんは。理解が早い。ああ、そのとおり。聖女様達は、発端はどうあれ、この村のこの現状を救おうとしていたんだ」

「……そうか。だが、それが、サクリを殺し、イースの妹達を殺して、子供達の首を集めたこととどういう関係があるんだ? そもそもだ。何故こんな危険な場所に村があるのかが分からん。聖女に救いを求めて人間がこの村にやってくる度に、犠牲者は増えてしま……」
 そこまで口にしたところで、ジェノは一つの可能性に気づいてしまった。

「この村は、この国の国王であるガブーランという悪政を行っていた男が、聖女ジューナに出会うことで改心し、彼女のために作った村だったはず。 だが、それが違うのだとしたら」
「うんうん。そうだねぇ。人間、そう簡単に心を入れ替えることなんてできなし、そもそもしようともしないもんだ」
 リットはそう言うと、「まぁ、立ち話も何だから座ろうぜ」とジェノに声を掛けて、芝生の上に腰を下ろす。

 ジェノもそれに倣って腰を下ろすと、リットは再び話を再開するのだった。
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