彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

文字の大きさ
153 / 249
プレリュード

⑧ 『私のご主人様と私の先生②』

しおりを挟む
 マリアとセレクトが来てから、このルーシャンの街は急速に変わっていった。

 もっとも、無学なメイに理解できたのは、朝昼晩の炊き出しを連日行ってくれたことと、病に苦しむ人間を、メイの母を含めた多くの人々を、お医者様に診てもらえるように手配してくれたことだけ。

 けれど、それで十分だった。
 メイ達親子はお腹いっぱい食べられるようになり、母も薬を分け与えられた。
 それだけで、メイはこの身を差し出しても足りないほどの恩義を、マリアとセレクトに感じていた。

 特に、あの日出会った縁で、セレクトは頻繁にメイの家を訪ねてくれて、母にこっそり癒やしの魔法を掛けてくれた。そのおかげで、一時は死の危険まで予感させるほど体調が悪かった母が、すっかり元気になり、仕事を再開できるようになったのだ。

「メイ。マリア様とセレクト様がして下さったことを、このご恩を、決して忘れてはいけないわよ」
 母は何度も口癖のようにメイにそう言い、毎晩、二人が暮らすお屋敷に向かって礼をすることが日課になった。

 けれど、ただ忘れないことと礼をするだけでは、メイの気持ちは満たされなかった。
 
 だからこそ、メイは母の病が完治すると直ぐに、セレクトに何度も頭を下げて、マリアのお屋敷で働かせてほしいと懇願した。
 どんなことでもするから、恩を返させてほしいと懸命に頼み込んだ。

 そして、その結果、メイは侍女見習いとして、お屋敷で住み込みで雇って貰えることとなった。


 それから、なんとか恩を返そうと懸命に頑張って、メイは仕事を覚えた。
 けれど、仕事を始めてからも、マリアもセレクトも優しくて、メイの恩義は増えていく一方。

 メイが読み書きと計算ができないことを知ったマリアは、礼儀作法の一環として、セレクトからそれらを学ぶようにと言ってくれ、時間があるときは自ら勉強を教えてくれた。
 そして、ある程度の教養が身につくと、自分の専属の侍女の一人に取り立ててくれたのだ。

 メイは心から感謝をしたが、マリアは恩に着せることなく微笑み、

「貴女が誰よりも頑張っているからよ。それに、ある程度年の近い侍女が居てくれたほうが、私も楽だからっていうのもあるけどね」

 そう言って頭を撫でてくれた。
 
 それからメイは、主人であるマリアが望む侍女になろうと決意し、一層努力を重ね、またプライベートの時間では気が休まるように、ある程度の砕けた話し方もするように努めた。
 もちろん、他の侍女仲間から嫉妬される部分もあったが、皆、最後にはメイの頑張りを認めてくれた。

 そして、長く付き合っていくうちに、マリアという女性のこともよく分かってきた。

 容姿端麗、頭脳明晰、それに優しくて、街の人々からは深窓の令嬢だの女神様だのと言われているマリアも、根は普通の女の子なのだ。
 もちろん、公務に手は抜かないが、少女趣味で甘いものと紅茶に目がなく、疲れているときは仕事を休みたいと不平を口にする。

 もっとも、それを知ったからと言ってメイの忠誠心はいささかも揺るがない。
 むしろ、素晴らしくも人間味のあるこの素敵なご主人様をますます尊敬、敬愛するようになった。

 メイにとってマリアは、誰よりも素晴らしいご主人様であり、命の恩人であり、姉であり、友人でもあるのだ。
 随分と複雑な関係かもしれないが、メイは恐れ多いとは思いながらも、この立場に要られることをこの上ない僥倖と思い、神に感謝をしている。

 そして、そんなマリアと同等かそれ以上に、メイが心を奪われて居る存在が、セレクトである。

 あの地獄のような日々に、一番最初に救いの手を差し伸べてくれた人。
 膨大な知識を持ったマリアの家庭教師であり相談役でもある人物で、その上、魔法使いで元貴族なのだ。
 ここまで聞くと完璧な人物に思えるが、実は結構抜けているところもある。

 大事な時に寝坊することもあるし、魔法の研究とやらに明け暮れてご飯を食べ忘れることもしょっちゅうだ。
 その上、空腹のあまり深夜にこっそり厨房に忍び込んで、侍女長達に不審者と勘違いされて、袋叩きにあったという悲惨なエピソードなども多い人なのだ。

 当初、メイにとってセレクトは、物語に出てくる白馬の王子様のような人物だった。だがそれが、どこか抜けているけれど、とても優しい先生に変わり、そして、自分を甘えさせてくれるけれど、自分がついていないと少し心配な人に変わっていった。
 そして、その過程で、メイは自分がセレクトに恋をしていることを自覚していった。

 それ以来、メイは事あるごとにセレクトにアピールをしていく。
 料理にとくに力を入れるようになったのも、これが理由である。けれど、セレクトは自分を子供扱いするばかりで、一向に自分の思いに気づいてくれない。

 メイは同じ年頃の女の子と比較すれば、抜きん出て可愛いわけではなく、背も小さいし、出てほしい部分もあまり……というか、出ていない。
 しかし、彼女はもう完全にセレクトに惚れきっていたので、いろいろな本を読んだり、耳年増な同僚の侍女や先輩侍女たちから話を聞き、あの手この手を駆使し、セレクトとの関係を深めようとしている。

 特に、先輩侍女に貰った、『奥手な彼氏をその気にさせる方法と実践時の注意』という本はメイの聖典であり、この知識をフルに利用して、着々と外堀を埋めている最中だ。

 だから、メイは思っていた。この幸せな時間がいつまでも続けばいいと。

 けれど、その終わりは、もう間近に迫っていた……。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

一国一城の主を目指す!〜渇望の日々を超えて。

リョウ
ファンタジー
 何者かになりたかった。  だが現世でその願いは叶わず、男は敗北感と悲嘆を胸に沈んでいた。  そんな彼の前に現れたのは、一柱の女神。  導かれるまま異世界へ転移した男は、新たにレイと名乗り、剣も魔法も身分もない底辺から成り上がることを決意する。  冒険者として生きる術を学び、魔法を覚え、剣を磨き、人と裏社会を見極めながら、レイは少しずつ力を蓄えていく。  目指すのは、ただ生き延びることではない。  一国一城の主となり、この世界で“何者か”になること。  渇望を燃料に、知恵と執念で上へ上へと這い上がる、ダークファンタジー成り上がり譚。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

処理中です...