彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

文字の大きさ
237 / 249
特別編

特別編⑩ 『少しの勘違いと大切な思い』(前編)

しおりを挟む
 夏の盛りは過ぎたが、まだまだ暑い日は続いている。
 そんな中、ジェノは同じ道場で武術の鍛錬をしている先輩のシーウェンと一緒に『特別稽古』に来ていた。
 まぁ、この『特別稽古』というのは符丁に過ぎず、本来の意味は、『二人で夕食を食べる』と言った意味なのだが。
 そして、今日はシーウェンがオススメの、エルマイラムでも知る人ぞ知る隠れた名店にやってきたのだ。

「これは、驚いた……」
 ジェノは予想していなかった風味と旨さに言葉を失う。
 心地良喉越しの後にくるほのかな蕎麦の香りがなんとも言えない。
 それにこの清涼感! 暑気払いにぴったりだ。

「そうだろう! 俺も初めて食べた時には驚いたものだ」
 相変わらず自分が作った訳ではないのに、シーウェンは自分が褒められたかのように嬉しそうに言う。

「蕎麦の食べ方というと、クレープなどが一般的だと思っていたが、こうした麺料理にも出来るんだな。それにこの、つけダレの味の深さは並大抵のものではない」
「ああ。このタレは最高の鰹節とかえしで作られているらしいからな。それに、今は夏蕎麦の季節だから余計に旨いよな」
「んっ? かえし? かえしとは何だ?」
「ああ。かえしというのは……」
 ジェノはシーウェンの説明を聞いて納得したが、そこで今更ながらに兄弟子の料理に対する造詣の深さに驚く。

「俺が料理に詳しいのが意外か?」
「……ああ。すまんが料理をするとは聞いたことがなかった」
「こらこら、兄弟子を舐めるなよ。武術というものには常に戦いに身を置く、常在戦場の心がけが必要だ。となれば、生きていく上で欠かせない食事も自分で作れないのは致命的だろう?」
 言葉とは裏腹に、シーウェンは気分を害した様子はなく笑って言う。

「シーウェンさんたら、うちのお師匠さんにあれこれ聞いて、自分でそば打ちまで出来るようになったんですよ」
 この店の店員で、足を大きく露出した変わった服装の十四、五歳ほどの黒髪の幼い少女が、蕎麦湯というものを持ってくるなり、そんな事をジェノに告げ口してくる。

「こらこら、リャン。俺に振られたからって、ジェノに粉をかけようとするなよ。悪いが、そいつは彼女持ちだ」
「むぅ~。そんな風に、私が男漁りをしているように言わないでよ! なによ。シーウェンさんが私の旦那さんになって、このお店を継いでくれたら万々歳だったのに……」
 リャンはジェノに笑顔で蕎麦湯を手渡し、シーウェンに恨みがましい視線を向ける。

「悪いな。俺はもう少し肉付きが良いのが好みなんだ」
「もう! シーウェンさんのスケベ! ふん! だったらシーウェンさんは樽みたいな体型の女の人と一緒になれば良いんだわ! 私みたいなスレンダーで美しい娘を振るなんて、見る目のない人!」
 リャンはそう言って怒るが、本気で怒っているわけではなさそうだ。その証拠に、すぐにシーウェンにもたれかかり、
「ねぇ、シーウェンさん。私はまだまだ成長の余地があるんですから、今からでも考え直しませんか?」
 そんな事を言いながら、上目遣いに精一杯の誘惑をしているようだ。

「こらこら、これ以上なにかしたら、俺が親父さんに殺されちまう。ほら、俺たちは男同士の話があるから、あっちに言ってくれ」
「むぅ! 絶対に私は諦めないんだから!」
 リャンはプリプリ怒り、店の奥に消えていった。

「騒がしくしてすまなかったな」
「別に構わないが、あの娘の事はいいのか?」
「なに。後で土産の蕎麦でも買ってやれば、機嫌も直るだろうさ」
 シーウェンはそう言いながら、透明な酒を口にし、蕎麦を楽しむ。

「……シーウェン。この店では、麺状にした蕎麦を売っているのか?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
 シーウェンが尋ねかえしてきたので、ジェノは自分の思っていたことを正直に彼に話す。

「なるほどなぁ。だが、必要なのか? 俺はとてもそうは思えないが……」
 話を聞き終わった後に言った、シーウェンの言葉は正しいと思う。

「俺も同じ意見だ。しかし、女の考えだ。男の俺たちには分からないのかも知れない」
 ジェノは更に続けて、「すまんが、この店のことを……」と申し訳無さそうに口にするが、シーウェンはさもおかしそうに微笑む。

「変わるもんだな。いや、そこまで想ってもらえて、あの嬢ちゃんは。いいぜ、この店のことを話しても。ただし、貸一つだ。こんどは、お前が隠れ家になる店を探しておけよ」
「ああ。わかった」
 ジェノはシーウェンと約束を交わし、蕎麦を口に運ぶのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

一国一城の主を目指す!〜渇望の日々を超えて。

リョウ
ファンタジー
 何者かになりたかった。  だが現世でその願いは叶わず、男は敗北感と悲嘆を胸に沈んでいた。  そんな彼の前に現れたのは、一柱の女神。  導かれるまま異世界へ転移した男は、新たにレイと名乗り、剣も魔法も身分もない底辺から成り上がることを決意する。  冒険者として生きる術を学び、魔法を覚え、剣を磨き、人と裏社会を見極めながら、レイは少しずつ力を蓄えていく。  目指すのは、ただ生き延びることではない。  一国一城の主となり、この世界で“何者か”になること。  渇望を燃料に、知恵と執念で上へ上へと這い上がる、ダークファンタジー成り上がり譚。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

処理中です...