ときにはシリーズ

トド

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ときには、心休まる休息を

② 『少年』

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 その店の名は、『銀の旋律』と言う。

 料理人の間では知らない者がいないほどの名店中の名店。



 その店の料理人となることは料理の道を志す者の夢であり、そして一つの到達点である。

 だが、その夢を現実のものとすることができるものは数少ない。その理由の一つがこの店の徹底した英才教育にある。



 まずこの店で働くことを許されるには血統が必要となる。血統とは、三代以上続く老舗料理店の料理人の血を引いていること。

 そして、十歳になるまでに料理の基本を身につけて、その年から『銀の旋律』の別店で働き、見習いから始めて部門料理長以上の役職となることに加え、十六歳までの若手料理人が参加する歴史ある料理コンテストで優勝することが求められる。



 そこまでのことを成し遂げて、初めて本店での見習いになることができるのだ。その門戸は極端に狭い。だが、バルネアはそのほとんどの条件を十五歳の若さでクリアすることができた。



 ……ただひとつ、料理コンテストでの優勝を除いて。



 これまでに三回、年に二度行われる料理コンテストに参加したバルネアだったが、その全てが予選こそトップであったものの、本戦では決勝でことごとく敗退という結果で終わってしまう。

 いつも最後の最後でバルネアは貴重なチャンスを物にできず、残された機会は後一回に迫っていた。



「……駄目だな。こんな料理では、今度のコンテストも危ういぞ」

「……そう、ですか……」

 貴重な休みに無理を言って店の初老の料理長に味をみてもらったのだが、返ってきたのはバルネアの望む結果ではなかった。



「……私もコンテストでは一度優勝を逃している。お前の気持ちもわからないでもないが、これがお前にとっての最後のチャンスであることは揺らぎ用もない事実だ。お前もルーシアと同じように、コンテストまで店に出なくてもいい。僅かな期間でも、もう少しあがいてみろ」

 料理長はそう言い残し、店の厨房を後にしていった。



 一人そこに残されたバルネアは、重い足取りで料理の後片付けを済ませる。

 そしてそれを終わらせると暫く呆然としていたバルネアだったが、少し気分を変えようと思い、戸締まりをして街に繰り出すことにした。



「……どうして、あと一歩のところでうまくいかないんだろう……」

 重い溜息をつき、バルネアは歩き慣れた街を歩く。

 憂鬱なバルネアの気持ちとは正反対のさわやかな春の陽気が街を包んでいた。



 このプレリスの街にやってきてもう五年以上が経つ。だが、料理コンテストまで後一週間。その結果次第では、バルネアはこの街を去らねばならなくなってしまう。



「……もう私には時間がない。これが最後のチャンス……」

 料理長の言葉を思い出し、今度の料理コンテストに出すメニューを頭のなかで整理しながら街をあてもなく歩きまわる。不安でじっとしていることができないためだ。



「もしも、もしも今回も優勝できなかったら、全てが終わってしまう。今まで積み重ねてきた時間も努力もすべてが無駄になってしまう……」

 それを思うと怖くて仕方がなかった。そんなことになってしまっては、家族に合わせる顔もない。



「……料理をするのが怖いなんて初めて……。なんでこうなっちゃったんだろう……」

 ふとバルネアは自分の手を見る。年頃の女の子のものとは思えないボロボロの手。物心ついた頃から包丁を片手に食材と格闘を続けてきた手。



「……私から料理を取ったら何も残らない。でも、このままだと……」

 不安な気持ちから浮かんでくるのは、最悪のイメージ。

 夢破れて途方に暮れる自分。料理人という道を閉ざされてしまった自分。



 ……そんなことは耐えられない。



 体が震える。いつもこうだ。

 いつもいつも肝心なところで自分は不安な気持ちに負けて失敗する。

 あと一歩、ほんの一歩が届かない。



「……これが最後。最後なんだ。もう失敗はできない……」

 何度も何度も自分に言い聞かせる。けれどその度に、バルネアの心の中に重い何かが生まれてくる。



 街を歩いていると聞こえてくる誰かの楽しそうな笑い声。

 気落ちするバルネアの気持ちなど誰も分かるはずもなく、楽しそうに、嬉しそうに笑っている。それが余計バルネアの鬱屈とした思いをいや増していく。



「……疲れたなぁ……」

 歩き疲れた。いや、それ以上に考え続けることに疲れ、バルネアは街の大きな橋の真ん中で足を止めた。



「はぁ~。なんかもう、ここから飛び降りてしまいたい気持ち……」

 立ち止まる自分に関心を持たず橋を往来する人々を横目に、バルネアは何気なくそう呟き、川の流れを見る。



 雪解け水で激しく流れる川。橋の上からはかなりの距離がある。



 もしもここから落ちたら助からない……。



 そう、絶対に助からない。間違いなく死んでしまう。



 死んでしまったら、もう何も考える必要がなくなる……。



「…………」

 川の流れを見ていたはずの体が、バルネア自身も気づかぬうちに前のめりになる。

 ただ水の流れに誘われるように、呆然とバルネアが体を乗り出そうとした瞬間だった。



「……あの。まだ、川の水は冷たいと思うよ……」

 不意に背中から声をかけられ、バルネアは驚いて振り返る。

 するとそこには、自分と同じくらいの年頃の男の子が立っていた。



「あっ、突然ごめん。その、橋から飛び降りるって聞こえたから……」

 誰にも聞かれないと思っていた自分の呟きを聞いていたことにバルネアは驚く。



「えっ? あっ、ごめんなさい。その、本気で言っていたんじゃないんです……」



 そう、ただ冗談のつもりで言っただけのはずだった。

 だが、もしも今声をかけられなかったら自分は何をしていただろう?

 想像するだけで背筋が凍るような気持ちだった。



「えっと……」

 バルネアは、命の恩人である眼前の少年を観察する。

 年はやはり自分と同じくらいだろう。その年頃の男の子としては小柄で、バルネアと同じくらいの背丈だ。髪型も栗色の髪を短く切りそろえているだけで、一見しただけでは印象に残らずすぐに忘れてしまいそうなパッとしない少年だが、バルネアはその顔に覚えがあった。



「そうなんだ……。よかった……」

 少年はそう呟き、安堵の息をつく。



「…………」

 バルネアは何も言わずにその少年の顔をまじまじと見て、そして確信する。



「あっ、ごっ、ごめん」

 無言の視線に、少年は居た堪れなくなってしまったのか、踵を返してその場を去ろうとしたので、バルネアは慌ててその背中に声をかけた。



「あの、待ってください。今日もこれから『銅の調べ』に来てくださるつもりなんですか?」

「えっ?」

 バルネアの方を振り返り、呆然とするその顔が可笑しくて、バルネアはつい、くすっと笑ってしまった。



「私はバルネア。『銅の調べ』の副料理長をやっています。いつもうちのお店に食べに来てくださっていますよね?」

「……どうして、その事を。……あっ、ええと、僕はティルっていう名前で……」

 消え入りそうな声で答える少年に、バルネアはにっこりと微笑んだ。



 いくら店の奥で調理しているとは言っても、お客様の顔は頻繁に確認している。

 このティルという少年が自分の店の常連であることは間違いなかった。
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