冷酷王太子に嫁いだら、ベタ惚れされて離してくれません

白米

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氷の王太子と政略の花嫁

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婚礼の朝。アリシア・エルンストは、鏡の中に映る自分を見つめていた。

シルバーグレーのドレスに身を包んだ自分は、たしかに「王太子妃」という肩書きにふさわしいように見える。けれど、その目は揺れていた。恐れと不安が混ざり合ったような、逃げ出したい気持ちを無理やり飲み込んだ、そんな目。

——王太子レオンハルト・フォン・グランツィア。
婚約が決まって以来、何度も耳にした彼の噂。

「氷の王子」「冷酷無慈悲」「誰も長く仕えられない」
その名は畏怖と共に語られ、彼を知る者は誰もが口をそろえて言った。
『感情というものを持っていない』と。

(本当に……そんな人だったら、どうしよう)

けれど、もう引き返せない。これは政略結婚。
侯爵家の娘として、アリシアは役目を果たさなければならないのだ。



式は静かに、そして荘厳に行われた。

巨大な宮殿の中央ホール。列席した貴族たちは、誰もが美しい花嫁と、その隣に立つ冷徹な王太子を見つめていた。けれどその目は、決して温かくはない。

レオンハルトは、アリシアを一瞥しただけだった。
微笑みも、祝福の言葉も、優しい気遣いもない。

(やっぱり、冷たい人なんだ……)

アリシアは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じながら、無表情を保つ彼の横顔をそっと見つめた。

けれどそのとき——

レオンハルトの指が、ほんの一瞬、アリシアの手に触れた。

ほんの一瞬。それでも彼の手は、冷たくはなかった。
それは、震えるようにそっと、彼女の手を包むような感触だった。

(……え?)

アリシアが顔を上げたときには、レオンハルトはもう前を見ていた。まるで何事もなかったかのように。



式が終わり、夜。
二人きりの部屋に案内されたアリシアは、深く息を吐いた。

初夜——それは女性にとって、大きな節目でもある。
まして相手は、“氷の王子”とまで呼ばれる人物。覚悟はしていた。

しかし、寝室に入ったレオンハルトが最初に言った言葉は、まるで予想外だった。

「今日は、何もしない。安心しろ」

「……え?」

アリシアは思わず声を漏らしていた。

「お前が、怯えているのはわかっている。だが……俺は、無理強いをする趣味はない」

その目は静かで、けれどどこか誠実な光を宿していた。

「……ありがとう、ございます」

そう答えたアリシアの声は、ほんの少し震えていた。でもそれは、恐怖からではなく、安堵からだった。

彼は、自分を理解しようとしてくれている——そう感じたのだ。



数日後。

新居である王太子の居館では、さまざまな変化が起きていた。

侍女たちがひそひそと話す。

「……最近、殿下が穏やかになられたような……」
「アリシア様がお側にいる時だけですよ。なんというか……目が優しくなってます」
「えっ、あの“氷の王子”が……!?」

アリシアはというと、徐々にレオンハルトの優しさに気づき始めていた。

朝食には、なぜか彼女の好物ばかりが並び、
廊下で出くわすと、無言ながらも本を渡してくれる(「この辺りは退屈だろう」との無口な配慮)。
庭を歩いていれば、さりげなく彼女の横に並び、何も言わず日傘を持ってくれる。

(まさか……こんなに優しい人だったなんて)

だが、レオンハルトの方も、実はかなり情緒が乱れていた。

(可愛い……どうしよう、今日も笑った……天使か?)

ただの微笑みにも脳内で鐘が鳴り、
小さな咳払いひとつにすら「風邪か?大丈夫か?」と過保護になる始末。

彼の“冷酷”な仮面の裏では、激重な愛情が芽吹いていた。

アリシアは、王太子殿下——レオンハルトの“冷酷”という噂が、どうにも現実と一致しないことに困惑していた。

初夜のあの夜も、手ひとつ触れずに部屋を出ていこうとするレオンハルトの背中を、アリシアは無意識に呼び止めていた。

「……あの、殿下」

「なんだ」

彼はドアの前で立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
月明かりが彼の髪を照らし、その青みがかった銀の髪が柔らかく光っていた。

「その……私と結婚するの、嫌だったんじゃないですか?」

アリシアの声は小さく、でも真っ直ぐだった。

レオンハルトの眉が、かすかに動く。

「どうしてそう思う?」

「だって、私に笑いかけてもくれないし……必要最低限しか話さないし、私のこと……」

「違う」

その言葉が被さるように、レオンハルトは言った。

「嫌だったのは、政略で結婚させられることじゃない。——お前が、怯えていることだ」

アリシアの目が見開かれる。

「お前は、俺を恐れている。その理由が、俺の素行にあるのなら、俺はそれを——変えたいと思っている」

その真剣な言葉に、アリシアは息を呑んだ。
彼は、怖い人ではなかった。ただ、不器用なだけなのだ。人との距離の取り方が、わからないだけ。

「……じゃあ、嫌いではないんですか? 私のこと」

「……まだ“好き”とは、言えないかもしれない。けれど、知りたいとは思っている」

そう言ってレオンハルトは、ゆっくりと近づいてきた。
アリシアの手をそっと取って、その手の甲に、軽く唇を落とす。

「お前のことを、妻として、大切にしたいと本気で思っている。……だから、急がない。だが、絶対に離すつもりもない」

アリシアは言葉をなくしたまま、ただ彼の熱に触れていた。
こんなふうに優しくされたのは、いつぶりだろう。



それからの日々は、想像していた“宮廷の生活”とはまるで違っていた。

レオンハルトは、毎朝の朝食を必ず共にし、アリシアの好きなハーブティーを覚えて用意させ、
どこかへ出かけようとすれば、使用人を通さず自ら付き添う。

極めつけは——庭でのひと幕だった。

ある日、アリシアが庭で花の世話をしていたとき、風が強まり、帽子がふっと飛ばされた。

「きゃっ……!」

すかさずレオンハルトがその帽子をキャッチし、静かに言った。

「……危ない」

「す、すみません、帽子くらい、自分で——」

「いや。お前が困る前に、俺が動く。……それだけだ」

「…………」

アリシアの心臓が、どくんと跳ねる。

彼は確かに不器用だ。でも、目の前の彼は間違いなく、自分を大事にしようとしてくれている。

その日、王宮の客間で小規模なお茶会が開かれた。主催は王妃。王太子妃となったアリシアの「お披露目」を兼ねてのものだった。

慣れない社交の場に、アリシアは少し緊張していた。

しかし、王妃は優しく、集まった令嬢たちも礼儀正しく接してくれる。ただ一人、アリシアの隣に控えていた青年が、必要以上に親しげな笑顔を向けなければ——。

「殿下の妃君ともあろうお方が、花の育て方に詳しいとは。まるで妖精のようですね」

「い、いえ、そんな……お花が好きなだけでして」

アリシアが控えめに笑うと、青年——近衛騎士団の筆頭であるディートリヒが、うっとりとした表情を浮かべる。

「はっ……失礼。あまりにお美しくて、つい」

その瞬間だった。

会場の空気が、すっと凍った。

「ディートリヒ」

重く低い声が響く。扉の向こうから現れたのは、レオンハルトだった。

「お前は、護衛の任を解かれているはずだが?」

「っ、は……申し訳ありません、殿下。ただのご挨拶のつもりで——」

「その必要はない。……アリシアに、必要なのは俺だけだ」

静かな声なのに、凄まじい威圧感を放つその一言に、室内の空気がぴんと張り詰める。

そしてレオンハルトはアリシアのそばに立ち、誰にも見せたことのない、甘やかな微笑を浮かべてこう言った。

「その笑顔は……俺だけに見せていればいい」

「……っ!」

アリシアの頬が、燃えるように熱くなった。




「……怒ってた、んですか?」

その夜。寝室でのアリシアの問いかけに、レオンハルトは目を逸らした。

「怒ってはいない。ただ……気に入らなかっただけだ」

「……」

「お前が誰かに笑いかけるのが嫌だった。あいつの視線が……」

「殿下」

アリシアは、そっとレオンハルトの袖を掴む。

「私、誰にでも笑ってるわけじゃありません。あなたが、思っているよりずっと……」

言いかけて、声が詰まる。

(こんなふうに、自分のことを想ってくれる人がいるなんて)

「あなたにだけ、笑ってます。……きっと、ずっと、これからも」

レオンハルトの目が見開かれ、すぐに逸らされた。

「……どうして、そんなに……可愛いんだ、お前は」

ぽつりと呟いたその声が、アリシアの胸に深く染みた。

そしてその夜。二人は、初めて手を繋いだまま眠った。



翌朝。陽の光に照らされて、アリシアが目を覚ますと、レオンハルトはすでに起きていた。ベッドの隣、椅子に腰掛けて、じっと彼女を見つめている。

「……おはようございます、殿下」

「……朝の顔も、可愛いな」

「……っ!? も、もう……」

照れて布団に潜るアリシアに、レオンハルトが微かに笑った。

(この人は、こんなにも優しい。どうして皆、それを知らなかったんだろう)

アリシアの胸の中で、まだ小さな「好き」の芽が、静かに芽吹きはじめていた。



夕暮れ。書斎にて。

「殿下、先ほどの件——」

「……アリシアは、何をしている?」

レオンハルトは部下の報告を遮って問う。

「……侍女によれば、手紙を書いておられるとか」

「……そうか」

彼は書類に目も通さず、小さく呟いた。

「あと少しでいい。あと少しだけ……この距離が近づけば、言える気がする」

——愛している、と。

誰にも見せたことのない本音を、たった一人の妻にだけ。

氷の王子が、静かに、確実に変わりはじめていた。
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