病院の僧侶(プリースト) と家賃という悪夢にしばられた医者

加藤かんぬき

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先生、起きて!(2)

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 腕組みするリリカが言った。
「漏れているのは髄液ずいえきね。何かしらの衝撃で硬膜こうまくが破れて、髄液が減って脳の位置が下がった。それで頭痛や吐き気をもよおしてるの…。病名は脳脊髄液減少症のうせきずいえきげんしょうしょう。脳は病気だけど、硬膜はただの怪我だわ。これは小回復キュアで治るはず」

「嘘だろ⁉ ドッフトリータン・ドルーフィズ・トゥーリ……」
 サーキスは小回復キュアの呪文を唱えた。中年の背中が小さく光る。
小回復キュアも使えた)
 サーキスはほっと胸をで下ろした。

「ちょっと水を汲んで来ますね」
 リリカは一度その場を離れてコップに水と頭痛薬を持って来た。患者にそれを渡して飲ませる。そして患者夫婦にもう一度、病状を説明、名前と住所だけを問診票に書いてもらい、「先生の目が覚めたら、往診に行きます」とその日は帰ってもらうこととなった。

 静かになった玄関でリリカがサーキスに礼を言った。
「ありがとう。助かったわ」
「いいんだよ。寺院に来てた客はあんな人達ばっかりだったぜ。『俺の順番はまだかー』『早くしろー』とかね。それに俺がこの病院に来た時に習ったじゃないか。患者さんは不安いっぱいでここに来てるんだから、まずはにこやかに接しろって」

「あー、ごめんなさい…。先輩として恥ずかしいわ…」
「ははっ。でも、寺院の頃みたいにうじゃうじゃ客がいたら、それも難しかったかなって思うけどね。…いや、どうかな? 今の俺ならうまくやれたかな…。ところで先生はまだ目覚めないんだ…」

「うん…」
「リリカはもう寝てくれ。俺が先生を看てるよ。氷を取り替えるぐらいしかできないけど。何かあったら呼ぶから」
「うん…」

 サーキスが一人パディの部屋に入ると、軽い天然パーマの男が氷枕を頭の下に敷いて苦悶の表情を見せていた。眠っているパディはもちろん眼鏡をかけていない。
 額を触ってみればやはり高熱。呪文で心臓を視てみれば依然として鼓動は異常に早かった。

「どうしたんだよ、先生…。早く起きてくれよ…。せっかく俺が医者になる覚悟ができたのに…。起きて色々教えてくれよ…」
 サーキスは椅子に座って脈を取ったり、胸に手を置いて心音を確かめたりする。
「あの時は病院から逃げてごめん。本当にごめんなさい…。逃げたことは一生悔いるよ…。ごめん…。それとオズの魔法使いはありがとう。嬉しかったぜ…」

 返事のないパディにサーキスはしきりに話しかけた。
「…どうでもいいけど、先生って実はリリカのことが好きだろ? なあ、答えてくれよ…」

 しばらくしてゲイル・マルクがやって来た。結局、手術を決行した勇気あるサーキスに敬意を表した。しかしながら、高熱で眠り続けるパディにゲイルは何とも言えない表情だった。注射器でパディの血液を抜き、「リリカさんにもよろしく」と帰って行った。

 その後、休診中の札を出しているにも関わらず、患者が病院の玄関を叩いていた。午前と午後、合わせて二人。サーキスは理由を言って名前と住所だけを控えて患者達には帰ってもらった。夕方になってもパディの熱は変わらず、目を覚まさなかった。それからリリカと交代してその日は帰ることになった。

     *

 翌朝、サーキスは病院へ着いた。正面玄関は閉まっているので勝手口に廻る。院内に入ればすぐさまリリカと出くわした。
「お、おはよう…」
「うん…」

 曇った顔に泣きはらした目。目の下にはクマまで付いていた。パディがまだ起きないことは訊かなくてもわかった。このままパディが起きなければ最悪、自分とリリカでこの病院をやっていかなければならない。そんなことが脳裏に浮かぶ。偶然、同じことを考えていたのかリリカが言った。

「もうこうなったら二人でやっていくしか…」
「馬鹿なことを言うな!」
 一瞬にして自分の考えも否定した。さめざめと泣くリリカの肩を支えてサーキス達はパディの部屋に入った。するとそこにはベッドの上で上半身を起こし、窓の外を見ているパディの姿があった。

「おはよう」
 のん気な挨拶に二人は大泣きした。リリカがパディの胸に飛びつく。
「せんせー! せんせー!」
 号泣する涙に声が濁る。ベッドの横でサーキスが仁王立ちで泣きじゃくる。

「…待ってたよー、先生…!」
「ごめんね。熱でなかなか起きられなかった。やっぱり僕は年だね」
 サーキスが涙声で言う。
「先生の声を…、久しぶりに聞いた気がする…。先生ってお喋りだから黙ってることってあんまりないだろ…。死んでる時も寝てる時も何も言わなかったもん…」

「あ、当たり前じゃないか…」
 二人があまりに涙を流すため、パディももらい泣きをしてしまった。
 しばらくして涙が止まった頃、パディが話を始めた。

「手術は成功だね。意識は結構早く戻ってた。今まで眠ったように動いていた心臓が急に力強くなってどっくんどっくん言ってるんだ。以前もそうだった…。成功したって音を聞いただけでわかるよ…。サーキスが僕の体を切るところ、見たかったな…。あの、それで…その…」

 パディの言葉が急に詰まった。サーキスに礼を言っていいのか、謝るべきなのか言葉が出なかった。察していたのかサーキスが、「気にすんなよ」と一言だけ言った。沈黙の後、パディが続けた。

「僕が熱が出てるのは豚の心臓で作られた人工弁という異物が入ったからなんだ。拒否反応で高熱が出ている。あと一週間は続くと思う。説明の必要がないって思って先に言わなかった。前回はすぐに目が覚めたんだ。今回は…。やっぱり年のせいだろうねえ。意識は時々戻っていたのにどうしても起きれなかった。ははは…。それから僕の心臓は今、すごい心拍数が高いだろう?」

「そうだよ!」
「これは今まで大動脈弁が破れながらも必死にごまかしごまかし心臓は動いていたんだ。急に正常に戻ったから心臓がビックリして動きが早くなったんだ。これは自然と落ち着いてくる。経過を見なくちゃね。それから、ほら。気付かない?」
 二人が首をひねった。

「僕の咳が止まってる」
「本当だ! あれだけゲホゲホ言ってたのに!」
「すごい!」

「寝ている間も僕は全然咳をしなかっただろ? これが大動脈弁膜症の治療のすごいところだよ。治療してすぐに効果が出てる。考えた人は天才だね。よくこんなことをひらめくって思うよ。…そして何よりサーキスのおかげだよ。初めての手術なのによくこんなことができた…。リリカ君も長年、僕の心臓のために付き合ってくれてありがとう。リリカ君の応援がなかったら僕はとっくに生きることを諦めていたよ…」

 パディは体を起こして靴を履こうとした。
「ええ⁉ 何で起きるの⁉ 熱があるんでしょ⁉」
「先生、何を⁉」

 パディは靴を両足に通すと背筋を伸ばして力強く立った。そして屈託ない笑顔。手術前はその長身を小さくして震えていたパディ。今は全く違う。これが死を乗り越えた人間の笑顔だった。

「何って? 仕事だよ。うっすらと聞こえていたけど、僕を待ってる患者さんがいるんだろ? こんな熱、氷で頭を冷やしながら仕事してればいいよ! どうせ一週間は熱は下がらないんだから! それに家賃も稼がないといけないしね!」
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