叔父と姪

しし

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姉の死

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『弟さんの番号は麗さんのご友人からお聞きしました。ご連絡が遅くなってしまい申し訳ございません』

耳に届く電子音に息を吐く。
パソコンを閉じ、背にもたれると椅子が軋んだ。



姉が死んだ。


留守番電話には、姉の義妹と名乗る女性が出た。
夫婦で後ろから来たトラックに車ごと追突されたと、絞り出したような少し低い声で女性───早水冬美さんは呟いた。


『葬儀は明日の夕方行います』
『住所はメールで送りますので、折り返しお待ちしております』


昨晩から続けざまに非通知が入っていたが、職業柄何度掛かってこようとも出ないようにしていた。留守電以外は出ないように。

それが裏目に出てしまった。
通夜で忙しい最中、昨日から何度も連絡を下さっていた。
本当に申し訳ない。

眉間を揉みほぐしながら、指定された番号を携帯に入力する。
無機質な音声が続いた末。
気の抜けた音が鳴り、留守番電話に切り替わった。


『‥早水さんのお電話番号でお間違いないでしょうか。私、麗の弟の志賀恒一と申します。折り返しが遅くなってしまい、大変申し訳ございません』

留守電の長さを考え、簡潔に要件を伝える。
数十秒経つと、電子音が鳴り電話が切れた。


姉とは10年以上会ってない。
何処に住んでいて、何をしているのかさえ知らなかった。


『そんなんだから、そんなんだからさッ‥‥』

記憶にある最後の姉の声は未だ鮮明に思い出せる。

居間から震えた怒鳴り声に肩を落として、軋む廊下を歩いた。
そこで姉とぶつかり、姉は何かを飲み込むように唇を噛み、玄関から姿を消す。


もう会うことはないだろうと、そう思っていたが。
まさか葬儀への参列を求められること──自分の所に連絡が来ることになるとは思ってなかった。

特段姉と仲が悪かったわけでもない。

ただ、仲が良かったわけでもなかった。
最後の最後でさえ何か言葉をかけることを、自分はしなかった。

対照に、父親は姉と大変仲が悪かった。
姉が出ていく直前まで揉めていたのも、そうで。
扉を見つめていた俺に対して『放っておけ』と吐き捨てた。


父親は俗にいう亭主関白で、昭和の残り滓のような人だった。

病気で死んだ母さんも、死ぬ間際まで父親に翻弄されていた。
床で眠る母を呼びつけては『飯が炊けてない』だの『お前は無能だ』だの散々な物言いをしていた。
それも、母が余命宣告されてからは関わることもなくなり、あんな奴知らぬとでも言うように父は母のことを放っていた。

かくいう自分も、部活やら何やら言い訳をつけて両親からは距離を取っていたので父をどうこう言える立場でもないが。


唯一諦めなかったのは姉だけだった。
否、姉には諦めという言葉すらなかったのかもしれない。

当時高校生だった姉はたった1人で母親の看病を担い、病院に出向きもしない父親に牙を剥いていた。

母は1年3ヶ月の闘病の末、亡くなった。
姉の高校の卒業式の1週間前に。

母の病室には、姉への卒業祝いであろう花柄の毛編みのポーチが置いてあった。それを、姉は握りしめて1人静かに泣いていた。


母の葬儀には親戚以外にも、母の友人という人物が多く訪れた。父と姉に順番に声を掛けていく。
姉が驚く様子もないということは、病室で何度か会っていたのだろう。
一方、父は傷心を装うように挨拶していく。そんな父を、姉は親の仇を見るような目で見つめていた。

そんな様子をじっと眺めた。


姉と父の口論が自宅に響き渡ったのは、母の葬儀から数日。姉の卒業式が終わった夜だった。
当時の自分は自室に籠り、高校の範囲の先取りをしていた。要するに現実逃避だ。
そんなことをしていると下から珍しく父の怒声が聞こえてきた。警察沙汰になる前に止めたほうがいい、そんなことを思いつつ階段を降りると先ほどの姉の声が聞こえてきた。


そして、姉が家に帰ってくることは二度となかった。







───────────────────────

─────────────







ピリリリリリ




「‥もしもし、志賀さんのお電話でお間違いないでしょうか?」 

通話ボタンを押すと、留守電と同じ女性が出た。

「はい、志賀で──」
「ッよかった、留守電‥聞いていただけたんですね」

よかった、と声を震わす女性に改めて申し訳ないことをしたと肩を落とす。

「何度もお電話下さっていたのに、申し訳ございません」
「ぁっ、いいんです良いんです、このご時世仕方のないことですよ」
「いぇ。‥‥それで性急で申し訳ないんですが、姉が亡くなったというのは」
「ッ、‥はぃ、‥‥ごめ、なさ」

涙声になった女性に、息を詰める。

「‥申し訳ございません。お気持ちの整理もついていないですよね」
「ッ、ぇ、いえ、‥‥麗さ、お姉さんとは‥ッ‥‥」

この人の方が姉のことをよく知ってる、と純粋にそう感じた。

「ッ‥兄‥‥も、‥‥ごめ、なさいッ」

ポロっと出た言葉はその人の心の内を表している。

医大生の時に読んだ参考書の一部が頭をよぎった。
姉と、お兄さんの両方を一度に亡くしている。
そんな中でやっと弟と思わしき者と連絡が取れた。安心して気が抜けたんだろう。

「‥‥」

声を出そうとして止めた。
何を伝えても間違える気がした。










嗚咽に耳を傾けていると、ゴトッと物音がした。

「‥ごめんなさい。もう、だいじょうぶです」
「いえ、‥‥気持ちが溢れる時はそのまま流すのが一番の治癒、と言います。なので、今は思うままに気持ちを流しておくのが一番いいんです」
「‥‥‥」
「‥すみません。偉そうなこ──」
「いえ‥!違うんです、‥‥弟さんとのお話、‥‥その、」
「聞いてませんよね。気を遣っていただかなくて大丈夫です。姉とは10年来会ってなくて、連絡すら取り合ってなかったので。ご存じなくて当然だと思います」

会うこともないと思っていた。
あの時の姉の目は俺を憎んだ、いや感情すら抱いてない目だった。

「そぅ、なんですね」

少し言葉に詰まった冬美さんに謝罪を伝えれば、焦った声で否定された。

「‥‥、私が言うことでもないですが、もし、もしも!迷っていらっしゃるなら、葬儀来ていただけません、か?」
「葬儀、ですよね」
「はい、麗さんのご親族、」

その、と言い淀む冬美さんに肯定の意を伝える。

「‥行政の手続きとかも、冬美さんのご家族にお任せするわけにいきませんので。何か出来ることなどがあれば遠慮なくおっしゃってください」

そうですか、と小さく息を吐く音に、肩の力が抜けていくのを感じた。

「‥ぁ、ごめんなさい。今のお話、耳から抜けてしまって‥ぇと、」
「行政の手続きとか、冬美さんのご家族にお任せするわけにいきませんので──」
「そうでした!そうでした、ね、‥‥すみません、何だか気が抜けちゃって」

はは、と初めて気の抜けた声が聞こえた。

「‥‥疲れの時に申し訳ありませんでした。到着時間ですが、明日の朝イチの新幹線に乗って、おそらくお昼過ぎになるかと思います」
「わかりました。お待ちしております。‥‥ありがとうございます」

慈しむようなお礼に少々恐縮してしまう。

「こちらこそ、ありがとうございました。明日、ではよろしくお願いいたします」



携帯を操作して、病院にも数日休むことを連絡する。
勤務している少し衰えた総合病院は、時だけは休みを取りやすい。要するにブラックだ。



メールを終えて首を鳴らし、明日の準備を始めた。







───────────────────────

─────────────








姉は幸せに暮らしていたのか。


新幹線に揺られながら、無責任にもそんなことを考えた。
見ようとしてこなかった俺とは違い、家族と向き合ってきた人。

俺が家族を、父を見ることになったのは父親が死んだ時だった。
煙草を吸っていた父は肺が相当痛んでいたらしく、風邪をこじらした末に肺炎で死んだ。

父もまた無責任に枕元で姉のことを話していた。
『ここに来ないのも、あいつの話に耳を貸さなかったからか?』誰に問うでもなく譫言のように呟く父に俺は何も返さなかった。


父との関係が特段良かったわけでも、悪かったわけでもない俺は。
姉が出て行った後、3年は父親とのらりくらりと生活していた。
父親と離れたのは、高校を卒業して医学部に入学した時。

父は、世間体を気にする人だ。
母親が死んだ時も、それまで無関心だったのが嘘のように葬儀の指揮を執っていた。

そんなこともあり、姉との最後の口論でもその話が出ていた気がする。
と、まあ、そんなこともあり、父は俺が家を出る時は相当喜んでいた。

あの人からすれば息子が医者になる為に家を出る。

それは、姉が家を出ていくことと比べて相当誇らしいことだっただろう。
立派な子供を持ったね、そう言われるのを心待ちにしていたんだろう。

ただ、現実はそういいことばかりでもなく。

父はその数ヶ月後に入院し数日で亡くなった。
姉に連絡を取れるはずもなく、葬儀は親戚と父の友人だけで済ました。
ちなみに、タバコやら酒やらを好んでいた父の骨は、言うまでもなく殆ど残らなかった。

そして、現実がそう上手くいかないのは自分もそうだった。
当たり前だが、何か信念を持って入学した訳でもない自分は当然他の学生との乖離があった。
人を大切にしてきた訳でもなく、闘病中の母から距離を置いていた自分が医者になる。医者の志を持つのは皆無に近かった。

とにかく知識を入れた。
知識さえ入れれば、職務を全う出来る。それに、人への共感が薄い自分でも知識さえあれば、全てとは言わないが分かることが出来る、そう信じた。

医学部に進んだのに特に理由もない、のだとしても何か意味を見出せるんではないかと、本気でそう思った。


「‥‥」

いや、今思えば。理由と呼ぶのもおこがましいが、意味はあった。

宿罪。
そんな陳腐なものだった。

姉への、母親への。

「‥‥」

そして、父親への。


姉がどうしてそこまで父と向き合い、母親の世話を望んでいたのか、遅ればせながら理解した。
諦められなかったのでも、理想を抱いていた訳でもなく。
ただ、姉として娘として、家族を取り持とうとしていた。それだけだったのだと。

誰も協力的でもない家族、それでも昔一度でもあった家族としての時間を取り戻したかった。守りたかった。

執着にも似た、子供としての正常な反応だった。
どちらかというと俺の方が問題があったんだろう。
もっと俺が協力的だったら、姉の願いも叶ったのではないかと。


後悔なんて可愛いものでもない。
ただ、そう思うと。医者への道のりプロセスを思い描けた。




新幹線を下車すると、普段は感じない暖気が肌を包んだ。

住所は随分と町外れにあった。
冬美さんから指定された通り、タクシーに乗り住所を伝える。
運転手は少々唸り、シフトレバーを下げた。


姉の自宅は九州だった。
実家は、青森。



「お客さん、ここらの人?」
「いえ、用事で」
「へぇ、観光にしちゃ、こげん山奥に行くとは思うとりました」
「‥旅館、ですか?」
「ん?あぁ、旅館は昔の話ですたいね」

マップで指定された場所を検索しても、旅館だったなんて情報は出てなかった。

「あっ、思い出しましたばい。そこ、3年前までは旅館しよりましたね。若か女将さんがよう働きよりました」
「‥‥若い方、ですか」
「えぇ、まぁ、そこの旦那と夫婦になりましたがな」
「っ‥そこの旅館の名前、って」

「「早水」」

「ん?お客さん、ご存知で?」
「‥‥名前程度ですが」
「ほぉー、いい人でしたよ。旅館やってた頃は、よう気配りしてくれはってね」




* * *



人から聞く姉は、本当に知らない人だった。

姉が結婚していることも到底知る由がなかった自分は、姉が結婚することはないのだと勝手な解釈していた。
あんな家だったからこそ姉は家族を持たないのだと、そう思っていた。

姉のことを俺が分かろうなんてことは無理だった。いつも分かった顔して分かってない。


「ここですね」

運転手の声で窓の外へ視線を向けると、そこは緑溢れる場所だった。
森林とまでは言わないが、木漏れ日が地を照らしている。

「‥興味深いお話、聞かせていただきありがとうございました」

代金を払い運転手に告げると、男性はスッと瞳を細めた。

「ワタシも、ここ久しぶりに来れてよかったですわ。‥良いお別れを、してきて下さいね」

お客さんに踏み込むなんて失格ですわ、と照れたように笑う運転手にもう一度礼を伝え降りた。







ピンポーン


バタバタと足音が近づいてくる。

「ぁー!!お兄ちゃんだーれ!!」
「こら!!勝手に‥‥‥、志賀さん、でしょうか」

ガラッと勢いよく開いた扉から低学年ぐらいの男の子が飛び出して来た。

「はい。志賀と申します」
「おかあさーん、この人??れーちゃんの弟ってぇ」

イントネーションの違う姉の名前に腹の底が少し揺れた。

「うん。そう、麗さんの弟さん」
「昨晩はお電話ありがとうございました」
「ぁ、いいの、いいんです。ほんとに頭あげてくださいッ」

本来なら姉の死すら知ることができなかった。

「おかーさーん、ユミがぁ」

家の奥から赤ん坊の鳴き声が聞こえて、そのまた後ろから女の子がトテトテと走ってくる。

「ぁ、うん。ちょっと待ってて」
「お忙しい時に、すみません。何か出来ることがあれば───」
「にーちゃん、遊んでー!」
「あ、こら!」
「僕でよければ」

ワァワァと泣いてる赤ん坊。
遊び盛りな男児と女児。
忙しい中対応してもらうのは申し訳ない。

「おかーさんいいでしょー」

俺の手をブンブンと振り回す男の子に冬美さんが申し訳なさそうに頭を軽く下げた。

「お願いしてもよろしいですか」
「もちろん」


慌ただしく中に駆けていく背中を見届けて、膝を折る。

「何しようか」
「トランプー、で、そのあとはぁ、オセロでしょー?でぇ、七並べもする~」

グイグイと引かれる腕に声をかけて靴を脱ぐ。

「‥‥お兄ちゃん、だれ?」

上擦った声が聞こえて、顔を上げればさっきの女の子が不安気にこっちを見ていた。

「れーちゃんのおとうとだって。母さんいってたじゃん?」

男の子が呆れたように嗜める。

「麗の弟の、恒一って言います」

膝をついて見上げれば、首を捻る女の子。

「こーち?」
「こういち、だろ?馬鹿」

そこには自分たちにはなかった空気感があった。

「好きな呼び方でいいよ。えと、トランプだっけ?みんなでしようか」
「うん!こういち行こ!」

敢えて名前の部分を強く読み上げる男の子に少々口元が綻んだ。

 
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