3 / 17
理
しおりを挟む
俺はある時から、“臭い”が一体どこから発せられているのか。疑問に思うようになっていた。そんな折に、庭先で番犬を仕る隣家の柴犬から、獣臭とはまた違う、“臭い”を嗅ぎ取った。俺はいつものように、敷地を区切る柵越しに柴犬の頭を撫で付けようと手を伸ばす。すると、此方の目論み通りに柴犬は尻尾を振ってやってきて、柵の間に頭を突っ込み、番犬失格の人懐っこさを露呈する。俺はその恩恵に授かった瞬間、やはりあの“臭い”を嗅いだ。
俺は息を何度か吸い込み直し、臭気に頭を突っ込む覚悟をする。鼻が先行する姿勢の悪さは顧みない。ひたすら“臭い”の元となる場所を探すのだ。やおら柴犬の顔に接近していく最中、楽しげに口角を上げた口の隙間から鋭い犬歯を見た。そして、「ハァハァ」と興奮気味に呼吸をする姿はやがて、獰猛な番犬らしい落ち着きのない乱れた息に聞こえ出し、人間が都合よく咀嚼しがちな表情は、微笑みから威嚇の為に口を大きく開いた番犬の厳しさに変わった。
「バウ!」
俺がとっさに首を引っ込めた瞬間、前歯が鼻先を掠める。ゆくりなく起きた反抗を前に尻餅をついて驚いた。股の間を見れば、俺に噛みつこうと必死な番犬の影が伸びてきており、その執拗さに冷や汗を流す。ただ、この離れた距離にありながら、“臭い”は確かに俺の鼻腔を通り、酸素と共にとして供給されている。俺はふと、眼下の暴れる番犬の影を見た。
「?」
鼻を近付けようと地面に接近を試みれば、その姿はあまりに不恰好で恥も外聞もない。ただし、こんこんと尽きない疑問の答えを得ることの等価交換だとするなら、座持ちを憂いて躊躇うようなことはしない。俺は鋭敏な鼻を駆使する為に、グッと頭を沈み込ませ、地面を目と鼻の先に捉えた。
「うっ」
俺は思わず、顔を背けてしまった。あまりに“臭い”が強烈でまじまじと眼前に捉えていることが出来なかったのだ。
「まさか……?」
想定を遥かに超えた“臭い”のもとは、有形であれば誰しも、その上に立ち、名札代わりに個人の輪郭を写し取る“影”であった。それからというもの、足元の影の行方に注意深くなり、背中が丸みを帯びると陰湿な雰囲気の一助を買い、不本意ながら薄暗い人間として認知されるようになった。しかしそれでも、出所元も定かではない“臭い”だけを追うのは、きわめてストレスの掛かる挙動不審な所作の引き金となっており、視線を落とすだけで看破できるのは目覚ましい進歩だ。
鬱屈とした発散し難い悩みを抱えた無数の人間達が跋扈する、天下の往来を無自覚に避けてきた俺は初めて、日曜日の昼間に足を伸ばした。大挙して押し寄せる“臭い”は、凄まじいものだった。まるで運河の中を歩いているかのような息苦しさすら覚え、俺は忽ち溺れかけた。だが、足元に張り付く影が“臭い”の由来だと理解すれば、頭の中で整理でき、無知を理由に遠ざけていた俺はもういない。
俺は息を何度か吸い込み直し、臭気に頭を突っ込む覚悟をする。鼻が先行する姿勢の悪さは顧みない。ひたすら“臭い”の元となる場所を探すのだ。やおら柴犬の顔に接近していく最中、楽しげに口角を上げた口の隙間から鋭い犬歯を見た。そして、「ハァハァ」と興奮気味に呼吸をする姿はやがて、獰猛な番犬らしい落ち着きのない乱れた息に聞こえ出し、人間が都合よく咀嚼しがちな表情は、微笑みから威嚇の為に口を大きく開いた番犬の厳しさに変わった。
「バウ!」
俺がとっさに首を引っ込めた瞬間、前歯が鼻先を掠める。ゆくりなく起きた反抗を前に尻餅をついて驚いた。股の間を見れば、俺に噛みつこうと必死な番犬の影が伸びてきており、その執拗さに冷や汗を流す。ただ、この離れた距離にありながら、“臭い”は確かに俺の鼻腔を通り、酸素と共にとして供給されている。俺はふと、眼下の暴れる番犬の影を見た。
「?」
鼻を近付けようと地面に接近を試みれば、その姿はあまりに不恰好で恥も外聞もない。ただし、こんこんと尽きない疑問の答えを得ることの等価交換だとするなら、座持ちを憂いて躊躇うようなことはしない。俺は鋭敏な鼻を駆使する為に、グッと頭を沈み込ませ、地面を目と鼻の先に捉えた。
「うっ」
俺は思わず、顔を背けてしまった。あまりに“臭い”が強烈でまじまじと眼前に捉えていることが出来なかったのだ。
「まさか……?」
想定を遥かに超えた“臭い”のもとは、有形であれば誰しも、その上に立ち、名札代わりに個人の輪郭を写し取る“影”であった。それからというもの、足元の影の行方に注意深くなり、背中が丸みを帯びると陰湿な雰囲気の一助を買い、不本意ながら薄暗い人間として認知されるようになった。しかしそれでも、出所元も定かではない“臭い”だけを追うのは、きわめてストレスの掛かる挙動不審な所作の引き金となっており、視線を落とすだけで看破できるのは目覚ましい進歩だ。
鬱屈とした発散し難い悩みを抱えた無数の人間達が跋扈する、天下の往来を無自覚に避けてきた俺は初めて、日曜日の昼間に足を伸ばした。大挙して押し寄せる“臭い”は、凄まじいものだった。まるで運河の中を歩いているかのような息苦しさすら覚え、俺は忽ち溺れかけた。だが、足元に張り付く影が“臭い”の由来だと理解すれば、頭の中で整理でき、無知を理由に遠ざけていた俺はもういない。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる