彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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二流小説家

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 凝ったハードカバーは要らぬ。表紙から物語を始めよ。手に取る必要がないのだから、通りがかった消費者に出来るだけ多く目を落としてもらえるはずだ。気に入ってもらえば立ち読んでもらい、購入の流れとさせてもらう。このアイデアに求められるのは、後ろ髪を掴む筆致と、老獪な構成技術だ。いくつもの物語を書き綴った文豪ならば、容易いだろうが、このやり方が隆盛を極めた時、なまじな作家は腐心に病んで筆を折ることになりそうだ。私か? 私はこの通り――  

 俺には教養がない。しかし駄文を書き下ろす理由にはなり得ない。ただ、それは救いにもならず、焦燥感が霧になって濃く広がる。伸びてくる手の善悪は、蜃気楼を掴むが如くはっきりしない。地獄へ引きずり込まれるかもしれないし、その実天国やも知れぬ。よしんば、こちらが引きずり込んでみても面白い。千夜一夜物語のような古来より伝わる摩訶不思議な物語の語り手となるべく、俺はひとりの有識者を訪ねた。  

「夜分遅くにすいません」  

 森のようなヒゲを蓄えるこの御仁の名は、東堂正義。低頭大学の客員教授である。阿呆の頭を阿呆臭く変える社会的に優良な人材だ。

  「中退者がわざわざ大学に足を運ぶとはどう言う了見だい?」  

「以前話しましたよね。小説家を目指していると」  

「あー」 

  既に失った記憶をあたかも思い出す素振りをする。

  「君、小説家は砂漠に咲く花みたいなものでね。それは可憐だが、ほとんどが芽吹くことがない」  

「その種に水を与えようとは思いませんか?」  

「君に水をやるくらいなら、自分で飲み干すね」  

「なるほど。流石は売れない小説家、余裕がない」

   額の皺が急峻になり、裾野に緩やかな勾配を作る。

  「いいか! 通年、社会的に無に等しい存在として机に向かい、鏡を覗くこともなくなれば、部屋は陸の孤島と化して時折現れる豪華客船を指を咥えて眺める、それが小説家だ」

   鬱積した剣幕が唾を飛ばして、俺に襲いかかった。それでも、慄くことはない。  

「俺は後悔しませんよ」  

「くだらん。世間知らずめ」 

 「だって、小説家の一人である貴方を尊敬しているから」

   東堂は咀嚼しきれぬゴムを頬張ったようにむにゃむにゃと口を動かす。舌鋒はすっかり去勢され、不相応に身悶えする乙女の先祖返りを見た。そして頭を一掻きし、  「昨晩、次の小説の冒頭を書いたんだ。題名は『二流小説家』」
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