彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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秘密の遊び④

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 学校の顔となる正門に辿り着く頃、朝礼のチャイムが校舎の窓から漏れ聞こえてくる。せかせかと歩を進ませた生徒の心掛けは徒労に終わり、憮然と顎を持ち上げながら、ゆっくりと教室に向かう。チャイムが鳴ってしまった以上、遅刻という現実は変わらない。垂らした汗水を考慮して成績に影響を与える教師はいないのだから、悠然と教室の扉を潜ればよろしい。

 出席を取っていた教師から睥睨を浴びながら、生徒は自身の席に座る。

「田所と一緒に登校した人はいるか?」

 欠席者の所在について教師が問う。だが、うんともすんとも言わない学生の群れを前に答えは導かれず、頭を掻いてバツの悪さを湛える。そんな中で生徒は今一度、教室を見回した。他のクラスメイトの顔を確認し、気付く。放課後に「遊び」と称した悪戯に参加した内の一人が見当たらない。能動的に動いて見せ、姿を消した彼の名前は「田所」というらしい。

 病にかかる前兆を毛ほども感じさせない高慢な振る舞いを目の前にしたこともあって、登校を憚る理由が見当たらなかった。家の諸事情ならば、学校に連絡が届き、教師の問いかけは成立していないはずだ。曖昧模糊とした疑問がついて離れない。生徒は窓の外の景色を一瞥すると、空に浮かぶ白い雲に田所の顔を描いた。その日の放課後。生徒は耳を疑う言葉を聞く。

「宮地君、遊ばない?」

 節操のない発起人の誘いが、そぞろに聞き耳を立てさせる。

「あー、構わないよ」

 生徒は訝しげに眉根を歪ませ、田所の行方にまるで興味がなさそうな発起人の様子を睨んだ。そして、首尾良く進むやりとりに猜疑心が降り積もれば、せかせかと教室を生徒は後にし、いつものように自宅へ直帰した。

 身体に出来た痣が、空のまま放置された香水瓶の残り香に甘やかされて、シュガースポットとして薫る。雑然と物が置かれたテーブルの上には、性交に際して使われるコンドームの箱が不埒に転がり、壁と膝を突き合わせる生徒の背中に女が軽口を叩く。

「使う?」

 女はそれに飽き足らず、コンドームの箱を生徒の頭に投げつける。性教育を受けずとも、生物の本能として猥雑な「下ネタ」が語られ、知らぬ間に性への認識は養い育てられるものだ。生徒もその一人で、一瞥すると直ぐに目を逸らした。

「返事くらいしなさいよ。冗談なんだから」

 ノリが悪いと女に言われながらも、生徒は閉じた口を開こうとは決してしない。置き物のように扱ってくれと暗に語り、女の舌打ちを引き出した。足の踏み場がない部屋で、まんじりと隅で縮こまる生徒は、この世に生を受けたことを悔やんでも悔やみきれないと、厭世的な雰囲気を醸成する。

 何処の馬の骨とも知れぬ者から譲り受けた、赤いランドセルを背負う。熟れた果実のように肩から外れてもおかしないほど、劣化が進んでおり、不躾に扱ったと責め立てられる理由はない。生徒にとって学校は謂わば、避難所に近く、一番乗りで教室に着くのが常であった。だからこそ、この前の遅刻は許し難く、新しく形成されると思われた人間関係が無に期したことへの悩ましさは計り知れない。
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