彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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平成二十年、三月五日に起きた焼身自殺について①

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 身を粉にして光るこの赤色灯は、私に操られることを望んでいるのか。今し方、欠伸で逃がした仕事への熱を鑑みれば、手に持って誘導するだけの資格は既に逸しており、虚しげに赤くは光る棒として語るに落ちた。不意に肩を回せば、空中へ赤い軌跡を描き、仕事のような真似となって風景に残る。夜気の深さに合わせて、車の数は見る間に減っていて、工事現場を迂回させる為に丘陵の入り口でひたすら仁王立つのが常となっていた。酷く劣化したコンクリートを剥がすショベルカーの駆動音を背にしながら、雲間で顔を覗かせる月を薄ぼんやりと見上げる。

 無為に過ごした時間はそのまま体感へと影響を及ぼし、幾度となく腕な巻いた時計の針を追いたくなった。それでも頑なに空の色合いを注視し、正確な時間を知ろうとはしない。過去に魔が差して時計を見てしまったことがあり、そのたびに手元を見るのが癖付いて、頭を抱えたくなるような時間の進みを体験した。同じ轍は踏むまいと、葉の揺れる音や動物の鳴き声、枝から枝に移る鳥の羽ばたきなどに耳と目を向ける。

 飽くことなく繰り返す欠伸を見計ったかのようなタイミングで、正面から迫る前照灯が目に飛び込んだ。仕事の出番だと準備運動に肩を回す。忙殺を極めるのは勘弁願いたいが、適度な来客は吝かではない。ただ、直ぐに私は目を丸くした。緑に染め上げられた一台のタクシーが山へ入って行こうとする世にも奇妙な光景に、私は仕事を忘れて凝視する。そしてそれだけには留まらず、タクシーはまるで鼻緒を結び直すように目の前で停車し、後部座席を開くのであった。工事現場の関係者かと頭を過ったものの、わざわざタクシーを使って移動する理由が見当たらない。私は解決の糸口として、タクシーから降りてくる人物へとりわけ興味が湧いた。黙々と静観していると、後部座席の扉は独りでに閉まってしまう。

「?」

 明らかに不自然な挙動をするタクシーは、二車線道路を大きく使って踵を返そうとし出す。その際に運転席で青白い顔をしながら、ハンドルを慌ただしく操る運転手が垣間見え、尋常ならざる出来事に相対した人間らしい姿を把捉する。

「い! 暇だからって連絡を怠るなよ」

 胸の襟に括られた無線機から聞こえてきたノイズ混じりのそれは、太平楽な私を見越した叱責の言葉だった。

「す、すみません!」

 切羽詰まって口を無線機に持っていき、謝罪する。勤務を始めたばかりの身分の低い私は、余計な諍いを避ける為の言葉を軽々しく吐きがちであった。

「た、み……みた」

 ノイズに絡め取られた酷く聞きにくい機械仕掛けの声が返ってきて、私は身体を退け反らせる。鼓動の早さと相まって、汗が異様に吹き出した。
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