彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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負け知らずのコンビニ店員④

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 男は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、金属バットを持ち込んで襲い掛かる算段を立てた以前の考えが、どれだけ陳腐でこの場にもたらす影響の少なさを憂いた。

「……」

 気落ちした男へ畳み掛けるように、振り上げたままの右足を突き出す。強靭な足裏を寸暇に見たばかりの男は、金属バットを縦にして攻勢に出る田中の右足を受け止めようとする。塵芥をどかすかのような前蹴りは、そぞろに受け身を取った男の期待に応えるように、甚大なる力が働いて飲料水がズラリと並んだガラス張りの冷蔵庫まで吹っ飛んだ。その衝撃に整然と肩を並べて見物していた商品達が、歯の根が合わないほどの恐怖に襲われてガタガタと音を立てる。

「クッ、ソ」

 苦痛とは読んで字の如く、身体に備わった痛覚を刺激する痛みの一つであり、耐えようと思うと歯を食いしばりがちだ。不均衡に加わった力の偏りによって男の顔は歪さを帯び、水鏡のように磨かれた床に落ちた。だらりと脱力した身体から、悪態の為に口を動かすような軽薄さすら見受けられず、「強盗」という名目で来店した男の趣旨は半ば瓦解したとっていい。

 茫然自失にあった男は突然、我に返ったように金属バットの行方に目を配り、手から離れかかったそれを慌てて胸元に引き寄せる。まるで割れ物を取り扱うかのように大事に抱え込む姿は、先刻までの立ち回りとは相反する。攻守に於いて活躍すると踏んで持ち込んだ金属バットへの信心深さは図り知れない。

 ゆっくりと踏み締めるようにして歩く田中の足音は、受刑者の様子を見て回る警察官の厳格さを連想させ、男の表情が次第にさめざめとしていくのが目に見えて分かった。濡れそぼつ服の重さに引き摺られるようにして腰を上げた男は、金属バットを盾代わりにする。もはや、強盗を目的にコンビニエンスストアに来店した人間とは思えぬ姿に成り果てており、被害者側であるはずの田中は一転、加害者のような威圧さを帯びた。

「出口はあっちだけど」

 田中は左後方を指差す。その先には、客足の遠い深夜のコンビニエンスストアならではの閑古鳥が鎮座する自動ドアがまんじりと待っていた。

「……」

 男は商品棚を挟んで、物理的に距離を稼ぎながら自動ドアの方へ歩いて行こうとする。その間も、炯々たる眼差しで田中は男の動向を見定め、不審な動きに対して常に注意を向けていた。男の金属バットを握る手に血管が浮かび上がり、地殻を割ったかのようにドロドロとした熱が全身に回る。感情を司る大脳辺縁系は、言語野に訴えかけ、言葉による大別を求めるが、男は直感的に理解していた。これからどのような行動を取るべきかを。
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