9 / 42
第一部
ガスラード
しおりを挟む
熱った身体は、湯冷めしたように瞬く間に発汗と合わせて沈静していき、ぐるぐると渦巻いていた感情がベッドの奥へと消え去った。ぽつねんと天井を眺めていると、数刻前まで学校の授業を受けていたのが不思議なくらい、あべこべな現実の中にいる事を改めて自覚する。
「コン、コン、コン」
懇切丁寧な扉を叩く音が、郷愁に耽る俺をベッドから引き起こす。「手合わせ」と称したシゴキに対してあれほど上手く立ち回ったにも関わらず、妙に身体が重く感じて、扉のノックへ健やかに答える力が湧いてこない。それどころか、億劫に思って狸寝入りすら検討する程度に腐した。しかし、無関心を装って知らぬ存ぜぬとするには、もう少し図々しさが求められそうだ。
「はい」
扉を開けると、目線を下げなければ目を合わせる事も叶わない、少女と呼んで差し支えない幼なげな女が立っていた。
「兄さん、いつまでここにいるつもりですか」
言葉の意味を理解できず、記号的表現に当たる疑問符が頭に浮かんで仕方ない。
「そうやって、逃げるんだ。私達から」
俺に全面的に非があるかのような俯き加減と女が話す内容は、想像力だけでは補えない。暗中模索にも似た身の処し方に終始するしかなく、独りでに動き出す口はこの場を切り抜ける唯一無二の方法であった。
「ちょっと待ってくれよ。俺はここでやる事があるんだよ」
「私設の冒険団に入れば何も言われずに済むもんね? だって、社会奉仕だから。皆のためになるから」
恨み節たっぷりな女の言い回しは、人の感情を逆撫でるだけの叙情に溢れていて、眉間から熱を発するのが分かった。
「俺はちゃんと選んでここにいる。それを蔑ろにするのは、家族であろうと許さない」
思わず女の肩を掴んで、説得めいた行動を取ってしまった。身体に走る微振動を手に感じると、目元に光るものを見た。
「そうですか。そうなんですね」
花が枯れるように、しおらしく俺の手を払い除けて、女はふらりと去っていってしまう。よしんば兄と妹の関係であるとするならば、俺の取った態度ははっきり言って最低である。
「また、妹さんに講釈垂れて、追い返したのか?」
偶さか通りがかったであろう男に、知った風な口をきかれれば、女の後ろ髪に引かれて廊下へ出てしまっていた事に気付かされた。
「お前より先に見つけてやるから。安心しろ」
クリーム色の布を身体に巻いて服とする男は、意味深長な言葉を捨て台詞に去ろうとする。
「見つけるって、何をだよ」
「あ? ガスラードに決まってんだろ」
まるで共通言語のように扱われる「ガスラード」は、俺にとって既知の未知に違いない。何故ならば、初めて聞いたとは思えない耳馴染みがあったからだ。
「まぁ、そんな顔をするな。うだつの上がらないお前に代わって、ガスラードを手に入れてやるから。そうすれば、二度と妹さんがお前に尋ねる事はなくなる」
コイツは一体何なんだ。えらく馴れ馴れしく、俺を出し抜こうとする口ぶりが苛立たせる。自信たっぷりな歩行で目の前から去ろうとする男の肩を掴み、女に対して働いた朴念仁ぶりを披露したいところだが、それは今すべき事ではない。
「謝ろう」
俺はマイヤーへの謝意に託けて、「ガスラード」という物の理解を深めようと考えていた。決して物覚えがいい方ではない。だが、一度だけ訪れたマイヤーの部屋へ行くまでの道中、一切立ち止まる事すらしなかった。
「……」
この奇妙な感覚を内包したまま、俺は扉を叩く。
「コン、コン、コン」
懇切丁寧な扉を叩く音が、郷愁に耽る俺をベッドから引き起こす。「手合わせ」と称したシゴキに対してあれほど上手く立ち回ったにも関わらず、妙に身体が重く感じて、扉のノックへ健やかに答える力が湧いてこない。それどころか、億劫に思って狸寝入りすら検討する程度に腐した。しかし、無関心を装って知らぬ存ぜぬとするには、もう少し図々しさが求められそうだ。
「はい」
扉を開けると、目線を下げなければ目を合わせる事も叶わない、少女と呼んで差し支えない幼なげな女が立っていた。
「兄さん、いつまでここにいるつもりですか」
言葉の意味を理解できず、記号的表現に当たる疑問符が頭に浮かんで仕方ない。
「そうやって、逃げるんだ。私達から」
俺に全面的に非があるかのような俯き加減と女が話す内容は、想像力だけでは補えない。暗中模索にも似た身の処し方に終始するしかなく、独りでに動き出す口はこの場を切り抜ける唯一無二の方法であった。
「ちょっと待ってくれよ。俺はここでやる事があるんだよ」
「私設の冒険団に入れば何も言われずに済むもんね? だって、社会奉仕だから。皆のためになるから」
恨み節たっぷりな女の言い回しは、人の感情を逆撫でるだけの叙情に溢れていて、眉間から熱を発するのが分かった。
「俺はちゃんと選んでここにいる。それを蔑ろにするのは、家族であろうと許さない」
思わず女の肩を掴んで、説得めいた行動を取ってしまった。身体に走る微振動を手に感じると、目元に光るものを見た。
「そうですか。そうなんですね」
花が枯れるように、しおらしく俺の手を払い除けて、女はふらりと去っていってしまう。よしんば兄と妹の関係であるとするならば、俺の取った態度ははっきり言って最低である。
「また、妹さんに講釈垂れて、追い返したのか?」
偶さか通りがかったであろう男に、知った風な口をきかれれば、女の後ろ髪に引かれて廊下へ出てしまっていた事に気付かされた。
「お前より先に見つけてやるから。安心しろ」
クリーム色の布を身体に巻いて服とする男は、意味深長な言葉を捨て台詞に去ろうとする。
「見つけるって、何をだよ」
「あ? ガスラードに決まってんだろ」
まるで共通言語のように扱われる「ガスラード」は、俺にとって既知の未知に違いない。何故ならば、初めて聞いたとは思えない耳馴染みがあったからだ。
「まぁ、そんな顔をするな。うだつの上がらないお前に代わって、ガスラードを手に入れてやるから。そうすれば、二度と妹さんがお前に尋ねる事はなくなる」
コイツは一体何なんだ。えらく馴れ馴れしく、俺を出し抜こうとする口ぶりが苛立たせる。自信たっぷりな歩行で目の前から去ろうとする男の肩を掴み、女に対して働いた朴念仁ぶりを披露したいところだが、それは今すべき事ではない。
「謝ろう」
俺はマイヤーへの謝意に託けて、「ガスラード」という物の理解を深めようと考えていた。決して物覚えがいい方ではない。だが、一度だけ訪れたマイヤーの部屋へ行くまでの道中、一切立ち止まる事すらしなかった。
「……」
この奇妙な感覚を内包したまま、俺は扉を叩く。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる