ドーベルマン

駄犬

文字の大きさ
6 / 19

身の上話

しおりを挟む
 滞りなく注文を終える為に、ろくに料理の名前に目を通さないまま、ビールの一杯を頼んだ。昔馴染みの友人と時間を共有する好奇心から、重い腰を上げた一ノ瀬にとって、舌鼓を打つ事など二の次である。如何に楽しげな会話を交わせるかが、この場に於ける優先事項だった。

「今、何してるんだ?」

 だからこそ、今自分が置かれている環境を探るような林田の追求には、苦い顔をして答える他なかった。

「工場でアルバイト」

「そうか」

 思わず漏らしかけた溜息を既の所で噛み砕き、辛うじて顔を俯かせる。それが一ノ瀬に出来る精一杯の体裁を保つ方法であり、空元気で声を弾ませるほど処世術に長けていなかった。

「疲れてそうだな。クマもある」

「そうだね、最近眠れてなくて」

「……そうか」

 覇気は決してこもらない。店員が届けてきたビールを一気に仰ぎ、血にアルコールを回すようなやけ酒めいた行動を取る事でしか、自分を癒す術が見つからなかった。

「一ノ瀬はさ、今の生活に満足しているかい?」

 林田は前後に交わすべき文脈を省いて、突飛な切り口から接近を図った。当然ながら、このような私生活に踏み込んだ質問は、「親しき仲にも礼儀あり」という決まり事に抵触し、気安く答えるなどあり得ない。

「急だなぁ。随分と」

「僕はこの頃、思うんだ。このまま歳だけを重ねて、惰眠を貪るように毎日を過ごしてていいのかって。一度きりの人生がこんな程度に終わってしまうのか。そんな恐怖感が、ふとした瞬間に湧き起こるんだ」

 林田はやおら、両手を組み合わせて固く結んだ。つらつらと弁舌する赤裸々な林田の胸中には、一ノ瀬も共感する部分はあった。しかし、嬉々として飛び付き、傷を舐め合うような真似はしなかった。軽はずみにこの話題を掘り下げて、共に穴に落ちるような間抜けな道化を演じるのは憚られたのだ。

「よくある話だよね」

 一ノ瀬は至って平静にそう指摘し、林田が抱える悩みと距離を取る。潮が引いていくのような、さめざめとした一ノ瀬の体温を感じ取ったであろう林田は、前傾姿勢になって熱を纏った。

「一ノ瀬、これを見てくれるか」

 注視を求める林田は、両手に握り拳を作って一ノ瀬の目の前に出す。それはまるで、手垢の付いたコインマジックと瓜二つの影形を象り、陳腐な驚きをもたらす為の小賢しい動作であった。そんな林田の思惑を看破するかのように、一ノ瀬はすかさず右手首を掴んだ。

「どうした?」

「あ、いや、何でもない」

 一ノ瀬は、熱された鉄を握ったのと変わらない、異様な反応で林田の右手首から手を離す。

「……」

 磨りガラスを貼り付けたかのような釈然としない林田の表情は、そのまま沈黙へと繋がった。ビールのジョッキは一段と汗ばみ、居酒屋の猥雑さに似つかわしくない、重苦しい雰囲気に首を突っ込んだのは、期せずして料理を運んでくる店員であった。渡りに船だと林田は目の前の料理に飛び付く。

「ここの焼き鳥がまた美味いんだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...