吸血鬼は唇に紅を差す

駄犬

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死なば諸共

回顧

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 なんでも要領良くこなし、失敗とは無縁な人生を謳歌していた。ただ、瀬戸海斗には未来を思い描く力が著しく欠けていた。器はあれどそこに注ぐべき物が見つからない。その不足した部分は、慢性的な欲求不満に繋がり、何を悩むべきかも分からぬ堂々巡りを少しでも紛らわすために、夜な夜な町を闊歩し始める。夜風に誘われて町の路地を歩き回り、仄かな疲労感を満ち足りぬ思いの代わりにした。

 いつものように町を練り歩こうとすると、瀬戸海斗は珍しい光景を目にした。それは、人々が「ストロベリームーン」と呼んで囃し立てる赤い満月の姿だ。その月明かりに照らされた瀬戸海斗の顔は紅潮し、ドクン、ドクン、と脈打つ血管の騒がしさから、自分が興奮状態にあることを認識する。そして、自動販売機で水を買って一気に飲み干すほどの喉の渇きに襲われた。

「これは……」

 遠い昔、両親から人より歯が多いことを言い伝えられたことがある。厭世遺伝を遠回しに伝えた形だ。深刻に思い悩むことがなかったのは、周囲との差異がそれ以外見受けられず、集団生活に一切影響がなかったからだ。しかし今は、空にしたペットボトルから潤いを得られない身体の変化の兆しが、「吸血鬼」という形式的な名前が実態を伴って瀬戸海斗へ知らせた。

 名状し難い鬱憤を晴らすための夜の散歩で、余計なストレスにかかった瀬戸海斗は、自宅へとんぼ返りする。

「……」

 それでも、喉の渇きに悩まされ続けて、日がな一夜、眠ることすらできなかった。誰にも述懐できない新たな悩みを抱えた瀬戸海斗は、フィクションの伝聞に頼らざるを得なかった。

 初めての吸血行為は、年端もいかない少女であった。夕暮れ時にカラスの鳴き声を頼りに帰路へつく、脆弱な指針に頼る少女を襲うのに苦労はしなかった。

「きゃっ」

 首に噛み付いて、血を吸い上げる。まるで酸欠気味だった脳に空気が行き渡るかのような、脳天に向かって突き抜ける清涼感を味わう。喉の渇きなど忘れて、虚脱した少女の身体を片腕で支えながら、血を吸い続けた。暫くして、瀬戸海斗は満足感から噛み付いた首から顔を離す。

「あっ」

 毛布がくたびれるように地面へ倒れる少女の姿に、瀬戸海斗は自身が犯したことを目の当たりにした。脱兎の如くその場を立ち去り、事物を有耶無耶にする。

「某県某市、時刻は午後十七時頃。帰宅途中の十二歳の少女が路上で意識を失っているところを発見されました。病院へ緊急搬送されましたが、その数時間後に息を引き取りました。警察は事件と事故の両面で捜査を進めています」

 両親がテレビ画面に釘付けになり、眉根に悲哀を湛える中、瀬戸海斗は表情一つ変えずに夕飯の食事を続け、白飯をよそい直すほどの食欲を満たした。

「海斗。答えられるか?」

 数学教師に黒板の設問を当てられて、瀬戸海斗は颯爽と解き明かす。胸のすく思いで。

 足取りの重さにかまけて、バーテンダーを取り逃がすなど本懐ではない。瀬戸海斗は腕を大きく振り始め、走る速度を上げた。非常階段へ続く扉に手を掛けるバーテンダーの背中を捕らえんと、雑居ビルへ足を踏み入れた瞬間、天井の異音に目を奪われる。蜘蛛の巣と見紛うヒビ割れが天井全体に走り、芽生えた危機感より早く、瓦礫となって頭上に降り出した。
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