魔王直下の相談室

じぇいそんむらた

文字の大きさ
上 下
23 / 32

第20話 わたしを離さないで

しおりを挟む
魔王様は、今にも命の火が消えそうなログを横抱きにし歩いている。
初めて出会った日も、同じように抱いて歩いた。あんなに小さかった子が、ここまで大きくなったのだな……と、魔王様は感慨深くなる。

そしてふたりは、魔王だけが入ることを許された場所へと足を踏み入れる。

人を魔族として迎える、そのための場所だ。

床にログを下ろすと、魔王様はたまらず、深く彼女に口づけする。
その行為をログが受け入れたあの日から、箍が外れてしまったようだ。

ログは、そんな魔王様に、優しく笑顔を見せる。
愛が終わる日を恐れていた少女は、もうそこにはない。

「闇に堕ちる覚悟はできたか?」

魔王様は、ログの頬を撫でながら、問う。
その手に、自分の手を重ねて、ログは魔王様をしっかり見つめる。

「先生となら、どこにだって堕ちていける。わたしを、離さないで」

魔王様は目を細める。嬉しそうに。

「言うようになったねえ……なんて最高なプロポーズだろう」

そこで、人としての生を、ログは終えた。

***

それからしばらくして。

「ああ!目覚ましがいつも通りだったなんて!最悪!」

優雅に朝食を取る魔王様の周りで、ドタバタと準備をしているログ。
今日はいつもより早く仕事に行かなければならないのに、目覚ましの設定を変え忘れて、遅刻の危機に見舞われているのだ。

「ああもう!メイクは諦めた!ごはん食べる!」

洗面台から慌てて戻ってくると、キッチンでコーヒーに牛乳をたっぷり注ぎ、それとパンを手に取り、魔王様の向かいに座る。

「いただきます!」

そんなログを、魔王様はニコニコしながら見ている。

あの後、魔王様は、離れて暮らしていたログを自分の家に呼び寄せた。
妃となるかはともかく、まずは共に暮らそう、そうログに言ったのだ。

昔、ログを引き取った時、魔王様は姉であるクライアに彼女を託していた。だから、同じ屋根の下で暮らすのは初めてである。

普段見れなかった一面にお互い驚いたり、時には喧嘩をしたり……そうやって、他の誰にも触れることのできない部分までさらけ出す。
その毎日が、魔王様にとって、何物にも代え難い幸福な時間であった。

「ごちそうさま!」

あっという間に朝食を腹に収めると、ログは身支度を整えて、魔王様の元に来る。

「先生、行ってきます!今日はちょっと遅くなるかも」
「ああ、わかった。気をつけて」

そして、どちらからともなく、顔を近づけ、そっと口づけをする。
顔を離し、ログは少し照れくさそうに笑う。そしてそのまま玄関へと向かう。

彼女の後ろ姿を、頬杖をつきながら、幸せそうに見送る魔王様だった。

***

朝早く出勤したログは、届いたばかりの人事異動表を見ていた。

誰がどこの部署にいるか、きちんと把握する事で、相談事への対応も早くなっている。
と、ある人物の名前を見つけたログ。
退職者の一覧に、フォールスの名前があったのだ。
一ヶ月後には、辞めてしまう……。

すぐさまログは秘書課に通信を飛ばす。
この時間、まだ誰もいないかもしれないが、居ても立っても居られない。

「はい、秘書課のフラスです」
「あっ、フラスさん!おはようございます、ログです!」
「あらログ嬢、こんな早くから、どうしたの?」
「あ、あの!フォールスくんが退職って……人事異動表見てびっくりして……どうしてですか!?」

捲し立てるログに、フラスは苦笑し、落ち着きなさいなと言う。

「それは……そうね、本人から直接聞いた方がいいんじゃないかしら?彼に、時間取るように伝えておくから……ね?」
「……はい、わかりました、お願いします」

しゅんとしながら、ログは通信を終える。
最近のフォールスはよそよそしく、まともに話もしていない。フラスさんはああ言ったが、なんだかんだ時間を取ってくれないまま、姿を消しそう……そんな予感に、ログはデスクに突っ伏し落ち込む。

「わからんでもないけどさあ……フォールスくんのせいじゃないんだよ……?」

フォールスは、ジャイルがログを刺した事を自分の責任だと思っているのだろうか。
彼に思いを寄せるジャイルを傷つけるような事を言ったのは事実だが、しつこく言い寄られていたフォールスの気苦労も相当なものだったはず。まさか、刃物を取り出すなんて、誰も想像しなかっただろう。

何より、あの時に避けられなかった自分も悪い。そうログは思う。あの時、なぜかわからないが動けなかった。悲しみと絶望に満ちたジャイルの気迫に飲まれたのかもしれない。

「んー!こうしてる場合じゃない!今は仕事!仕事だ!とっとと片付けてから考えよ!」

仕事の鬼にわたしはなる!そう誓って、ログは仕事の山に向かった。
しおりを挟む

処理中です...