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本編

5月 その2 切り札は地下に

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 上級学校は、主に授業を行うための本館と、部活動などに使用する別館に分かれている。僕らは今、その別館の地下へと向かっている。地下は暗い雰囲気からか、どの部活も使いたがらないらしく、近寄る生徒はまずいない。

「入学式のあと、とある先生に呼び止められたんだ。もし僕に困った事があったら、その部屋を訪ねてみなさいって。大きな声では言えないけど、試験対策もバッチリだよって」

 僕がふたりにそう説明しながら、地下への階段を降りようとした時、チェリーがぽつりと呟いた。

「……魔族よけの魔術がかかってる」
「え?」

 僕は足を止めて、後ろをついてきているティティを振り返った。彼も平気そうな様子だ。

「ねえティティ。今更な事聞くけど、君って何者?」
「おい、本当に今更だな!!俺は見ての通り人間だ」
「じゃあ、チェリーは?」
「あたしも多分……人間」

 多分、とはどういう事なんだろう。疑問に思ったのはティティも同じだったようで。

「多分ってお前、自分が何者か分かってねえの?」
「……それは言えない」
「あっそ」

 途端に興味を失ったティティ。僕は気になるものの、これ以上追求してもチェリーは教えてくれなさそうな気がして、なにも聞かない事に決めた。

「じゃあ僕たちみんな、問題なさそうだね……行こ」

 そして僕らは、地下へと階段を降り、廊下の一番奥にある部屋の扉の前に辿り着いた。
 その引き戸の扉には、小さくプレートがかかっている。

「ここだ……灰色姫の会」
「非公認の部活動か?」
「そういうものらしいよ。僕も、あんまり詳しく聞いてないから分からないけど」
「よく知らねえのに来たのかよ……俺のかわい子ちゃんは怖いもの知らずだな」
「だって、切り札のためだもの」

 僕は、扉をノックしようとしたその時だった。急にガラガラと扉が開き、僕の心臓はキュッと縮み上がった。

「!!!」
「わあ!よく来たね!……って、びっくりさせちゃった?ごめんねえ」

 扉を開けたのは、赤茶けたふわふわの長い髪とそばかすを持つ女のひとだった。大人びているように見えて、どことなく無邪気な雰囲気も感じる不思議なひと。
 彼女は、満面の笑みを浮かべながら両手を大きく広げ、言った。

「ようこそ灰色姫の会へ。前代未聞の秀才、流星ボーイのスターくん!私の名前はユニと言うよ!ここの会長をしてる。いやあ、きみがいつ来てくれるのかって首を長ーーーーーーーーく……はあ……はあ……して待ってたよ!……あと、お連れさんもね。いやあ、君にピッタリの個性派揃いだね!」

 僕は圧倒されて、ただ呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

「さあさあ、早く中へお入り!そう、そこに座って!さあて何を飲むかい?紅茶?それとも紅茶?そうさ、ここには紅茶って選択肢しかないんだよね!わははは!でもお菓子は色々あるよ?用意するからちょっと待っててね」

 中に案内された僕たちは、勧められるまま大きなソファに、チェリーもティティも隣同士は嫌だと、結局僕を真ん中にして座った。
 そして僕は、内装の豪華さにぐるりと周りを見渡した。

「ふひひ、びっくりした?地下って雰囲気悪いから、部屋の中くらいめちゃくちゃ豪華にしたいねーってことで、先輩たちの時から少しずつ手を加えて、こんな風になったんだよ!」

 ユニさんは、紅茶の準備をしながら話しかけてくる。

「しかしスターくん。ここに来たって事は……何か困った事でもあったのかな?」
「はい……僕にここの事を教えてくれた先生から、試験対策の資料があるって聞いて」
「ああ!あるよ!誰もが喉から手が出るほど欲しがる試験完全攻略マニュアルが!……でも、これを必要としてるのはスターくんでも、漆黒の貴公子のティティくんでもなさそうだね。という事は、赤毛の美少女天才魔術師のチェリーくん……きみのためかな?」

 自己紹介していないのに、ユニさんは僕だけじゃなくティティやチェリーの名前まで把握している。僕は驚きつつ、彼の問いに答えた。
 
「はい。この子のために必要なんです」
「そっか。勉強熱心なのはえらいえらい。はい紅茶をどうぞ。熱いからフーフーするんだよ?」

 僕たちの目の前に紅茶の入ったカップと、そしてお菓子が山盛りのカゴが置かれる。そしてユニさんは、自分の分の紅茶を持って、向かいのソファに座った。

「マニュアルを渡す前に、注意事項だけ説明させてね。まず、この部屋からの持ち出しは厳禁。必ず灰色姫の会のメンバーがいる時にしか見せてあげられない」
「クソめんどくさい決まりだな」
「ティティ、口が悪い」

 僕が側にいると、ティティの口が悪くなるのは気のせいだろうか。彼が他の友人といる時は、そんな様子は見た事ない。まるで、主人以外に吠える飼い犬……なんてことを思ってしまった。

「いいよいいよ、私だって面倒くさいと思うもの。でもね、このマニュアルは純血の魔族には絶対に見せられない。そのためにこうしてる」
「純血の魔族には……?それは、どうして?」

 誰もが当たり前に、純血の魔族こそが価値のある存在だと疑わないこの世界……だから、それを排除しようとする思想がある事に驚いてしまう。

「我らが灰色姫の会はね、人間や混血の生徒を陰ながら支えるのを目的とした会なんだ。後ろ盾もなく、ただ己の知力のみでこの上級学校の門戸を叩いた……そう、まさに君みたいな子を」

 そうやって僕を見るユニさんの瞳からは、これまでのすこしお調子者の雰囲気が消えて、真剣そのものだ。

「そんな素晴らしい才能が理不尽に潰されることがないように、見守り、無事に巣立てるように助ける……それがこの会」

 そしてユニさんは、一気に紅茶を飲み干す。

「へえ……そんな会があったとはね」

 どこか悔しそうなティティ。彼はやけに色んな情報を握っているから、この会のことを知らなかったのが悔しかったのだろうか。知らないけど。
 でも、そんなティティを無視して、ユニさんは僕を見る、

「だからね。もしスターくんも興味があったら、仲間になってくれると嬉しいな」
「スターだけかよ」

 ティティの棘のある言葉にもユニさんは全く動じず、ニコニコと笑う。何を当たり前の事を言っているの?という顔で。

「そうだよ?だって、この中で信用できるのはスターくんだけ。私の勘はそう囁いている。あ、念のため言っておくけど、君たちを嫌ってるってわけじゃないからね。ティティくんともチェリーくんとも、お友達にはなりたいとは思ってるよ?」
「けっ……そんなのこっちから願い下げだ」
「それは残念。でも、お友達は通年採用してるから、気が向いたら声をかけてね」

 そう言うのに、全く残念がってない様子のユニさん。ティティは、それ以上は面倒くさいといった顔で腕を組み、ソファに深く腰掛け黙ってしまう。

「さあて、と。じゃあ早速見ていく?スターくんのような賢い子ならきっと、一度目を通せばおぼえられるでしょ?隣の部屋においで。マニュアル見せてあげる」

 ユニさんはそう言って、僕に手招きをする。

「でも……」

 僕は後ろ髪を引かれるのにも似たような気持ちでチェリーとティティを見る。

「大丈夫、待っててやるから安心しろ。ただし……三十分だ。それ以上は、コイツとふたりきりで耐えられる自信がない」

 ティティは、チェリーに視線を向けないまま親指で彼女を指す。
 そしてチェリーはそれを見て、ティティと反対側に顔を向ける。目つきがすごく怖い。

「すっごくムカつくけど……あたしのためだから我慢する!でもなるべく早く戻ってきてよ!?」

 僕は、一抹の不安をおぼえつつも、ふたりを信用する事に決めた。

「分かった。早く戻れるように頑張る。……ねえティティ?僕は、僕の新しい友達と仲良くしてくれる君の事なら、大好きになれそうだよ?」

 その途端、ティティは色んな感情が入り混じったような表情を見せた。それを肯定と捉えたのか、ユニさんは僕の肩に手を置いて言った。

「話は決まったね。じゃ、行こう!」

 そして僕はユニさんに連れられ、隣部屋に足を踏み入れた。

 その部屋は、ほぼ全ての壁に本棚が置かれていて、僕は圧倒されてしまう。そんな僕を見て、ユニさんは誇らしげに笑う。

「すごいでしょこれ。学生の頃はお金ないだろって言って、卒業した先輩たちが少しずつ買ってくれた本なんだ。図書室にはないような変わり種が多いんだよースターくんも読みにおいで。あ、その机使っていいからね。……試験範囲は、次にやる夏休み前のやつでいい?」

 僕は頷く。するとユニさんは、本棚から何冊ものノートを取り出し、僕が座った机にそれらを並べた。

「さ、どうぞ。灰色姫の会の叡智の結晶だよ。30分、私が計っといてあげるから、好きに見ていいよ」
「ありがとうございます」

 僕は姿勢を正して、ノートを開く。
 様々な筆跡が入り交じるそれは、真摯に勉学に向き合うひとたちの息吹を感じるようだった。
 最初は全体を軽く見ていく。つまづきやすいポイントなども丁寧にまとめられていて、ありがたいと思うと共に、僕が予想していたよりも広い範囲で少し目眩がした。

 全てに目を通し終え、特に気になる箇所をしっかり読み返し、さらに念の為再度見返している途中、とうとうユニさんの声がかかった。

「三十分経ったよ」

 僕は、一度大きく息を吐き、そしてそっとノートを閉じる。全てを重ねてまとめると、ユニさんへと渡す。

「私は片付けしてるから、スターくんは先に戻ってていいよ。あの子たちきっと待ちくたびれてるだろうし」
「はい……ありがとうございました」

 僕はユニさんに頭を下げ、先に部屋を出た。

 扉の開く音で気づいたのか、ふたりの顔が僕を向いていた。その表情は、不満と、疲労が滲んで見える。僕がいない間に何かあったのか。でも聞くと面倒くさそうなので、やめておく事にする。

「待ちくたびれたぞ、俺のかわい子ちゃん」
「約束通りの時間でしょ。ああ……頑張ったあ……」

 僕は、チェリーと間を開けて端に座るティティに詰めるよう促すけれど、嫌だと断られ、無理矢理抱え上げられたと思うと間に座らされた。
 まったく……と小さく呟いて、それから高さがかなり減っているお菓子の山からひとつ摘んで、口に放り込む。頭を使った後の甘いお菓子は頭に染み渡る。
 それから、すっかり冷めた紅茶を一気に飲み干す。乾いた喉が満たされ、ようやく一息つけた気分になる。

「それで、成果は?」
「そんなの、ばっちりに決まってるよ……ふぁあ……」

 ティティに聞かれ答えたものの、僕は気が抜けたのか、思わずあくびが出てしまう。そんな僕を笑うティティ。

「謙遜しないんだな、おねむちゃんは」
「おねむちゃんってなんだよ……それに謙遜なんて、そんな事絶対にしない……僕にはそれしかないんだ……それを否定したら、僕には何も残らなくなる……ふぁ……だめだ……眠すぎる」

 僕は頭を使うと、どうも眠くなってしまう。このままだと自分の部屋に戻る前に、眠気に負けて行き倒れかねない。

「眠たけりゃ寝な。俺が連れて帰ってやる」
「……見返りは?」
「そんなのいるかよ。ま、しいて言うなら、お前が俺を嫌わないでいてくれりゃそれでいいよ」

 僕は、そんな事でいいの?と小さく笑ってしまう。

「じゃあ……お願い……」

 頑なだった僕の心は、ティティのせいで少し解けてきて、でもそれは決して不快な気分でもなくて。そして僕は、ティティに寄りかかって、目を閉じた。

 でも、まだ言っておきたいことが残ってる。僕は億劫になりながらも必死で口を開いた。

「ここからは……チェリーに頑張ってもらわないと……先生にも頼まなきゃ……チェリーが試験……受けられるよ……に……」

 僕の耳に、「頑張るから」というチェリーの声が聞こえ、そして僕の頭を、誰かが優しく撫でる感触に無意識に頬がゆるむ。そして僕は眠りについた。
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