• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』

ヨォコ

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第2章:黄金の瞳の覚醒 〜

第2話:廊下の騎士たちと、嵐の予感

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「……兄上! アルベルト兄上!!」
静まり返った公爵邸の回廊に、激しい足音と叫び声が響き渡った。
自室で書物をめくっていた長男のアルベルトは、見たこともないほど顔を真っ青にして飛び込んできた弟、ジュリアンの姿に眉をひそめた。
「騒々しいぞ、ジュリアン。……何かあったのか」
「父上が……父上が、とんでもないものを連れ帰ってきた! 玄関ホールで目撃したんだ。父上は吹雪を纏ったまま、とんでもない殺気を振りまいて馬から降りてきた。その腕の中に、真っ白なボロ布みたいなのを抱えて……!」
「……獲物か?」
「違う! 子供だ! 泥に汚れた、驚くほど細い子供の足が見えたんだ。死んでるのか生きてるのかもわからないようなのを、父上が自ら抱きしめて……!」
アルベルトは絶句した。
あの、鉄の規律を重んじ、情け容赦のない「帝国の死神」と恐れられる父ヴィンセントが、行き倒れの子供を拾い上げるなど、天変地異が起きるより有り得ないことだ。
「俺が『父様、それは誰ですか?』って駆け寄ったら、見たこともないほど険しい顔で睨まれて、『近づくな。クラウスを呼べ!』って怒鳴られたんだ。あんなに焦った父上、初めて見たぞ……」
二人は顔を見合わせ、言葉を失った。
その直後、アルベルトの側近の従者が息を切らして駆け込んできた。
「失礼いたします! アルベルト様、ジュリアン様……閣下が、雪原で捨てられていた身元不明の子供を拾い、連れ帰られました! 今は客間でクラウス医師が緊急処置中ですが、あまりの衰弱ぶりに、今夜を越せるかどうかも……」
「……捨て子? どこの誰ともわからぬ子供を、父上が拾ってきたというのか?」
アルベルトの困惑は深まるばかりだった。
公爵家には、行き場のない者を育てる慈悲深い習慣などない。ましてや、父が自ら腕に抱き、医師を怒鳴りつけてまで生かそうとする理由が全く見当たらないのだ。
二人は弾かれたように部屋を飛び出し、客間へと続く廊下へ向かった。
そこには、重苦しい沈黙が支配する扉が立ちはだかっていた。
廊下に漏れ聞こえてくるのは、緊迫したクラウスの指示と、父ヴィンセントの低い、焦燥の混じった唸り声。
「……信じられん。なぜ父上は、あんな『異物』のためにそこまで……」
アルベルトは、壁に寄りかかりながらドアを見つめた。
自分たちとは血の繋がりも、縁もゆかりもないはずの子供。
それはまだ「家族」などという温かい存在ではなく、公爵邸の静寂を乱す、正体不明の、不気味なほど脆い「拾い物」だった。
パシャリ。
やがて、部屋の中から微かな水音が聞こえてきた。
それは、泥にまみれた「異物」が、人間としての形を整えようとしている音だった。
「……なあ、兄上。……あの子供が死ななかったら、父上はどうするつもりなんだろうな」
ジュリアンの問いに、アルベルトは答えられなかった。
ただ、扉の向こうにいる「それ」が、自分たちの家であるこの公爵邸に、得体の知れない変化を持ち込んだことだけは確信していた。

客間の重厚な扉が、何度も開いては閉じられる。
そのたびに、お湯を運ぶ侍女や、包帯や薬草を手にしたクラウスの助手たちが、血相を変えて廊下を駆け抜けていきました。
「おい、待て! 中はどうなっているんだ!」
ジュリアンが通りかかった従者の肩を掴んで呼び止めます。しかし、その従者は怯えたような、それでいてどこか興奮したような面持ちで首を振りました。
「申し訳ございません、ジュリアン様! 私共も、詳しいことは何も……。ただ、閣下が『何が何でも生かせ』と、部屋の隅で恐ろしい殺気を放っておいでで……」
「父上が? たかが拾ってきた子供一人に、そこまで……?」
「それ以上は、後ほど閣下から直接お聞きください! 失礼いたします!」
従者は逃げるように去っていきました。
次に部屋から出てきたのは、ヴィンセントの側近であるカインでした。彼は服の袖を捲り上げ、何やら手伝いをしていたのか、その表情には深い疲労が滲んでいます。
「カイン! 説明しろ。父上が連れ帰ったあの子供は何者だ。どこの家の者だ?」
アルベルトが静かに、けれど威圧感を持って問いかけました。カインは一瞬足を止め、主の息子たちを見つめましたが、すぐに視線を逸らしました。
「……アルベルト様。私から申し上げられることはございません。ただ、あの子には……血の繋がりも、身分も、今のところは何一つございません。ただの『行き倒れの子供』です」
「嘘をつけ! ただの子供のために、父上があんなに取り乱すはずがないだろう!」
ジュリアンが声を荒らげますが、カインはただ一礼するだけでした。
「閣下が自ら拾い上げられたのです。その理由は、私共のような部下には到底測りかねます。……すべては、あの子の意識が戻った後、閣下からお聞きください。今は……邪魔をなさらないのが最善かと」
カインはそう言い残し、また慌ただしく階下へと消えていきました。
「どいつもこいつも、『閣下に聞け』かよ……!」
ジュリアンが忌々しげに壁を蹴りました。
公爵家の部下たちが、これほどまでに口を割らず、必死に立ち回っている。それは、中にいる「異物」が、ヴィンセントにとって理屈を超えた何かであることを示していました。
「……血も通っていない、身元もわからない子供……」
アルベルトは、固く閉ざされた扉を睨むように見つめました。
自分たちがこれまで信じてきた、合理的で冷徹な「父」の姿が、あの扉の向こうで崩れ去っているような気がしてなりませんでした。
二人は、部屋の中から漏れてくる、微かな、けれど必死な「命の音」を、苛立ちと正体不明の不安に駆られながら聞き続けるしかありませんでした。

「……いい加減にしろ、カイン! 俺たちはこの家の息子なんだぞ!」
「そうです! 中にいるのが何者か知る権利があるはずだ!」
ジュリアンが怒鳴り、アルベルトが冷徹な視線でカインを追い詰めていた、その時。
廊下の奥から、カツン、カツンと、硬く、それでいて一切の乱れがない足音が響いてきました。
その音を聞いた瞬間、カインは救われたような、あるいは処刑を待つ囚人のような顔をして直立不動になりました。
「――廊下での無作法、目に余ります。アルベルト様、ジュリアン様」
凛とした、氷の刃のような声。
現れたのは、メイド長のマーガレット(マギー)でした。彼女は二人の若君の前で立ち止まると、一切の容赦がない視線を向けました。
「マ、マギー……」
ジュリアンがたじろぎます。
「中には生死の境を彷徨う小さき命がおります。閣下もクラウス様も、一刻を争う処置をしておいでです。それを、血気盛んな若君方が外で騒ぎ立てるとは……ロゼレイドの教育も、随分と甘くなったものですわね」
「……しかし、マギー。父上が拾ってきたのはどこの誰なんだ。俺たちはそれを――」
アルベルトが言いかけましたが、マーガレットは静かに右手を挙げ、その言葉を遮りました。
「それをお聞きになるのは、今ではございません。お二人とも、速やかにご自身の部屋へお戻りなさい」
「なんだって!? こんな時に戻れるわけ――」
「お戻りなさい、と申し上げました」
マーガレットの瞳が、僅かに鋭く光りました。その袖口から、彼女の感情に呼応するようにカチリと微かな金属音が響きます。それは、彼女がどれほど今の状況を重く見ているか、そして若君たちの「邪魔」を許さないという明確な拒絶でした。
「……詳細については、明日の朝、閣下の口から説明があるでしょう。今は、お嬢様……いえ、あのお子様に必要なのは、静寂です。……わかりますね?」
「お嬢様」と言いかけ、すぐに「お子様」と言い直した彼女の言葉。
アルベルトとジュリアンは、その一言に潜む異様な重みを感じ取り、渋々と顔を見合わせました。
「……わかった。マギーがそこまで言うなら、今は退く」
「兄上!?」
「ジュリアン、行くぞ。ここにいても、何も教えてはもらえん」
アルベルトは悔しげに拳を握りながらも、弟の肩を掴んで翻しました。
二人は何度も後ろを振り返りながら、ゆっくりと廊下を去っていきます。
角を曲がる直前、二人は見てしまいました。
マーガレットが、預かっていた「最高級の絹のタオル」と「温かなお湯の桶」を手に、音もなく、けれど誰よりも重々しい覚悟を持って客間の扉の中へ消えていく姿を。
「……あんなマギー、見たことない」
「ああ。……父上もマギーも、狂ってる。たかがどこの誰とも知れんガキ一人のために……」
二人はそれぞれの自室へ戻りながらも、心ここにあらずでした。
窓の外で荒れ狂う吹雪の音すら聞こえないほど、二人の頭の中は、あの「泥に汚れた小さな足」と、屋敷中を巻き込んだ異常な熱狂の正体への疑問で埋め尽くされていました。
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