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『心が悲鳴をあげてるんだ』

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「ヤバいらしいよ!転校生!」
「なんでヤバいの?」
次の授業の準備をしていたら、近くにいた女子二人組が盛り上がっているのが聞こえてくる。会話の内容なんて興味ないけど。
私は葉月はづき 美夜みよ。中学二年生だけど、チャームポイントも無いし、告白されたことも無い。ちょー残念な女子だ。
仕方ないよね。可愛くもないし、男子は苦手なんだから。それに、昔から友達なんて居ないんだし。
ところで、私には気になることがある。
それは隣に新しい席ができて、空いていること。誰かが転校した訳でもないのに、なぜか空席が出来ていたのだ。
「それがイケメンで、ちょっと変わり者なんだよね」
「変わり者って?」
「うん。実は白髪なんだ。その転校生が」
それにしても、新しい席が出来たってことは転校生が来るのか。たとえば、私と仲良くしてくれる可愛い女子とか?それとも白馬の王子様?
考えただけで背筋が凍りそうだ。バカバカしい。そんな夢物語あるわけない。
「うそ!白髪って真っ白じゃん!」
「そうなの!それで名前が坂口さかぐち せくくんなんだって!」
「雪くん!会いたいかも!」
友達を作ることも恋をすることも諦めた。もうどうでもいいことだ。このまま、独りで居たい。
近くではしゃぐ女子二人組の声は、私の中でいよいよストレスへと変化しそうだ。うるさい。うるさい。
「あれ?教室に入ってきた人、もしかして……」
「あの人、じゃないの……?」
机に伏せて、ストレスに耐えていたら隣の空席から物音がした。
誰も座らない席で物音なんてと思いながら、そっちの方向へ顔を上げた。そこには、空席に荷物を置く一人の男子がいた。そして、彼はこう言った。
「お前が葉月?よろしく」
色のない白い髪を揺らしながら青空に浮かぶ白い月の如く、彼は静かに現れた。

キーンコーン、カーンコーン。
もうすぐお昼になる頃、国語の授業が終わった。
「じゃあ、提出物は葉月さんか坂口くんに渡してください。二人は集まり次第、職員室に持ってくるように」
先生はそう言い残し、教室から出て行った。そのあと、私がため息をつくと隣の坂口くんが立ち上がった。
「あ、坂口くん。みんなのノート集めないと……」
どこかに行こうとする坂口くんを呼び止めようとするけど、ムダだった。
「あ、雪!行こうぜ!」
教室の入口にいた同級生に呼ばれて、そのまま行ってしまったのだ。
仕方ない。一人で行こう。
坂口くんが見えなくなった廊下を見つめながら思った。
「じゃあ、その前にトイレ行こ」
そう言ってから、立ち上がろうとした時だった。自分と周りの異変に気付いたのは。
立ち上がろうとしても、凍ってしまったみたいに自分の体が動かない。自分の机にはノートを渡したくて集まる人がたくさん居た。ザワザワ、してる。
なんで?どうして動かないの?どうしてザワザワしてるの?
そう思ったとき、背中をイヤな汗が流れた。体が重くて、熱くなってく。
まるで全身の血が沸とうして、どす黒い渦が体を襲ってくるよう。
痛い。辛い。息苦しい。
周りの音はうるさくない。人混みだって苦手なわけじゃない。だけど、耳の奥でこだまして、余計に大きく聞こえる。
ノートを渡しに来る人たちはたくさん居て、なぜか耐えられない。人混みから来る威圧感、気迫や迫力がすごい。心が圧迫されてるみたい。廊下で会話する声すらも耳に入ってくる。うるさくて仕方ない。
どうしてなの。音が、人混みが、気になる訳じゃない。それなのに、どうしてこんなに苦しいの。
分からない。
全身を巡る血も、頬を流れる涙も、熱く感じる。
もう耐えられない。そう思ったとき、私の中でプツッと切れた。
「キャー!!」
心が爆発したみたいに、私は大声で叫んだ。
叫び終わったあと、私はハッと気付いた。私を見る周りの目が変わっていることに。
そんな人々の中で、私はある人と目が合った。その人は昔の友達だと、すぐに分かった。
なんだか、嫌な予感がする。

そのあとは担任に相談室へと連れられ、すごく問い詰められた。なぜ叫んだのか。
私は辛かったからと素直に打ち明けた。すると、担任に衝撃的なことを言われた。
「ふざけてんの?先生だって忙しいんだよ。頼むから、仕事を増やさないで」
なんで?どうして?ふざけてない。本当に辛かっただけ。
先生ってこんなもの?もっとドラマみたいな、生徒のためって尽くしてくれる先生じゃないの?生徒を何だと思ってるの?
「先生はね、疲れてるんだ。家庭のことも学校のことも。それなのに、今度は生徒の相談相手ですか?ふざけんなよ。冗談じゃねえ」
担任に小言を言いながら、机をトントンと叩いていた。その音が大きくなるほど、私の心にヒビが入っていった。
でも、他の先生が来てくれたおかげで、今日は早退して明日から元気に登校するということで終わった。
そして、今はなんとか教室で頑張っていて、歴史の授業を受けている。
昨日は早退してしまったし、今日から頑張らなくちゃ。あんなの水に流せばいい。昨日のことも担任の言葉も気にすることないんだから。
なんて思いながら、窓の外を見ていたら肩をトントンと叩かれた。振り返ったら、坂口くんが私を見ていた。そんな坂口くんの髪は風に揺れていた。
まるで白銀の雪みたい。すごく綺麗だな。
そんな彼は私の机を指さして
「自分の机、見てごらん」
とニヤニヤしながら言った。
私は言われたとおり、机を見るとそこには四つ折りの小さなメモが置いてあった。そのメモを手に取ると、謎の生き物が描かれていて矢印で「犬」と示されていた。
でも、犬に見えない。まるでこの世に存在しない謎の生き物みたい。それがなんだかバカらしく思えて、私は小さく笑った。
ふと隣を見て、私を見ていた坂口くんに聞いてみる。
「これって坂口くんが書いたの?」
すると、彼は照れくさそうに言った。
「……そうだけど」
彼の顔が少しだけ、赤い。昨日のお昼のこともあって変なやつだと思ってたけど、可愛いとこあるじゃん。
なんて思いながら、そのメモを見て微笑んでいたらいきなり頬をプニュと押された。
「な、何?」
顔を歪ませてそう聞くと、彼は私を見つめてニヤリと笑いながら言った。
「葉月は笑ってる方がいいよ。そんな重い顔すんな」
ドキッとした。坂口くんにとって、私はちっぽけな存在でただ隣に座る人だと思っていた。
でも、違った。坂口くんにとって、私はちゃんとクラスメイトなんだ。
私が見ていたのは坂口くんのほんの一部分で、それだけを理由に決めつけてた。でも、ほんとは優しくて、クラスメイトのことを彼はちゃんと見てるんだ。
彼が書いた絵を折りたたみ、そっとペンケースの中に入れた。彼を知りたいと願った思い出を宝箱にしまうかのように。

翌日の朝。
また学校へ登校したけれど、私に対するクラスメイト達の目線は全く変わっていなかった。
むしろ、もっと酷くなっている気がする。気のせいだといいけど。
なんて思いながら窓の外を見ていた。すると、いきなりクスクスと笑う声が聞こえた。
私はゾクリと背筋が凍るような感覚になる。冷や汗が流れるいくのを感じる。
笑う声が聞こえた後ろを振り返ると、私が叫んだときに目が合った昔の友達がそこにいた。
「ねぇ、美夜ちゃん」
その瞬間、頭でも心でも危ないというサイレンが鳴る。でも、もう遅かった。
私の名前を呼んだのは、仲良しだった望来みくるちゃん。でも、仲が良かったのは小学四年生の時くらい。今から五年前ほどになる。
目の前にいる望来ちゃんは私をジロジロと見て、穏やかな笑いを浮かべてる。
ほんとは穏やかじゃないこと、私にだって分かる。これは、もう普通じゃない。
彼女がまとう空気と周りの空気は違う。まるで毒ガスのよう。
「これ、何かな?」
望来ちゃんの手にある小さな紙を見た。それは、坂口くんが描いたあの「犬」の絵だった。
望来ちゃんがあの紙切れを持っていることも、誰があの絵を描いたのか知っていることも、恐怖でしかなかった。
私は、また叫びたくなった。心がもう耐えられない。昨日と同じ感覚になる。
何も答えない私に
「何かなって聞いてるんだけど」
と言った望来ちゃんは、私を睨みつけた。
痛い。すごく痛い。殴られた訳でもない。蹴られた訳でもない。
それなのに、痛いのはどうしてなの?
周りだって助けてよ。なんで見てるだけなのさ。
そう思ったとたん、
「……あぁ、そうか」
とこの状況にある全てのことを悟った。
彼女がまとう空気と周りの空気は一緒だ。違わない。
みんな、私のことが嫌い。助けられないじゃなくて、助けたくないんだ。
私が痛いのは体じゃなくて、「心」だったんだな。心が傷付いて、苦しいのに辛いのに。どうしようもなく痛いんだな。
私が叫んでるんじゃない。嫌われたいんじゃない。心が、ずっとずっと、悲鳴をあげてたんだ。
その全てを知って、目頭が熱くなってきたその時だった。
「そこまでにしたら?」
そう言う声が聞こえたのは。声の主は初めて出会った時のように、優しく降りつもる雪のように、ただ静かに私の前に立った。
その大きな背中は私を守る盾のようで、もっと視界が歪んでいって。
夢物語を信じていなかった私を、ヒーローなんて友達なんていらないと貫いた私を、一匹狼がいいという私を、温かく溶かすようだった。
白い髪を揺らしながら、望来ちゃんに立ち向かう坂口くんがとてもカッコ良く見える。
「それは、葉月のもんだ。返してもらう」
それだけ言った坂口くんはあ然とする望来ちゃんを放置して、あの犬が描かれた紙を奪い取った。
そして、私は坂口くんの手に引かれて、教室をあとにした。

私はただ誰かに頼るのが下手なだけで、強いとか弱いとかそういうんじゃない。
それを教えてくれたのは、寒い冬の中でも、温かい雪のような人で。
暗い闇の中にある新月のような私を見つけてくれた青い空に浮かぶ白い月のような、そんな人でした。
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