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『ワスレナグサの願い』

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春、四月。
風と戯れていたはずの淡い桃色はいつの間にか、消えてしまっていた。
そして、君が現れた。
「初めまして、速水桜です。歌を歌うのが好きです。保健室登校をしているので、教室に来ることは少ないですがよろしくお願いします」
君の声を聞いたのはそれが最後だった。なぜなら、君はあれから二度と教室に来ることは無かったから。
それでも、僕は、君に会いたいと願った。
靴箱を確認して、君が来ていると分かれば安心した。廊下で君とすれ違えば、会えて嬉しくなった。
でも、君は教室に来ない。
靴箱を確認しても廊下で君とすれ違っても、君と話せる訳じゃない。君が笑ってくれる訳じゃない。君の声が聞ける訳じゃない。
それでも、僕は信じていた。君が教室に来てくれることを。
それで全てが叶うと思っていたから。
だけど、君が同級生から虐められていると知って、僕は僕を嫌った。
僕は君へ教室に来いと言っていたのだ。君からしたら、ただ苦しいだけの場所に来てほしいと言っているようなものだったんだ。
それでも、苦しくても、君はいろんな場面で笑っていた。体育祭も夏の眩しさに負けないように、文化祭も秋の美しさに負けないように。
でも、君の笑顔を見ていると胸が苦しい。
あの美しい笑顔の奥に、君の辛いという叫びがあると自分の事のように考えるから。
それに、君は無理をしているんじゃないかと心配になる。
だから、褒めてあげたいんだ。彼女を。
あのとき、自己紹介に来ていた彼女も、今、こうしてクラスの中に居る彼女も。
『お疲れ』って。
『よく頑張ったね』って。
『ありがとう』って。

……パチパチ。
体育館の天井で拍手の音が騒ぐ。それだけで泣きそうになった。
もう見ることがなくなる体育館に、僕は感謝を告げた。
新型コロナウイルスの影響で規模が小さくなり、一時間にも満たない僕らの卒業式はそうして幕を閉じた。
校長先生のおかげでなんとか開かれた卒業式だったけど、他の地域ではなかなかやっていない。だからこそ、僕たち学年の中で流星は流れた。
簡単に言うと、みんな泣いてた。
でも、その流星は悲しみと寂しさだけじゃない。これから歩む未来への期待と希望もたくさん詰まっていることだ。
僕はその日、一分一秒も無駄にはしたくなかった。多くの同級生や先生と写真を撮って、最後には全員で集合写真をパシャリ。
その一方で、君は嬉しいのか寂しいのかよく分からない表情をしていた。
できれば、寄り添ってあげたい。でも、僕にそんなことは出来ない。
だって、君はきっと綺麗事を嫌うだろうから。君が傷付くだけだろうから。それを避けたかった。
そう思っていたら、君はいきなり「さよなら」と叫んだ。「ありがとう」と叫んだ。「大嫌い」と叫んだ。
息を整えてから最後には同級生や先生を見て、「大好き」と叫んだ。
それは紛れもなく、感謝だと僕も悟った。そして、全てを知る。
君は君を虐める同級生を恨んではいないのだと。
君は弱さを知りながら、強くなれたのだと。
君はみんなが大嫌いでも、感謝しているのだと。
君の輝かしい笑顔を見て、君を虐めていた同級生たちも何も言えないといった様子だった。
なぜなら、君は泣いていたから。どんなに嫌いでも、虐めても、結局君は同級生も先生も好きなんだ。
君の笑顔の奥に、辛さなんて見えない。
むしろ、君なりの優しさがほんのりと見えた気がした。
そして、君の足元にまだ咲いたばかりのワスレナグサがあった。
ワスレナグサの花言葉。それは『私を忘れないで』。
もしかしたら、君が刹那に想った最後の祈りかも。
僕はそんなことを思いながら、君と会える最後の日に高く高く、もっと大きく手を振った。


「またね!桜!」


「ありがとう!春馬くんも元気で!」



END
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