さらば、愛しき夫よ

七天八狂

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第二章 絵麻

24.夫婦生活

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 絵麻は着替えを済ませたあと、自室のベッドで横になった。

 清香の突然の結婚報告。入社して間もないまだ子供のような清香の婚約者。冷静な清澄の態度。
 刺激のない二年の結婚生活の中では、特筆すべき大きな出来事だった。
 とは言え、絵麻にとって関係あるかと言えば特に影響のあることではない。この結婚を機に姉弟が離れるとは思えないし、清澄が自邸へ帰るようになるとも思えなかった。

 絵麻はどうでもいいとばかりにスマホを手に取り、届いていたサカ☆カササギからのメールを開いた。

 サカ☆カササギ[仕事終わった~! 義母と同じ職場って想像以上にキツイ! タブレットは持ち出しても使えないし、スマホは見れないしストレス溜まりまくり!]

 サカ☆カササギがパートを始めたことは、ポストやメールで知ってはいたが、義母と同じ職場だとは知らなかった。

 EMA522[パート先は義母さんと同じところだったんだ。マジでお疲れ様。スマホやタブレットを持ち運べないのは不自由だね]

 サカ☆カササギ[しかも義母はパートのボスだから味方ゼロだし。せめてスマホを自由に使えたら気分転換もできるのに]

 EMA522[大変だね。でもパートできたらお小遣いが増えて、新しいスマホを買えるんじゃない?]

 サカ☆カササギ[スマホは古くないんだけど、旦那名義だから毎日使用時間とアプリをチェックされるの。食品でも生活必需品でもなんでも、買ったものは全てレシートを見せなきゃいけないし、私のものを買うときは、申告してお金をもらわなきゃ買えない。パートの給料も、振込先は私の口座だけど旦那が管理してるから自由にできないんだ]

 絵麻は、以前も頭に浮かんだモラハラ疑惑が再びよぎった。執事がいるような待遇の絵麻には、一般家庭の専業主婦がどのように遣り繰りしているのか具体的にイメージはできないものの、これはさすがに経済的DVと言えるのではないかと疑ってしまう。

 EMA522[それはかなりキツイね。遣り繰りとか大変そうだね]

 サカ☆カササギ[そうなんだよ。総菜なんて絶対に許してくれないから、パートが終わったら買い物して、掃除して、料理してって目まぐるしい。でも最近は、夕飯食べた後に旦那はどこかに出かけてくれるから、少し自由時間があるんだ。それがせめてもの救い]

 絵麻はスマホの上部に視線をずらし、22:35であることを確認した。
 家事を一人で担い、仕事までしているなら朝も早いだろう。自由時間なんて1時間もないのではないか。しかも日常的にではなく、夫が出かけた場合だけだ。
 可哀想に。
 そう考えたが、自分も憐れまれるのが嫌なので、そういった言葉をかけるよりもと話題を変えることにした。

 EMA522[少しでも楽しめる時間があるようで安心したよ。こっちはなんと夕食会で義姉の結婚報告があったんだ。これまで何人にも言い寄られてたのに彼氏がいた気配もなく、お見合いもしないし、独身貴族を貫く人だと思ってたから衝撃だった]

 サカ☆カササギ[それはおめでたい話だね。運命の人を待っていたのかな?]

 EMA522[義姉は今年30なんだけど、相手はうちの新入社員だったの。てことは22くらいってことでしょ? 8個下だよ? 見た目は10代でも通る年齢不詳の美女だから、違和感はないんだけど、姫と召使みたいに見えちゃった]
 サカ☆カササギ[笑! てことは召使の皮を被った王子かもしれない]

 EMA522[旦那と義姉は仲の良い姉弟だから、泣き叫ぶなり暴れるかと期待したんだけど、そんなことはなく、つまんなかった笑]

 サカ☆カササギ[嫁いでホッとしてるんじゃない? ようやく片付いたって笑]

 EMA522[私よりも義姉といる時間の方が何倍も長いから、号泣するかと思ったんだけどね]

 サカ☆カササギ[そんなベッタリなんだ? てことはやっぱりホッとしてるんだって。やっと姉から離れられる~って笑]
 
 夫と義姉とのことを誰かに愚痴ったのは初めてのことだった。二人とは幼馴染でもあるから、友人のほとんどは二人のことを知っているし、愚痴なんて絶対に口にできなかった。
 ネットでしか繋がりのない相手だから言えたのだと思う。
 蓄積されたうちのほんのわずかな程度ではあるものの、少し気が楽になった。

 返信をしようと文章を考えていると、ノックの音が聞こえた。レオが就寝前のココアでも持ってきたのだろうかと、ノックに応じた。

「どうぞ」

 しかし、入ってきたのはレオではなく清澄だった。

「やあ絵麻、今大丈夫?」

 絵麻は驚いて跳ね起きた。清澄がこの部屋を訪れたのは初めてのことだ。

「ええ。いかがされました?」
 ベッドの端に座り直し、一人掛けのソファへ座るように清澄を促した。
「たまには二人で酒でもどうかと思ってね」
 ソファに腰を下ろしながら清澄は言った。

 たまにどころか、それも今までに一度もなかった。
 驚きつつも、受ける以外に選択肢はない。いくら姉弟の仲が良すぎて不快だとしても、妻を蔑ろにし続けているとしても、夫の言葉になぜとも聞かずに従うのが務めだ。

「承知しました。影谷を呼びましょう」

 使用人を呼ぶためのボタンに手をかけようとした。するとそのタイミングでドアがノックされ、入室を許すとレオが現れた。
 用件を聞きに来たとばかりに待機の姿勢で頭を下げている。見計らっていたのかと思うほどのタイミングの良さだ。

「ブランデーを頼むよ。絵麻は?」
「では、同じものを」
「かしこまりました」

 レオの出ていく姿を見た清澄が、「あれ?」と言った。
「影谷って父さんくらいのとしじゃなかったっけ? あんなに若かった?」
「ええ、父の方の影谷は西条家へ戻りました。あれは息子のレオです」
 レオ?と繰り返して、清澄は考え込むように眉根を寄せた。

「失礼します」
 再びレオが、今度はトレーにボトルとグラスを乗せて現れた。

 ソファの前にあるテーブルにそれらを置いているとき、清澄が「あっ」と声を上げた。
「レオって、小等部の頃にたまに来てたあの……」
 おそらくそれに「陰気なやつ」と続くのであろう。清澄と清香は、当時レオのことをそう言ってバカにし、クスクスと笑っていた。
「久しぶりだな」
 清澄は鷹揚な態度でレオに声をかけた。

 しかしレオは答えず、てきぱきとグラスにブランデーを注ぎ、準備を整えている。
 返事がないことで、清澄は面食らった顔をした。
 
「では、他にご用命がありましたらまたお呼びください」
 レオはようやく口を開いたが、清澄のほうではなく、絵麻を見て言った。

「ふうん」
 清澄は立ち上がり、ベッドへ歩み寄って絵麻の隣に座り直した。
 そして肩を抱き、ちらとも自分のほうを見ようとしなかったレオと、ようやく視線を合わせたとばかりに、彼を見据えて言った。
「呼ばないし、邪魔をしないでくれ。これから夫婦の時間なんだから」

 終始こちらに据えていたレオの視線が清澄のほうにズレ、わずかに眉根を寄せたように見えた。

「承知いたしました」
 レオは頭を下げて、退室しようとドアへ向かった。

 絵麻は驚きの目でレオの動作を追っていた。清澄を見やったレオの目に、なにやら苛立ちのようなものを感じたからだった。

「愛してるよ、絵麻」
 しかしいきなり何事かと、清澄に気を取られて反射的に横を向いた。
 その瞬間、いきなりキスをされ、直後にドアの閉まる音がした。

 閉まったと同時に清澄は離れ、ソファのほうへと戻った。

 なぜあんなことをしたのだろう。しかも、これまた一度として口にしたことのない言葉をかけたうえで。

 絵麻はわからず戸惑い、呆然となった。

 触れたか触れてないかくらいの軽いキス。意味があるのだろうかと思うほどの。
 それは前回とまったく同じものだった。二年前、結婚式でしたときのように、ただキスをしたという事実を、周りに知らせただけのようなものだった。
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