社畜オメガは傾国す

七天八狂

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2.目的と行く末

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 遼太郎は目覚めた。
 はっと起きると、目の前には見慣れた自宅の壁でも、見慣れたくもなかった会社のごったな部屋でもなく、まるで牢獄のような石の壁があり、思わず「おあっ」と野太い声を出した。
 寸前まで見ていた夢に、紙くずのように崩れ落ちた老人が、くしゃくしゃの顔でにやけた笑みを向けていた。暗闇のなか、目と歯だけが浮かび上がり、遼太郎に「なぜ男なんだ」と繰り返し責めていた。何度も何度も。

「なぜこっちを選んだんだ?」「なぜミスしたんだ?」「なぜ地元を出て東京の大学へ行ったの?」
 なぜなぜなぜ。責めるときによく使われる言葉である。
 理由を説明させるという陰険な責め句は、毎日聞くというより浴びるというレベルで耳にした。「すみません」「申し訳ありません」それしか言えない、いや返してはいけないのである。説明とはつまり言い訳であり、責める方はそんなものを期待していない。ただ「無能」「死ね」の言い換えとして疑問文にしているだけでしかないのだから。

「名前は?」

 背後から声が聞こえて、はっとした。
 遼太郎はベッドから起き上がり、声のする方を見た。カイルが木製の椅子に座ってじっとこちらを見ている。
 そしてその背後に部屋の全貌がよく見えた。昨夜は真っ暗なうえに、眠気で観察するどころではなかったから、興味津々に見渡した。が、じっくり観察するほどのものは何も見当たらず、ベッドとカイルの座る椅子、そして身長より高いチェストがあるだけだった。

「……名前は?」
「藤堂遼太郎です」
「トードー?」
「三十二歳、HCソフトのシステムエンジニア、独身です」

 質問はされるより、させて欲しい。遼太郎は先手を取って情報を伝えてしまい、自分のペースへ持っていこうとした。
 
「……何を言ってるんだ?」
「聞きたいのはこちらです。ここはどこで、俺はなぜここにいるんです……か」

 しかし、遼太郎の先手はくじかれた。静かな部屋には、声よりも大きくぐうぐうと腹の虫が鳴り響いた。それは恥ずかしいことに、遼太郎の腹から発せられていた。
 
「……説明は、食事をとりながらにしよう」

 カイルは言うと立ち上がり、ダイニングへと案内してくれた。
 テーブルには既に朝食が並べてあり、それは、黒パンとお茶、そして水っ気の欠片もないチーズだった。衣服は貴族のそれなのに、大層貧弱な料理である。

「遠慮せず食べろ」
「……ありがとうございます」

 およそ食欲をそそるとは言えない代物だったが、空腹は生きたネズミでも食いたいほどだったため、遼太郎はがつがつと腹に詰め込んだ。
 量はたっぷりとある。たらふく食えるが、バターもなく、もそもそと堅い黒パンに、飲み込みづらいチーズと味気ない紅茶は、腹をふくらませるより先に舌を飽きさせた。

「もういいのか?」
「ええ」

 遼太郎が答えた瞬間、腹がぐうと鳴った。ぎくりとし、この音は食料が胃に運ばれて、活動を開始したがゆえだと示すべく「あー、お腹いっぱい」と空ごとを言いながら、お茶に口をつけた。
 
「であれば、事情を説明させてもらう」

 口元をナフキンで拭ったカイルが、神妙な顔つきで姿勢を正した。

「トードーを召喚した目的なんだが……弟を誘惑してもらうことだった」
「……誘惑?」

 冗談だろう、そう思った。弟と言うからには男である。それでなぜ同性を召喚するのか意味がわからない。
 昨夜もそのようなことを言っていた覚えはあるが、他に目的があるはずだ。そうに違いないと期待をし、カイルが続けてくれるのを待った。
 
「そうだ。傾国するほど弟を溺れさせる者を、と依頼した……しかし、召喚魔法の使えるアルデーヌは死んでしまった」

 遼太郎の脳裏に、紙くずとなった老人が頭に浮かび、そして死体がどうなったのかがふと気になった。

「この国で召喚魔法を使える者は限られている。俺が依頼できる魔道士は、アルデーヌしかいなかった」

 カイルが一人で処理したのだろうか。処理って言い方はないよな。埋葬と言うんだ。などと、余所事を考えつつ、ぞっとすることを耳に入れないようにした。

「……他に呼び出すことはできない。だから、おまえにその任を負って欲しい」

 いやいや何でだよ。
 召喚だの魔道士だのとまるでファンタジーの世界である。
 中世のような身なりと、欧州的相貌のカイル、そして怪しげな、いや古ぼけた邸を見るに、アニメや漫画でよくある異世界へ召喚されたのではと、否が応にも考えさせられる。
 まさか自分の身にもそんな夢のような出来事が起きるなんてと驚くものの、そんな感慨にふけっている場合ではない。
 異世界へ来たとして、いきなり召喚されたうえに、知らぬ男を誘惑しろと言われて、はあそうですかと納得し、じゃあやりますだなどと承諾するやつがいるか?
 遼太郎は冗談じゃないと憤慨し、「ごちそうさまでした」と言って立ち上がり、「帰ります」とつぶやきながら部屋のドアへと向かった。

「そう、帰りたいなら、俺の要望どおりにするしかない」

 ドアノブに手をかけて、遼太郎は足を止めた。振り向き、窓の光を背にしたカイルの、その冗談ではなさそうな顔を見て、その場にへたり込みそうになった。

「……それは、つまり、……」
「召喚された者が元の世界へ戻るためには、召喚の目的を果たすことが条件となる」

 いや、横暴過ぎるだろ。上司のパワハラなんて幼児のデコピンほどのレベルだと言えるくらいの無理強いだ。

「……めちゃくちゃじゃん」
「ああ。アルデーヌは老衰で死んだようだった。もう意識も魔力も薄れていたのだろう」
「そんやつに召喚させんなよ」
「……それは、確かに俺が悪い。申し訳なかった」

 心からの謝罪を見せるカイルの様子から、無理強いをするつもりはないらしいと見て取り、ほっとした。が、それもつかの間、遼太郎は青ざめた。

「待て。そうなると、もしかして、俺は一生この世界にいなきゃならないとか、そういう……」
「……そうだ。しかも俺は追放された身だから、金はまったくない。しばらくしたのちに収入のあてを探らねばならない」
「収入のあてって、仕事ってこと?」
「……俺一人なら、このおんぼろ邸でこの程度の食事をとるくらいの金はある。しかし、男二人となると、十分ではない」
「え、てことは俺は追い出されるわけ?」
「そんなことはしない。おまえを召喚した責任はとる」
「え……じゃあ働くってカイルも? どんな仕事をするんだ?」
「……農地へ行くか、狩りでもして売るか……追放されているため王都へは入れないし、役所なんかの仕事は不可能だ。それに元王太子を使用人として雇う者もいないだろう」
「え、カイルって王太子なのか?」
「そうだ。弟が謀反を起こし、まったく身に覚えのない咎で有罪判決を受け、そして追放の身となった」
「……まじかよ」

 王太子であったことを聞いて、遼太郎はまじまじとカイルを見た。
 端正な顔立ちは、確かに凛々しくも見えるし、豪奢な衣服を違和感もなく着こなし、カップを手に取る所作も気品に溢れている。
 国を背負う立場だったと知り、なんだか急に無礼な態度を取りづらくなり、遼太郎は居住まいを正した。
 すると、ふっと笑みをこぼしたカイルは「おいおい」と呆れ声をあげた。
 
「元だと言っただろう。つまり今は王太子でもなんでもない」

 元王太子。それでも十分というか、血と育ちが違うのだから、こんなボロ家にいる人間ではないことには変わりない。
 
「その、身に覚えのない咎って何なんだ?」
「ああ。……国庫の横領と私的な役職の人選、並びに弟の命を狙った咎だ」
「それ以上ないってくらい揃ってるな」
「ああ。弟は生まれつき魔術の才があったのだが、魔術は魔道士として身を捧げない限り極めることは難しいものでな。わずかな訓練時間を幻惑という術一点に絞って鍛えあげたらしい」
「幻術……」
「家臣連中は証拠もないのに弟の言い分を頭から信じきり、俺に対してはいっさいの聞く耳を持ってくれなかった」

 幻術って、つまりは詐術と変わらない。そんなことで兄を追い落として満足なのだろうか。そんな人間が国王となるこの国は大丈夫なのか?と、本日何度目かの怖気を走らせながら遼太郎は思った。
 
「それに誘惑とやらがどう関わってくるんだ?」
「精を放出すると魔力は奪われる。幻術をかけ続けているだけでもかなりの無理をしているはずだから、精力を使わせれば解けると考えた」
「……なるほど」
「幻術にかからぬ状態であいつを国王と認めるならば聞き届けるべきだが……そうではないのだから、納得ができない」
「だったら、王妃とか妾とか、よく知らないけど、いずれ精力旺盛になる時がくるんじゃないか?」
「ああ。しかし、王位を継ぐその日まではどんな誘惑もはねのけると思う」

 カイルの言い分に納得はした。納得はしたが、だとしてやはり承諾はできない。となると、遼太郎はこの世界からは出られず、働かざるは生きていけないことになる。
 元の世界に対する未練はそんなになかった。戻れないと聞いても「ああ、そうか」程度で、意外にもすんなりと飲み込むことができた。
 しかし、見知らぬ異世界で、また社畜のごとく働かなければならないというのは、ちょっと嫌だった。

「あのさ……」

 なので、遼太郎はカイルに聞いてみることにした。
 召喚の目的はどこまでの範囲を指し示すのか。誘惑せずとも、もし王位をカイルに戻せたら、元の世界へ帰れるのか。もしだめでも、謝礼くらいはいただけるのかと。

「元の世界へ帰れるかどうかは、そのときにならなければわからない。しかし、もし俺が王位に就いたら、いや王都へ戻ることができたならば、その場合でも、おまえの生活に関しては生涯補償しよう」

 召喚なんて振る舞いは横暴でも、責任感はあるらしい。
 しかして約束してくれるというなら、やってみる価値はある。
 そう考えた遼太郎は、覚悟を決め、カイルに提案してみることにした。

「だったらさ、俺ら二人で謀反返しってものをやってみないか?」
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