その溺愛は伝わりづらい

七天八狂

文字の大きさ
1 / 30

1.三度の奇遇

しおりを挟む
 生田いくた雅紀まさきは、今朝早く職場に連絡し、有給を取って東京へとやってきた。

 覆水は盆に返らない。
 いや、この場合は後悔先に立たずと言うべきか。
 
「パニクった電話してごめんね」
 
 約束した時間の5分前に現れた川谷かわたにみどりは、何やらスマホをちらちらと見ながら、窓際に席を定めていた生田の真向かいに腰を下ろした。

 待ち合わせたここは新宿の喫茶店である。
 自宅は片付いていないからと言われ、職場にほど近い場所を指定された。
 2カ月前に、まさにその部屋で今回の事態を引き起こしたわけだが、なぜ入れてもらえないのかはわからない。

「いや、むしろ教えてくれてありがとう。それで、病院とか行った?」
「まだまだ。あ、えーっとブレンドを」
 
 水の入ったグラスを持った店員が来たため、みどりはメニューを一瞥して注文した。

「まだって、どういうこと?」
 
 生田が聞くと、まだ妊娠検査薬で陽性が出ただけで、病院へ行っても確認できる時期ではないという。
 検査はできるが、二週間は待ったほうが確実らしい。
 
「胎嚢っていう赤ちゃんを包んでる袋がエコーで見られるようになるんだよ」
「へえ」
 
 まるで実感が湧かず、そんな生返事しかできない。
 それは彼女も同様だったようで、正直なところ病院へ行くのが怖いと言う。
 ならばこれから一緒にと提案するも、仕事を抜けてきたためすぐに戻らなければならないからと言って断られた。
 
「昨日の今日で来るとは思わなかったから」
「いや、普通来るよ」
「うん……まあ、嬉しかったけど、でもそれなら病院に行くとき……いや、行ったら連絡するから」
 
 みどりはそう言って、もうリミットがきたからと店を出ていった。

 慌てて駆けつけたというのに、会えたのは数分だけ。
 連絡したのは新幹線に乗ったあとだったとは言え、せめて注文したコーヒーくらいは飲んで行けばいいのに。

 彼女とは高校の同級生、というか数ヶ月付き合った程度の元カノだ。
 共通の友人の結婚式があり、二次会で過去を思い出し、三次会へはついて行かずに彼女のマンションへという、なんの変哲もないよくある話だ。

 たった一回だが、されど一回。

「あのときので、できちゃったみたい」

 その日ぶりに着信があり、なにごとかと電話を受けたら、パニック状態の彼女が開口一番に言ったのがそれだった。

 友人も結婚したとは言え、まだ23の身空で一児の父か。

 しかも生涯の伴侶は、性欲を満たすためだけに関係を持ったような相手だ。
 それは生田のほうだけでなくみどりも同じで、別れを切り出されたとき「本命と付き合うことになったから」と言われたから間違いない。

 これまで数えられないほどの女性とベッドを共にしてきたツケが回ってきたのかもしれない。
 三桁は言い過ぎだとしても、一晩だけというのは何度も経験しているから、むしろ今までこんな事態が起きないでいたほうが奇跡と言える。

 節操のない最低な男だとの自覚はあるが、自ら誘ったことは一度もなく、同じように享楽的な女性以外相手にしたことはなかった。

 だからといって責任逃れをするつもりもない。
 彼女に対して好意はもちろんあるし、相性も悪くないと思う。
 生涯誰とも結婚する気はなかったけれど、こどもがいる人生も悪くない。
 
 そう前向きに考えようとしながらも、その実投げやりにため息をついた生田は、彼女が出ていったドアから視線を店内に戻した。
 まだ午前中だからか店内の客は少なくまばらだ。

 とりあえずコーヒーをと考えて手に取ろうとしたとき、目の端に顔をあげている人物が見えた。
 客のほぼ全員がスマホを手に下を向いていたため、目についたのである。

 何気ない素振りで視線を向けると、その男性客と目が合った。

 目が合ったということは、見ていたのだろうか。
 まさか知り合いかと考えるも、一度見たら忘れられないレベルの美貌である。
 
 とはいえ、すぐに相手は目を伏せたため、生田もそれ以上気にかけることはなかった。

 コーヒーを飲み終えるまでの暇つぶしに、週明けある会議の資料に目を通すかと思いついた生田は、バッグに手をやると、持ってきたのは大学のときに使っていた小ぶりのショルダーだった。
 仕事用バッグはかさばるし、休日用のボディバッグでは心許なく、クローゼットの中で見つけたそれに、財布と鍵とタバコを突っ込んで駆け出てきたのである。
 落胆するも、その中に読みかけの小説を発見し、暇つぶしはこれでいいかと気持ちを切り替えた。

 すると思った以上に面白く、数分で店を出るつもりが一時間も滞在してしまっていた。
 どうせ暇なのだから、本屋を眺めるのも悪くないと思い立ち、生田は店を出た。

 幸いにも歩いていける距離に、本屋だけでなくレストランなどの食事の取れそうな店がテナントに入っているビルがあった。
 店内案内図を見てフロアを確認し、エレベーターを待つ。
 ドアが開いて先に乗り込んだ男性が目的地の階を押してくれたので、隅に居場所を定めてスマホを取り出した。

 エレベーターが上昇を始めた直後に振動音がなる。
 しかし、自分のスマホではないから、おそらく同乗している男性のものだろう。
 そう何気なく男性に目を向けると、スマホの手帳型カバーが同じものだと気づく。
 そして手首につけられている時計は、生田が長年欲しいと思っていたオメガだった。

 仲間意識半分、羨み半分で、その男性の顔を見た。

 すると驚いたことに、彼は喫茶店で目を合わせた男性だった。
 
 狭いエレベーターの中でじろじろと見ていたせいか、男性の目がこちらに向く。
 かくも忘れがたき美貌はやはり間違いない。
 彼も気がついたようで、目を合わせたときにハッと目を見開いた。

 なんともバツが悪い。
 声をかけようか、だとしてもなんて?
 考えていたときちょうど目的の階に到着し、気まずい空気は数秒耐えただけで済んでほっとした。

 生田は本屋のあるほうへ足を向けつつ、男性を目で追うと反対側へ歩き去る姿が見えた。
 これで同じ目的地だったら気まずいどころではなかった。

 本屋にたどりつき、店の前に並べられた新書や雑誌に目を奪われる。
 目的である海外文庫の並ぶ棚は奥のようだが、久しぶりに来たせいか物珍しさを感じて、入り口から順に平置きの棚を眺めながら歩みを進めた。
 
 社会人向けの実用書や漫画などを通りながらようやくたどり着くと、休日だからか意外と賑わっている店内でここだけは人気ひとけがなく、男性が一人立ち読みをしているだけだった。

 男性から距離を取りながら目的の小説を探していると、彼の前にあるらしいことがわかった。
 少しのためらいののち、構うまいとして手を伸ばす。
 その時ふと男性の読んでいる本が目に留まり、それは今まさに手に取ろうとしている小説の1巻、先程喫茶店で読み終えたばかりのものだと気づく。
 好奇心にかられた生田は、その男性の顔を覗き見た。

 男性は、ラウンジで目を合わせた見知らぬ人物で、先程エレベーターの中でも居合わせた人物だった。

 可能性としてはあり得なくはない。
 喫茶店は近くだし、エレベーターで同じフロアに降りたのだから。
 しかし、わずかな時間で三度も居合わせるとは、珍しいことである。

 この奇妙な偶然におかしくなり、思わず顔をほころばせる。
 すると男性も生田のことに気がついたようで、同じタイミングで彼の口元も微笑の形に変化した。

「すみません、先程もお会いしましたね」

 互いに相好を崩したことで気安い気持ちになり、生田は声をかけた。

「まさか喫茶店やエレベーターだけでなく、こちらでもお会いするとは思いませんでした」
 
 彼は気恥ずかしげにうつむきながらも、応えてくれた。

「えぇ、しかも同じ小説が目当てだったようです」

 そう言って生田は、伸ばしかけていた手で目当ての2巻を棚から取り出した。
「あ……」と声を漏らした男性はかすかに頬を染める。

「先程喫茶店でお見かけしたとき、学生の頃に挫折したことを思い出して、その、再挑戦しようと思いまして……」

 それで自分の方を見ていたのか。
 納得した生田は笑顔を向ける。

「面白かったですよ。僕も同じく高校時代に読みかけてやめていた口ですが、この新訳シリーズは読みやすくなっていたので思った以上にすんなり読めました」

「あ、色々な装丁のものがあるのだと思っていましたが、訳が違うんですね」

「はい。この新潮文庫のものはそれまであった岩波文庫のものより読みやすくてしばらく決定版になっていたらしいのですが、それでも読みにくい部分はあるようです。ですから僕はこの新訳に挑戦して、見事読み終えることができました」

「なるほど、翻訳小説は時代によって訳が変わるものなんですね。普段あまり小説は読まないものですから」

 男性はそう言い終えて、遠慮がちに「あの」と言葉を続けた。

「もしお時間がありましたら、その、お茶でもいかがですか? 少しお話を伺ってみたいと思ったものですから」

 思わぬ誘いである。
 読み終えたばかりの小説について話すのは楽しそうだし、彼との奇縁に面白味も感じている。
 しかも、見るも麗しい人物と顔を合わせるというのは気分のよいものでもある。
 人柄も良さそうだし、断る理由は一つもない。
 
「はい、構いません。ちょうど暇をつぶしていたところでしたから、嬉しいです」

 生田が笑顔で答えると、男性もはにかんだ笑みを向けてくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

貧乏Ωが御曹司αの将来のために逃げた話。

ミカン
BL
オメガバース

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...