抱かれたいアルファの憂鬱なる辞令

七天八狂

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第二章 この天賦は誰が為

35.奥底にあった真実

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 気もそぞろなままにポルサスへと到着し、ぼうっと考え込んでいる間に検問所の審査を経てヒエスラへと入国した。
 審査はヒエスラからリュミトロフへ来るときが一番大変で、二番目がリュミトロフ国民がヒエスラへと入国する場合となる。機器類の持ち込みを厳重に調べることと、リュミトロフ国民がヒエスラへ亡命しないかを見極めるという理由からなので、ヒエスラ国民が帰国する場合は大した労苦は必要なかった。王族の俺やエウゲニーが亡命する懸念もないため、その点も然りだ。

「こちらです」

 カツフク市街へ入ったあと、コンスタンティンの先導でクジマの指定してきたレストランへと向かっていた。
 昼を過ぎた時間だからか街を歩く人の数は少なく、すれ違う人たちは皆のんびりとした足取りで、買い物や散歩なんかを楽しんでいる様子だ。
 二年ぶりの祖国だが、驚くほど感慨のようなものはない。あるのは緊張と高揚だけだった。
 汗ばむ手を握っては開き、少ないながらも無遠慮に向けられる人の視線を避けるよう、うつむいて歩いていた。
 
「ロジー、大丈夫?」

 イリダールに扮したエウゲニーが覗き込んできた。
 人目を引いているのはこいつのせいだ。
 俺はまだしもエウゲニーが素顔を晒すことはできない。だからの魔術だが、肌の色までは変えられないため、魔族の特徴である褐色の肌は見るもあらわになっている。
 
「……大丈夫だけど、エウゲニーのほうこそどうなんだ?」
「僕? なにが問題なの?」
「魔族ってもろわかりだけど」

 しかも、マントなんかで隠したらいいものを、軽装なうえに堂々と闊歩するのだから感心を通り越して呆れてしまう。ただでさえヒエスラの騎士がぞろぞろとお伴についているのだから、少しくらい気にして欲しいものだ。
 
「それがなに? 魔族なんてカツフクじゃ珍しくもないでしょ?」
「珍しいよ。ぞろぞろいるわけじゃないんだし」
「そうかな? ……あ、あの店みたいだよ?」

 はっとうつむかせていた顔をあげると、アラムの姿が見えた。レストランの前で俺たちが追いつくのを待っていてくれているようだ。
 いよいよか。
 緊張していた胸を押さえつつ、エウゲニーを急かしてアラムのもとへ足を速めた。

「お久しぶりであります。ご健勝のようで幸いであります」

 クジマと会うのも二年ぶりだ。案内された個室へ入るやいなや、まるで変わらない笑みに迎えられたのだが、クジマの横にはエフレムの姿しかない。

「フョードルは?」

 見渡しても見当たらない。個室はVIPルームといった趣きの豪奢な内装をしており、十人ほど座れる広さのテーブルと、人数分の椅子が置かれてある。俺たちが五人で、クジマたちはフョードルを入れたら三人のはずだ。しかし椅子は九脚用意されている。

「お変わりないご様子なのは幸いと申しましても、中身のほうもとなりますと複雑であります。こういった場合は、いかに伺いたいことがあれど、先に挨拶をするものなのですよ?」

 変わらないのはクジマのほうもだろう。久しぶりというのにのっけから小言を言われて耳が痛い。

「……久しぶりだな、クジマ。元気そうでなによりだ。で、フョードルは?」
「まったく、ロジオン様は──」
「待たせたね」

 クジマの言葉にかぶさるよう後ろから声がして、全身が総毛立った。

「道が混んでいたんだ。申し訳ない」

 もしやと振り向いた先、数メートルほど離れた場所から歩いてくる人影が見えた。

「フョードル……」

 呼びかけると、目尻にしわを寄せたフョードルが静かに近づいてきた。
 十四年。年月を感じさせる老いがそこかしこに見受けられる。真っ黒だった髪には白いものが交じり、五十手前とは思えないくらいの労苦の跡が柔和な相貌に刻まれている。

「成長したな。ローギンにそっくりじゃないか」

 フョードルの口から初めて出た父の名前に、思わず瞠目した。
 
「……俺の父がローギンだって知っていたのか?」
「隠していてわるかった。マルガリータが触れられるのを嫌がっていたからね。ロジーが成長したら話そうと思っていたんだけど、とうとう会えたようだね」
「そうだよ。何度も教えてくれって頼んだじゃない……か……」

 途中で言葉に詰まってしまった。フョードルの後ろから女性が現れ、その姿を見た瞬間に心臓が止まりそうなほど驚いたせいだった。

「はじめまして」

 女性は俺と目を合わせてにっこりと微笑んだ。
 信じられない。夢を見ているのではないだろうか。
 幼げな顔立ちながらに目映いほど美しい。曇り空に太陽の光が差し込んだかのような笑みを向けられ、俺は混乱に目の前が暗くなった。

「リザヴェータだ。マルガリータ様の忘れ形見だよ」

 言われなくてもわかる。リザヴェータと紹介された女性は、母と瓜二つだった。血の繋がりがある以外に説明がつかないほど似ている。まるで俺とローギンのように。

「……どういうこと? 皇女にはロジーしか子どもはいないはずでしょ?」

 後ろからエウゲニーの動揺した声が聞こえてきた。
 俺は耳にしながらも立ちくらみを起こしてその場に膝をつき、アラムが支えてくれた。ふとアラムを見ると強張った表情をしていて、アラムも彼女の存在を知らなかったらしいことが窺えた。

「驚かせるつもりはなかったんだけど、ロジオンに紹介するいい機会だとクジマが背中を押してくれてね」
「ええ。リザヴェータ様がリュミトロフへお戻りになられることはないと存じますので、ロジオン様のいらっしゃる機会でなければと、差し出がましくもお声がけいたしました。こんなところではなんですから、部屋へ入りましょう」

 クジマは鷹揚とした態度で俺たちを促し、確かにと個室へ移動した。
 九つあった席はすべて埋まることとなった。エフレムが店員を呼びつけると、現れた店員によって料理が並べられ、酒も行き渡った。
 ではさっそくと乾杯をして食事が始まったのだが、皆ぎくしゃくとして口数が少ない。
 それもそのはず、この場は俺がフョードルに会いたいからとアラムに頼み、クジマがセッティングしてくれたものだ。
 気を使ってくれているのだろう。しかし、まったく予想もしていなかった事実を知らされては事前の質問など頭から吹き飛んでいる。冷静になれるはずもない。

「リザヴェータ様とは二年の付き合いになるでしょうか。フョードル様とは十二年ぶりでしたけれども、お二方ともヒエスラに戻られて、永住なされる決意をされたとのことで、とても嬉しく思っております」

 場の空気を断ち切ってくれたのはクジマだった。
 
「えっ……てことは、それまではリュミトロフにいたの?」

 俺が向かい側に座るフョードルに訊くと、フョードルは神妙な顔で頷いた。

「マルガリータの意志でね。もし自分に何かあった場合に、リザヴェータは施設に預けることなく育てて欲しいと頼まれていたんだ。あの事故があったあと、わたしは生まれたばかりのこの子を安全に育てられるよう、リュミトロフへ亡命したんだ」

 だから自白しながらも逃げ出したのか。フョードルほどの人格者がなぜと不思議だったが、幼子のためというなら頷ける。

「マルガリータ様はご自身の身に何かあるとの懸念があられたのですか?」

 アラムから訊ねられ、フョードルは頷き返した。
 
「妊娠中毒症にかかってしまってね」

 あの病は妊娠のせいだったのか。なぜ教えてくれなかったのだろう。知っていたら、妹の存在に驚くこともなかったのに。
 
「……俺は熱病だと思っていた」

 ぽつりと言うと、フョードルは悲しげに眉尻を下げた。俺に知らせなかったことに対する悔いの表現だろうか。
 まさかと離れた場所に座るスヴェトキンを見ると、困ったような顔で目を伏せられた。
 スヴェトキンも知っていたらしい。となれば、アクサナや他の使用人たちもだろう。
 当然だ。使用人が主人の妊娠なんて大ごとを知らずにいたはずがない。俺一人が知らされていなかっただけなのだ。

「お兄様にお会いできて嬉しく思います。……ヒエスラへ来るのは念願でしたが、魔力の扱いが下手で許可を得るまでに時間がかかってしまいました」
 
 リザヴェータが鈴を転がしたような声で嬉しげな笑みを向けてきた。母そっくりな顔で微笑みかけられると、いやに心臓が跳ねてしまう。

「時間がかかったとおっしゃられても十二年足らずでありましょう? ロジオン様よりも優秀でいらっしゃいますよ」

 クジマが大げさな身ぶりで口を挟んだ。
 不必要にも俺を揶揄するところは相変わらずらしい。
 魔力の扱いうんぬんと聞くに、リザヴェータも半魔であるようだ。
 フョードルが逃亡先をリュミトロフにしたのは、ヒエスラでは追われる身であったからだけでなく、リザヴェータが魔力を持っていたからでもあるのかもしれない。

「とんでもないことであります。兄上は魔力の高い方とお聞きして、他にも色々とお話を聞かされておりましたから、是非ともお会いしてみたく願っておりました」
「……俺のことを前から知っていたんだ」
「はい。幼いころからお父様が話してくださっていたので、せがんで何度も同じ話をしていただきました。お兄様のお話が大好きで、今ではどれも空で言えるほどです」

 リザヴェータは親しげな笑みを、今度は隣のフョードルに向けた。
 彼女の瞳に映るは、お父様と呼びかけた相手だ。
 半魔であるというなら父も魔力のを持った魔族か半魔のどちらか以外にない。
 リザヴェータの父はフョードルなのだ。
 考えるまでもない。人目を避けて引きこもっていた母が、他の誰と逢瀬をできるというのか。
 フョードルは追われる身となっても母の意志を汲み、自らの手で育てる道を選んだ。
 それは愛する女性の娘だからだけでなく、自分の娘だったからだ。

「ロジオン?」

 震えが止まらなくなった俺を、アラムは心配げに覗き込んできた。抱きかかえるように支えながら、背中を撫でてくれている。
 心配をかけたくない。大丈夫と答えたいのに、声が出ない。
 俺が母の病を知ったのは、死の三ヶ月ほど前のことだった。めっきり姿を見かけなくなり、どうしたのかを聞いて病に臥せっていることを知ったのだ。
 どれほどの病状なのかが気になり、フョードルやスヴェトキンたちに聞いて回った。

「ロジー?」

 アラムとは反対隣に座るエウゲニーも俺を心配げに覗き込んできた。
 彼は兄だ。血を分けた兄弟。そして斜め前には血を分けた妹がいる。
 伏せっていた母が心配だった俺は、気づかれないよう何度も部屋を覗き見た。ドアをそっと開け、ベッドに横たわった母を見て、つらくはないか、悪化していないかを日々観察していた。
 すると母の腹はみるみる大きくなり、愛おしげに見つめるフョードルへの眼差しは日増しに深くなっていった。
 それと相反するように、俺は憎悪の言葉すらかけてもらえなくなっていった。まるで存在が消えてしまったかのように、母の目には映らなくなっていったのだ。

『わたしの可愛い子。わたしはこれからあなたとこの子を愛していくわ』
『何を言ってるんだ。ロジオンもおまえの大事な息子だろう?』
『わたしに息子はいないわ。この子、お腹の中にいる娘だけよ』

 その会話を聞いたときだった。母の容体が心配で、人払いをされたあとにドアへと近づいた直後だ。
 俺は耳をそばだてていたドアのまえで、視界が暗転するという奇妙な感覚に襲われた。
 絶望と悲しみが腹の底から迫り上がり、堪えきれなくなって身を委ねた。
 俺の意志だった。
 この世に母の子は二人として必要ない。存在させてはいけない。
 あのときの俺はそんな激情に駆られていた。しかし、やめようと思えば抑えられた。俺は冷静な頭で思考し、結果として実行するほうを選んだ。
 そして、全魔力を解き放ったのだ。
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