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第三章 ユートピアの片隅で
49.未完了の辞令
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リュミトロフへ入国した俺は迷うことなく往路を進んだ。
リザヴェータは俺の頼みを聞き届けてくれたようで、到着した頃には補修工事が始まっていた。ここはリュミトロフの領土の中にありながら、浮島のようにヒエスラの領地となっている。何百年か前に大戦が勃発したあと、ヒエスラが莫大な保証金を払って勝ち得た自治領だ。
「補修工事はどれくらいの予定なんですか?」
ぐるっとあたりを見て回ったあと、作業員の制服を着た中年男性を見つけたので声をかけた。
「少なくとも半年はかかるだろうな」
「……そうですか」
「なんだい、兄ちゃん。監督しにきた役人か?」
「いえ。ただの旅行者ですよ」
男性は信じていない様子で、しかし俺がアルファであることにも疑念があるのか、どうしたものかと言ったように顎を撫でたあと、ぽつりと答えてくれた。
「工事が始まったのは四ヶ月まえだ。完了まではあと二ヶ月ってところだろう」
四ヶ月前ということは、俺がリザヴェータに頼んですぐ着手されたことになる。審議の期間を経ずに承認されるとは、彼女の立場は考えていた以上に高いようだ。
作業員に礼を言い、近くに宿があるかを聞いて現場から離れた。現場作業員のための施設があるようで、行ってみると空きがあり、しばらくの滞在先として部屋を押さえることができた。
技師の多くはヒエスラ国民のようなのに、宿泊客の数と見合わない。リザヴェータに頼んですぐ工事が始まったことも含めて考えるに、技師たちはリュミトロフに滞在していた者たちなのかもしれない。一刻でも早く着工できるようとの配慮かもしれず、リザヴェータの心遣いに胸が熱くなった。
翌日からは、付近をじっくり散歩してみることにした。
この地にはただ施設があるだけで住宅や店などはない。見るものもなければ顔を合わせる人も限られる。だからか作業員たちとは顔なじみとなり、何日かすると挨拶を交わすだけに留まらず、雑談までするようになった。
「鋭角崖んとこに誰かがいるらしい」
ふいに話題があがったのは、滞在を始めて一ヶ月ほど経った頃だった。
「鋭角崖? あんなとこ人のいく場所じゃないだろ。なんの用があるって言うんだ?」
「知るかよ。雨の日以外は必ず煙があがっているんだとよ。何年にもなるって話だ」
鋭角崖とは正式な名称ではない。この自治区は大陸の端に位置しており、リュミトロフに面していない部分は海へと続く断崖に囲まれている。人が降りていけるような斜面はいっさいなく、すべてが切り立ったような絶壁だ。
入国するために必ずリュミトロフを経由しなければならないのはそのためで、荒涼とした岩地しかなく、自然のまま開拓されてはいない。
まさにおあつらえ向きと思いながらも、さすがにと考えて後回しにしていた場所だ。
耳にしたのはちょうど朝食の席だった。ただのんべんだらりと散歩をするしか予定のない俺は、ならばとさっそく鋭角崖へと向かうことに決めた。
数日続いていた雨が止み、久しぶりに晴れ間の除いた心地よい陽気である。
ステーション一帯はコンクリートで舗装されているが、端まで行くと途切れており、先は岩ばかりで草木のない砂地だった。間違えて崖に落ちてしまわないよう、親切にもフェンスが張り巡らされている。腰までの高さでしかないため、ひょいとまたぎ越し、崖のほうへ行って海を眺めながら岩肌のうえをゆっくり歩いた。
一時間ほど歩いた頃だろうか。
凪いだ海を眺めながら一向に何の変化もない岩地を歩いていた俺は、ふと気配を感じて振り返った。
「……いつからいたんだよ」
発した声は、かすれてひどく情けない声になってしまった。しかも声だけでなく視界までもがかすれてきている。
「歩いてる姿がかっこよかったからさ」
何度も何度も夢に見た状況で、ずっと探し続けてきた姿なのに、一向にはっきりと見ることができない。
「今のことじゃなくて……」
瞼をこすり、目を開ける。しかし拭う先から溢れ出る涙が邪魔で、現実であることを実感させてくれない。
「あのあとどこにいたかって? ずっとここにいたよ」
しかもあいつは、必死な俺を他所に鷹揚とした足取りで、焦れったいほどゆっくり近づいてくる。
ばかやろう。
喉の奥から嗚咽がせり上がり、足を前に出すこともままならない。堪えきれず両手を膝につき身をかがめると、いつの間に近づいていたのか腕を取られ、ぐいと引かれて抱きしめられた。
「遅すぎるよ。待ちくたびれて死ぬかと思った」
懐かしき匂いと感触。触れた身体からどくどくと感じる鼓動が、ようやく実感させてくれた。
「待ちくたびれたって、どういうことだよ」
生きていた。死んだはずがないと思っていた。
もう一度会えると信じていた。
「どうもこうもないよ。誘ったのはアラムだろ?」
正確に言えば違う。提案したのは事実だが、直後に無理な話と否定したのだから、誘ったと言っては語弊がある。
二年も経ったというのに、相変わらずだ。人の話をろくに聞いちゃいないし、思い込みの激しさも変わらない。
「ああ。待たせてわるかった」
しかし、だからこそ再会できた。
見た目には髪が伸び、意外にも清潔に保っているようだが服装は最後に見たときのままだ。それでも内面はまるで変わっていなかった。
思い違いをして、鵜呑みにしたまま疑問を抱かず、愚直にも待っていてくれた。
一人の人間にとってエズラはとてつもなく広大だ。あてもなく探していたら一生をかけても見つけることなどできなかっただろう。
探せば見つかるはずと考えていた俺のほうがバカだった。相変わらずの素直さが、夢を現実にしてくれたのだ。
「見つかったら捕まるだろうし、捕まったらアラムと会えないかもしれないだろ? 人に聞いたり飛んで探すこともできないじゃん」
「……ああ」
「別に捕まってもよかったけど、アラムが逃げようって言ったんだし、今にも来るかと思うとさ」
「ああ」
「生まれてずっと引きこもってきた俺がサバイバル生活してたんだよ?」
「……ああ」
「アラムの怪我が治らなかったのかと思って、不安だったんだから」
背中に回っていた腕が、痛いほどに締め付けてきた。
「わるかったって」
「俺が死んだと思って、諦めちゃったのかなとかも考えたし」
絶望は何度も俺に襲いかかってきた。しかし、来るたびに振り払った。死ぬはずない。絶対に生きていると信じて、探すのを諦めなかった。なぜなのか、それはどうしてもこいつが負ける姿を想像できなかったからだ。
「ロジオン……おまえが負けるわけないだろ」
俺も強く抱きしめ返した。するとロジオンはかすかに身体を震わせ、俺の肩に顔をうずめてきた。
「うん。でも、クジマとエウゲニーを殺しちゃったんだよ……」
「……おまえが手を下したのか?」
「正確にはヒエスラの爆撃だったけど、俺がやったも同然だ。……防御魔法が使えなくなるくらい魔力を消耗させたんだから」
「じゃあ、おまえのせいじゃない。あいつらが自滅しただけだ」
ロジオンは身体を強張らせ、少し離して、不安げな顔で覗き込んできた。
覗うような眼差しに、俺は本気だと伝えるべく頷いた。
「おまえはエズラを守ったんだ。虐殺しようとしたあいつらを止めたんだから、おまえは殺戮者どころか、英雄と称えられてもいいくらいだ」
俺は動くほうの手でロジオンを頬を撫で、今にも泣き出しそうな顔をじっと見据えた。
「でも、怪我した人とか、死んだ人もいただろうし」
「巻き込まれた人はいたかもしれない。街を破壊したのは事実だからな。でも、いいんだよ」
──おまえが生きていてくれたんだから。
俺はロジオンの唇にそっと触れ、首に腕を回してキスを深くした。
ロジオンに罪があるというなら俺にもある。細かいところまで突き詰めれば、止めようとして攻撃を繰り出したリザヴェータにも、わかっていて制止しなかったフョードルにもあるだろう。
クジマたちの思惑に気づかなかったすべての人間が同罪だ。ローギンも然り、ヒエスラの管理官たちも含め、直接手を下していない人たち誰もに罪がある。
「おまえ一人で背負う必要はない」
だから、逃げ回る必要もない。
「……じゃあ……本当に俺と一緒に逃げてくれるの?」
「当然だ。だが、逃亡生活はしない。キーンズへ行って、裁いてもらってからだ」
「えっ?」
「……一緒にいるにも、堂々としていたいだろ? もし極刑の判決が下ったら逃げればいい。それでも遅くない」
「でも……」
「ただ、出発は二カ月後だ」
「二カ月後?」
「ああ。俺には遂行していない辞令が残っている」
ロジオンの頭を軽く叩き、誘導するように俺は空を仰いだ。ロジオンは釣られるように俺の視線を追い、思い出してくれたのかはっと息を呑んだ。
「……じゃあ逃げるためじゃないってこと?」
「そうだ。一ヶ月くらいのんびりしたら降りてくる。それだけだ……おまえも、酔狂な目的を達成させておきたいだろ?」
「目的って……一人きりの時間は十分すぎるくらい味わったけど」
「ああ。だから、今度は二人で引きこもるぞ」
「二人でなにするの?」
「やることなんていくらでもある。とりあえず宿に戻って……いや、もう一度キスしてからだ」
俺はささやきかけ、この世で唯一無二の男に口づけた。俺が心から満たされるのは、こいつに触れているときだけだ。
それまでの労苦がすべて吹き飛んだように感じ、ようやく安堵に包まれたという想いで、胸が歓喜に満たされた。
ユートピアといえども、誰もが満たされるわけじゃない。幸福となるべく管理された世界では、個人の欲は抑圧され、差別は区別として必要なものとなる。幸福を得るためには代償として、ありうるべき理想から外れないよう努力しなければ、たちまち爪弾きにされてしまう。
人間には誰しも個々の嗜好や性癖、立場など、求めて得られないものが少なからずある。仕方がないことで、しかし享受できるもののほうが多いのだからと、誰もが抑え込むほうを選んでいるだけだ。
ただ、俺とロジオンにとっては違っていた。得られるものと比較して、すべて捨て去ることになっても追い求めるほうを選んだ。
俺にとってロジオンは、安泰だった将来や順風満帆だった人生など目じゃないほどの存在だった。たとえ親や兄弟を殺した不届者で、街を蹂躙した犯罪者だったとしても、その罪を肯定してやりたいくらいに。
身勝手過ぎる話で、社会に生かされている身として罪から目を背けるつもりはない。ただ、ようやくすべてのしがらみから解放されたのだ。
未完了だった辞令を遂行するのだから、報告するのに二ヶ月くらい遅れても多目に見て欲しい。
行き先には何もなく、観光する場所もなければ誰もいない。何もすることがない退屈な世界だが、つまりは何をしても自由というわけで、他に誰もいないというのは、二人きりの世界ということだ。誰にはばかることなく何をしてもいいのだから、飽きるほど欲望を発散させてもいいわけだろ?
ということでチューブが修復するまでの一ヶ月は宿に引きこもり、完成したらハンナへ行って引きこもろうと思う。
そんな生活こそが、俺とロジオンにとってのユートピアかもしれない。などとは、アルファでなくても絶対に人に言えない話だ。
リザヴェータは俺の頼みを聞き届けてくれたようで、到着した頃には補修工事が始まっていた。ここはリュミトロフの領土の中にありながら、浮島のようにヒエスラの領地となっている。何百年か前に大戦が勃発したあと、ヒエスラが莫大な保証金を払って勝ち得た自治領だ。
「補修工事はどれくらいの予定なんですか?」
ぐるっとあたりを見て回ったあと、作業員の制服を着た中年男性を見つけたので声をかけた。
「少なくとも半年はかかるだろうな」
「……そうですか」
「なんだい、兄ちゃん。監督しにきた役人か?」
「いえ。ただの旅行者ですよ」
男性は信じていない様子で、しかし俺がアルファであることにも疑念があるのか、どうしたものかと言ったように顎を撫でたあと、ぽつりと答えてくれた。
「工事が始まったのは四ヶ月まえだ。完了まではあと二ヶ月ってところだろう」
四ヶ月前ということは、俺がリザヴェータに頼んですぐ着手されたことになる。審議の期間を経ずに承認されるとは、彼女の立場は考えていた以上に高いようだ。
作業員に礼を言い、近くに宿があるかを聞いて現場から離れた。現場作業員のための施設があるようで、行ってみると空きがあり、しばらくの滞在先として部屋を押さえることができた。
技師の多くはヒエスラ国民のようなのに、宿泊客の数と見合わない。リザヴェータに頼んですぐ工事が始まったことも含めて考えるに、技師たちはリュミトロフに滞在していた者たちなのかもしれない。一刻でも早く着工できるようとの配慮かもしれず、リザヴェータの心遣いに胸が熱くなった。
翌日からは、付近をじっくり散歩してみることにした。
この地にはただ施設があるだけで住宅や店などはない。見るものもなければ顔を合わせる人も限られる。だからか作業員たちとは顔なじみとなり、何日かすると挨拶を交わすだけに留まらず、雑談までするようになった。
「鋭角崖んとこに誰かがいるらしい」
ふいに話題があがったのは、滞在を始めて一ヶ月ほど経った頃だった。
「鋭角崖? あんなとこ人のいく場所じゃないだろ。なんの用があるって言うんだ?」
「知るかよ。雨の日以外は必ず煙があがっているんだとよ。何年にもなるって話だ」
鋭角崖とは正式な名称ではない。この自治区は大陸の端に位置しており、リュミトロフに面していない部分は海へと続く断崖に囲まれている。人が降りていけるような斜面はいっさいなく、すべてが切り立ったような絶壁だ。
入国するために必ずリュミトロフを経由しなければならないのはそのためで、荒涼とした岩地しかなく、自然のまま開拓されてはいない。
まさにおあつらえ向きと思いながらも、さすがにと考えて後回しにしていた場所だ。
耳にしたのはちょうど朝食の席だった。ただのんべんだらりと散歩をするしか予定のない俺は、ならばとさっそく鋭角崖へと向かうことに決めた。
数日続いていた雨が止み、久しぶりに晴れ間の除いた心地よい陽気である。
ステーション一帯はコンクリートで舗装されているが、端まで行くと途切れており、先は岩ばかりで草木のない砂地だった。間違えて崖に落ちてしまわないよう、親切にもフェンスが張り巡らされている。腰までの高さでしかないため、ひょいとまたぎ越し、崖のほうへ行って海を眺めながら岩肌のうえをゆっくり歩いた。
一時間ほど歩いた頃だろうか。
凪いだ海を眺めながら一向に何の変化もない岩地を歩いていた俺は、ふと気配を感じて振り返った。
「……いつからいたんだよ」
発した声は、かすれてひどく情けない声になってしまった。しかも声だけでなく視界までもがかすれてきている。
「歩いてる姿がかっこよかったからさ」
何度も何度も夢に見た状況で、ずっと探し続けてきた姿なのに、一向にはっきりと見ることができない。
「今のことじゃなくて……」
瞼をこすり、目を開ける。しかし拭う先から溢れ出る涙が邪魔で、現実であることを実感させてくれない。
「あのあとどこにいたかって? ずっとここにいたよ」
しかもあいつは、必死な俺を他所に鷹揚とした足取りで、焦れったいほどゆっくり近づいてくる。
ばかやろう。
喉の奥から嗚咽がせり上がり、足を前に出すこともままならない。堪えきれず両手を膝につき身をかがめると、いつの間に近づいていたのか腕を取られ、ぐいと引かれて抱きしめられた。
「遅すぎるよ。待ちくたびれて死ぬかと思った」
懐かしき匂いと感触。触れた身体からどくどくと感じる鼓動が、ようやく実感させてくれた。
「待ちくたびれたって、どういうことだよ」
生きていた。死んだはずがないと思っていた。
もう一度会えると信じていた。
「どうもこうもないよ。誘ったのはアラムだろ?」
正確に言えば違う。提案したのは事実だが、直後に無理な話と否定したのだから、誘ったと言っては語弊がある。
二年も経ったというのに、相変わらずだ。人の話をろくに聞いちゃいないし、思い込みの激しさも変わらない。
「ああ。待たせてわるかった」
しかし、だからこそ再会できた。
見た目には髪が伸び、意外にも清潔に保っているようだが服装は最後に見たときのままだ。それでも内面はまるで変わっていなかった。
思い違いをして、鵜呑みにしたまま疑問を抱かず、愚直にも待っていてくれた。
一人の人間にとってエズラはとてつもなく広大だ。あてもなく探していたら一生をかけても見つけることなどできなかっただろう。
探せば見つかるはずと考えていた俺のほうがバカだった。相変わらずの素直さが、夢を現実にしてくれたのだ。
「見つかったら捕まるだろうし、捕まったらアラムと会えないかもしれないだろ? 人に聞いたり飛んで探すこともできないじゃん」
「……ああ」
「別に捕まってもよかったけど、アラムが逃げようって言ったんだし、今にも来るかと思うとさ」
「ああ」
「生まれてずっと引きこもってきた俺がサバイバル生活してたんだよ?」
「……ああ」
「アラムの怪我が治らなかったのかと思って、不安だったんだから」
背中に回っていた腕が、痛いほどに締め付けてきた。
「わるかったって」
「俺が死んだと思って、諦めちゃったのかなとかも考えたし」
絶望は何度も俺に襲いかかってきた。しかし、来るたびに振り払った。死ぬはずない。絶対に生きていると信じて、探すのを諦めなかった。なぜなのか、それはどうしてもこいつが負ける姿を想像できなかったからだ。
「ロジオン……おまえが負けるわけないだろ」
俺も強く抱きしめ返した。するとロジオンはかすかに身体を震わせ、俺の肩に顔をうずめてきた。
「うん。でも、クジマとエウゲニーを殺しちゃったんだよ……」
「……おまえが手を下したのか?」
「正確にはヒエスラの爆撃だったけど、俺がやったも同然だ。……防御魔法が使えなくなるくらい魔力を消耗させたんだから」
「じゃあ、おまえのせいじゃない。あいつらが自滅しただけだ」
ロジオンは身体を強張らせ、少し離して、不安げな顔で覗き込んできた。
覗うような眼差しに、俺は本気だと伝えるべく頷いた。
「おまえはエズラを守ったんだ。虐殺しようとしたあいつらを止めたんだから、おまえは殺戮者どころか、英雄と称えられてもいいくらいだ」
俺は動くほうの手でロジオンを頬を撫で、今にも泣き出しそうな顔をじっと見据えた。
「でも、怪我した人とか、死んだ人もいただろうし」
「巻き込まれた人はいたかもしれない。街を破壊したのは事実だからな。でも、いいんだよ」
──おまえが生きていてくれたんだから。
俺はロジオンの唇にそっと触れ、首に腕を回してキスを深くした。
ロジオンに罪があるというなら俺にもある。細かいところまで突き詰めれば、止めようとして攻撃を繰り出したリザヴェータにも、わかっていて制止しなかったフョードルにもあるだろう。
クジマたちの思惑に気づかなかったすべての人間が同罪だ。ローギンも然り、ヒエスラの管理官たちも含め、直接手を下していない人たち誰もに罪がある。
「おまえ一人で背負う必要はない」
だから、逃げ回る必要もない。
「……じゃあ……本当に俺と一緒に逃げてくれるの?」
「当然だ。だが、逃亡生活はしない。キーンズへ行って、裁いてもらってからだ」
「えっ?」
「……一緒にいるにも、堂々としていたいだろ? もし極刑の判決が下ったら逃げればいい。それでも遅くない」
「でも……」
「ただ、出発は二カ月後だ」
「二カ月後?」
「ああ。俺には遂行していない辞令が残っている」
ロジオンの頭を軽く叩き、誘導するように俺は空を仰いだ。ロジオンは釣られるように俺の視線を追い、思い出してくれたのかはっと息を呑んだ。
「……じゃあ逃げるためじゃないってこと?」
「そうだ。一ヶ月くらいのんびりしたら降りてくる。それだけだ……おまえも、酔狂な目的を達成させておきたいだろ?」
「目的って……一人きりの時間は十分すぎるくらい味わったけど」
「ああ。だから、今度は二人で引きこもるぞ」
「二人でなにするの?」
「やることなんていくらでもある。とりあえず宿に戻って……いや、もう一度キスしてからだ」
俺はささやきかけ、この世で唯一無二の男に口づけた。俺が心から満たされるのは、こいつに触れているときだけだ。
それまでの労苦がすべて吹き飛んだように感じ、ようやく安堵に包まれたという想いで、胸が歓喜に満たされた。
ユートピアといえども、誰もが満たされるわけじゃない。幸福となるべく管理された世界では、個人の欲は抑圧され、差別は区別として必要なものとなる。幸福を得るためには代償として、ありうるべき理想から外れないよう努力しなければ、たちまち爪弾きにされてしまう。
人間には誰しも個々の嗜好や性癖、立場など、求めて得られないものが少なからずある。仕方がないことで、しかし享受できるもののほうが多いのだからと、誰もが抑え込むほうを選んでいるだけだ。
ただ、俺とロジオンにとっては違っていた。得られるものと比較して、すべて捨て去ることになっても追い求めるほうを選んだ。
俺にとってロジオンは、安泰だった将来や順風満帆だった人生など目じゃないほどの存在だった。たとえ親や兄弟を殺した不届者で、街を蹂躙した犯罪者だったとしても、その罪を肯定してやりたいくらいに。
身勝手過ぎる話で、社会に生かされている身として罪から目を背けるつもりはない。ただ、ようやくすべてのしがらみから解放されたのだ。
未完了だった辞令を遂行するのだから、報告するのに二ヶ月くらい遅れても多目に見て欲しい。
行き先には何もなく、観光する場所もなければ誰もいない。何もすることがない退屈な世界だが、つまりは何をしても自由というわけで、他に誰もいないというのは、二人きりの世界ということだ。誰にはばかることなく何をしてもいいのだから、飽きるほど欲望を発散させてもいいわけだろ?
ということでチューブが修復するまでの一ヶ月は宿に引きこもり、完成したらハンナへ行って引きこもろうと思う。
そんな生活こそが、俺とロジオンにとってのユートピアかもしれない。などとは、アルファでなくても絶対に人に言えない話だ。
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