お願いです!ワンナイトのつもりでした!

郁律華

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過去にまつわる悪夢と今

悪夢が招いたもの

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今日はついてない。
清香は金曜日にも関わらず、急ぎの案件を急に持ち込まれて焦っていた。本来なら、定時上がりで毬と飲みに行く約束なのである。
少しだけ、携帯を取り出してメッセージアプリで毬に一時間遅らせてほしいことを伝えると自分もその方がありがたいと返ってきた。
よし、オタクの集中力をここで見せようじゃありませんか!

何とか残業時間を一時間に抑え、待ち合わせ場所に急ぐ。
駅の改札口に向かえば、まだ毬は着いていなかった。
少し安堵して、改札口にいる文面をメッセージアプリで毬に送る。
琢磨は最近、また忙しいらしく残業が続いている。明日も休日出勤になるのかは今日の進捗次第かもしれない。
今度、久しぶりに何か手の込んだものでも作って労ってあげるべきかと思いながら、携帯でレシピを探す。
ハンバーグ…ビーフシチュー…うーん…希望も聞いた方がいいよな。

「あれ?桐川さん?」
男性の声がして、顔をあげると前に勤めていた職場で一緒に働いていた男性だった。思わず顔が強ばりそうになるのを隠して、笑顔を顔に張り付ける。
「中木さん。お久しぶりですね。」
「久しぶり!辞めてから全然連絡取れなかったけど、元気にしてた?俺も辞めたいんだけどさ~」
中木という男が距離を詰めてくる。とっさに後退りしそうになるのを堪えながら、踏み止まる。
「ええ、今の職場ではよくしていただいてます。」
「いいなー!俺もそっちの職場に行きたいよ!」
「中木さんは今の職場でも頼りにされてるでしょう?」
馴れ馴れしく詰められる距離をジリジリとかわしながら、笑顔でやり過ごす。

「清香ちゃん!お待たせ!」
「あ、毬ちゃん!では、失礼します。」
改札口から毬が駆けてくる。中木から離れて毬を連れてその場から離れる。
「ごめん、ちょっと歩きながらで。」
「それはいいけど、大丈夫?清香ちゃん、顔色悪いよ?」
早歩きでそのまま事前に行きたかったと話をしていた店に向かった。

「清香ちゃん、とりあえずお水飲みな?先に適当に頼んどくから。」
「うん。」
毬に言われて、テーブルに置かれた水を飲む。ふうと息が吐き出せた。思ったより緊張状態だったらしい。目の前がくらりとして、これは無茶をしたとやっと自覚する。
「ごめん、毬ちゃん。今日、私はアルコール控えるけど、毬ちゃんは飲んでね。」
「分かった!」
毬は何も聞かずに注文を決めていく。それがむしろありがたい。
店員に一通り頼み終えると、毬が真剣な顔をして清香に尋ねる。
「何かあった?」
「あー、さっき、改札で話してた人、前の職場の人でね。ちょっと…」
思わず言葉を濁してしまう。本来なら楽しい酒の席になるはずだったのにと思ってしまう。
「言いにくいなら追求はしないけど、無理しないようにね?」
毬の気遣いにほっとして、それからは楽しく食事をした。
毬が席を離れた際に、メッセージアプリを開くと琢磨から今日も残業だというメッセージが届いていた。
思わず、なるべく早く帰ってねと返信してしまった。
送ってから何かあったと思わせてしまうかと見返したが、労りの文面にしか見えない気もしてそのままにした。
「ごめーん!」
「ううん!」
毬が戻ってきたため、携帯をしまう。
「デザートどうする?」
「うーん、アイスもいいけど、プリンも良さげで迷うなぁ。」
メニュー表を開きながら2人で悩んで笑った。

会計を済ませて出ると、22時30分で二件目に向かう人や帰る人などで、道を歩く人が多い。
「今日は帰ろっか。」
「うん、ごめんね。ゆっくり飲めなくて。」
「いいのいいの。今度はウイスキーの美味しいとこ行こうね!」
毬が笑って提案してくれたため、清香も笑顔で頷く。
前方から歩いてきた男性集団が歩きを止めた。
「あれ?大須さんに桐川さんじゃん!」
「えっと…?」
話しかけてきた男性に毬が戸惑う。清香はその顔を見て、すぐに毬と同じ会社で勤務していたときの同期だと理解した。
「岡本くん…」
「久しぶりー!元気してた?」
岡本と呼んだ男性は酔っているのか顔が赤い。
「清香ちゃん、誰だっけ?」
毬が声を潜めて清香に尋ねる。毬は基本的に異性の名前をあまり覚えない。必要以上に関わらなかったり、嫌うとすぐに忘れるのだ。
そして、今回忘れた理由は後者だ。

「私たちの同期の岡本くんだよ…」
「えーと…がんばって思い出す…」
毬が思考を回転させているうちに相手が話しかけてくる。
「俺さぁ、あれから会社辞めたんだよね。桐川さんが人事にチクってくれるもんだからさ~ちょっとからかったぐらいなのに、ひどくない?」
周りの男性たちに笑いながら同意を求めている。
それを見て清香の頭の芯が冷える。
「あら?あの時の処分対象は女性社員にたいして不適切な行為を強いた人たちだったよね?その中に岡本くんもいたの?」
知らぬ存ぜぬで当時は通したのだ。今も通さねば、残っている人たちに火の粉が行くかもしれない。
「はあ?忘れちゃったんだ~俺、悲しいわ。それに、あれくらい普通でしょ?」
毬が思い出したようで、口を開こうとするのを清香が腕を引っ張って制する。
「普通ねえ…じゃあ、何故辞めたの?私は夢のために辞めたわ。まあ、岡本くんが辞めた理由なんて私が知る必要もないね。それじゃ。」
毬の腕をそのまま引っ張り、その場を離れた。岡本が何か喚いていたようだが、振り返る気もない。
「清香ちゃん…」
「ごめん、駅まで待って。」
息がハクリと上がる。まずい。私、落ち着け。

駅の改札を抜けて、立ち止まる。
「清香ちゃん、ごめん。何もできなくて…」
「毬ちゃんはあのこと当時は知らなかったんだから、いいの。」
「でも…アイツ、馬鹿にしてきて!ムカつく!」
毬が怒りの表情を浮かべる。それに笑おうとするも、息が苦しい。
「清香ちゃん?」
「はっ…くっ…」
胸を抑えながら、立ってはいられなくてしゃがみこむ。足に力なんて入らない。息がしにくくて目の前が霞む。
「清香ちゃん!しっかりして!誰か…!」
毬が周りに呼び掛けるのを見ながら、呼吸を保つのが精一杯だった。



気がつくと、真っ白な天井だった。
左手には点滴をされて、手足が痺れている。
あー、久しぶりにやってしまった。
「あ、桐川さん起きましたか?」
「はい。手足はまだ痺れますが。」
「じゃあ、もうちょっとゆっくりしててくださいね。一緒に来てくださった方もお呼びしますね。」
毬に心配をかけてしまった。これは泣かれるのを覚悟しなければ。
「清香ちゃん!気がついて良かった!」
ベッドの近くの椅子に座り、毬が泣きそうな顔で話しかけてきた。
「ごめんね、心配かけて。」
「いいんだよ!むしろ一人のときにあんな風になってたらと思うと私が嫌だ!」
「ありがとう。」
毬の手を握ると、毬が泣き始めた。おっと、ティッシュは…枕元にあった。
箱ティッシュを差し出すと、毬が勢いよく数枚取る。
「ごめんよおおおお!」
ぼろぼろと涙を流しながら、ティッシュを消費していく。
「いやいや、落ち着いて?てか、帰りの電車無くなっちゃった?」
「そんな場合じゃないいいいい。」
やっべ、火に油注いだ。
わんわんと泣き始めて、慰めようにもまだ私の手足が痺れているために上手く動かせない。
看護師さんが来て、もう少し静かにと怒られました。すみません。

「すんっ…」
私より悲惨な顔になってしまった毬を何とか落ち着かせた。
うん、私の痺れも少し大丈夫かな。
仕切られていたカーテンがいきなりシャッという音を立てて開けられて、驚くとそこには肩で息をする琢磨の姿があった。
「清香っ!」
「琢磨?」
走ってきたのか、額には汗が浮かんでいる。
え、どうした?あ、私が運ばれちゃったからか。
そんなことを考えてポカンとしていると、琢磨に抱き締められる。
「清香…清香…」
うわ言のように私の名前を呟きながら、琢磨は私の存在を確かめるように腕の力を入れた。
「ちょっ、琢磨?…いだだだだ!」
点滴の針がね!刺さってるんです!痛いの!
「あ、ごめん。」
どうどう、宥めなきゃいけないのが2人になっちゃったじゃないか。
毬を見ればまた泣きそうな顔をしている。
「はーい、桐川さん、念のために検査しておきますよ。」
看護師さんが神様に見えました。

足がぷるぷるしますって伝えると車イスで検査室まで連れていかれ、ほぼ介護状態だった。申し訳ない。
持病の薬についても事情を話し、検査結果も問題ないということでベッドに戻される。
単なる過呼吸とのことだった。
とりあえず、一人で歩けるように回復するまでは休んでいきなさいとのことで、痺れがとれるのを待つ。
「いやー、お騒がせしました。過呼吸だったので、問題もなく。」
笑顔で結果を伝えると、毬は安堵してまた泣いた。
「良かったあああああ。」
「お、落ち着いて。」
感覚が戻ってきた右手で毬の背中を擦る。
「あれ?琢磨は?」
「彼氏さんなら水とか買ってくるって。」
「そう。」
あちゃー。これは琢磨にもショック与えちゃったな。

琢磨が戻ってくると、律儀に毬にも飲み物を渡していた。
気遣いのできるイケメンである。
「私、ちょっと席外すね。」
「あ、うん。」
毬に気を遣わせてしまった。さて、琢磨のSUN値チェックしますか。
「急に驚かせてごめんね。」
とりあえず謝ることしかできませんでした。
どう切り出していいのか分からないんだよね。
「清香が運ばれたって聞いて、背筋が冷えた。」
「うん。」
「病院までの道のりが遠かった。」
「うん。」
「清香に何かあったらってこわかった。」
「心配かけちゃったね。」
琢磨が膝の上で握りしめている手の上に私の手を重ねる。
うう、何かに触るとまだビリビリするな。でも、ここで怯んじゃいけない。
「大丈夫、ちゃんと生きてる。過呼吸だから、ちょっとゆっくりしたら元気になるし。」
そう、休養すれば問題ないのだ。この痺れもあと少しで取れる。
「大須さんに少し聞いた。」
「おう…」
さては私が検査に行ってたときに話したな。
どこまで話してしまったんだろうか。
「最近、あんまり寝れてもなかったのに、元凶と唐突に遭遇すれば納得はいく。」
わ、割と全て話されてる。そして、その指摘は事実だ。
「端的に言っちゃうね…」
琢磨の言い様に私は苦笑いをするしかない。
仕方がない。ここまで来たら診察で言われたことも話そう。
「…しばらくは私の精神は不安定になる…らしい。悪夢だってフラッシュバックだってあり得る。それでも側にいられる?迷惑なら…」
「側にいる!当たり前だ!頼むから…消えないでくれ…」
琢磨は重ねていた私の手をとって握る。顔は泣きそうだ。
あの、握るのはいいんだけど、痺れててね?いたたた。
「帰り、たぶんあんまり歩けないからよろしく。」
「なんなら抱える。」
「それはやめて。」
2人でやっと笑う。うん、少しは大丈夫そうだ。

点滴の中身が無くなり、少し歩行も出来るようになったため、病院から帰っていいと言われた。
精算などの手続きを見ると、あー救急車だもんね…。お世話になりましたと思いながら支払う。
外に出れば、もう夜明けの時間だった。
「清香ちゃん、私、帰るね。」
「ごめんね、長く付き合わせちゃって。」
「ううん。ゆっくり休んで。」
「ありがとう。」
毬にはしばらく頭が上がらなくなりそうだわ。
「相本さん、清香ちゃんのことお願いします。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。」
保護者の会話になってる。遠い目をするしかなかった本人です。

実家に連絡を取り、事情を説明して何ともないことを伝える。
始発の電車も動き始め、それに揺られながら帰ることになった。
荷物は琢磨が持ってくれたため、病院から駅まで少し歩くが、乗り換えのときに力尽きてしまった。
「ごめん、歩けそうにない。」
駅のホームにある椅子に座って顔を手で抑えながら言えば、琢磨も隣に座った。
「大丈夫、少し休んでから、駅から出よう。タクシーも呼ぶ。」
その琢磨の言葉に頷いて早朝の空気を吸い込んだ。


ひんやりとした空気が頬を撫でる。
やっと、顔を覆っていた手を膝の上に置けば、その手を琢磨に握られた。



ああ、この手が私を支えてくれている。
今も、あの時も。
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